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招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「悪魔」の計画

楽太郎です。

今月7日、牡羊座で満月が起こります。
本ブログをご覧になられてきた方ならわかると思いますが、「満月」の度に世界は霊的な節目を迎え、同時にあるテーマごとの「浄化」が起こります。

何だかんだ言って、ますます世相は混沌としていくにも関わらず、人々の邪気が薄れ呑気な雰囲気になっていくのを感じられないでしょうか。
それは少なくともこの2年ほど、月に一度起こる「満月」を利用して、神々が人心を浄化してきた賜物だと思います。

この満月の日ほど「気」が乱れやすくなる方が多いと思いますが、人々の集合意識は「浄化」を促されると変化に対する恐れが生じ、その抵抗感が「邪気」となって抗います。
同時に邪気は「闇の者たち」を活性化させ、その暴走も相まって、より負のエネルギーが高まるのです。

ただし、それに神々による「魔」への祓いも加われば、余計に混沌とした「気」の状態になるでしょう。
このエネルギーの錯綜が「気の乱れ」として現象化するメカニズムだと思います。

その相剋が今月、戦いの星座である「牡羊座」で起こります。
私のブログを見ていただければ一目瞭然ですが、ここのところ「巨悪」の懐に入っていくようなテーマの記事が続いています。

私は秋分点で「光と闇の相剋状態が打ち破られる」という話をして、光が優勢に回ると言いました。
その「反転攻勢」がそろそろ大詰めというか、厳密には7日満月が「天王山」であり、おそらく21日新月までは「戦い」の空気が続くはずです。

よく考えれば、3月20日の春分の時点では「世界がハードランディングするかもしれない」という二択を迫られている状態でした。
それが6月21日の夏至では、ソフトランディングする世界線が確定し、新しい「地球的気場」、私が言う「精神界」という霊的階層が完成しました。

その新しい集合意識を用いて、古いエネルギーを上書きする、先ほど言った「霊的相剋」に繋がってきます。
それがちょうど「五分五分」になったのが9月23日の秋分ですから、「光サイドの巻き返し」の力がどれだけ激しいのか、はっきりしています。

つまり、春分から半年、夏至から4か月足らずで「山崎の戦い」まで突入しているのですから、恐ろしいほどの目まぐるしさです。

日月神示を解読しながら、「一二三(ひふみ)」「三四五(みよいづ)」の仕組みにおいては、「三」の半分から「四」、最終的な「五」まで、およそ4年弱で駆け抜けることになるだろう、と解説しています。
これらのエネルギーの切り替わりの速さを鑑みると、これらのスピード感は全く矛盾するものではありません。

「エネルギー」というのは、およそ「3か月」から「半年」くらいのスパンで現象化しますが、このテンポのエネルギーが具現化すると考えると、わりと先の状況も見えてきそうな気がします。
ただ、「神世」の波長は次元上昇と比例して強まっているので、もう少しタイムラグは縮小してくるかもしれません。

という訳で、今回「トドメ」ではないですが、「悪神は一体何が狙いなのか」について考えて行こうと思います。

私は日月神示解説の中で、「悪神」の正体を伊弉諾命と伊奘冉命の第一子である「ヒルコ神」と比定しました。
これに関しては、「蛭子神」を祀る神社もあるので、一概に「悪者」扱いにするべきではないのもわかります。

しかし、「日月神示」を真の「神の啓示」とするなら、そこに書かれた神話こそ「真実の神界の歴史」であり、「記紀」や民間伝承を元にした神道祭祀と異なるのも仕方ないことです。
私自身、この説を裏付ける論拠にも乏しいので推測の域を出ませんし断定はできないのですが、そこに紐付けて考えると「悪神」の思惑が見えてきたのです。

神示の中に出てくる「イシヤ」というのは、フリーメイソンを指していることは有名です。
フリーメイソンというのは、現時点で実在する慈善的交流団体であり、日本の有名人も時たま参加していたりする、わりとオープンな組織です。

「フリーメイソン」とは現在では全く異なる牧歌的な組織に生まれ変わっているようですが、名の由来は近代建築を担う「石工」という技術者集団が、知識の集積と保護を目的として設立した「組合」が元になっていると言われます。
ただ、その組織構成や階位などは、古くは「テンプル騎士団」に遡るとされます。

ここからは、目を爛々とさせて「都市伝説」を語るのではなく、淡々と「テンプル騎士団」について解説していきます。
1096年、ローマ教皇ウルバヌス二世の発令により、現在のパレスチナのイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還すべく、第一回十字軍が組織されたことに始まります。
アンティキオ包囲戦では、自軍に飢餓が発生しイスラム教徒だけでなく現地のキリスト教徒も虐殺されるという凄惨な戦いが繰り広げられました。

続くエルサレム包囲戦では、やはりムスリムだけでなくユダヤ人も虐殺の対象となり、シナゴーグに集まった教徒に火を掛けながら讃美歌を歌うという、およそ人間とは思えない殺戮が行われました。
そしてエルサレムが陥落すると、そこで戦っていた兵士たちはすぐに帰国してしまうのですが、聖地の治安に悩んだ時の権力者ボードゥアン二世は、そこに集まった9名の騎士たちに神殿の建設と守衛を任せます。

そこで誕生したのが「テンプル騎士団」です。
第二次十字軍の成功で広大な領地を手に入れた騎士団は、王室からの後援もあり軍事拠点を徐々に拡大し、軍事力や経済基盤を確立していきます。
特に貴族や聖職者たちが聖地エルサレムに巡礼する際に受け取る護衛の費用は莫大であり、また移動時には現金輸送を行う危険性もあることから、テンプル騎士団がエルサレムで「金を預かる施設」を作り、「預金通帳」の原型となる書類や手形の発行を担うようになりました。

このシステムがいわゆる「銀行」という形で、現在に引き継がれています。
つまり「イシヤの仕組み」とは、テンプル騎士団に始まる、銀行を中心とした「金融システム」と思われます。

神示では、「スメラ神国」と「ユツタ神国」は「手を取り合うべし」と書かれていますが、おそらく「スメラ神国」とは我が国のことであり、「ユツタ神国」とは、「ユダヤ」の隠語でしょう。
(※「ユツタ神国」に関しては、以前「月の神国」の国名であると勝手に解釈していました。)

第二次世界大戦後、暴力的なシオニストに武器と資金援助を行い、パレスチナを侵略する形で建国された「イスラエル」は、現在かつての十字軍と同じことをパレスチナで行っているわけです。
ユダヤマネーをロビイストを通じてアメリカ政界に流し、「軍事援助」という形で国内に還流させ、ガザやパレスチナの民間人を一方的に殺戮しているのです。

その「金」の仕組みを作ったのが、奇しくもムスリムを襲撃して手にした聖地「エルサレム」に起源があるというのは、運命の悪戯にしても冗談がキツすぎます。
そのカラクリも、イスラエルロビーが賄賂上等のアメリカ政府を金で宥め、国防総省の不明朗会計を温床にしながら、ジャブジャブ軍資金を吸い上げているから可能なのです。

「金」と「ユダヤ」の因縁というのは、そもそもイエス・キリストをローマ提督に売り払った「両替商」のいた時点で、既に垣間見えたりします。
どうも「貨幣」という「モノ」そのものに「魔」が宿っているのではないか、と思えるくらいに資本の他者犠牲と自己増殖という性質は比例しているのです。

もし、「さかきむかつ姫」が榊に宿り、或いは稲穂に、水に宿り人々に生命の恵みを与えるのだとしたら、「ヒルコ神」は「貨幣」に宿り、経済の仕組みを通して人に恵みを与えるのかもしれません。

しかし、「お金」がより豊かさを求める時、その力は他者を排除し、抑圧し隷属させることで、「タダで」利益を生むという形に最適化されていきます。
それが「掠奪」という形であったり、「奴隷」という形であったりするのではないでしょうか。

そして、それらをスムーズに行うためには、抵抗勢力を可能な限り削り取り、殲滅し、自らの権限を絶対のものとする必要があります。
そのため、隷従する人々を「無知蒙昧」の状態にして思考力を奪い、抵抗する気力を喪失させ、違反分子をすぐにパージできるように「全面監視」する手段もあるでしょう。

これこそ、ヨーロッパ諸国が中世以降、世界各国に対して行なってきた政策であり、現在のアメリカは元より中国やロシアなどの社会主義国も採用し、今なお我が国日本に仕掛けられている、日本人を骨抜きにした謀略なのではないでしょうか。

