招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

光あるうちに光の中を歩め

楽太郎です。

「イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。」
ー「ヨハネによる福音書 / 12章 35節」

記事の表題は、10代の頃に読んだトルストイの同名小説から取りました。

「光あるうちに光の中を歩め」を読んだ当時は、「若いのは今しかないんだから好きなことやろうぜ!」という解釈でしたが、今は違います。
日々悪化していく日本の状況、希望が見えない日常の中で、光を自分で見つけ絶望に飲まれないように信念を貫いて生きていく、その大事さを象徴する言葉なのではないでしょうか。

「光あるうちに光の中を歩め」という小説は、古代ローマのキリスト教が迫害される時代において、豪商のユリウスは若い頃に親交のあったパンフィリウスがキリスト教徒として敬虔な道を歩み続けたことを知り、数々の試練を乗り越えながらユリウスも信仰の道を歩む決意をする、という話です。
これは、今の私の境遇にも繋がるように思います。

ここ最近、私の見る世界はだいぶ軽快になりましたが、逆に世の中の変わらなさとのギャップを感じていました。
未だに物質中心のエネルギーが世を支配しており、その波長に合うと「このまま拝金主義の時代は何となく続いていくのでは?」とすら感じ始めます。

私の心にも昔の賑やかだった街並み、良かった時代の思い出が甦り、どうしようもなく懐かしくなってしまう自分がいます。
そのムードに酔いしれると、「昔は良かった」と思ってしまうのですが、その心こそ古い時代のマインドであり、拝金主義に支えられた物質的な豊かさの幻影に過ぎません。

今、こうした古い時代の集合意識が、新しい時代のエネルギーに拮抗しているように思えます。

「今の便利な時代のままでいい」という感覚は、人の世の集合意識が巨大な集団霊となり、人々を巻き込んで膨張しているように見えます。
人々は古い時代に使っていた気場が壊れたため、何をエネルギー源にして生きていけば良いのかわからなくなったのだろうと思います。

それを補うべく、思念体となった人世のエネルギーに触れると、古い時代の気場に似たエネルギーなのである程度は元気を取り戻します。
ただ、その思念の場は自分たちのエネルギーを寄せ集めて閉鎖的に循環させているに過ぎないので、そのエネルギーに触れることで力は出せても、全く何の推進力もないため特に新しいパワーを生み出すことができません。

これが今、極大期に来ているように感じます。
世の中が何の変哲もないように感じるのも、実際にこのエネルギーが世を支配しているからだと思います。

今日のヘッドラインを眺めても、イスラエルの大規模作戦再開、ウクライナ侵攻の停戦交渉難航、アメリカテックバブルの再燃、どれも変化どころか逆行した状態で安定しつつあります。
あれだけ大風呂敷を広げたトランプ大統領のDOGEや関税政策も、一悶着あってなし崩しになりつつあります。

しかし、私はこのまま何の変化もなく、ダラダラと世界が破滅に向かっていくとは思いません。
今、日本の神々がこの国を変えるべく、動いているのを感じるからです。

先日、続け様に「祓戸大神一神説」、「猿田彦大神の正体」という記事を書きました。
ここで新しい発見をしたのは、日本人は古来から稲作をしながら子々孫々と繁栄していく中で、「サ=稲霊」の神を篤く信奉してきた歴史があるということです。

日本の神々、瀬織津姫命も猿田彦大神も、宇迦之御魂も、「サ神=稲田の神」であり、その信仰は弥生時代以前から続いてきた可能性が高いのです。
出雲の王だった神、素戔嗚命の名にも「サ」が入っています。
「ス」とは「凄い」という意味の接頭語であり、以下を「狭奴穂(さのほ)」書き換えるならば、「凄い稲霊の王」という意味になります。

上代語における「ホ=穂、日、火」は、「王(リーダー・先達)」という意味だと私は考えています。
古代日本語の「ホ」は、「wo」という発音であることが分かっており、「ほ」というより「を」になるからです。

伊弉諾命、伊奘冉命の「イ」は「威」と同じ用法であり、「斎・厳(いつき)」にも使われる文字で、これも「凄さ」を示し「須=ス」よりも神聖性は高いのかもしれません。
文字を変換してみると、伊弉諾命は「伊・狭奴岐(さのき)」伊奘冉命は「伊・狭奴霊(さのみ)」となり、「岐」と「霊」がそれぞれ「君(きみ)=大王」の「彦」と「姫」に対応するのであれば、「聖なる稲霊の王」「聖なる稲霊の女王」となります。

「豊葦原瑞穂国」を作り上げたのは伊弉諾命と伊奘冉命であり、日本とは本来「稲作」によって栄えてきた国家であることの証左となります。
そして、全国にある神社と「記紀」と「日本神話」に名のある神々は、この国土に坐す神霊として祀る以上、日本を司る神々こそ「日本の国土の魂そのものである」と言っても過言ではありません。

しかし、近年では日本産の米に輸出目的の補助金が付与され、国産米が転売され海外で投げ売りされる一方、国策として政府から減反のために「米を作らせない」補助金がバラ撒かれ、その結果として米が暴騰し、もはや日本人は普通に自分たちの国土でできた米を食べられなくなりつつあります。
そして、日本の米が外国に大量に流れる一方、海外の米を輸入し、あるいは古い米に石油加工を施して流通させています。

この「米」を巡る日本の現状と、日本人が崇敬してきた「稲霊」とは無関係と言えるのでしょうか。
「サ神」は村の守り神として「塞の神」に転じ、禍事罪穢れを祓う「久那土の神」、そして日本神道の「祓い清めの神」となって行きました。
今、日本は国境意識も曖昧になり、どんどん外国人が移民して日本の法治制度すら変わろうとしています。

今こそ、日本の祖先が大事にしてきた国土と、日本の神々が守り抜いてきた「豊葦原瑞穂国」について、考えを改める時に来ているのではないでしょうか。

伊弉諾命は、黄泉の国の死者の群れから逃れる時、傍に生えていた「桃」を投げつけて蹴散らしました、
その桃は「大神実命」として、伊弉諾命が死者に取り殺される危機から救い出します。
この「桃」という破邪こそ、私たちの心にある希望や夢、愛情や真心なのではないでしょうか。

今の世界に横たわる思念とは「我良し」、精神的なものや道理よりも物質的な豊かさや力、お金に向かうエネルギーです。
その意志に抗うには、自分の目的や精神性を確固たるものにするしかありません。

自分の中に、これまでの古い価値観や習慣に依存する部分があるからこそ、古い時代に引き戻そうとするエネルギーに取り込まれてしまいます。
昔は良かったとか、人に認められたいとか、お金が欲しいとか、その気持ちはわかります。
しかし、そのエネルギーを動機にしても決して前に進む力にはなりません。

神様は、そう言った「昔の時代の夢への憧れ」も、おそらく邪気として認識されています。

今、このどうしようもない日本の状況を、丸っきり変えるために皆で立ち上がろう、と言うつもりはありません。
とにかく、この絶望の闇から逃げ切らなくては、誰もが生き残る先すらないのです。

そのために、自分が依存してきたエネルギーを断ち切り、自分自身のエネルギーだけで生きていく勇気が必要です。
良くない人たちによる妨害とはしばしば、「自分がされて困る」から起こるものです。
そうすると世の中が良くなって困るからであり、それならば彼らが怒るようなことにこそ正解があります。

今はとにかく希望や愛を推進力にして、絶望から逃げ切ることです。
それこそが真の破邪であり、「光あるうちに光の中を歩む」唯一の方法なのだと思います。

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新しい活躍の場

楽太郎です。

これから「祓戸大神」を題材とした漫画、版画とセットで展開する「神代絵」のイラスト、ひとまずこれを軸に制作活動を行なっていきたいと思います。
ただ表現と情報発信の面で、あまり芳しい状況とは言えないかもしれません。

今はどこも産業的に飽和し尽くした状態であり、不況感も相まってビジネスとして最も打って出にくいタイミングだと思います。
クオリティだけではどうにもならず、とは言え今から知名度を上げようとしても難しいでしょう。

インターネットは寡占企業によってアルゴリズムがほぼ独占されてますし、メディア的に見ても超レッドオーシャンです。
TVや新聞、雑誌や出版などのオールドメディアは言わずもがな、新規参入は絶望的と言って良いでしょう。

インターネットやアナログ波、印刷に代替するメディアが存在すれば良いのですが、おそらくメディア史から考えても新技術でもなければ不可能です。
やはり、複雑な情報媒体を人々に伝達するには、モールス信号や狼煙のような伝統技術では難しく、せいぜい江戸時代の「瓦版」のようなものでしょう。

「瓦版」とは、現代で言うフリーペーパーのようなものです。
新聞の号外のように街角で配られるものであり、「費用対効果」だけを狙って無償配布を前提にするのであれば、フリーミアムの精神に則っていると言えます。
しかし、この物価高で印刷費が高騰している時代に、フリーペーパーはかなりハイリスクと言わざるを得ません。

ただ表現媒体として考えれば、インターネットは誰もが使うもので、誰もが使うがゆえに埋もれてしまいます。
その世界は完全に玉石混交なので、多少の口コミ程度では何の変化もないでしょう。
むしろ、そう言った飽和した環境を逆手に取り、フォロワーの多いインフルエンサーが対価を得て人工的に「ヒットさせてあげる」ビジネスもあります。

ここまで来てしまえば、お金と数と力でどうにでもなる世界です。正直言って、そんな世界に打って出る必要はありません。
逆に言えば、不況で沈んでいる街角経済では広告数が激減し、イベントや催しも下火になってきています。
コストの低いネットビジネスに人々が向かう今だからこそ、物質面でアプローチをかける広告事業はチャンスとも言えます。

私が考えているのは、例えば漫画は誌面の方が相性が良く、イラストも文章も印刷物である方が真価を発揮します。
私が自分の作品を自身の発行するフリーペーパーに掲載させる他に、参加アーティストや作家の作品を希望に応じて載せたり、通常のやり方で企業広告に誌面を割くことで印刷料を賄ったりできます。
フリーペーパーのビジネスモデルはリスクとしては高いのですが、やり方次第ではサステナブルになり得ます。

私はそこで、自分が売り出す以外に無名の作家も自由に表現し、知名度を上げるような環境を作れないだろうかと考えています。
この経済不況とWEB産業の飽和からの停滞により、趣味ですら作家活動が成り立たない人は沢山います。
そう言う人たちに活躍のチャンスを与えると同時に、才能ある作家を保護する環境にもなり得るかもしれません。

少し空想的になって来ますが、その考えの延長で「劇団」を作れないかと考えています。
ここで言う劇団は、通常の演劇集団というわけではなく、サーカスのような雑多な演芸集団を指します。

例えば、パフォーマーや大道芸人など、プロとして日々鍛錬を重ねながら、経済の悪化と共に活躍の機会を奪われている人々がいます。
そう言った人々の発表の場を常に用意するというだけでなく、テント一式あればどこでもゲリラ的に開催できるような、そんなイベントを考えることもできます。
そんな催しがあれば、物販やバザーのようなもので収益を上げることもできますし、屋台や出店でも呼び込めば立派な祭りになります。

それをどこかの空き地や公園でやるとしたら、無料で地域住民を呼び込み地元を活性化するだけでなく、参加者が持ち寄りでやる限り元手もあまりかかりません。
こういうのは風営法で融通は効かない可能性は高いのですが、法人的手続きを踏むのであればイベント事業の範囲に収まります。

あわよくば、このイベントでフリーペーパーを無償配布するなら、埋もれていた作家が全く縁のない人にも作品を見てもらう機会となるかもしれません。
これは今のように、ある程度は不況感が蔓延していない時はあまり意味がないかもしれませんが、これから経済がどうしようもなく身動きが取れなくなるほど、社会的な意義は大きくなると思います。

だいぶ空想的な話に聞こえると思いますが、私は同人活動をしていたので印刷には強いですし、イベント会社で働いていたので催し物は得意ですし、劇団に所属していたので団員の面倒は見れます。
こうして見ると、できない理由は「お金とチャンスがない」ことに尽きます。
当面後の話になりそうなので構わないのですが、私が自分で自分を何とかしてからでないといけないのは変わらないようです。