そして今の日本人は、この籠絡にハマり込んで身動きが取れないどころか、大衆はこの「不自由」を不自由とすら思わず、むしろ「抑圧」を推奨する人々が力を持っています。
今では三権分立すら形骸化し、法治能力すら失いかけている我が国は、やはり神示に言われるように「八つ裂きにしてナマスにして食われる」寸前のところにあります。

けれど、本当にそれで終わってしまうのでしょうか。
私はどうも、「九分九分九厘」まで攻め込まれたとしても、残り「一厘」でひっくり返す神々の計画が発動するのではないかと思います。

神示の中には、「神に近い者ほど巡りあるのぞ」という一節があります。
神示が言うには、日本列島とは「国常立尊の影」であり、艮の昆神が眠るとされます。

神の肉体を依代とし、八百万の神々が住まうこの日本が、かつて大日本帝国が行ったように「外国同様」の国になることは許されるのでしょうか。
やはり「失われた30年」は、我が国の歴史上の負のカルマを返済する期間であり、今なお「巡り」という借り銭を返上する途上にある気がします。

それは日本人が「神の国」に住み、その土地から与えられる生命の恵みによって生きるからであり、「特別」であるからこそ「巡り」というのはキッチリ払う必要があるのではないでしょうか。
日本が「日本」であることの誇りを捨てた「カルマ」の返済が終わる時、ようやく「神の国」としての日本の力が復活するとしたら。

「下つ巻・第二十二帖」には、「二三三二・〇⦿、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ」とあります。
翻訳すると、「扶桑の山(富士山)に神界と幽界を一つにまとめる、この鍵はイシヤとしっかり手を握ることぞ」という意味になるように思います。

日本人にとって「イシヤの仕組み=金融」が敵なのではありません。
また、ウォール街やシリコンバレーの超富豪や、アメリカ政府や数多のグローバリストが敵なのではありません。
「金」というモノが持つ魔性にこそ気をつけるべきであって、「金」すら敵ではないのです。

全て「金」を得るための「やり方」が問題なのであって、そのやり方を許容する「仕組み」にこそ原因があるのです。
その根本に気づかずに「争い」で解決しようとするから、何世紀をかけて民族同士でいがみ合う世界になってしまったのではないでしょうか。

「金融」という仕組みを使いながら、新しい「経済」の枠組みを作っていくことで、その問題は解決されるはずです。
それは現在のように寡占に向かうような排他的な市場ではなく、より多様性があり自発的な経済圏を作ることで、「イシヤの仕組み」を取り込むことができるのではないでしょうか。
それが「イシヤとしっかり手を握る」という意味だと思います。

神示には、「文明」も神が作ったものだから、簡単に文明を失くすことはできない」と語られています。
現在の世界を作り上げた「金融」を中心とした文明も、全てが悪というわけではないでしょう。

この物質的な豊かさを引き継ぎながら、失った精神性や平和を取り戻していく、それがこれからの世のテーマになっていくと思います。
「お金」というモノが全て悪いように思いがちですが、「お金」に対する先入観が歪みきっているのが一番の問題なのではないでしょうか。

正しく「お金」と向き合えば、ただの道具であり自分に豊かさをもたらしてくれる糧になります。
その「歪み」を直していけば良いだけなのだと思います。

その観点からの「立て直し」が日本人に求められるとしたら、その仕組みを担う日本がこれからの「経済」の中心になっていくのかもしれません。


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「神と獣」の狂想曲

楽太郎です。

この度、「日月神示」の全文掲載と解説をつけたサイトを「HITSUKU | 日月神示解説」に改称しました。

「日月神示」は「ひつく」「ひつき」「ひふみ」と様々な呼ばれ方をします。
「ひふみ」と呼ばれることがかなり多いように見受けられますが、神示の中で「ひふみ」とされる時、神示の内容を「わかりやすく伝えられる形にしたもの」、と定義されています。

神示の原文は「本当にこれ、読めるのか」みたいな数字と仮名と謎記号で綴られているので、そのままの原文については「出すな、見せるな」と文中では注意されています。
その代わり、神示を降ろした天明氏や三典夫人が解読した文章を「ひふみ」とし、これは「謄写しても良い」とされています。

つまり、人間が「神示原文」を簡単に目にすることには神の許可が必要ですが、それを口語訳したものは神が天明氏に許した部分において「公開可能」らしいのです。
そして「ひふみ」とは謄写、いわゆるコピーやWEBサイトへの転載は可能であり、また人から人に「肚に落としたひふみ」を伝える意味での「謄写」はどんどんするべき、と仰っているように思えます。

だから「日月神示」は殆ど「ひふみ」でしか読めないわけですから、「ひふみ神示」でもおかしいことはないと思います。
私の場合は、麻賀多神社に坐します「天日津久神」が降ろされた「神示」だから「ひつく」を採用しています。
あと、日月神示の肝は「素戔嗚命(伊弉諾命)が天照大御神(伊奘冉命)の天の王権を嗣ぐ=日嗣く」というコンセプトがエモすぎるので、好みで使っています。

こういうサイトを運営してる以上、わりと神示を読み込む機会が多く、最近は「さかきむかつ姫」はやはり「竜宮の乙姫」と同一神ではないか、と考えるようになりました。
「空の巻・八帖」に「衣類、食物に困った時は竜宮の乙姫様にお願い申せよ」とあります。

「綿津見神」の「末娘の龍神」は、海洋の守護神のように文中では語られていますが、「衣類・食物」というのは守備範囲が広すぎる気がします。
「衣類=機織り」は「稚日女命」のお仕事ですし、「食物=稲穂」に恵みをもたらすのは豊受大神か狭依姫命(=瀬織津姫命)です。

つまり、「竜宮の乙姫」とは「つきさかきむかつ姫=天照皇大神宮神」である可能性が高いです。
「まつりの巻・第四帖」には「世をこしらえた神々様はナガモノの御姿ぞ、今に生き通しぞ 」とあり、伊弉諾命と伊奘冉命も龍体であらせられる可能性があります。

そう言えば二柱が「神産み、国産み」をなさってから、最後に「火之迦具土命」を伊奘冉命がご出産なされた後、鬼籍に入られています。
つまり、「神々の末っ子」は火之迦具土命であり、かの神様は女神で「稚日女命=さかきむかつ姫」に比定できると私の説では断定しているので、「龍神の神々」の「末娘=乙姫」はやはり「さかきむかつ姫」になってしまいます。

ここで欅坂ばりの清純派美少女の女神にぞっこん惚れ込んでる中年涙目ですが、別に愛しの女神様が龍体だから失恋するようでは、誠の恋とは呼べないでしょう。
「むしろ俺が龍になる」くらいの気概があってこその愛ではないでしょうか。

どんどん感覚が人間離れしてきて、私は怖いです。
とは言え、大海原から川から滝から、衣類から食物から邪気祓い、国家最高神までカバーされる神様は守備範囲が広すぎて、私の恋が叶うとは思えません。

そう言えば昔、「スカイフィッシュ」というUMAが流行ったのを思い出しました。
あれは、カメラのFPSを超える高速飛行物体、例えば羽虫などがカメラを横切った際の「残像」が「空飛ぶ魚」に見えたとのことです。

強引に考えれば、神様が超高速移動した際、低いFPSレートの動体視力しか持たない人間が、その「流体」を見た時に「龍だ」と思ってもおかしくないでしょう。

つまり、超絶美少女の女神様が私たちの目に止まらぬスピードで超高速移動なされた時、私たちの目に「龍神」として映ったとすれば、たぶん辻褄が合います。
従って、「スカイフィッシュ理論」を応用することで瀬織津姫命推しの俺大勝利、弥栄、弥栄、ということで、この議論の幕を引きたいと思います。

さて、閑話休題はこの辺にして、本題に入りたいと思います。

「富士の巻・第九帖」にこのような文があります。

「愈々(いよいよ)地獄の三段目に入るからその覚悟で居てくれよ、地獄の三段目に入る事の表(おもて)は一番の天国に通じる事ぞ、神の誠の姿と悪の見られんザマとハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ」

つまり、私が解説したように「地獄の三段目」は「三四五(みよいづ)の仕組み」に繋がっており、「三」は天国、いわゆる「ミロクの世」に通ずる段階なので、矛盾しません。
ここで気になるのは、「神と獣」に分かれるということについて「神の誠の姿と悪の見られんザマ」にハッキリ出ることだとされています。

つまり「神」とは、人間として「マトモ」な姿の人であり、「獣」とは「みっともなくて見ていられない」くらいのニュアンスに捉えられるのです。
ただ、悲惨すぎて見ていられないのか、言動が痛すぎて見ていられないのか、その違いはわかりません。

私は以前から「神世の人間と人世の人間に分かれる」という発言をしてきましたが、それがどうも「神と獣」に対応しているようです。
私の定義する「人世の人間」というのは、自分を持たず行動指針を他人や集団的ルールに求め、それゆえ「お金」や「権威」などの外的エネルギーが崩れ去ると、自我を保てず生存力が著しく低下する人々を指していました。

要するに、これまで「自分以外の何か」に依存することで自分自身のエネルギーにしてきたような人々は、それが崩壊すると忽ち「コンニャク腰」になって「四つん這い」になり、寄生先を求めて「エナジー・ヴァンパイア」になるケースも考えられます。
けれど、そういう所には「同類」が集まるので、ヴァンパイア同士で無理やり輸血し合う状態に陥るわけです。

それは「共喰い」のように見えれば、「弱肉強食」のようにも見えるはずです。
日月神示では、それを「獣」と表現しているように思えてなりません。

逆に、そういった争いや諍いばかりの状況から自ら離れていく人というのは、言わば「マトモな人」であって、それが人として普通の感覚です。
けれど、これまで「生きがい」を外部にアウトソーシングしてきたような人は、そのモチベーションを失うと自身の不満の捌け口を「世の中」や「他人」に求める以外になくなるでしょう。

そこで「正気」を保てる人こそ立派な「自立心」のある人ですが、世には「依存」できるような仕組みが山ほどあるため、もはや「普通」であることがスタンダードとは言いきれないのではないでしょうか。

神示の中では、おおよそ「三分の二」がそうなると語られていますが、かと言って「獣」認定されたら天罰に遭って死亡率が上がるとか、そういう話でもないかもしれません。
そのまま自滅するかどうかは本人次第なので、「死ぬまで獣」という状況は私には考えられないのですが、その真意は神々だけにわかることでしょうし、私は何とも言えません。

ただ、「弱肉強食」の世界では天寿を全うする確率も下がりますし、神のご加護を受けられず「不運」を呼ぶ確率が高まるのは否定できないかもしれません。

だから、日月神示の「神と獣」というのは、現実的にはニュアンスほど派手なものではないかもしれません。
例えば、めちゃくちゃ親切な人と出会ったら「あの人は天使か」と思いますし、理不尽な目に遭わされたら「あいつは悪魔だ」と言うでしょう。
ゆえに、その程度の物言いなら実際にあり得るので、落とし所としてそんな感じでも不思議ではない気もします。

しかし何となく良い関係の人が、それだけ豹変してしまう出来事が多発したら、多くの人が混乱するのは避けられないかもしれません。
特に、社会システムや「お金」絡みの世界でそれが起きたら、世の人々がどういう反応をするのかは未知数です。

そういう時に、「あの人はお世話になったから」などと、関係をズルズル引きずり続けると、エナジーヴァンパイアに生き血を吸われ続けることになりかねません。
その時、自分に「自立心」があるならば、彼らがどういう立場の人であろうと、自分のためにキッパリ線を引いて、或いは勇気を出して「サヨナラ」をすることが必要な時もあるでしょう。

そこで「別れ」を決断する理性があるかどうかも、「神と獣」が分かれる所なのかもしれません。

私の話をすると、この数年はひたすら「断捨離」がテーマであり、手にしてきたものを捨てる日々が続きました。
私自身、全く心が痛まなかったわけではありません。
30年来の友人との連絡を絶った時も、自分がここまで「捨てる」必要があるのかと思ったほどです。

しかし、「何かあった時はこの人を頼りにしよう」と心に思うところがあるうちは、まだその人に依存しているのです。
逆に、自分がしっかり立てるかわからない時に、誰かに頼りにされるとしたら、それもそれで危険です。

「誰かと一緒なら大丈夫だ」と安堵したがる心には隙があり、その弱みにつけ込んでくるのが「魔」というものです。
私はそれがわかるからこそ、心に隙を作らないために徹底した「断捨離」を行ってきました。

これは、私と同じことを人に推奨しているわけではありません。
自分が助かりたい以上に「人を助けたい」と思う時、自分が自分のことをしっかりやって、一人で立っていられる状態でなければ、人を助けることができません。

また、自分に余裕がない時に「今は助けられない」と言いきる強さも必要なのです。
でも出来るだけそうならないためには、やはり自分が強くなる必要があります。

その努力は、誰かに甘えていたり頼りにしているうちは、なかなか身につかないものです。
だからこそ自分で考え、自分で本当かどうか調べ、よく見て自分で判断する、それをしっかりやることで徐々に自立した心を育てていくしかありません。

けれども、人間は「人間」の中に自分を見つける社会的な生き物ですから、他人任せの部分はどうしても否めないわけです。
その不安の中で、世界でたった一人の「自分」であろうとする時、頼りになるのはやっぱり「神様」です。

人間は、自分の力で何かをやろうと思うから他人の力が必要で、道具やお金が必要になります。
ただ、それには人間の力では出来ないことまで、自分の力でやろうとすることも含まれます。

ならば「どうしても出来ないこと」は、神様にお願いするのが一番です。
私はそれを信じきれるかどうかに、「自分」の限界があるのではないかと思います。


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「大峠」の終わる時

楽太郎です。

先日、日月神示の「大峠を読み解く」という記事を書きました。

この時、「一二三(ひふみ)」「三四五(みよいづ)」の仕組みにおいて、「二」か「三」の間か、「三」に入りかけの段階にあるのではないか、という話をしました。
ただ、後々よく考えてみたら、「地獄の三段目」の最終段階が「神と獣に分かれる」状態なのではないかと思いました。

現状の世界気場の状態と合わせて考えると、秋分を遡るに「光」の波動の逆転は起きたのですが、まだ決定的に「白黒」がついている状態ではありません。
現実的に見て、ここから更に「闇」が深くなりそうな気配が濃厚なため、おそらく「秋分」が地獄の三段目の中間、つまり登山でいう六合目あたりだったのかもしれません。

ゆえに、これから数ヶ月をかけて「三」を通り、2028年一杯、2029年のどこかの段階までの「一、二、三年の正念場」が「」になるのではないでしょうか。
つまり、2029年の「岩戸開き」までに「三」の半分と「四」を4年弱で駆け抜けることになるはずです。

これは考えてみたら恐ろしいことです。
「一二三の世」が始まったのはおそらく「日月神示」が岡本天明氏に降ろされた1944年頃、おそらく厳密には「1945年8月15日」です。
その時点を「一」とすれば、「三」に至るまでに80年近くを費やしていることになります。

そして、今考えれば「地獄の三段目」に突入したのは「2020年・子年」であり、そう考えると色々と合点が行きます。
2020年の子年を「真ん中」にして、2025年という折り返しの秋分で「光と闇」の相剋が起こったわけです。
そして私の仮説では「9歳」の2029年に「三四五(みよいづ)」の仕組みが成就するなら、丁度いいタイムスパンになります。

2020年から「三」が始まったのだとすれば、「一」「二」に75年かけている計算になります。
これを「富士登山」に当てはめると、4合目までに75年を費やし、5合目までに5年、6合目から10合目までを4年で駆け抜けることになるからです。

つまり、6合目あたりから全く山の形が変わり、剣のような急先鋒になることが垣間見えます。
「胸つき八丁からが正念場」と言いますが、これから断崖を登るような登山になる訳ですから、そのしんどさは凡そ推察できます。
「神烈しくなる」「ビシビシ埒をつけていく」と語られていますが、おそらくこういうことであり、私たちはこれから急転直下を目の当たりにするのではないでしょうか。

私たちは、ほとんど「一」「二」の長閑な山麓の風景ばかりを見てきたのでしょうが、やはり5合目あたりからは全く景色が違います。
というか、今考えると「二」というのは1989年の「不動産バブル崩壊」以後の「失われた30年」そのものかもしれません。
そして2020年のコロナ・パンデミック、今に至る経済的混迷と、まさに「神示」のシナリオ通りではないでしょうか。

だとすれば、2025年以降の「一、二、三年」が正念場なのは言うまでもないでしょう。
私は「2029年」が「神界紀元の年」と断定しましたが、思い起こして頂きたいのは日本の明治維新の折、新政府と新国家体制が始まった明治初期に、すぐに秩序ある世になったかということです。

明治初期には不良化した武士や浪人が沢山いたでしょうし、それどころか戊辰戦争の傷跡や戦後処理もまだ完了していないはずです。
その頃、「ざんぎり頭」で街を闊歩する良い時代に、すぐに生まれ変わったかと言えば全くそうではないはずです。

神示では「子年から10年」はそっくり正念場と言っているわけで、少なくとも2029年の「神界紀元」を含む2030年までは大変そうです。
「日の出の巻・第二帖」にあるように、「五」は「子年(2032年)」なのだから、少なくとも2032年までは「10合目」にいるはずです。 