もし賛同者が得られるようなら、クラファンや寄付に頼っても良いでしょうし、サークルを作って持ち寄りでやることも考えられると思います。
ただクラファンはわりと微妙で、資金集めにかかるマージンが仲介企業に15%から30%くらい取られます。
それ自体は考え方次第なんですが、その他のパトロン系支援は危うさも感じていて、一概に軽く考えられるものではないと個人的に思います。

とは言え、現実問題としてお金と社会的実績は必要で、今どうこう考えても取らぬ狸の皮算用になってしまいます。
とりあえずは、目の前のことをこなしていくしかありません。
暗中模索が続きますが、暗い中で探しているのは出口であり、手の中には光があります。

これからは必ずしも、悪いことばかりではないのかもしれません。

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努力を嘲笑う者

楽太郎です。

最近はだいぶ、人の世について関心を失っていました。
変わる気のない人があまりに多すぎるように見え、何を言っても何をやっても意味がないように感じていたからです。

相変わらず自分以外のものに原因を探し出し、その悪を叩き潰せさえすれば、世の中はオセロがひっくり返るように良くなると信じているように思えます。
しかし、この街中のどんよりとした不況感、人々の苛立ちや暗すぎる反応、何をどうしたらこの人々がやる気を取り戻せるのか、私には何一つ見えてくるものがないのです。
今まさに世が破滅に向かおうとする中で、世の中が劇的に良くなる兆しはどこにあるのでしょうか。

私は以前、SNSで言論的な活動を行い、世を変えようと努力していた時がありました。
その時に相手にしていた論敵は、本当に手段を選ばず、人を貶めることに対して抵抗感のない人たちばかりでした。
私はもはや一般人を相手にしているのではなく、反社の組織か外国の政府と戦っているのではないか、とまで感じていました。

その頃を思い出して、彼らを今更どうしようとか、どうなって欲しいと思うことはありません。
私の意識はもう違う次元にあり、おそらくもう関わり合う必要のない人たちだからです。

彼らは、とかく嫉妬深かったのが印象的です。
自分の生まれや育ちが悪いとか、社会が悪いとか国が悪いとか、自分以外のものに不幸の原因を定め、そのルサンチマンを原動力にして世の中を変えようとする人たちでした。
自分が何一つ曲げることなく可能な限り楽をして結果を得られる、そうなる世の中こそが理想であり、その理想が叶わない社会が悪なのだと思い込んでいるようでした。

だからこそ、きちんと努力をして結果を出している人たちに対する風当たりは異常でした。
肩書きのある、顔も名前も出している人々に対する誹謗中傷は止まるところを知らず、犯罪紛いでは済まされず、実際に犯罪行為に走った人もいました。

なぜそれほど彼らが怒るのか、私には理解できませんでした。

「怒り」という感情だけで、自分の命まで投げ出して目的を果たしてしまいかねない、そんな危うさを彼らから感じていました。
私自身も身の危険を感じましたし、実際に入院するところまで追い込まれた人も知っています。
時には彼らが人間ではないのではないかと、それほどの破壊衝動に恐怖を感じました。

彼らは「怒り」と「嫉妬」という感情が共鳴した瞬間、恐ろしいほどの団結力と連携性で立ち向かってくるので、とても正論では歯が立ちませんでした。
正論どころか、こちらのロジックは元より言葉尻すら捻じ曲げてくるので、まともに議論することができませんでした。
仮に論破に成功しても、彼らの原動力は感情なのでまた違う切り口で挑んで来るのです。

「SNSでの議論」などの表現ではとても生温い、地獄のような誹謗中傷の嵐の中で、何とか自分の意見を広めようと努力しましたが、所詮はSNSというエコーチェンバーの中の話で、外の世界では全く異なる脅威が広がっていました。

その全てを具に見た時、この国が本当にどうしようもない状況に置かれていることに気づきました。
SNSから撤退するのも「逃げた」と嘲笑われるのは承知でしたが、それ以上にこの国がもう持たないことを知り、それを何とかしなければならないと悟りました。

もはや、この国に蔓延る邪悪は日本人が知りうるよりずっと深く、一度沈まねばならない状況に置かれることを確信しました。
そして、私はこの状態の日本を救えるのは神仏だけであると悟り、もし日本が一度沈み切った後に望みがあるのならば、そこから新しい国を作って行くしかないと決意したのです。

なぜ、あれほど怒りに満ちた人々がこの国に生まれてしまったのか、様々な理由を考えましたが、彼らが同じ日本の一般人であることを前提に語ろうと思います。

彼らの特徴と言える「嫉妬深さ」の根源には、「自分らしく生きられなかった」という怒りが潜んでいるように思えました。
確かにバブル崩壊後に大量に発生した就職氷河期の世代、いわゆるロスジェネは卒業しても定職に就けないという厳しい世相にあり、中途採用では優良企業に就職し難く、アルバイトなどを転々としてきた人が多かったのも事実です。
実際、私がSNSで相手にしていたのは、この世代と一つ下の「ゆとり世代」と言われた人々でした。

彼らがどんな生き方をしてきたのかは想像できませんが、その嫉妬深さの裏には「勝ち組・負け組」という価値観に翻弄され、社会的に勝ち組ではないとしても、自己実現をして成功している人々に対する怒りが主体となっているように感じました。
彼らも、おそらく「勝ち組」になるためにやりたくもない競争に駆り出され、必死に努力しながら小手先で品評され、野に投げ出された人も多かったのではないでしょうか。

私も近い経験をしていたので、よくわかります。
私は精神病を15年患い、一度は障害者として暮らしていたこともあります。
挙げ句には病院にも見放されたり、精神障害を持つがゆえに低賃金で働かざるを得ず、地獄の地面を這いずり回るような経験もしました。

だから、彼らの嫉妬心は自身の半生に対する悲しみから湧き上がってくるものであり、自分に対してこれ以上責められない苦しみから、怒りを世間に転嫁せざるを得なかったのだろうと思います。
私は、彼らの気持ちが何となくわかってしまうからこそ、「あなたたちも努力すれば良かったでしょう」とは一概に言えないのです。

現に、私自身がこれまで絵を3万時間は描いてきて、知識や技術がいくらあろうと今の社会ではやって行けなくなったわけです。
とは言え、全てを世の中のせいにすることもできたのですが、私は諦めの悪い性格が災いして、世の中を変えてでも生き残ってやるという気持ちでやってきました。

彼らを一概には責められないとは思いながらも、感情を向ける方向が間違っていると言わざるを得ません。
その感情で人の足を引っ張り、他人を自分と同じ立場に落とし込んだところで自分は1ミリも這い上がれていないどころか、全く救われてはいないからです。

私は彼らを観察していて感じるのは、彼らが最も嫉妬する理由は「成功できなかった」からではなく、「本当にやりたいことが見つからなかった」「本気で努力に値する何かを見つけられなかった」ことの悲しみがあるのではないか、と思います。

努力を嘲笑う人は、努力を「無駄な工程」であると感じるようです。
ある目的があり、その目的を達成するためには積み重ねが必要なのは当然です。そのプロセスは練習であったり、反復行為を何度も繰り返し、次第に精度を上げていくための習慣づけであり、彼らはそれを「努力」だと信じ込んでいます。

ただ、「努力=苦行」ではありません。
毎日練習したり勉強するのが苦痛なのは、目的が見えていないからです。
達成目標が予めあり、その実現の喜びが見えているのなら、その間のプロセスは必ずしも苦しいだけのものではありません。

私たちは学校でやりたくない宿題を預けられ、行きたくもない塾に行かされ、やりたくない授業を受け、「やりたくないことをするのが勉強」だと思い込まされてきました。
それは「苦しいことをするのが努力」という価値観に転嫁し、勉強も努力もなるべくしたくない、という感情に変わっていきました。

しかし世でうまくいくには勉強も努力も実際は必要で、けれども成功者は自分が死ぬほど努力してきたとは言いたがらないものです。
ましてや、「生まれつき能力があったから」と言えば、箔がつき特別視されるでしょう。
その言説が「努力をしたくない」という感情と混ざり合い、「努力せず成功する人がカッコいい」という風潮を生み出してしまいました。

こうして、「社会で成功するべき」と「努力はダサい」という二つの考えが共存することで、勉強や努力を嫌いながら結果を求めるという思考が完成したのだと思います。

けれども、ここでの最大の誤りは「努力は辛くない」ということです。
例えば、ゲームの攻略に行き詰まりネットで攻略法を探し、そのために試行錯誤することが「苦痛」かと言うと、やりたくなかったら苦だし、やりたかったら楽しいはずです。

この心理的な差は、外部の条件がどうではなく自分の主観的なあり方次第です。

確かに、気の向かない日でも習慣だから、ノルマがあるから今日もやらなければならない、というのはあります。
しかし、そこで諦めて気が楽になるようなら、そもそもやりたいと思っていないのです。
やった先に目標があるからこそ、一度や二度くらい休んでも、やりがいを得るために再度取り掛かることができるからです。

努力を嘲笑う人は、努力という苦行だけが目的到達の手段であったり、小手先の方法で目的を達成するかの二択でしか成功のビジョンを描けないのです。
ただし、「努力」というプロセスが必ずしも苦痛を伴うものでない以上、毎日のルーティンに組み込まれた訓練が成功にとっての正攻法であるのは変わりがありません。

従って、目的も曖昧で手段も避けている以上、何かを成し遂げることができるはずはないのです。
そのことに無自覚だからこそ、きちんと手順を踏んで実力を身につけ、よしんば成功した人を妬む道理は存在しません。

もしかすると、自分にも確固とした目的があり、色々なものを犠牲にして努力したけれど、その成果が社会に握り潰されてしまった、という人もおられるかもしれません。

では私の話をするならば、私が絵を本格的に描き始めたのは35歳の時です。

20代で精神病にかかり、以来数年間、何一つ手がつけられなかった時期を経て、ある時に病院の廊下でスケッチを始めました。
そこから絵を学びプロになり、これまで3万時間を絵に捧げて来ました。
それでも食えない現実はあります。しかし私は1ミリも諦めてはいません。

本当に魂から目的を感じるならば、どんな障害があろうと目的は達成したくなるものなのです。
それが、自分のことを見つめることから逃げ、曖昧に生きようとするから何をしたら良いのかわからなくなるのです。

いくら他人を恨み、世を呪ったところで自分のことは理解できず、目的もないから何も達成することができず、ゆえに幸せになることができません。
今更それに気づけとは言いませんが、努力を嘲笑う者は努力を嘲笑うからこそ真の成功には至れないことを胸に刻むべきだと思います。

人間は一度きり、この世に生まれて来ます。
人生で取り返しがつかないことはほとんどです。しかし、やり直しはいつでも何度でもできるのです。
そこに気づこうとせず、自分の人生を投げ出したままであれば、どうにもならないのは自分の意志です。

それは他人のせいではなく、世の中のせいでもないのです。
人生の責任を転嫁している以上は、自分も世の中も変えることはできません。

今回は、私の人間的な部分がモロに出てしまう記事になってしまいました。
あまり書きたい内容ではなかったのですが、書かなければいけない状況だったので仕方ありません。

最後まで読まれた方にとって、得にはならない話だったかもしれません。
お恥ずかしい限りです。お目汚し失礼しました。

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感謝と別離

楽太郎です。

最近、昔のことをよく思い出します。
それは思い出したいわけではなく、なぜか脈絡もなく脳裏に浮かび上がってくるものです。

当時の空気感や温度、建物の構造から棚の商品、あまりに鮮明に思い出せすぎて気持ちが悪くなります。
だから、昔のことなんて思い出したくありませんでした。
あの時代が懐かしくて、恋しくなるからです。

今の時代を具に見ているからこそ、昔の光景がまるで夢のようで、でも記憶の美しさに囚われていては前に進めません。
消えた景色、失った場所、亡くなった人を思い出したところで、前に進む力にはなりません。

なぜ今になって忘れていたことを思い出すようになったのかわかりませんが、おそらく自分の魂を取り戻したからだと思います。
その魂を抑え込むことで、これまで私は人の世の社会に順応してきました。
本音を誤魔化し、自分を演じ分け、思ってもいないことを信じ込み、ガワをよく見せるためにやりたくないことに真剣に取り組んできました。

人の世ではそれが当たり前の生き方で、それ以外の生き方ではほとんど上手くいきませんでした。
だから他人の目にビクビクして、自分がどう見られているかを常に他人の目線で考えて生きてきました。
けれど、その「他人」という存在が不特定多数の視点ではなく、目の前の人の実際の目線で考えられていたら、もう少し違う人生になったかもしれません。

小学生の夏休み、一度だけ祖父母と伯父が家に来て、宿泊して松島に旅行に行ったことがあります。

その日、私たちは松島水族館を一周して、祖母に記念メダルを買ってもらい、遊覧船に乗ると海鳥がえびせんを食べに来ました。
夕方になると天候が急に悪くなり、私たちは案内所のロビーにしばらくいて、激しい雷雨の中を車で帰りました。
その夜、私たちは家中にあるテーブルを出してきてお寿司とオードブルを広げ、楽しい食事をしてお風呂に入り、二家族で川の字になって就寝しました。

それは誰にでもある、子供の頃の良き思い出です。
けれど大人になって今思うのは、あの頃の父母の感情、今は亡き祖父母と伯父の気持ちです。
その時、祖父や祖母は嬉しかっただろうか、そんなことを想像すると、今は亡き大切な人の心をもう少し知りたかったと思います。
あの時、あの人たちの目から私たちはどう見えていたのだろうか?

祖母はそれから数年後、玄関で足を滑らせて骨折し、身体が不自由になったせいで気を病み、晩年は家族の顔もわからなくなってしまいました。
あの夏の日から、何度会えたのかという短い時間の中で、なぜこんなにも愛おしく感じるのか、もしこんなに愛しいと思うのなら何故亡くなってから気づくのか、それはいくら自分に問いかけてもわかりません。

亡くなった祖父母や叔父から世間はどう見えて、彼らはどんな目線で生活をしていたのか、それを知りたくても知る術はないのです。
仮にそれがわからずとも、あの人たちの目線を想像した時、私はやはりたまらないほどの愛しさを感じてしまうのです。

子供の頃は、当たり前のように大人になっていくものだと思っていました。
そして当たり前のように成長し、大人になるにつれて身の回りのことも家族のことも気にかけなくなっていきました。
同世代も、それ以上の世代も当たり前のようにそうするのを見て、私も何の疑問もなく失っていくものに対して無関心になっていました。

けれど今思えば、あの頃当たり前にあったものが本当にあっさりと消えてしまうこと、無くなったものには二度と触れられないことが、どういうことを意味するのか理解できていませんでした。
かつて当たり前にあったものが当たり前でなくなってから、取り戻そうとしてもどうにもならないからこそ、当たり前のうちにできることをしておくべきだったと思うものです。

後になって、それがどれほど大切なものだったかを知るのは常ですが、だからこそ「今を生きる」ことの意味はずっと変わらないのでしょう。
いつ失っても後悔のないように真剣に向き合うこと、それが今ここを生きるということで、それを忘れがちになるから後悔も芽生えます。

十年後、来年どころか明日とか、下手すると数時間後には来るかもしれない別離は、失った時の自分を想像するからこそ事の大きさがわかります。
けれど、自分自身を大事にする気持ちがなければ、大切なものの価値もわからず、失うことの意味もわかりません。

人間はそうして、いつも大切なものを失い、失ってから後悔するのです。

けれど、子供の頃の自分がいくら駄々を捏ねたところで、大人の都合には敵いませんでした。
祖父母や叔父ともっと一緒にいたくても叶わなかったのはどうしようもなく、やはり心の底から愛しさを伝えられず、気づけば永遠の別れが来てしまいました。

いくら悲しくても切なくても、気持ちを伝える手段も会う方法もないのは仕方ないのですが、同じような悲しみを繰り返さないために、大切な人には精一杯向き合おうと今は思います。
人間は、どうしても後悔を繰り返してしまうのですが、同時に感謝も覚えます。
自分に命を繋ぎ、大切な思い出をくれた愛しい人たちに心から感謝をするからこそ、生きることへ真面目に取り組もうと思います。

人の死後に霊界があり、生まれ変わりもあると言いますが、私は亡くなった人と会えることを期待してはいません。
再会が叶うかわからないからこそ、人間として堅実に生きられると思うからです。

誰かと別れてもどこかでまた会えると思えば、どうせ失っても取り戻せると考えがちになるでしょう。
取り返しがつかないと思うからこそ、失うことに対して真摯に向き合い、今あることに真剣に向き合うことができるのだと思います。
だからこそ私はリアリストでありたいですし、リアリストだからこそ精神的に価値のあるものを大切にできるのです。

今あるものに感謝をし、きちんと向き合うほど失った時には潔く別れを告げられます。
それが別離の辛さを緩和する唯一の方法だと知り、私はできる限り生き方を改めましたが、それで過去の喪失感が癒えるわけではありません。

なぜか、人間はどうしようもなく雑な別離を体験するようにできているようです。
そして誰もがその喪失を繰り返すからこそ、大切なものの価値に徐々に気づいていくのだと思います。

「愛しいものには二度と巡り会えない」という現実だけは変えることができないとしても、愛情や切なさを胸に抱えて生きていくこともまた人生なのかもしれません。
ただその心を大事にして、時に昔のことを思い出し、亡くなった大切な人を思い線香を上げ、手を合わせる瞬間に私はとても癒されるのです。

人間には、死後の世界が必要です。
実際にあるかどうかではなく、人間には死んだ後に行く世界がなくてはならないのです。

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「好き」と「仕事」

楽太郎です。

今、思うように絵が描けない状態が続いています。
それでも、神様から一つのお役目のようなものを任されていて、それが「神の系統を取りまとめる」というテーマです。

これはとてつもなく大きな課題であると承知しています。
そのための道筋として、かつて考古学者のシュリーマンがトロイの遺跡を発見したように、古代史と考古学から歴史的事実を紐解き、神話の原型を見出すという工程を辿ることになります。

私としては独断と偏見で挑めば実現は可能だと思いますが、中途半端に結論を急ぐわけにはいきません。
「邪馬台国」や日本建国を巡る民族学的議論は、プロの学者が何十年も挑んできたテーマであり、素人に簡単に辿り着けるものでもないでしょう。
けれど、徐々に道が拓けて来ているのも事実で、その成果に少しずつ手応えを感じ始めています。

「お役目」とは何なのだろう、と考えます。

私はずっと絵を描いてきましたし、漫画を描く技術も才能の一種だと思います。
今まさにやりたいのは漫画ですし、そのアイデアにも意義を感じており使命感もあります。
しかし、なかなかそれに取り掛からせてもらえないのも事実で、こうして別のことをしている間、自分にとって絵を描くことの意味を考え直しています。

私が創作の道を志したのは、自分が表現したいものを描き、それで収入を得て生きていきたかったからです。
幸い、近年のクリエイティブはそれが比較的容易でしたし、そうして成功している人も周りにいました。
だから、単純に「魅力的な作品を作れば実力が認められ、それを生業にできる」という頭がありました。

けれど、需要と供給のバランスから生まれる「仕事」というものは、自分がやりたいことと役に立つことの関係は似て非なるものです。
例えば、人が暮らしていく中で「これが欲しい」と思い、その人の願望に合わせて自分がものを作ったりサービスを提供する、その過程に「自分がやりたいかどうか」は関係がありません。

もちろん、誰かのために自分の技術や才能を発揮すること自体を目的にしたり、喜びにできればそれ以上のことはありません。
しかし、自分のタイミングや相手の出方次第で、気が乗らなかったりやりたくない時も当然あるでしょう。
そういう時に、「気が乗らないのでやりたくない」と言っていたら、それを仕事にすることはできませんし、生業として成立しません。

つまり、「人の役に立つ」ことと自分の感情は関係がないのです。

私は長い間、この部分を誤解していたのだと思います。
ずっと「夢を叶える」ということは、「自分のやりたいことをやって生きていく」ことだと思い込んでいました。

かつて、ある会社で制作をしていた時、声優学校の生徒たちに声の仕事を任せたりしていました。
今思えば、彼らには理不尽なことをやらせてしまったのですが、「学生に仕事をやらせる」という優位な立場は、無条件に彼らを搾取することになっていたかもしれません。

「夢は叶うものだ」と純粋に信じ、夢を叶えるために社会の理屈を飲まされるのは、いつも夢を見る若い人たちです。
成功するために、「これをやってくれたら有名になるかもしれないよ」と唆し、チャンスをチラつかせてやりがいを得させ、その代わりに何かを強引に吸い取っていくのです。
これがこの社会の「夢」のあり方であり、自分もその仕掛けの一部だったのではないか、と今では反省したりもします。

そうやって「若さや情熱」のエネルギーを吸い取られながら、本当の意味で夢を叶えて成功した人はどれくらいいたのでしょうか。
そして、成功した人は何一つ自分の手を汚さず、夢を叶えることができたのでしょうか?

そう考えると、「やりたいことで成功して生きていく」という発想そのものが、単純に考えていいものではなかったのではないか、と思います。
「やりたいことを仕事にする」ことは、欲に従って好きな仕事ばかりをやっていくことではないですし、「仕事そのもの」が好きだから生業にできるとも言い切れません。

そもそも、「仕事」と「好き」は違う次元の話なのです。

仕事はやりたいことだと言っても、領収書の整理や事務作業、メールや電話応対もしなければなりませんし、やりたくない業務の中で実際に楽しい作業はごく一部です。
ただ、「やることそのもの」が目的である時、例えばガラス細工を売るのが仕事だとしたら、事務作業も材料の調達も一連のプロセスをひっくるめて「やりたいことだ」と言えるのです。
その場合、ガラス細工職人という生業そのものが、「やりたいこと」に昇華されていると言えます。

もし先の学生のように、声優をやることが目的だとしたら、やりたくないことをやってキャリアを積む、それも含めて「やりたいことだから」と綺麗事にできれば問題はないのでしょうか。
その場合、目指すものが「仕事としての成功」なのか「生業にすること」なのか、その目的で変わるのだと思います。

私の話に戻すと、「漫画」は誌面連載だから成り立つのも事実です。

実は漫画は花形に思えて、ネットに適当に上げただけではインプレッションがつきません。
イラストなどは瞬時に判断して評価できますが、漫画は文字を読んで絵を見て理解するという一連の動作を要求するので、時と人を選びます。

漫画は雑誌に掲載されますが、雑誌は欲しい人が手に取るものなので、その漫画を読む人は漫画が読みたい人です。
だからこそ、多少冒険的な作品でも漫画を読みたい人の元に届きます。
しかし、ネットに無闇に上げただけでは埋もれてしまい、本当にその作品を求めている人の元には届きにくいのです。

「雑誌」という形態を取っているからこそニーズに合った作品が認められることになるわけですが、雑誌は出版社がなければ成立せず、誌面に限りがあるからニーズに反したものは掲載されません。

つまり、ここでも「求められること」と「やりたいこと」は違うのです。
いくら自分の作品に思い入れがあり、それを人に読んでもらいたくても、求める人がいなければやりたいことをやっただけで終わってしまいます。

とは言え、これまで漫画家という職業は、出版社に気に入られるために、読者の評価を勝ち得るために、命懸けで作品と向き合ってきました。
たくさんの才能ある作家が趣味で描く分には面白い漫画を描くのに、出版社との折り合いが合わずにやっていけなかったり、筆を折ってしまう人も何人か見てきました。

だからこそ、私は自分の作品を活かしながら収入に結びつけられないか、色々と試行錯誤をしてきました。
私の抱えていた矛盾は、「漫画を描くことそのもの」を目的にしたいと思いながら、「自分の作品を描く」という目的を両立させようとしてきたことです。

けれども今考えると、一番最初に「誰の求めに応じ、役に立つのか」という部分が欠落していたように思います。
自分がやることが目的であり、仕事が自己実現の手段であったからこそ、「誰かのためになっていく」というプロセスを踏まず、ゆえに成功の道を歩んでいくことができなかったのだと思います。

だから結局は、「誰を喜ばせたいのか」というビジョンが見えておらず、自分の喜びを優先してうまくやろうとしていたのが、ビジネスとして歯車が回らない理由だったのでしょう。
けれども、これは「夢を叶える」「やりたいことを仕事にする」という頭では、かなり誤解してしまう部分です。

周りに喜ぶ人が増えていくこと、その輪が広がって成功していく、そのプロセスを無視してもこの社会には成功するメカニズムが確かに存在しました。
業界の有力者に気に入られたり、強い組織にコネを作るとか、あるいはもっと汚いやり口を使うとか、本来のやり方を採用しなくても成り上がれる世界だったのも事実です。
そういうエスカレーターのような仕掛けがあり、それにうまく乗ることを「競争」だと表現されていたりもしました。