山は登頂したら降りなくてはなりません。
そこから戊辰戦争ばりの「戦後処理」なり「新体制」なりが始まるので、2030年代はかなり手探りの時代になると思われます。
ただ、「富士山登頂」という名誉は変わらないので、裾野の実家に帰ってまったり暮らす、それが「神世」であり「ミロクの世」なのかもしれません。

だからしばらく、2010年代までの感覚での「平和な時代」の雰囲気を味わうのは難しいかもしれません。
とは言え、すでに「出口」は見えている状態ですし、先に国家のカルマを完済しつつある日本の状態は、経済的に見ても現時点でさほど悪くはないですし、外国ほど悲惨なことにはならないと思います。

というのが「日月神示」から読み解いた私なりの「予言」ですが、これまでの神示解釈ではカタストロフ的予言が多かっただけに、「いつ良い世の中になるのか」という真逆の予言をしたのは私だけかもしれません。
いや、わかりません。私はそもそも「神示」界隈のことは全く存じ上げないので、三番煎じくらいかもしれませんし、それに関して強弁するつもりはないです。

とは言え、今私たちが置かれている理不尽な状況というのは、なぜか「アメリカのロビイストグループの献金額の多い業界に比例した問題が起きている」という、不思議な現象があります。
私は彼らがぶっ飛んでくれるだけで、世界はかなりマシになると勝手に思っています。

それでは、アメリカのロビイストグループの献金額ランキング(2022年版)をご紹介します。

  1. 医療・ヘルス業界…7.25億ドル
  2. 金融業界…6.09億ドル
  3. 各種事業(銃器、飲料など)…5.59億ドル
  4. IT業界…5.42億ドル
  5. エネルギー業界…3.59億ドル
  6. 交通・運輸…2.84億ドル
  7. 農事ビジネス…1.66億ドル
  8. 軍需業界…1.24億ドル
(オシント系WEBサイト「Open Secrets」より)

「献金」というのは、ロビイストが政治家に対するキックバックに掛かる費用全般を指すので、1の製薬で言うなら900億円近い資金が政治家に流れているわけです。
私は「コロナ株」をアメリカがバラ撒いたという「陰謀論」までは持ち合わせていませんが、それだけ製薬業界の後押しがあるならワクチン需要を無理矢理作り出すようなことはするかもしれない、とは思います。

これらの1位には医療団体だけでなく「ファイザー」や「モデルナ」を始めとして「ジョンソン&ジョンソン」などの医薬品製造企業が軒を連ねています。
そことビル&メリンダ・ゲイツ財団を挟んでWHOや「世界経済フォーラム」というグローバリストのフロントに繋がっているわけです。

「疑うな、陰謀論だぞ」と言われるのも承知ですが、この利権構造だけは言い逃れできないでしょう。
「原因」まで作ったとは言いませんが、「結果」を受け取ったのは事実であり、「因果関係」を疑われるのは仕方ないのではないか、という印象です。

では2位以下も見てみましょう。
第2位の「金融業界」に関しては、言わずもがなです。
アメリカでは「ロスチャイルド」や「ロックフェラー」といった財閥が牛耳っているのは教科書にも書いてありますし、公然の事実です。
おそらくジョージ・ソロスの率いた財団は軍需業界を根城にするロスチャイルド系だと思われますが、どこかでウォーレン・バフェットや製薬ロビーと結びつきの強いビル・ゲイツの財団とは利害が一致しない状態が続いている気がします。

まあ、アメリカ政府の財政破綻が間近に見える今、「第二次ハイテクバブル」を人工的に膨らませてダメージを個人投資家に押しつける計画は共有していると思います。

さて、3位がこの中では一番気の毒です。
アメリカ政界は「賄賂」の額がそのまま政策実現に結びつくので、各種業界は振り落とされないように「小判入り饅頭」を贈らなければいけません。
アメリカの地方に実店舗を持つような商工業界や、赤字路線を切り盛りする鉄道業界は、なけなしのお金をかき集めて不利な政策立案が行われないように牽制する必要があります。

しかし、その数十の業界をかき集めても「製薬」と「金融」の献金額には届かないのです。
アメリカという国がどれだけ歪な国なのか、この一覧だけで見えてきます。

第4位の「IT業界」は言わずもがな、言い出したらキリがなさそうなので今回は控えますが、ビッグテックの寡占状態が「違法」にならないカラクリはここにあります。
逆に言えば、司法省と政治家を抱き込む金額を上納しなければ、やっていけないビジネスモデルということです。
よく誰も本気で批判しないものだと思います。

5位のエネルギー業界、7位のエネルギー業界に関しては、まとめて注釈をつけます。
思いついたように叫ばれ始めた「再生可能エネルギー」と「化石燃料悪玉論」と、「農業削減政策」は繋がっているからです。

まず、無尽蔵に湧いてくる「石油」や「天然ガス」の生産量をコントロールできなければ、エネルギー業界は薄利多売になり儲かりません。
だから「希少価値」を高めるためには「ワケあって」天然資源の精製施設における稼働を縮小させる必要があります。

ここでピンときた方は鋭いです。
つまりは天然資源エネルギーが「入手困難」な状態になれば、普通にすれば値段が下がっていくものを高値に抑えておくことができるわけです。
そのために「戦争」を起こしているとか、「地球温暖化」をでっち上げているとか、そこまでは言いません。

そこでエネルギーの価格が上がれば、モノの輸送費や製造に掛かるコストも上昇します。
これが現在でいう「エネルギー要因のインフレ」です。

それであらゆる製造品だけでなく、食品の値段まで上がるわけですが、ここで7位の「農事ビジネス」が関わってきます。
この業界には「肥料業者、飼料業者、種苗業者、穀物商社」が含まれています。
つまり、家畜や穀物、農産物の価格を「何らかの理由で」高めれば、それだけ上前をハネることができるわけです。

そう言えば、コメ不足のあまり備蓄米も出回らなくなりましたが、同時にカリフォルニアのお米がスーパーで見かけるようになりました。
これと関係があるのかはわかりません(すっとぼけ)

つまり、こういうことです。
その上、米国債の価値が下がり高金利状態になれば、米国政府の負債と含み損はどんどん膨れ上がってきます。
その財政へのダメージを軽減するには、「インフレ」を10年20年持続させて、相対的に赤字を圧縮し続ける必要があります。

だから今の「インフレ」は財政破綻寸前のアメリカにとっては命綱のようなものです。
その「命綱」に必死にしがみつく献金団体は、美味しいところはきちんと頂ける仕組みになっているという訳です。

要は、この数年に巻き起こった世界的混乱はアメリカのロビイストグループの背後にある、極めて独善的な献金団体と繋がっており、そこに各種業界の利権があるのであって「悪の政府・グローバル帝国(DS)の総帥」が全てを統率しているわけではないでしょう。

この説明だけで「グローバリズム」の本質がお分かり頂けると思います。
つまり、全て既得権益集団が利権の再強化のために巻き起こす金儲けの策略が、世界中の国々の政治に影響を及ぼしたというだけの話です。

だから私は基本的に、この界隈がやっていけなくなれば一気に世界は平常化すると踏んでいます。
日本なんてのはまだ深刻ではなく、出張ってる権威筋もわかりやすい方ですから、すぐに我が国は冷静さを取り戻すはずです。

ただここで、日月神示信奉者の私が「こいつらがぶっ潰れてくれたら良いだけじゃん」と断言して、他人の不幸を望むのは「悪」そのものです。
むしろ、その心こそ浄化するべきものです。

けれども「目の上のたんこぶ」というのは実に不愉快ですし、早く良くなってくれと思うわけです。
実のところ、「たんこぶが快癒する」ためには「たんこぶ君には消えて貰わなければならない」ので、そもそもたんこぶが出来なければ何てこともなく、お互いの利害がそこで発生しているわけです。

だから「目の上のたんこぶには消えて欲しい」というのも確かにエゴであり、善悪があろうとなかろうと、そこには「我」があります。
しかし「我」というのは神示にあるように、あってはならないし無くてもならないものです。
その辺の難しさは、なかなか人間に乗り越えられるものではありません。

ただ、そもそも「人間」の善悪とは自分を中心にしたものにならざるを得ず、「真の善悪」は神のみぞ知ることです。
それなら神々には列記とした「善悪」の基準があるはずであり、それに比べると人間の善悪は偏っていたり、フラついたものに見えるでしょう。

結局のところ、人間の善悪で「秩序ある理想社会」を作ろうとした結果、このザマなわけです。
ならば、もはや全ての「善悪」は一旦捨てて、神様たちがどうなさるのかを眺めてもいいのかもしれません。

「悪」を憎み、悪の消滅を願うから「善」の中に「悪」が生まれます。
いずれ間違った考えに陥って暴れるくらいなら、いっそ自分が救われるためだけに神に祈るべきなのかもしれません。

「悪を憎んではならない」という理屈は簡単ですが、その理屈を受け入れるのが一番難しいのです。
また「神様を信じればいい」という理屈も受け入れがたいでしょうが、そもそも理屈を持っていては神様を信じることはできません。

人間が、誰かに手を下そうとするから争いが起こります。
それならば、潔く「神様」にお願いすれば、本当の意味で「善き世」にして下さるのではないでしょうか。

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日本の「これから」

楽太郎です。

昨今のニュースを俯瞰して思うのは、私が以前「グローバリストの分裂」という記事の中で、「アメリカは第二ハイテクバブルを引き伸ばして延命するつもりではないか?」と書きました。
これに関して、実際にそうなりつつあるニュースが続いています。

先日、「オラクル」が社債を180億ドル(2兆6800億円)発行し、AI事業の需給に備える投資を行うと発表されました。
また、実績がそもそも疑わしい「コアウィーヴ」が、OpenAIとの契約を224億ドルに拡張するそうです。
さらに業績低迷が続くIntelには先日、NVIDIAの新型半導体の共同開発の話とAppleへの出資要請、ソフトバンクグループからの巨額投資と、立て続けに動きを見せています。

これら「AIブーム」の胡散臭いところは、世に喧伝される「投資」「契約」の規模は超大型なのですが、「収益」「営業利益」に関する景気のいい話は一切出てこないということです。
つまり、ジャブジャブに資金を投入して、「それほど盛り上がっているように見せる」ことで投資を呼び込み、裏では自社株買いなどで株価操縦を行い、株式好調を装いバブルを肥大化させているのです。
「張子の虎」とは言いますが、それで通用してしまう世の中も、カスカスのハリボテになっているということではないでしょうか。

「オラクル」という会社は、プログラミング言語の「Java」の開発企業として有名ですが、実はSQLデータベース環境の保守やセキュリティに関するシェアでは、Microsoft共同のSAPと対をなす寡占企業です。
だから一般的には、IT系のシステムエンジニアしかいまいち企業価値がわからない会社なのですが、なぜかその企業が「AI事業」に本格参入するために多額の出資を募っています。

オラクルは長年Microsoftと競合してきた会社であり、どちらかというとMicrosoft亡き後のシェアを狙っているようにも見えます。
ただ、オラクル自体は一般的にサービスを表立って知られている会社ではないため、どうやって個人投資家を釣るつもりなのか、そこはまだ判然としません。

おそらく、中国から事業譲渡された「TikTok」の運営をオラクルが担うことになり、さらにSNSの寡占を強めることでアメリカ政府はハイテク業界のさらなる強化を目論んでいるのでしょう。
というか、アメリカ大統領が中国共産党トップに「アプリを売ってくれないか」と話に行く世界線は世も末という気もしますし、どれだけアメリカ株式市場が「IT独占状態」に依存しているかが判然とするニュースです。

もはや、「アメリカ経済はITにしかインセンティブがない」と白状しているようなものではないでしょうか。
いずれにしろ、統計局局長を大統領直々にクビにする状況で出される経済データにどれほど信憑性があるかわからず、「ある条件を除くことで」数字を良くするトリックなどはいくらでも思いつくでしょう。
だから、実態経済と公式統計は今後ますます乖離していくと思います。

先のIntelには「国有化」の話さえ出ており、一般大衆には馴染みのないオラクルの台頭、なぜかアメリカ企業のケツ持ちに回るソフトバンクと、どうもマグニフィセント7の欠員を埋める交代要員が出てきた、という見方はあながち間違いではなさそうです。

この顔触れを見ても、もはやAIで何がしたいのかわからない企業が、何ができるかわからないAI事業に、意味のわからない規模の莫大な投資をする、という不可解な様相を呈しています。
ソフトバンクグループの孫正義会長は、ずっとMicrosoftのビル・ゲイツのケツを追っかけてきた人ですから、今にやらかしそうなMicrosoftの尻拭いをさせられているのは見て取れます。

WEFとしてのゲイツ氏は、おそらくグローバリスト界隈から村八分にされかけていて、彼の子飼いである孫正義氏は、そのフォローのために収益見込みのない「AI投資」という名目でグループが傾きかねない規模の投資を促され、リカバーのつもりで散財させられているのではないかと思います。
ソフトバンクは傘下のYahoo!をアメリカに売り払った時点で、米国ハイテク連合の仲間入りをしたことになっているのでしょう。

私がITベンチャーに勤めていた頃から、IT業界は大富豪をカリスマとする「シリコンバレー」を母体として新興宗教に近い雰囲気があると思っていましたが、わりかし間違いないかもしれません。
孫正義氏に「仁義」があるとしたら、まるで任侠の世界だと思いますが、ソフトバンクが吹き飛んだら楽天グループの三木谷社長が一体どういう顔をするのか、私は個人的に気になります。

ちなみに、AppleはIntelへの出資に乗るかというと、乗らないと思います。
Appleが自社の投資判断を下げてでもAI投資を拒否し続けたのは、今回のハイテクバブル後の状況が大方予想できているからだと思います。

Intelが国有化されても、資金規模で新技術の開発が進むという保証はどこにもなく、アメリカの軍事企業のように中抜きと企業努力を無視した水増しの受注で、さらに「使い物にならなくなる」のは目に見えています。
そんな藪蛇に大金を払わされるのは、時価総額だけが膨らみ、業績が低迷しているAppleには重い足枷になるはずです。

Appleはもはや自社だけが大災害を乗り切る防災に頭がいっぱいで、だからこそ新製品の開発もお座なりのまま、機種を「薄くする」だけでお茶を濁し、投資家の溜飲を下げてもらう腹積りなのでしょう。
ただ、私はやはり何だかんだで最後まで生き残るのはAppleだけだと思っています。

AmazonとGoogleに関しては、事業規模よりも「軍事技術」としての個人データと地理データの有用性が評価され、以後は「裏」の需要で支えられていきそうな気もします。
しかし、その国家安全的リスクがきちんと認識され始めれば、一般国民に忌避感が生まれ「データ更新」に支障が出るにつれ、「軍事技術」としては使えなくなるかもしれません。

だから「寄らば大樹の陰」と、猫も杓子も米国寡占企業のサービスに依存する世の中は、考えものではないかと私は思います。

さて、今回は「日本のこれから」について考えたいと思います。

上述の通り、アメリカ経済はあまりに窮してなり振り構わなくなっており、国債価格の下落とドル安基調で「ハイテクバブル」を炊き、投資を呼び込まなくては国家財政を埋め合わせることができないレベルに来ています。

昨今の日本の「物価高」とそれに伴う不況は、アメリカ経済に引き摺られて発生しているものです。
なぜなら、日本がここ30年空念仏のように唱え続けてきた「円安経」によって、輸出系企業だけが潤い国民経済全体が沈む、という環境が保守されてきたからです。

「円」の適正価格としては1ドル70円ほどではないかと言われているため、どれほどこの円安傾向が異常かわかります。
この円安は、日銀が「円が高くなりそう」という時には必ず円売り介入をしてきた結果であり、政治的に、意図的にもたらされているものです。

後でまた解説しますが、日本が円安であることによって円を元手にしてドルを借りる、いわゆる「円キャリートレード」によって米国株や国債が買われます。
投資家が安い円を通してドルを借り、国債などの金融商品を買うことで、レートの差額分を儲けることができるからです。
円安に相対してドル高になることにより、外国投資に収支を依存するアメリカ政府は莫大な赤字を出しながらも何とかやってこれたのです。

しかし「円キャリー」の仕組みが壊れると、経済のギアが一つ動かなくなります。
すでに米国債安に伴う高利回りの状況で、赤字が拡大している中、米ドルが下落基調にあり相対して「円高」になりつつあります。

「円高」になれば対ドルレートが上がるので、円で買える外国の品物やサービスは相対的に安くなります。
そうすればエネルギー供給不足から始まるインフレに関係なく、日銀の金利引き上げを問わず国民消費は復活し、物価高不況は収まるでしょう。

ただ、そうなると「困る」人たちがいるから、日銀は玉虫色の対応をしながら優柔不断な顔をしているフリをしているのです。
実際のところ、日銀は「日本を良くする方針」を出すことができません。
何故なら、日本が復活するということはアメリカ経済ならず「西側諸国の経済全体が沈む」からです。