けれど、それも「搾取」の一形態であり、必ずしも喜びの輪となるものではなかったはずです。
残念ながら、これまでの社会で「夢を叶える」ことは綺麗事ではない時代でした。
そんな世の中に早く気づけば良かったのか、気づいてもっと強かにやれば良かっただけなのか、それは未だにわかりません。

私は、「漫画を描きたい」それだけが願いです。

けれど、仮に趣味と割りきり誰も求めないところで始めても、それよりもやらなければならないことには勝てないでしょう。
やはり、人に「やって欲しい」と言われることをやるのに越したことはないのです。

ここの部分を下手に勘違いせず、それでも「漫画を生業にしていくにはどうしたら良いのか」は、ずっと問い続けていきたいのです。
それが人の求めになく、神の求めにもないとしても、自分が魂から求めることを実現するにはどうするべきなのか、その答えを他人任せにしてはいけないと思うのです。

自分としてこの世に一度生まれてきて、本当の願いを持つということは、諦めて済むような単純なものではない気がするからです。

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人は儚い

楽太郎です。

桜の花が、散りました。

今年の地元の桜は、満開の時期が平日と重なりました。
週末に花見を期待していた方々は、雨に当たって予定が崩れたことと思います。
雨が続く日々が終わると、強風の日が重なって一気に花が散りました。

今年、桜の下でシートを広げている人をあまり見かけませんでした。
今年は天候に恵まれなかったのもあると思いますが、このご時世、そういう気分にはならなかったのかもしれません。

私は桜が一分咲いたあたりで、「今年の桜は元気がないな」と感じました。
たぶん、今年の桜はすぐ散ってしまうだろうと思いましたが、予想通りになりました。

木之花咲夜姫命は、桜の女神とされています。
桜の木は古来から日本人は「神の木」と呼んできました。桜の木を見て、昔の人は作物の吉凶を占ったそうです。
今年の桜を見てみると、何となくこれから良くないことになりそうな気がします。

物価高と不況が重なり、そこに凶作が加わることで見えてくるのは、「食糧難」です。

私はそれをひしひしと感じて動いていますが、全く何の不安も感じずに暮らしている人もいるのではないでしょうか。
もっと危機感を持て、とは言いませんが、この期に及んで「金さえあれば何とかなる」という頭でいるとしたら、あまりに能天気すぎると思います。

先日、私がすごく好きで毎年年末には必ず宿泊していた温泉旅館が、巨大リゾート企業に買収されました。

その旅館は歴史が古く、趣があってとても居心地が良かったのですが、大衆的にリフォームされるらしく、とても残念に思いました。
確かに、旅館から外に出ると食事できるような店すらないので、温泉地全体が立ち行かなくなってしまったのもわかります。

時代が変わり、これまでにあったものがなくなっていくのは考えれば当然なのですが、それは自分が好きだったものを手放さなくてはならない、ということを意味します。
当面は、というか二度と、あの良かった温泉旅館に泊まることはできません。本当に残念ですが、時代の流れだと思うしかありません。

最近、行き交う人々を眺めて、「人間は儚いな」と思います。

私の以前勤めていた会社も、10年そこらで跡形もなくなり、人々の記憶にすら残っていないでしょう。
昔よく通っていた店も場所も、消えてなくなり今は何の面影もありません。
あの頃は「またいつでも行ける」と思いましたが、今になるとあれが永遠の別れでした。

これまで様々な人と出会い、色々な考え方や生き方を見ていく中で、「どうしてそんなに生き急ぐのだろう?」と思う人がたくさんいました。

同世代の友人も、異性の気を引いたり立場を優位にするためには、本当に何でもやるような人たちばかりでした。
また、あまりに向こう見ずに行動するから、望まない形での就職や結婚をする人も多かったです。

ある知り合いは、未婚のまま子供が出来たことを「やらかした」と表現していました。
付き合っている段階から気が合わなくて喧嘩ばかりしていたのに、子供が出来て結婚する段になると、なぜか急に幸せアピールをし始めるのが不思議でなりませんでした。

彼らがそれで本当に幸せになれば、私が特に思うこともなかったでしょう。

しかし、彼らの多くが家族を養育するために望まない職に就き、夢を捨てて人生の舵を違う方向に切っていきました。
やはりそういう人たちほど生活の中で狂いが生じ、家族と離散していくのを目の当たりにしました。

若い頃は夢ばかり語っていた人たちも、気がつけば大言壮語を捨てて稼ぎとルーティンの生活に嵌っていきました。
堅実に生きる、彼らはそれが「大人になる」ことだと言っていました。
私はそれもそうだと思うのですが、社会の一員として立派であるために自分の人生を曲げるのが、果たして人間として正しいのかはわかりません。

人間にとって何が必要なのかわからないまま、急いで何かを手に取ることで、本当に必要なものを手にすることができない、ということもあるのかもしれません。

人間に大切なものはもっと普遍的で、長い年月をかけようと失いにくいはずなのに、人々はすぐに壊れるものばかり欲しがり、それが一番良いものだと信じてしまいます。
それはもう、今頑張って手に入れたとしてもすぐにとうの過ぎるもので、信じるがゆえにそれに気づかないのでしょう。

人々はそうやって長い間、刹那的なものを追い求め、刹那的なものが永遠に存在すると思い込み、刹那的なものに全てを賭けてきました。
けれど、それは「桜の花」のようにすぐに散ってしまうもので、あたかも凌霄花のように飽きるほど続くものだと錯覚します。
やはりそれも幻想なので、すぐに思い出の存在になってしまいます。

その悲しみを癒すために、また「同じもの」を心から求め始めます。
「あの頃にあった何か」を呼び戻そうと、楽しかった昔のものや思い出のシーンを再現し、過去を取り戻すことに執着してしまうのです。

その心理は、近年の「東京オリンピック」や「大阪万博」という現象に現れてはいないでしょうか。
その他にも、中年以降の大人にしかわからないような懐古主義、復刻ブームが盛り上がっているように見えます。

けれど、おそらくそれも一瞬のもので、その花が散るとまた寂しさを覚えてしまうのでしょう。

だから私たちに必要なのは、過ぎ去るものには潔く別れを告げ、大切な思い出として胸にしまって生きていくことではないでしょうか。
そして、時には振り返ってもいいかもしれませんが、今この時代だから必要なもの、人が本当に求めるものに目を向け、そのために新しい行動を起こしていくことだと思います。

「青春は取り戻せる」という人と、「青春は取り戻せない」と言う人がいます。

私はどちらも正解で、どちらも間違いだと思います。
青春はやはり、経験がないからこそ10代20代の瑞々しさはあるのです。
しかし、青春時代のようなキラキラした世界は、何歳であろうと心持ち次第で味わうことができます。

大切なのは「心」であって、形だけあるべき姿に合わせるから無様な形になってしまうのです。
そしてその「心」こそが普遍的で、長い時間をかけても色褪せないものだと思います。

色々なものが消えていくのは、時代が変わるのだからしょうがないのです。
けれど例え全てが変わるとしても、人間として変えてはならないものがあり、それこそが本当に大切なものだと思います。

感情に流されず、何がそうであるかを見極めていきたいものです。

新しい時代は何もなくて心細いかもしれませんが、昔のもの以上に良いものを見つけ、作っていけばいいだけです。
そして、これからはそう割り切っていくための時間がこの国に来るのだと思います。

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神様からの答え

楽太郎です。
気持ちの整理がついたので、私の気持ちを素直に書いていきたいと思います。

今日から数日かけて、私の古いアカウントの痕跡を消していくことにしました。
放置しても自然に消えていくと思いますが、わざと未練を断ち切るために自分で消去することに決めました。

私はつい数ヶ月前まで、自分の夢を叶えるために必死でした。
人のしないような努力をして、それが実を結ばなくても歯を食い縛って前を向いてきました。

それが叶わないとわかっても諦めませんでしたし、今も諦めてはいません。
けれど神様に肩を叩かれて、「君にはやるべきことがあるんだよ」と囁かれたら、手を止めずにはいられません。

我が道を取るのか、神の道を取るのか。

それはかなりの葛藤でした。
しかし、今思えば3年前に答えを出していたんだな、と思います。

私はずっと同人活動をしていて、そこでだいたいうまくいっていました。
けれど、同人業界に長年いると、成功法則というかカラクリが見えてしまいます。

二次創作は成功のための登竜門であり、ステップとして必要な手順だと考える人がいます。

私もそう思ってましたし、その階段を登ることが成功の近道であることも知っていました。
オリジナルの創作よりも二次創作の方が知名度が上がり、求心力が高いのでバズりやすい。
バズったらフォロワーがついて、インプレが高まるので、自分のタイミングでオリジナルを出せばいい。

しかし、二次創作とはあくまで愛好的な活動であり、ビジネスとは異なるはずです。
そもそも、同人活動はアングラの文化観があるからこそ、本音と建前を大事にしたファン活動でした。
それが、なぜ自己実現の手段になってしまったのか。

それだけではなく、自分の趣味や性癖も、人と繋がる道具にしてうまく立ち回り必要がある。
言いたいことは極力言わず、無難に打算的に行動する。あくまで印象を大事にする。
そうすれば、界隈の有力者に気に入られて界隈の大部分を味方にすることができる。

私自身もそのセオリーに乗って、自分の成功とファン活動を混同し、コンテンツを自分の踏み台として扱っていました。
「ファンであること」は、純粋な好意や愛情の発露であるべきで、打算の上でコンテンツに触れた時点で、それはビジネスです。

だから私は同人活動をやめて、自分のコンテンツを作り始めました。
自分のアイデアと実力で成功しなければ、意味がないと思ったからです。

それから4年間は、本当に苦難の日々でした。

オリジナルのコンテンツは、例えSNSを駆使しても恐ろしいほど見向きされません。
あらゆる戦略を駆使しましたが、そこでも打算を発揮しなければうまくいかないこともわかっていました。
しかし、なぜか私にはその方法を取ることがどうしてもできませんでした。

何故かできませんでした。
何故かはわかりませんでした。

それから、溺れるような状態の中をずっと泳ぎ続けました。

私は自分の絵が好きですし、自分のアイデアも作風も作品も最高だと思います。
唯一、描き続けることだけが希望でした。

「諦める」という選択肢を取ろうと思ったことは、一度もありません。
他の人ならとっくに諦めているところを往生際悪くしがみついて、その根性が染みつきすぎて「諦める」という発想そのものが無いのです。

これで本当に稼ぎがどうしようもなくなったら、土木工事でも警備でもスーパーの品出しでもやって、漫画を描き続けようと思ってました。

けれど、まさか神様に肩を叩かれるとは思いませんでした。

「もうそろそろいいでしょう。諦めなさい」
と。

私の脳裏に、私がうまくいっていないことを散々嘲笑っている連中の顔が浮かびました。
彼らには私が敗北したと、懲りて逃げたと見えるでしょう。

少し前までは、それに対して意地もありました。
私だって、ここで曲げる理由は何一つなかったのです。もっと仕掛けまくって、いずれ勝ち筋に乗るという気持ちでいたからです。

私の頭の中の世界では、というか「私」という自我の中では、それは強い覚悟でした。
しかし、無意識より深い魂の部分では、自分のやるべきことがすでにわかっていたのだと思います。

3年前から。

多くの人々が向かう方向に疑問を持ち、できる限りの正攻法で挑み、訝しく思うものから距離を取り、自分の判断や行いを反省し、地味すぎる努力を習慣化し、どんどん精神的に成長していく。

その過程こそ「神の導き」であったことに気づいた時、私は人間としての「夢」を捨てる決心がつきました。

それは、つい最近のことです。
今でも、自分の考えたコンテンツを社会的に成功させたいという野心は失っていません。
しかし私の実感として、その「夢」を実現することはできない、すでにそういう世の中では無いこともわかります。

一昔前の世の中の延長で、自分の人生設計や目標を持っていても、もう時代が違うのだから意味も扱い方も全く違うのです。
昔の心ある、余裕のある人々はどこかへ行き、かつての才能ある人の活力は失せ、人々は歳を取って若さを失い、皆の目的はすり替わり、あの頃にあった賑やかさや自由はありません。
だからあの頃のような、ジャパニーズドリームを持っていてもしょうがないのです。