昨年2024年の8月、「AIバブル崩壊か」と言われるほどの米国株大暴落が起きました。
この時、引き金となったのは「円キャリー取引」の巻き戻しによるものでした。
あるきっかけで急激な米国債安になった日、投資家たちは損失を抑えるために円を買い戻し、その動きがドル安に繋がり拡大して株式にまで影響したのです。

円高になれば、対ドルで国債を購入している投資家は国債安とドル安が合わさり、二重の損失を被ることになります。
つまり、「円高=米国経済崩壊」なのです。
だからアメリカ経済を保守するために日本の円安は不可欠な条件であり、むしろ日本が「復活」すればアメリカに連れ立って西側諸国も、アメリカの子飼いの中国も沈んでしまいます。
そんな「裏切り」を、アメリカの下僕であり西側陣営の一員たる日本ができるはずがありません。

アメリカの「核の傘」で守られており、自分では「名誉白人」と思い込んでいる日本という国が、国民を犠牲にしてでも西側追従をするのは、立場として仕方ないような気もします。
かと言って、国民全体に「日本独立」のような機運はさらさらなく、どちらかというとiPhoneで YouTubeを見るような生活が続いて欲しいでしょう。

これに関して、私は「どうするべき」という意見は持っていません。
日本人の一人一人が自分たちで国のあり方を考え、決めていくべきでしょうし、私がどうこうしようと思って何とかなることでもありません。

ただ現在、米国経済の悪化に反比例して日本の株価は堅調に伸びており、この好調さはアメリカにとって今後は脅威となるでしょう。
ゆえに、日本が「円安不況」で沈んでいる間は、アメリカはバブルを噴かして好調ぶりをアピールしていられるのです。
だから政府日銀は、アメリカを助けるために円安にしなければならず、どうせなら株高基調も抑え込みたいはずです。

そうしてマゴマゴしているうちに、どんどん物価高は進み、日本の不況は進行していくと思います。
そんな、政治も社会的主導権も奪われた国民にできることは、アメリカ経済がぶっ潰れるまで楽しく耐えきることだと思います。

逆に言うと、アメリカ経済が沈む時は日本が浮上する時です。
よく考えてみれば、この30年日銀が徹底した円安と金融緩和によって、企業の内部留保は増えてゾンビ企業が減り、度重なる増税で国家財政はむしろ黒字になりました。

逆に考えるとバブル崩壊後の日本は、財政健全化の等価交換で国民が貧しくなったということです。
とは言え、まだまだ日本人はポッと出のVtuberに投げ銭できるくらいには裕福なのです。
賃金は上がらず、物価高とは言え一つの商品が100円から300円上がった程度で、日常生活としてはおかずが減ったくらいのダメージで一応は済んでいます。

アメリカでは、卵1パックが6ドル(800円)程度ですし、ロシアでは卵を買うために行列ができるそうです。
他国と比べてもという感じですが、事実として日本経済にはまだまだ体力はあり、しかも財政的にはどんどん良くなっているのです。

これはむしろ、世界経済崩壊を見越して30年準備をして、日本の復活を待っていたように見えないでしょうか?

当然、そんなセコい財政再建のために若者が非正規雇用に流れざるを得ず、家庭を持てない中年が増えたことで、少子高齢化と経済衰退に拍車が掛かったのは言うまでもありません。
それでも、日本が円高になり輸入品の価格が下がるだけで国民の生活はグンと楽になるくらいには、まだ経済的に大した問題のない社会なのです。

そして、この不況下でも上昇基調にある日本経済の底力は相当なもので、日本経済の堅調が世界に知らしめられれば、アメリカやEUに流れる諸外国の投資が日本に流れることも容易に想像できます。

もし、「ハイテクバブル」を噴かしてS&P500を連日最高値にすることで、アメリカ経済が成長軌道に乗り財政も健全化していくなら、2020年にはもう始まっているので、既に何らかの結果は出ているはずです。
それにも関わらず、統計を正直に出せば大統領が怒り出すような世の中ということは、「バブル」に経済の浮揚効果など皆無であることを証明しているのではないでしょうか。

今、トランプ関税のダメージを企業が吸収しているので、消費者に及ぶ範囲は限られています。
しかし、いつまで金融機関の融資に頼れない中小企業が耐えきれるかはわかりません。
そして、おそらくアメリカ経済崩壊は時間の問題であり、あと1年は確実に持たないでしょう。

エコノミストの増田悦佐さんの仰るように、来年2月あたりが関の山でしょうが、私はもっと早いのではないかと思います。
しかもトランプ大統領の横暴が、想像を遥かに超える不確実性をもたらしているのもあります。

私は経済評論家でもありませんし、単なるスピリチュアリストもどきの絵描きにすぎません。
ここでスピッたこと全開で言うなら、日本の「失われた30年」は、日本という国家の「負のカルマ」の返済期間だったのではないか、と思います。

我が国が90年代初期の不動産バブル崩壊後、「豊かさ」を追い求めながら豊かになれなかったのは、むしろ「豊かさだけを追い求めた」高度経済成長からバブルに至るまでの、拝金主義旺盛な日本人に対するカルマのような気がします。

日本の宗教的・政治的問題の中心にあった在日系の組織も、かつて日本が朝鮮半島に行った対外的侵略のカルマと考えたら、妙に納得してしまう部分もあります。
中国共産党の影響が強い今も、かつて我が国が中国大陸でしてきたことを考えれば、文化的に政治的に、そう言う目に遭うのも決して一方的とは思えないのです。

今、外国人の就労には国から補助金が出ており、一人当たり80万円が降りるそうです。
主に東南アジアの人々が多く、彼らも日本で安い賃金で働かざるを得ず生活も大変でしょうが、彼らの出身国は大日本帝国占領下の国々とほぼ一致します。

そして円安でインバウンドが流行り、外国人が国内旅行をすると「日本の良さ」に気づくでしょう。
それは日本が、世界に土下座外交をする以上の好感度を海外に与えていることになるはずです。
それは「善のカルマ」の蓄積であり、いわゆる「」というものです。

日本がこの30年をかけ、おそらく2000年に及ぶ国家的カルマを返済してきたのは、来るべき時代に備えるためだったのかもしれません。
その返済の痛みに耐えながら、それでも日本人はまだ前向きに進みつつ、発展の余地も残しながら着々と未来を築いています。

それに対して、アメリカという国はどうでしょうか。
戦前どころか新大陸に移住し、白人が先住民を殲滅し、外国を侵略しては奴隷として使役し、彼らの犠牲の上に繁栄を築いてきた建国後250年、未だに何一つ変わっていません。
そこにカルマという借金があるとしたら、彼らはまだ一銭も払っていないのです。

もし彼らが「カルマ」を返済するとしたら、どれくらいの期間で、どれほどの規模になるのでしょうか。
簡単には想像しにくいレベルです。

日本が「普通」のあるべき形に戻るだけで、アメリカが依存する「円安」と「株高」というトリックは簡単に解けてしまいます。
それくらい今は脆弱になっているのが、「戦争」を輸出し「侵略」を国是としてきたアメリカという「世界帝国」のなりの果てなのです。

私には、どう考えても崩壊は時間の問題しか思えず、日本人が耐えているだけで自ずと「勝ち残ってしまう」仕組みになっているのではないでしょうか。

仮にアメリカが沈み世界が溺れる中で、日本だけが平気な顔をしていて、それほど世界各国から反感を買うことがあるでしょうか。
プロパガンダで「反日教育」を施されているとか、そういうのは抜きにしてもです。
むしろ日本がアメリカに踏みつけられてきたのは世界が知る事実であり、日本はコツコツと海外に対する慈善事業も行ってきました。

世界経済が沈み混沌とする中で、日本だけが「経済的にマシ」に見える状況も重なり、どんどん諸外国からの信用度が高まっていくのは明白ではないでしょうか。
だから私は、日本の未来に対して悲観をしていません。

しかし、外国人労働者に回してもらっているような、これまでの経済規模は維持することはいずれ不可能になるでしょう。
経済の枠組み自体が改まる必要性は変わらず、その後に持続可能な社会システムをどう再構築していくかが、むしろ鍵になってくると思います。

おそらく、次の時代のテーマは「分散」になるのではないでしょうか。
これまで、「帝国」や「大企業」のような「集中」がトレンドだった世界は、巨大化しすぎた権力とシステムにより、自壊しつつあります。
その前時代への反省として、これからの「風の時代」に相応しく、分散型で低リスク、小規模の多様性社会へ向かっていくのだろうと思います。