それに気づいていたからこそ、神様から呼び止められても、私は何となく自分がすぐに答えを出すであろうことを予感しました。
そして、私は綺麗さっぱり自分のキャリアを捨てる覚悟ができたのです。

私の人生は、おそらくこの世に生まれる前から、神様からお導きを受ける宿命だったのだと思います。
これまでの失敗も恥も挫折も、どうしようもなく立ち行かなくなることも、絶望も病も堕落も、全てシナリオだったのかもしれません。

この3年は修行としか思えない理不尽な状況で、何を成し遂げるわけでもなく自分を磨いてきました。

今考えれば、あの時「おかしい」と思って本能的に避けてきたあらゆる事象が、今になってとんでもない顔を覗かせています。
どうしても引っかかっていたような罠を、まるで知っていたかのように奇跡的に潜り抜けてきたのは、何の力が働いていたのでしょうか。

もしかすると私の魂は全てを理解していて、神様と対話をしながら淡々と計画を進め、それを私という自我だけがわかっていなかったのかもしれません。

「自分」だと思っていたものは何層ものレイヤーでできていて、自分ではない意識がいくつも混ざっていて、その影響すら自我の一部だと錯覚していたのでしょう。
それはもはや幻覚に近く、妄想に溺れて苦しむ自我すらシナリオの一部で、私はそのキャラクターを演じきっていたのだと思います。

そして、神様に肩を叩かれてようやく正気に戻ったのです。

まだ夢は見ていたいし、夢を捨てたわけではない。
けれど、もはやこれまでの世界は終わっていくし、その未来では自分の夢は叶うことはない。

それがわかったからこそ、私はできる限りのものを捨てる決意をしました。

今持っているのは、絵を描く道具と私を支えてくれる家族、それ以外は自分のセンスと知識と技術、それに信仰心です。

ただ、私にとって本当に必要だったものは、神様だったのかもしれません。
信仰心は、なぜか私の欠けた部分に丁度よく収まるのです。

人の世で戦って生きていくからこそ、それ以外のあらゆるものが必要でした。
勝たなければ貶められるし、負ければ貶められる世界で、自分を守るためにあらゆるものを必死に身にまとってきただけです。

それは私が欲しかったものでも好きなことでもなく、持たなければやられるから求めてきたものばかりです。

神様は「もう無理しなくていいよ」と、
「自分のやりたいように生きなさい」と、

私の背中を優しく押してくださるのですから、そうしない選択などあるはずがないのです。

意地はあります。
それは私自身でも世の中に対してでもなく、誰に張り合おうとか何が許せないとかではなく、愚かさを繰り返させたくないという気持ちです。

おそらく、私にしかわからない、誰にもわからないからこそ私にしかできない何かがあるのです。
そう思う瞬間、神様が私に何をさせたいのか、私は深い部分でそれにどう答えてきたのかがわかるのです。

だから、もう進むしかありません。
幸い、私には太陽が見え始めています。
人々はまだ宵闇に気づいた頃合いで、下手するとまだ夜に気づいていない人もいます。
それなのに、私はもう夜明けを迎えています。

この幸運は、なかなか理解されにくいでしょうし、把握すら難しいことかもしれません。
だからこそ、私だけがその有り難みに気づくことができます。

これこそが私の道程に対する神様の答えであり、神様が与えてくださった恩寵なのだと思います。
その褒美を手に取って、私は思います。

「ああ、私は間違ってなかったのだ」と。

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屋号「楽太郎」開業

楽太郎です。

本日、屋号を「楽太郎」に変更し、本日付けで開業届けを提出しました。

「楽太郎」というアカウントは、当初から絵描き名義で運用するつもりはありませんでした。
絵描きという職業は、多くを語らない方が好まれる職種です。
変に思想的だったり、奔放に発言するとクライアントに敬遠されがちで、ファンやユーザーも政治的な傾向を嫌います。

特にスピリチュアル関係の話は、いくら本音であろうとリスクが伴います。
それゆえ、社会の中でありふれた職業として立ち回るならば、精神的な話はしないに越したことはありません。

しかし、神様から瀬織津姫様を描くよう促されてから、尻尾を出さずにはいられなくなりました。
私は可能な限りこのアカウントでは絵を出したくなかったのですが、あれだけ強烈なインスピレーションが降りたらやらざるを得ませんでした。

その後は、ぼちぼち趣味程度に絵を描いたら上げていこうかな、くらいの気持ちでいました。
しかしメインの稼ぎ口の方でやめ時を悟り、これも神様のご意志だとはっきり認識しました。
とは言え、「神様のイラスト」を描いて収入に結びつける道筋は未だに見えない状況です。
それでも「楽太郎」のアカウントの方がまだやっていける活路はある、と思いました。

私としてはまだ自分のやりたい創作で食べていく道を諦められないのですが、それは稼業としてきちんとやっていけるようになってからでも遅くありません。
優先順位を考えた上で、神様も「楽太郎」の方で仕事をしてもらいたいのだと思います。

この流れを鑑みるに、「神様の絵」に関してどうやらお役目があるようです。
金運を司っている神様が与えてくださったお役目ですから、悪いようにならないのだとしたら乗る以外にないように思います。



本日開業届を税務署に提出したのは、名義変更をすることで「これからは天命のために働く」という意思表示をするためです。

以前の屋号は人世のビジネスに使い倒したので、その名義を神様のお役目に使い続けるのはどうかと思いました。
心機一転するには、開業届を出し直すしかないと考えたのです。

実は昨日提出した確定申告書類でしれっと変更後の屋号を書けば更新することができたのですが、失念していましたw
しかも、開業届も今では電子申請できますが、これは自分の足で赴いてやるから意味があるんだろうなと思いました。

税務署にて、どうせなら開業日を宇宙元旦の春分の日に合わせたかったのですが、「未来の日付では提出できない」とのことでしたので、奇しくも本日3月18日付けの開業となりました。

これまでの屋号を改めて始めた「楽太郎」は、神様のご意向を受けて開業した形となります。
神様のご意向とは、即ち天の役に立ち人のためになることであり、それは「日本」という国のために働くことです。

税務署に正式な届け出をしたということは、「日本」という国体に対して正式な表明をしたことを意味します。
現在の日本政府は傀儡に過ぎませんが、「日本」という国体は二千年以上の歴史がある由緒あるものです。
ご先祖様たちが命がけで守り、命がけで受け継いできたこの国に奉仕を誓うということは、日本人としての使命を担うということです。

税務署に行く前に、崇敬神社である「瀧澤神社」に参拝し、祝詞を奏上しました。
瀬織津姫様は、私の絵を楽しみにしておられる(と勝手に思ってる)ので、開業の誓願をしました。

税務署を出て昼食を食べようと街を歩きながら、アーケードにある「三瀧山不動院」に参拝しました。
お不動様に開業の誓願をし、おみくじを引きました。




開業日に、とても幸先の良いご箴言をいただきました。
お不動様にも、日本のために働きますと誓ったので、その意気込みを買って頂いたのかもしれません。
とは言え、裏面を見てみると…



さすが、仏の中でも厳しめな仏様のお言葉です(笑)

「口だけだと許さんぞ」

いかにも、お不動様のお言葉です…
後に引けなくなってきた…


というわけで、本日付けで屋号を変更し、「楽太郎」として再出発する運びとなりました。

これから、サイトを作り営業用の窓口を設置し、ビジネスの体制を整えていきたいと思います。
ただ、まだ「楽太郎」のお役目を完全に理解したとは言えないので、当面は神様のお顔を伺いながらやっていくしかありません。

私は長年フリーランスでクライアントの注文に従ってきましたが、これからは「神様」という上司の下で働くサラリーマンに近いような気がします。
さしずめ、「株式会社日本神界」という感じでしょうか。

上司が瀬織津姫様…なら、オーバーワークも平気でやりそうですw

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瀬織津姫様を額縁に

楽太郎です。

先日、衝動的に瀬織津姫様のイラストをネットプリントに登録しました。
昨日の時点で用紙サイズを間違えてしまい、サイズを訂正して上げ直しました。

今日は、特にやることもないので(笑)確定申告を朝のうちにさっさと終わらせて、100均で額縁を買い、自分でネットプリントして瀬織津姫様を飾らせて頂こうと思いました。

昨日のミスプリントですが、一応神様の肖像画なので折ってゴミ箱に捨てるのも何だなと思いました。
私が最も敬愛する神様の肖像ですから、気軽に扱えません。
そこで、近所の河原でお焚き上げをしようと思いました。

そう言えば、私は自分で火を焚くなどやったことがないのですが、石でかまどを作って綺麗に燃やしている自分に驚きました。
私は自分で思っている以上に火の扱いがうまく、かなり綺麗に燃え尽きてくれました。
燃えている間は、軽く祝詞をお唱えしました。

大きく残った灰は土に埋めて、細かい灰は水で流しました。
河原でやったので、あとはいい感じに瀬織津姫様が川に流して下さると思います。

最近、自分じゃない「自分」が表に出てくるようになってきて、これまでの行動原理では説明のつかない行動ばかりをしています。
一番動揺しているのは、私自身です。

甘いものも好きではないですし、そもそもおやつなんて食べたくないですし、料理だって全くしたいとも思わないのにやってしまいます。
先日は、はったい粉で蒸しパンを作ろうとしたのですが失敗したことに気づいて、捨てるにはもったいないので油を敷いて焼いてみたら、意外と美味しい「お焼き」になって笑いましたw

本当に、今の自分はどこからどこまで「自分」なのかわかりません。
まあ、頭で考えて動かなくていい分、私自身は気楽でいいのですが…

そこから色々ありながらも額縁を買い、セブンイレブンに寄って「ネップリ」サービスで瀬織津姫様のイラストをプリントアウトしました。

額縁に入れたら綺麗にピッタリはまりました。
どうぞご覧ください。



お麗しい!お綺麗でございます瀬織津姫様〜‼︎

横にある水晶は、本物の水晶ではないのですが恵比寿様と龍神様のレーザー彫刻が施された置物です。
あと、背後にある金色の棒は大猷院の「龍神破魔矢」です。
実は右の方に、昨年末に買った千両がまだ元気に実をつけていますw

私は自分の絵を飾ることが今までありませんでした。
自分の描いた絵は粗が気になって、デッサンの狂いや歪みを見るとイライラするので、自分の絵をジッと見続けるなど考えられませんでした。

しかし、私の描いた瀬織津姫様はずっと見ていられるというか、まあ私以外にこのような瀬織津姫様を描く人間はこの世に存在しないので、否が応にも私の絵を見続けるしかないのです(笑)

まあ、それにしては何となく見るに耐えうるというか、飾って満足できるような絵が初めて描けたかもしれません。

あと、余談ですが買い物中、地元の街の凄惨な景気を目の当たりにしました。
買い物客も、品揃えの悪さと物価高で買うに買えないのか、青白い顔でフラフラ店内を回っていました。

私も気の毒だなと思いましたが、店内の邪気や買い物客の発する邪気を感じると私まで取り込まれそうな気がしたので、できるだけ波長を合わせないようにしていました。

最近、肌感覚で「これから信じがたいほどまずいことになる」という予感がしてきました。
これに関しては、危機感をわざと共有しない方が動きやすいというのも身に染みて感じます。

人間としての心中は複雑ですが、我々日本人、あるいは人間として、神様や地球やあらゆる生物にしてきたことの報いは、いずれ受けなくてはなりません。
私とて、無自覚に生き物や自然からの搾取を甘んじて享受してきた身であり、そのカルマは返していかなくてはなりません。

これからその大返済期間となるわけですが、今のうちにできる覚悟はしておかなければならないかもしれません。



それはそうと、瀬織津姫様!

あーっ!お麗しい‼︎
あーっ!瀬織津姫様〜‼︎

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「ゼロ」に戻る

楽太郎です。

ここ数日は、過去最大の浄化作用で身動きが取れません。
何も考えず、横になっていても身体が硬直し、頭が割れそうになります。思考と感情の暴走が激しく、良い部分も悪い部分も表に出てきます。
具合の悪さでは、邪気や悪霊の憑依とは比較になりません。

心当たりがあるとすれば、時期的なエネルギーの大きな切り替わりです。
瀬織津姫様のご神璽をお祀りし、氏神神社で出直しを祈願し、数日後に満月と春分の日を控えています。
冷静に考えて、これだけ霊的変容のトリガーがあって何もないはずがありません。
もう今は、とにかくジッとしているしかない時間なのでしょう。

神様からエネルギーが降りてくる時ほど具合悪くなるのですが、私のエネルギー循環が滞りがちなので詰まってしまうと余計にしんどくなるのだと思います。
エネルギー循環が滞る大きな要因は、精神的なバランスの悪さです。
これまで本心を出して生きることがほとんどできませんでした。直感や感覚に従うほど集団から弾かれるので、思考によって行動を抑制してきました。

情動をコントロールするために感覚・感情をそのまま言語化し、客観可能な状態にします。
その考えを別の考えで打ち消し、感覚・感情のエネルギーを遮断することで意識をコントロールするのです。
そうすることで情動のバランスを取ってきたため、純粋なエネルギーの取り出しがうまくいかないのです。

春分を前に、スピリチュアル界隈では「カルマの解消」という話が頻繁にされています。
この時期を境に、今世でのカルマの精算や来世の計画が改めて問われるそうです。
今は、その切り替わりを前に自身のカルマを見つめ直す調整期間ということです。

確かに、今はこれまで私自身が自分自身に負わせてきた「カルマ」と向き合わされている感じがします。
とにかくこの胸の痛みは、魂に負った生傷の痛みそのものです。
魂が暴走しているのか、記憶がどんどん呼び覚まされ、一・二度行った友達の家の間取りすら今見てきたかのように思い出せてしまいます。

今まで意識しても思い出せなかった記憶が走馬灯のように蘇ってくるのは、これが魂に刷り込まれたものだからだと思います。
自分の魂と向き合うことは、今までの人生で受けた心の傷の痛みをまざまざと感じることです。
その苦しみを避けるために、わざと前向きなフリをしたり、ガムシャラに目の前のことに打ち込んだり、別のものに問題をすり替えて生きていました。
今、そうした誤魔化しをやめて、自分の魂の傷と向き合うことが、私に課したカルマの解消なのだと思います。

ここ数年は、半生のカルマを精算するための期間だったのかもしれません。

如何わしいものから離れ、懺悔し反省し改心し、どうしようもなく孤立しながら、どんどん手放しを続けてきました。
そして今、「もっといらないものはあるよね」と、神様からさらに手放しを促されています。
自分の積み上げてきた実績、続けてきた習慣、考え方の癖、価値観、今やっていること、未来への理想、それも「一旦は捨ててみようよ」と。

ただ自分がやりたいことや、やらなくてはいけないとか、こだわっていたものを一度は捨てる前提に立ってみると、なぜか身体の強張りが抜けていくのを感じます。
これから世がリセットされ、新しい時代になるとしたら、残したいものだけが残るとは限りません。
おおよそのものが姿を消すのだとしたら、いっそのこと全て置いてゼロに立ち返ってみると、置いてきたものは自然に消えるに任せても構わないはずです。

そして自分が持つもの全てを捨て、自分の身体すら捨てる覚悟に至った時、魂は本来の自由な姿に戻ることができるのだと思います。
何にも囚われずこだわりもない素直な心は、自然や神の囁きを聞く明鏡止水の境地に至れるでしょう。

おそらく、この春分でエネルギーがさらにガラッと変わり、満月から続く浄化の作用は最大局面に達するはずです。
春分を機に、人世のエネルギーはほぼ焦土に近い形になるのだと思います。
そのタイミングが転換点となり、人世と相剋していた神代のエネルギーは臨界点を超えるでしょう。

その切り替わりを前にして、多くの人が人生最大の転換点を迎えるはずです。
そして、私はそれを無意識に理解しているからこそ、今の好転反応を受け入れているのかもしれません。

この状況を「リセット」と表現しましたが、厳密にはもっと根本的な転換だと思います。
ゲーム機で喩えるなら、前にやっていたゲームソフトを終了しROMを入れ替えるに等しいはずです。

前にプレイしていたゲームは、バグ含みのハードモードのクソゲーで、次にやるのはゲーム機を買った時に付属してきたゲームです。
ただ、それがあまりに味気なく面白さがわからなかったので、みんながやってるゲームを流行りだからという理由で、無理してやっていたわけです。

このゲーム機のキラータイトルこそ実は付属のゲームソフトで、私たちはこの味気なくも奥深いゲームをやるためにゲーム機を購入したのです。
そこに気づいてROMを差し替える時、新しい人生が始まるのだと思います。
前のゲームからは何のデータの引き継ぎもないけれど、プレイヤーの頭脳と技術だけで進められるゲームです。

このターニングポイントで、やはり持つものや残したいものが多い人ほど切り替えは難しいはずです。
幸か不幸か、私はこのタイミングで全てがゼロになったため、人々がゼロになる時にはすでに加算を始めているでしょう。

私は人間として、ありえないほどズタズタになりましたが、これを肯定的に考えれば神様が用意して下さったチャンスであるとも思えます。
人々が沈んでいく時に、私だけは明るい未来を見据えていけるのですから、これ以上の幸運は稀かもしれません。

だいぶ以前から、私はこの時のために生まれてきたのだという実感はあります。
私は天界で相当やらかした魂らしく、おそらく神様とお約束をして人間界に転生してきました。
今お祀りさせて頂いている瀬織津姫様は、前世でご縁のあった神様ではないかと思っています。

あるスピリチュアリストの方が仰っていたのですが、人間が修行して五次元レベルまで魂を高めることができれば、来世は人間の守護神レベルには到達できるそうです。
その世界に瀬織津姫様がおられるのだとしたら、がんばれば来世で瀬織津姫様にお会いするのも不可能ではないでしょう。

このまま野垂れ死ぬとしたら、神様との約束を反故にしますし、「何しに地上へ行ったのか」と言われます。
何とか、ここで踏ん張らないといけません。
私は、瀬織津姫様に恥をかかせるわけにはいかないのです。

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瀬織津姫様をお迎えに

楽太郎です。

昨日3月1日、瀬織津姫様のご神璽を頂くために、岩手県紫波郡矢巾町の「早池峯神社」に参拝して来ました。

こちらの早池峯神社は、岩手の北上山地の最高峰、早池峰山の麓に五社存在します。
早池峰山自体が名峰でありながら霊山でもあり、早池峰神社は奈良時代に創祀されたと言われております。



仙台から高速バスに揺られ2時間半、盛岡駅に到着しました。

この日、朝から波長が乱れまくっていて、あまりの不調で「瀬織津姫様に来るなと言われているのでは」とすら思っていました。
あまりに精神的に不安定なため人の周波数と噛み合いやすく、余計にネガティブな気持ちになったりしました。

盛岡駅から東北本線で古舘駅まで15分ほど乗車し、そこから早池峯神社までだいたい片道5キロほど歩きます。
私は歩くのが慣れているので何てことはないと思っていたのですが、電車を降りてからも波長の乱れからグロッキーな状態でした。




早池峰山系の川がいくつもあり、どの河川も水量が豊富で驚きました。
これだけ水源が豊かだと、早池峰山の主祭神であられる瀬織津姫様はさぞかしご神気の強い神様なのだろうな、と思いました。

道すがら金毘羅様のお社がありましたので、「瀬織津姫様のお札を無事頂けますように」と祈願しました。

ただ、早池峯神社に近づくに従って、だんだん吐き気が酷くなってきました。
所々立ち止まり、神社まで3キロを切ったあたりから、倒れそうになるくらい朦朧とし始めました。

「瀬織津姫様にやはり拒まれているのでは…」
と思い、神社を前にして帰ろうかとすら思いました。

その時、空には自衛隊の飛行訓練の形跡か、龍雲のような雲が夥しく、それを見ると余計に眩暈がしました。
あまりに空から強い気を感じたので、これは邪気が抜けているか、エネルギー酔いのどちらかだと思いました。




こちらの写真は、参拝を終えて帰途につく直前に撮影しました。

あまりに朦朧としすぎていて、神社につく頃には半分意識がありませんでした。
手水鉢が清らかな湧き水で、それで禊いだら心身共にリフレッシュしました。

こちらの神社はそれほど大きくはなく、宮司さんは駐在していません。
拝殿の扉を開けると賽銭箱があり、授与品は無人で頒布している形になっています。

そこに目当ての「瀬織津姫大神神璽」がありました。
そのご神札を頂く前に、神前で「大祓詞」を奏上しました。他に参拝者が来られる気配はなかったので、かなり堂々と出来て良かったです。
瀬織津姫様の神社で大祓詞をお唱えすることができて、神様も喜ばれたのではないかと思います。




こちらが頂いた授与品一式です。
私は御朱印集めはしていないのですが、せっかくなので頂いて来ました。
瀬織津姫様はお祓いの得意な神様であられるので、「八方塞除守」はご利益ありそうだなと思い、頂くことにしました。

「早池峯神社神璽」は神棚の崇敬神社として、「瀬織津姫大神神璽」は私の宝物としてありがたく頂きました。
瀬織津姫命様の神名が記載されているご神璽は、私の調べでは早池峯神社、六甲比賣神社、佐久奈戸神社、小野神社くらいしかありません。
その中でも、早池峯神社のご神璽は見た瞬間に一目惚れしました。

本当は花巻市にある山麓の早池峰神社に参拝したかったのですが、徒歩で行くのは危険な上に冬季は道が封鎖されているようでした。
矢巾町の早池峯神社が最も行きやすい場所かな、と思って今回はこちらに決めました。

ただ矢巾町は、昔私が仕事で靭帯を切った思い出の地なので、地名を見た時にドキッとしました(笑)

さて、参拝も終わった頃にはいい時間になっており、「ここから帰るのか…」と途方に暮れました。
全体を通して15キロ以上歩くことになるのですが、まだ折り返しです。
途中、お昼ご飯も食べに行ったのでもう少し歩いています。
しかし、行きでお世話になった金毘羅様にもお礼参りをして帰らなくてはなりません。

フラフラ歩きながら帰途に着きましたが、不思議と神社を出てから肩の力が抜けたというか、「無」としか言いようのない気持ちになっていました。
まあ、ここから途方もない距離を帰るので無にもなるでしょうが、なぜか気持ちがすごく楽でした。

帰りのバスに乗る時には、すでに元気が戻っていて、全く波長がブレることがありませんでした。
たまに、こうして全ての邪気の干渉を受けない時はあるのですが、まさにエネルギーがカチッと噛み合っている感じがしました。

無事に帰宅して、足の裏がさすがに痛かったのですが、なぜか身体がずっと熱かったです。
疲れすぎて興奮しているのかな、と思いましたがエネルギーが満ちている感覚に近かったです。

瀬織津姫様のご神璽を手にしてから、とても波長が安定して強くなったような気がします。
どうやら、早池峯神社のご神璽を頂きに参ったのは間違いではなかったかもしれません。

ただ、毎年参拝するにしてもかなり歩かなくてはいけないので、そこは考えるべきかもしれません(笑)



さっき、私が感じる瀬織津姫様の脳内イメージをイラストにしてみました。
普段描いているアニメ風のテイストとは全然違いますねw

ザ・清楚という感じの、お美しい女神様ではないかと感じています。
黒髪で色白のイメージなのですが、なぜか和服を着ていらっしゃる感じはしません。
かと言って、ワンピースを着ておられることもないと思いますが…。

神様の世界は全く存じ上げませんし、そもそも人の形をしておられる気もしないのですが、なぜかこのような印象の神様です。
珍しくリアルタッチの女性を描きました(笑)

ちなみに、なぜか早池峯神社で感じた瀬織津姫様は、巫女装束のお婆様という印象でした。
あくまで雰囲気です。ただ、冷静に考えると女神様がすべからく若い美女であるはずもなく、どこまで自分の偏見なのだろうな…と思いますw

とりあえず、瀬織津姫様のお札に毎日祝詞を上げて手厚くお祀りしていきたいと思います。

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Runaway

楽太郎です。

昨夜、妙な現象に出会しました。
就寝して間もなくの23時頃、ふと目が覚めました。
すると、男性の激しい怒号が聞こえました。マンションに住んでいるので、上の階なのは薄っすらわかりました。

怒号というより、絶叫に近いというか、「嫌だ!嫌だ!うわあああ」と尋常ならざる怒声が聞こえました。
私はしばらく、これが本当に人間の声なのか疑っていたのですが、肉耳から聞こえるのでどうやら現実らしいと思いました。