そう考えたら、今の行き詰まりを見せる文明は逆の方向を向いているように見えます。
しかし、その時代を見据えて動いてきたのが「日本」だとすると、出口は一つしかありません。


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「乙女座の男」

楽太郎です。


20日頃から続く日食新月のエネルギーを受けて、久しぶりの強烈なアセンション反応でダウンしていました。

日食というのは、地球と月と太陽が一直線に並び、太陽に月が被ることで地球から見て太陽が暗くなる現象です。
スピリチュアル的には普段の新月よりも強力な「リセット」が働くとされ、人心のみならず社会情勢にも影響が起こることが多いそうです。

この日食新月が、私の誕生月である「乙女座」で起きています。
同時に金星も乙女座に入っているので、占星術的に見て乙女座、天秤座と月に強いテンションがかかっています。

そして明日、秋分を迎えます。
私は以前から今回の秋分点が節目になるという話をしていますが、マクロな意味だけではなく私自身にその変化は重要な影響をもたらすと思います。

この数日に私が感じ取っていた新月のエネルギーは、「統合」を意味していました。
自己浄化を日々進める中で、私自身の過去と現在のギャップの違和感をどうも埋められず、過去の自分との連続性をどう捉えたらいいのかわかりませんでした。

私は色々なことに手を出してやってきたのですが、その支離滅裂さもありながら、行いの悪さやあまりに浮き沈みの激しい過去を振り返り、この凹凸だらけの人生を消化しきれない私がいたのです。

自分の内面を浄化していく中で、昔の自然体の自分を取り戻し、ようやく楽になってきた感じはあります。
しかし、過去の自分と感覚を取り戻すにつれ、記憶に付随する世界と現在の世界との繋がりにギャップを感じたりもしました。

昔の日本は、ヤンチャな若者が多かったですし、社会全体もまだ活気があり、今よりもっと雑然としていました。
世の中が「青春」している感じがあって、まだ様々なことに夢がある時代だったのです。

人々はまだ浮かれ気分で、しょうもないことに情熱を燃やして失敗しては、笑い話にできるような世の中でした。
どこへ行っても人でごった返し、チャラチャラした若者がナンパ待ちをしていたあの街はどこへ行ってしまったのか、私は未だ腑に落ちないのです。

あの頃、天にツバを吐くほど威勢の良かった友人は今どんな顔をして暮らしているのか、見当もつきません。
けれど、あの頃の人々も街並みがもうないことだけは事実で、私はそれをどう納得すれば良いのか、ずっと考えていました。

自分の人生以上に「連続性」を感じにくくなってしまった、日本という国。
その社会に生きてきた、今生きている自分にとって、「時代」に繋がりを感じないことへの違和感を、どう消化したらいいのかわからなかったのです。

そして、何となく時代の雰囲気にノって「やらかし」てしまった私の過去も、どこまで「時代のせい」にできるかも曖昧なままです。
けれど、私の近年の運勢や、誕生月に太陽と月と地球が並び、「秋分」という転換点を迎えることの意味と照らし合わせた時、そこまで「原因」にこだわる必要もないことに気づいたのです。

少し前に、ある夢を見ました。
私は生まれて間もない頃、バラック小屋が並ぶような地方の街に住んでいたのですが、その裏手には大きな刑務所がありました。
その街並みも、当時一歳くらいだったはずなのに今でも思い出せてしまうのですが、そっくりの街にいる夢を見たのです。

バラック小屋の間を歩くと、私の住んでいた家の真裏に山があって、そこを見上げると大きな「神社」がありました。
私はそこに登ると、タイルとガラス張りで綺麗に整備された神社があって、そのフロアから街並みを見下ろすことができました。

私は目を覚まして、私が生まれた頃から「神様」は私をご覧になられていたのだと思いました。
というより、生まれる前から両親を見守り、私が生まれてから今に至るまで、ずっと神様は私を見守っていて下さったのだ、と気づいたのです。

なぜ、神様が「見守り」はしても、私が生死を彷徨うようなことが何度も起きる前に「助けて」下さらなかったのかと、皮肉めいたことも考えました。
普通に考えて、いくら神仏をお祀りしても病気にはなるし不幸は起こるし、事故にも災害にも巻き込まれてしまいます。
いくら信仰しても「良いこと」だけが起こるとは限らないのも事実です。

しかし、私たちが「不幸」な目に遭うことも神様のご意志だとしたら、というより「邪」や「魔」という存在に不幸な目に遭わされることを、神様が「お許し」になられているとしたら、それはどういう意味になるでしょうか。

よく、「良い人ほど早く亡くなる」と言います。
私が運転免許更新時に見た講習の動画で、とても心根の優しい子が交通事故で早逝されたことが語られていました。
「もし神仏を強く崇拝していたら、こういう事故は免れたに違いない」とは言いきれないでしょう。

もし、人生における全てのあらすじは予め決まっており、それを「運命」と呼ぶのだとしたら、人間はどう生きてもどういう選択をしても、起こりうることは一つしかないということになります。

しかし、私たちは常に一瞬一瞬、気をつけながら道を踏み外さないように慎重に生きていますし、その都度未来を選択して切り拓いているつもりでいます。
例え最善と思う道を辿っても、避けられない出来事というのは向こうからやって来ます。
これは、どう考えたら良いのでしょうか。

おそらく、「どういう選択をしても、結果的に最善の道を選択してしまう」というのが真実なのではないでしょうか。
私たちが常に善意を持って行動するのも、悪意マシマシで過ちを犯そうとする時も、おそらく「運命」という切り口から見れば、どの行動を取っても「最善」になるのかもしれません。

人間がこの世界に、「学び」や「修行」として生まれ落ちるとしたら、それぞれの魂に学ぶべき「カリキュラム」が存在するはずです。
人間は経験を通して学ぶものですから、間違いや失敗があるから自らを顧みて、また違うやり方を覚えて成長していきます。

この輪廻転生を「魂の学校」と呼ぶなら、「カリキュラム」は選択単位制で、タイムテーブルも自由なら「授業」の中身も前後します。
しかし全体を通して学ぶ内容は決まっており、今世で学びきれない分は、次の生まれ変わりに持ち越されるのかもしれません。

いくら「学び」と言えど、人間から見れば「失敗」や「挫折」などない方が良いのです。
そして、自分の犯した過ちを後悔して、アレコレと悩みがちです。
しかし大事なのは、その過ちを省みて学びに変え、自分の成長に活かしていくことです。

人間はこの世界のことしか目に見えないしわからないので、平面的に「成功」とか「失敗」という見方で自分の行動を振り返ります。
しかし神様の視点から、あるいは一つ高い次元から見れば、その平面で起こった出来事には別のあらすじを見出せるはずです。
人間は近目なので手元にあることで判断しがちですが、立体的に見れば底辺をなぞっているだけに過ぎないのかもしれません。

それこそ過去からのカルマや、「カリキュラム」の内容次第では、むしろ「痛い目を見る」ことの方が重要だったりするでしょう。
その意味は、地上で平面的に生きている人間には結局のところ知り得ません。
人間がその出来事を通して、どんな学びをし、どんな学びを残すかということだけです。

私たちが「最善」と思ってやる生き方の中に不幸が忍んでいる理由は、そこにあるのではないでしょうか。
人間にとって経験する出来事は「良い」か「悪い」かしかありませんが、一つ高い次元から見れば「学び」のプロセスであり、それは人間の価値判断で捉えきることは不可能なはずです。

私は常々「神様とは、人間ではないから神様である」と言っています。
そして、人間の「善悪」と神様の「善悪」も違うのです。

私たちが直感的にイヤな目に遭うと、神様を逆恨みしたりもするのですが、神様からすれば「成長の機会」を与える恩恵の意味を、人間が履き違えやすいだけなのだと思います。

だから、あらゆる選択は運命から見て「最善」であり、「最善」以外は存在し得ないのではないでしょうか。
しかし実際、霊的な目線で言えば今年の春分点のように、人生のタイムラインが切り替わるターニングポイントがあることも否定できません。

私が思うに、人生において大まかな専攻のテーマと「カリキュラム」は予め決まっていて、それを学ぶ仕組みにはなっていますが、進むコース自体は自分で選ぶことになっているのだと思います。
だから、「わざと道を外れる」というのもコースの一つであって、それは数ある最善の道から自分が選ぶ、自分が進もうと思う道なのではないでしょうか。

そう考えると、「人生における失敗」の定義は変わってきます。
私たちは「あの時こうしていれば」と悔やみがちですが、実はあの時、自分が無意識に「失敗しよう」と思ってやっていたなど考えもつきません。
けれど、その失敗が起こらなければ「学び」が発動しなかったとしたら、自ら失敗を引き起こす理由になりうるのです。