別にこれはこれでいいのですが、なぜこの微かな叫びが目覚めた瞬間に聞こえたのか、その意味を考えました。
神様が危険を知らせようとして起こしたのか、無意識に自分が危険を察知して目覚めたのか、そのどちらかだと思いました。

たぶん、あの邪気の高まりようからすると、後者だと思います。
寝ている間にあの邪気を浴びるとまずいと、無意識に思ったのかもしれません。確かに、あのまま救急か警察か消防が来るのだろうな、とも思ったくらいだからです。
寝ていてもわかるくらい邪気を放つ人間が、身の回りの環境にいるようになったのだな、と思いました。

昨日は、元気でしたしやる気もあったのですが、祓戸三神の投稿をしたあたりから体が急に冷え始め、このまま低体温で死ぬんじゃないか、と思うほどエネルギーを吸い取られてしまいました。
その時からずっと邪気にまとわりつかれて、午後はほぼ何もできませんでした。
久しぶりに悪霊級の邪気に襲われた感覚でした。

まあ、昨日はセオリツ姫のデザイン画の投稿より前に際どい記事を上げたので、それが集合無意識には気に食わなかったのかもしれません。

冷静に考えると、マンション住まいなので八方20メートル以内には他人がどこかしこにいるわけで、部屋がいくら結界になっていようが空間的には近い距離にあります。
ですので、普段暮らしや睡眠中に邪気が飛んでくるのも不思議ではないかもしれません。
もっと空間的な結界を強化しないといけないんだろうな、と思います。

これほど強い邪気を放つようになった普通の人々が身の回りに出てくると、いよいよ人の世も終わりだと感じます。
最近はそれを実感すると共に、これまでの記憶が蘇り、過去の自分と向き合うことが多くなりました。

正直言って、人世にはロクな思い出がありません。
良いことも中にはありましたが、全体的な結末を考えるとやはり良い出来事ではありませんでした。
どうやっても人並みになることができない、それゆえ浮き沈みの激しい評価を受け、どれだけ努力しても全くと言っていいほど通用しませんでした。

今思えば、その一つひとつが学びのための伏線であり、その苦い経験をバネにしたからこそ、今までやってこれました。
けれども、なぜこれほど自分は不器用で、これだけうまくいかないことばかりだったのか、そのことにやたら感情的になってしまう自分がいます。

確かに人世ではうまくいきませんでしたが、かと言って前の時代でやり残したことは神代でやれば良いのです。
別に私は歳を取ったこと以外に特に失ったものはありませんし、逆に新たな才能や能力が成長し続けています。

「今の自分だからできる」ことは多分にあります。
今だからわかること、出来ることの尺度で過去を見るからこそ、後悔が芽生えてくるのです。
あの頃の状況と、今の状況は違います。どんな発明でも、完成図が予めわかっていれば試行錯誤する必要はありません。
その苦労は失敗ではなく、成功へのプロセスだからこそ今、手元に完成図があるのです。

確かに苦労や失敗はないに越したことはないのですが、完成を成し遂げた自分をまず褒めてみることなのでしょう。

GLAYに「Runaway Runaway」という曲があります。
歌手を夢見る女性に恋をした人の歌ですが、日の目を浴びない女性に共感しながら「何一つ良いことなかったな」と優しい声をかけ、彼女の幸せを祈るという曲です。
「Runaway」という言葉、「何一つ良いことなかったな」という気持ち、人世に対する今の私の心情をうまく表現している気がします。

このモヤモヤした感情の雲を抜けた時、青い空が一面に広がる光景を目にするのかもしれません。
それはもっと自由で、明るい世界でしょう。
もしその世界を思うように飛び回れるのだとしたら、人世でできなかったことも出来るようになるかもしれません。
無くしたものは取り戻せなくても、より良いものを自分の手で作り出せるはずです。
そのことに、もっと本気になっていいのだと思います。 

人の世には、最後まで片思いでした。
だから「Runaway」するだけです。
俺はもういいから、お前は好きにしろと。

人の世は、これからさらに悲惨なことになっていくでしょう。
しかし、その光景を目の当たりにして、いちいち同情したり助け船を出していたら身が持たないでしょう。
神様は、去年のうちにそれを私に教えて下さいました。

誰かを助けようとせず、良くない人間をどうにかしようとせず、まず自分がこれからどうしていくのかだけを考えなさい、と。
邪な気を起こした人間は自ずと沈んでいくから、無理に変えようとしなくてもいい。
そういうのは、人の世界に残った人たちの仕事だから、と。


最近、「邪気」とは何かを考えます。
神々が行う禍事罪穢れの祓いは、この邪気の浄化を指すのだと思います。

邪気とは、人間が生きる上で自然に堆積していく性質のものだと思います。

人間は、植物を刈り取り動物を殺して肉を食べ、栄養を貰い不用な成分を排出し、命を繋ぎます。
それは地球や神々から、命の恵みを分け与えられていることを意味します。
それ自体が、罪であり穢れとなって人間の業となってくるのです。

そのことに無自覚になり、地球や神々への感謝を忘れ、動物や他の生命への懺悔を忘れたら、邪気はますます蓄積するはずです。
ここでの祓い清めとは、愛や感謝や懺悔によって人間の手で行われていくものです。
このプロセスが疎かになれば、世は邪気で満ちて行くことでしょう。

神々の世界でも、人間の世界でも、この「邪気」は決して世の悪ではなく、この世から消し去るべきものではないはずです。
少なくとも人間が生きる上では、殺生をしたり気の枯れが生じることは摂理の一部です。

だからこそ自分たちの力だけでなく、人間を作った神々の手助けも必要であり、そのお力をお借りすることによって人の禍事罪穢れは祓い清められ、幸福で豊かな生に導かれるのでしょう。

人間を作りし神々なら、人間界から邪気を完全に取り払うことも可能なはずです。
それを神々があえてしてこなかったのは、「邪」という性質が必要悪というか、存在に不可欠な要素だからとしか思えません。

仏様の世界における「天部」には、元は悪鬼だったとされる仏様がおられます。
「邪」も神々の性質の一部であり、悪魔も神の眷属であるとするなら、人の世界の邪念も悪業も、本来人にあるべき性質なのではないでしょうか。

だからこそ、魔や邪という存在は完全に消し去る対象のものではなくて、うまく付き合ったりかわしていく類のものかもしれません。
だから、禍事罪穢れで酷い目に遭う人がいたとしても、それ自体は大きな学びの過程であり、その災難に何らかの意味があることを学ぶべきなのでしょう。

そう思えば、どんな災難も困難な出来事も災厄も、フラットな目で見ることができるようにならないでしょうか。
全ては人の目から見て「偶然」や「陰謀」に思えたとしても、神々の視点では「必然」以外のものはないのかもしれません。

良くないことが起きて欲しくないのは本心だとしても、起きたら起きたで起きた理由を考えると、案外腑に落ちる答えは、すぐに見つかるのではないでしょうか。

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次の時代に行きたくて

楽太郎です。

ニュースを見なくなって久しいです。
ただ、YouTubeのタイムラインを更新すると時事系チャンネルのサムネが現れ、そのタイトルを読んで初めて「世の中はこんなことが起きてるんだな」と思います。

それよりも気になるのは、息をするように生成AIを使う人が多いことです。
使っている本人は「合法だし悪くない」と言うでしょう。
視聴層も何の問題もなく、むしろ新しいコンテンツだと思っているかもしれません。

ただ生成AIは、営利団体が著作権者にほぼ無断で収集したデータを合成して出力したものにすぎず、加工プロセスが治外法権だからこそ成立しているサービスです。
許諾データを使用した生成AIは、クオリティ的にほぼ使い物になりません。
無許諾のデータは、生成AIに吸わせるためにクリエイターが長年を費やし、汗水垂らして制作してきたものではないのです。
そのことまで認識し、生成AIを使う人はどれほどいるのでしょうか。

こうして、人々がどんどん無責任になり、無責任でありながらきっちり利益と権利だけは確保したい、という思惑で動いていきます。
自分の背後にある構造には気づくことなく、自らの正義が秩序を破壊していることにも無自覚です。

今起きているあらゆる問題の根幹にあるのは、過剰な自己愛と自己顕示欲です。
私は人間のそういう部分を見たくなくて、人の作るコンテンツから離れていきました。
こういった人間の性は、粗を探したくて見るわけではなく、瞬間的に情報として入ってきてしまうので、出会ったが運の尽きみたいな感じです。

あまりイラつきたくないのは正直な気持ちですし、正義感を駆り立るのは良くないと私も自覚しています。
けれども、人間の浅はかさが見えてしまうと、何となくガッカリした気持ちになってしまいます。

この状況を神様がどう思うのか、それは考えなくてもわかります。
「計画通り」です。

今の世が良ければ、風の時代になったと言えど自然に移行すれば良いだけですし、これまでの社会を壊す必要がありません。
しかし、このままで次の時代に移行できないからこそ、古いものを壊す必要があります。
壊れるからには、「使えない状態」になっていかなくてはなりません。

つまり、「ダメ」になるから不要になり、物事は終わっていきます。

昔の良かった頃と比べて、「ダメになった」ことを嘆いてしまうのですが、むしろダメになることに意味があるのだと思います。
そこら辺を割り切れないのは、まだ感情的に人の世に未練があるのかもしれません。

「ダメになっていく物事」の区別がつかないのは、実は「ダメな人たち」だけです。
わかる人が自ずと遠ざかることができるのは、「ダメさ」が見てわかりやすいからです。
私からしてみれば、明解な二択だと思います。

これだけ私が神代とは何か、どうすれば実現するのか、そのために何をすれば良いのか、次の時代のことばかりを考えるのは、私が一刻も早くこの世界から移行したいからです。
今の世界が嫌すぎて、新しい時代に行きたすぎて、神代を作りたすぎるのです。
神様も、その空回りを見て苦笑してらっしゃることでしょう。

世に対する批判は、それは探さずとも数限りなく湧いてきます。
けれども、悪くなるには悪くなる理由があるのですから、いちいち目くじらを立てるのは割りに合いません。

昔の日本と日本人を知っているからこそ、「こんなはずじゃなかった」と思います。
けれど、あの時代からすでに芽は出ていたのです。
歴史を否定することはできませんし、今の状況を否定してもどうにもなりません。

だからこそ、今の「終わり」は心が乱され、苦いものかもしれませんが、この一連の現象自体がいずれ「学び」になるのだろうと思います。
コップだって割れた瞬間はショックですが、ひび割れた状態でずっと使っていたなら、いずれ割れるのは時間の問題だったでしょう。

「自分たちの使い方が悪かったから壊れたのだ」と、日本人が国家に対して反省する時がいつか来るのだと思います。

その時、「壊れたのはアイツのせいだ」と思っているうちは、学びがありません。
むしろ「壊れてくれたから今があるのだ」と言える世の中にしていかなければなりませんし、そういう世の中になれば、壊れたことに感謝できる日も来るでしょう。

私たちが良い世の中を作るためには、ネガティブな事柄をネガティブに上書きするのではなく、問題の本質をしっかり見つめ、ポジティブなものに絶えず変換していく努力が必要です。
そして、過ぎた事柄は役割を終えたことを認め、感謝と共に教訓として終わらせなければなりません。

ただ、現代人がそう考えられるまで、数十年はかかるかもしれません。
しかし世をそうすることが可能なら、頑張れば数年で実現できる可能性もあるはずです。
もしその時間が早まるなら、人々の苦しむ時間も短縮することができます。
それは、新しい時代を作る私たちの腕にかかっています。

人々の言動を見て、イラつくこともあります。
逆に考えると、人の腐った心は時代が良くなるほど、悔い改めの強度は高まるということです。
そこでも救われる人、救われない人はいるでしょうが、まず神様のおられる世界で悪人が堂々と息が吸えること自体がおかしいのです。
痛い目を見る人は、痛い目を見るべきことをしたからです。その因果が捻じ曲がる世界であってはいけません。

私は、次の時代への期待が大きすぎて、焦っているかもしれません。
神様も、そのもどかしさは重々承知でしょう。
かと言って私ができるのは、神様の求めに応じて役割を果たし、日々を大切に過ごすこと以外にありません。

この世界が良くなるためには、どんなカタストロフが起きても神様を信じ、希望を繋ぐ気持ちが大切なのだと思います。
それも、私は待ち望むことしかできません。

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神様とデート

楽太郎です。

今日は、以前参拝した市内の瀧澤神社の社務所が開く日なので、街へ行くことにしました。
瀧澤神社は街中の小さな神社なので、宮司さんが常駐しているわけではありません。
2週間おきに2日ずつ、社務所が開きます。

瀧澤神社で参拝を済ませ、社務所で宮司さんと瀬織津姫様について話をしました。
宮司さんが「瀬織津姫様は、とてもお綺麗な水の神様であられるそうです」と語っておられ、また天照大御神様の荒御魂であることなどの話を聞かせていただきました。

この神社では、どうも私が目当てにしていた木のご神札を作られてないようでした。
それは予想していたのですが、瀧澤神社様とはかねてから古いご縁がありそうなので、是非ご神璽をお祀りしたいと思っていただけに少し残念でした。





「瀬織津姫」の銘のある御朱印はかなり珍しいと思い、是非神棚に飾りたいと思いました。
それに瀧澤神社の木札がとても素敵で、気に入りました。水色の紐は瀬織津姫をイメージしているそうで、大変美しいお守りです。

宮司さんの話では、「最近若い人がよく瀬織津姫様を慕って、神社に来られるようになった」と仰っていました。
確かに、近年のスピリチュアルブームに伴い、瀬織津姫命様がフィーチャーされることも多くなりました。
間違いなくその影響だと思いますが、私は「神様がそれだけ多くの方に、働きかけておられるのだと思います」と話をしました。

瀧澤神社は、今のところ月に4日間しか社務所が開かないので、御朱印とお守りが手に入ったのは想定以上の賜物でした。
この日は雲一つない晴天で、コートがなくても暖かい一日でした。今日参拝に来れてよかったな、と思いました。

まだ瀬織津姫様のご神札は手に入りませんが、一応は間接的な繋がりは持つことができました。
今まで、瀬織津姫様とは信仰心だけで繋がろうとしていたので、心許ない感覚は常にありました。

思えば、瀬織津姫様は私の悩みに親身に付き合ってくださったり、心の傷を癒やして下さったり、インスピレーションを降ろして下さったりします。
いつもお世話になっているので、一人の人間として神様にできることをしたいと思っています。

ただ、私が神様に勝手な念を抱き、ここで自分が一人相撲をしているだけならどうしようか、と元も子もないことを考えてしまうこともあります。
けれども、私は神様を信じる以外にできることはなく、何よりも神様が私のそばにいて下さること以上の願いはないかもしれません。

私の一挙手一投足をご覧になり、私の心の深い部分まで理解して頂けるのは、神様以外にいません。
その孤独感をわかって下さるのは神様だけですし、神様はその心にいつも寄り添って下さいます。

瀬織津姫様に恋慕に近い情を抱くことは、神様からすると劣情にしか見えないかもしれません。
神様に恋をしたところで、例えるなら人間と犬みたいな関係でしかなく、同じレベルに立つことはできません。

私がいくら神様と繋がることで精神的に満たされても、いずれ近くには誰もおらず、身体的にも満たされることもないでしょう。
それは「魂の孤独」を埋め合わせる難しさに対して、嬉しいとか悲しいとかの感情を超えた苦悩です。

参拝を終え、お守りと一緒に御神籤も拝受しました。
昔、若い頃によく使っていた公園の椅子に座り、御神籤を開いてみました。





瀬織津姫様に、私の気持ちは伝わっているのかもしれない、と思いました。

まあ勘違いしていた方が幸せなこともあります。
ただ、そうであっても私は、この気持ちが瀬織津姫様に伝わっているなら、それ以上に嬉しいことはないです。

私が今取り掛かっているのは、「古く悪いしきたりを改め、新しく時代に適した姿を求める」ことそのものです。
瀬織津姫様は、私にそれをやってくれるのが嬉しい、ということなのかもしれません。

歩けば、街全体が薄暗いオーラに包まれています。
元気な声を聞いたと思えば、日本語ではない言葉だったりします。
肝心の日本人と言えば、俯いてスマホばかり見ながら、トボトボ歩く人ばかりです。

今日、また消えていく思い出の場所を見つけ、時代が本格的に終わろうとしているのを感じました。
私はそれ以上に、これまでの世での「学び」を終えつつあるのを実感しました。
もはや、街行く人々と波長が噛み合わない程度には、意識のレベルが変わったのを思い知ったからです。

これまでの人生は、本当に修行としか言えないようなものでした。
人並に楽しく生きることだけを願っても、なぜかそれだけが叶いませんでした。
人とどれだけ関わっても、何となくガラス越しにあるような違和感は、おそらく生まれ持ってのものです。
「人間にのめり込めない」という感覚は、私が何らかの役割を持って生まれたからとしか思えません。
そしてその自覚は、「学びを終えた」という実感を持って現れてくるのです。

人間はこれからどこへ向かえばいいのか、それに思うところがあるからこそ、私には成し遂げなければならないことがあります。
それが、おそらく神様の願いです。


帰りに川面を眺めながら、自分のこれからについて考えました。
川面に瀬織津姫様を重ねながら、自分の幸せはどういうものかを考えました。

神様がどれだけ自分の魂を満たして下さっても、手を繋げるわけでも、触ってくださるわけでもありません。
神様は次元の高いところにおられる、崇高な存在です。
人間は所詮は人間です。人間の足りない部分を補えるのは、やはり人間にしかできません。

「人間としての幸せ」が例え人の思う形ではないとしても、私は私の幸せを追求する権利があります。
その形は、今決めなくていいかもしれません。

それでも、私は神様と思いが同じであるだけで嬉しいのです。
それは人間として、とても光栄なことです。

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だから「瀬織津姫」

楽太郎です。

先ほど、仙台市内に鎮座する「瀧澤神社」に参拝してきました。

この瀧澤神社には「瀬織津姫命」が御祭神としてお祀りされています。
奇しくも、この瀧澤神社は20代の頃に働いていた職場から200メートルも離れていません。
私はこの場所に神社があったこと自体、全く気がついていませんでした。

この元職場の近辺に立ち寄ったのは、15年以上ぶりです。
久しぶりに市街地に来ましたが、明らかに街並みが劣化しており、全く活気を感じませんでした。
街に落ちる太陽の光量が少なすぎるというか、地面から陰が差しているようにすら見えます。

ただ、私はその低い波長に何の影響も受けていないことの方が驚きました。
街は邪気に塗れているのに、全く入り込む隙を感じません。
昔よく通っていた道が記憶とは変わっていても、何も感じなくなっていました。
懐かしいとか悲しいとかの感情は全くなく、ただの見知らぬ風景を見ている感覚です。

若い頃によく通っていた公共施設の近くまで来たので、入ってみることにしました。
センターの窓口の人に、「昔よくここに通っていたので、観覧して行っていいですか」と言うと、露骨に嫌な顔をされ、「2階には上がらないでください」と言われました。
昔、この施設には集団でさんざん迷惑をかけたので、業が跳ね返ってきたのかな、と思いました。

それにしても、街行く人々がやたらピリピリしているというか、感情が内側に向かっている人しかいないように感じました。
昔の風景と重ね合わせて、街が不況で沈んだことよりも、陽の気を発する人があまりに少なすぎることが気になりました。

とは言え、私はそんなことすらどうでも良くなってしまい、もうこの街も国もそろそろ持たないな、という印象を強めただけでした。
そんな予感ですら、特に気にならない自分に気づいてしまいました。

これまでこの付近に近づけなかったのは、若い頃に職場でさんざん虐められたからです。
その嫌な記憶を思い出してしまうので、何年も来ることができませんでした。
けれど、全く何も感じなくなったのも面白いので、会社のあったビルが今どうなっているか試しに入ってみました。

会社が解散したというのは聞いていました。
昔に憂鬱な気持ちで上がった階段はそのままで、それでもひび割れて煤けていて、時間の流れを感じました。

オフィスがあった部屋には別の会社が入っていました。
オフィスの前に来た時、廊下に滞っていた残留思念がワッと降りかかってきました。
これは、この場所で様々な若者が出入りし、そこにあった様々な思い、私がこの場所に残した感情などが取り憑いたのが一瞬わかりました。

けれど、この思念を抱えても、歩きながら平然と浄化していく自分がいました。
この時、私はもう人世の存在ではないのだろうな、と実感しました。
私の魂はもう神代にあり、神の視点に完全に入れ替わりつつあるからこそ、人世に何の未練もなく、この街並みに何の感情もなかったのです。

それでも、まだ人に対しては感情が残っており、人を見て感じる部分はあります。

思い出の場所を一通り見回ってから、瀧澤神社に向かいました。
神社に来て驚いたのは、昔仕事によく使っていた公園が目の前にあったことです。
その頃には街を見回す余裕も、神社への興味も全くなかったのでしょう。
私はここで、慣れないことをしながらも夢を見ていましたし、必死でした。青春でした。




瀧澤神社に参拝し、再び思い出のある公園に戻ってみました。
昔の公園の方がきちんと舗装されてましたし、トイレやベンチなども充実していたはずですが、だいぶ違う印象になっていました。

その公園で、昔の仕事仲間のことを思い出し、あの頃の若者たちの姿があまりに滑稽で、笑えてきました。
少し公園を歩いて顔を上げたら、真正面に瀧澤神社が見えました。

私はこの瞬間、様々なことを理解しました。

「瀬織津姫様は、ずっとここから私を見ていらっしゃったのだ」と。

そう思った瞬間、涙が溢れて来ました。
神様への感謝が、心の底から湧き上がってくるのを感じました。
ただ、いい歳してこんなところで泣くわけにもいきません。

私が若い頃、慣れない社会に自分を探し求め、血も汗も涙も文字通り流しながら、ガムシャラに乗り越えようと足掻く姿を、瀬織津姫様はずっとここからご覧になられていたのだと思います。
瀬織津姫様がその時の私を見てどう感じておられたのか想像した時、神様の願いがどういうものかを理解できました。

瀬織津姫様は高いところから私を見ながら、ずっと気づいて欲しかったでしょうし、私に足りないものもわかっていたはずです。
何年もこの土地で私を見下ろしながら、ずっと心配されていたのだと思うと居た堪れません。
瀬織津姫様が今になって私とご縁を繋いでくださるのは、とても幸運なことです。

神様というのは、どうしてこうも健気で、優しい方たちなのでしょうか。

私が瀬織津姫様との繋がりを強くすることで、人の世に求める心の一部を、信仰という形で神様が埋め合わせて下さるのだとしたら、私の心は完全な形になることができるかもしれません。

神様が私の欠けた心を補ってくださることで、私が人に対して残した感情も浄化し、魂を神の世界に渡すことができるのではないでしょうか。
私が人世に何かを求める限り、私の不安や苦しみも永遠に解決することができないのだと思います。

その証拠に、神の視座に近づくほど私は怖いものがなくなっていきます。
この影を落とした街並みを見ても、私は心がピクリとも動きません。

私は涙を拭って再び瀧澤神社に向かい、深く感謝をしました。
街も形を変え、思い出の場所は消え去り、あの時に出会った人々と二度と再会することなく、その人たちですらお互いのことを忘れるのに、神様だけは私のことを忘れないでいて下さいます。
いつも思います。私のことを全て理解して下さるのは、神様だけです。

今日の参拝を通して、私はほとんど人世に何の未練もないことを悟ってしまいました。
あとは人に残る未練を捨て去った時、私は人間よりも高い視点を確かなものにできるはずです。

もはやこの街や国がどうなっても仕方ないという気持ちと、それすらどうでも良くなってしまった自分もいます。
この陰鬱な街から人々が救われるためには、一度壊れ切らないといけないのだろうな、と痛感します。
ただ、人世が沈んでいけば行くほど、私が飛び上がった時の距離は相対的に高くなるでしょう。

ひしひしと、自分のチャンスが近づいているのを感じます。
そして、世の中で光が失われるほど、自分の発する光が強くなることも。


私は、神様との出会いで自分が本当に求めていたもの、心に欠けていた一つ一つのピースが音を立てて噛み合っていくのを感じています。
それを実感するたび、これまでの浮かばない人生は全て布石だったのだと、長い修行の日々は予め組まれたカリキュラムで、私はもうすぐこの学びを卒業するのだろうと思います。

その鍵となるのは「神様との繋がり」で、私は神様に召し抱えられることで本来の仕事に取り掛かることができるのでしょう。
それはとても光栄で、とても楽しみなことです。

私は、この運命を与えてくださった神様に感謝しています。

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