私はそう考えた時、いつまでも自分の半生にクヨクヨしていてもしょうがないな、と思いました。
私が自分自身で望んで犯した失敗なら、失敗した経験は「失敗の成功」なのです。
もし私の真後ろで、それを神様が糸を引いていたのだとしたら、全ての言動には「裏があった」ということです。

生まれる前から神様が見守っておられた私の人生は、誕生月の秋分を持っておそらくリセットされます。
その天体の流れは数億年前から決まっていたことで、私はその奇跡のようなタイミングで転機が訪れていることになります。

これはもう、神様に「降参」するしかありません。
自分の勝手な考えで神様をいくら否定しようと、それすら神の手の中にあったということなのですから。

私は、これまで自分の意志で色々やってきたように思ってますが、神様にやらされていたと考えれば、妙に辻褄が合う部分もあるのです。
このアセンションの時期に私がスピリチュアルに目覚めたこと、時代が切り替わる時期に私が起こしている行動、それらはどこにも「エゴ」を差し挟む余地がありません。

つまり、今の時代にこうしている私は、丸ごと神のご計画だったということです。

そうなったら、後は覚悟を決めるだけです。
いくらジタバタしても、ジタバタすること自体が神様の手のひらの内なのですから、いっそのことジタバタしない方が疲れません。

「そうさ 私は乙女座の男
お気の済むまで 笑うがいいさ

貴女は遊びのつもりでも
天国の果てまで ついていく」



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「金の時代」の終焉

楽太郎です。


9月23日の「秋分」が一つの切り替わりであるとお話しましたが、むしろ22日新月に係るエネルギーの凄さに驚いています。
私の生まれ月の関係かもしれませんが、星座的には昨日から月が乙女座に留まり、21日、22日にかけて「日食」が起こるそうです。
そのエネルギーを受けているからかもしれません。

これまで、自分の内面に潜む「闇」と向き合い、その葛藤と癒しを繰り返す中で、本来の自分を少しずつ取り戻してきました。
人間社会というのは、拘らなくても良いことに重きを置き、比べなくて良いことで優劣を決めようとします。

人は、その軋轢の中で落とし所を見つけ、自分なりの幸せを手にしていくものですが、その「軋轢」を産むこの世の「歪み」だけは、見逃されがちです。
その歪みが作り出した虚偽の自分、「悪の自分」と向き合い、反省する時間が「自己浄化」を意味します。

それはとても苦い記憶との戦いでもあります。
「悪の自分」との戦いが、この新月で一つのテーブルを挟んで向き合い、調停による妥協点を見出していく、そんな感じもします。
そして、新月で一旦リセットされた関係は、翌日の秋分点で「五分五分」になり、新たな関係が始まっていくのかもしれません。

先日の記事で「秋分を境に光のエネルギーが強くなる」と書きましたが、世の流れが具体的に変わるのはここからだと思います。
これまで、「闇の力」が幅を利かせてきた時代だったからこそ、「世に混沌をもたらすことで利得をえる勢力」のロジックが世界を支配してきたのです。

そして最近まで、その勢力が拡大を続け、あたかも世界の終わりまで彼らの時代が続くような雰囲気すらありました。
けれども、その世界線はこの節気を境に今後切り替わっていくでしょう。

単刀直入に言ってしまうと、その勢力は「金融」を司っています。
取引を公平化するだけの手段に過ぎない「お金」が、あらゆる目的や欲望を実現しうる機能を持った時、その仕組みを使って力を握る者が現れます。
彼ら「富める者」に憧れを抱き、またそのおこぼれに預かるべく、人々は労働したり従属します。

まず、簡単に「金融」とはどういう仕組みか説明します。

「お金」というものは、公的機関が発行するから共通の価値を持つものですが、何か「モノが欲しい」と思うお金がない人にお金を貸し、貸した期間の分だけお礼を返してもらう仕組みが「利息」です。

元々、お金を多く持っているから貸すことができるのであって、お金を貸すことで「利息」がどんどん増えていく商売は、借金をする人が増えて貸付が多くなればなるほど、儲かる仕組みです。
だから金融業というのは、元々富める者が自動的に富んでいく性質があるのです。

しかし、お金は持っているだけでは増えないので、さらに儲けるには「これから事業をやる」という人の成功に賭けてお金を貸し、その利益にあやかる方法もあります。これが「投資」です。
しかし、投資というのは成功するかはわからないので、たまに失敗して損失を出すこともあります。

だから、投資する側としては事業者が損失を出さないことを祈るしかないのですが、どうせなら手を回して事業の成功確率を上げてやれば回収率も高くなるはずです。
どうすれば事業の成功率が上がるかと言えば、社会の雰囲気を醸成して投資先の事業が成功しやすい環境にすれば良いのです。

政治やマスコミを使い、「経済」の流行り廃りのトレンドを作り出し、時代に合わせて最も儲かりそうなプランに市場を誘導していけば、資金が有り余るお金持ちはますます潤います。
誰もお金を使う「消費者」の意志まで操作できませんが、お金の力を使えば「消費するように仕向ける」ことは可能です。

そこで、TVや新聞、ネットで「これが流行る」と言えば、何となくそれを信じてお金を使ってくれる人が増えていきます。
「その商売は怪しい」と思われると上手く回らないので、なるべく消費者には頭を使わずにお金を使ってくれるに越したことはありません。
だったら、国民全員が宣伝を信じて疑わず、疑う脳みそを持たないように訓練すれば良いのです。

マスコミを通して「売りたい」モノを、従順に「買い求める」国民が増えるように。

これが、私たちがどの国にいても巻き込まれている「お金」を巡る経済、供給と需要による市場の仕組みです。
ただ、新しく便利なサービスが登場し、それが広く知られることで消費者にメリットがあった時期が長かったからこそ、人々は「コマーシャリズム」をすんなり受け入れてきました。

しかし、手元にモノやサービスが行き届き、いくらCMを打っても人々が靡かない世になれば、番組の間に大量に流れ、ネットに出てチラチラ視界の邪魔をする「広告」は、むしろ見たくないものになりつつあります。

人々が従来の製品を購入しなくなれば、企業も先細り、金融機関は投資や融資からの収益が減ります。
そうすると、企業も金融機関もこれまでのやり方での「お金儲け」ができなくなってしまいます。

たくさんの人を使い、工場や大型装置を使う企業ほど資金が必要になる分、重工製造業の規模が巨大化するほど、融資をする側は資本の投下量に比例して収益を得ます。
しかし大規模な工業生産が縮小すれば、投融資が目減りし、お金を供給する側は儲からなくなってきます。

「消費者」たる一般国民は、経済が成熟すると手元にあるモノで過不足なく暮らせるのですから、どうせ使うなら美味しいものを食べたり旅行したり、ゲームしたり人と遊んだり、サービスの方にお金を使いたくなるでしょう。

つまり製造業主体の経済は、「モノ」が人々の手元に余すところなく行き届けば、以降は個別のサービスに需要が向かうのが自然な流れです。
しかし、企業としては人々に「消費し続けてもらわなければ困る」のです。
株式会社は株主に好配当を出さなければいけませんし、従業員の支払いを保証し、社員を長期的に養っていかなくてはなりません。

企業体としては「常に右肩上がりでなければいけない」のですが、消費者は「購入意欲が右肩下がり」になっていき、むしろ低コストでニッチなものに需要が向かっていく性質があります。
このズレを企業は何とか埋め合わせるために、無理矢理「新商品」や「トレンド」を作り出す努力をしながら、斬新さで需要を喚起しようとします。
ただ、それも長年やってしまうと既視感が生まれ、結局は似たり寄ったりになってきて、生物学的な「収斂進化」のように商品として「最適化」された状態に辿り着いてしまうのです。

そうなると、本格的に企業としての将来的展望はあまり持てなくなってしまいます。
ただでさえ新興国の廉価で質の良い製品が出回り、新興勢力と競争しなければならないのにも関わらず、です。

資本主義経済をひた走り、「先進国」と言われた国ほど、この仕組み上避けられない「ドン詰まり」に陥るのは早いでしょう。
そこで「先進国」代表であり、衰退が始まったアメリカは考えました。

既成事実を先に作って、「消費せざるを得ない状況」にすれば、確実に儲かるのでは?

それが「政治を使って収益を上げる」という思考に直結します。
大企業がロビイストを雇い、政治家に賄賂を贈ることで有利になる仕組みを作り、あるいは「需要が喚起される特殊な状況」を作ってもらい、そのタイミングを見計らって準備を整えれば良いのです。

1946年に成立した「ロビイング規制法」は、国家が認定したロビイスト資格者を通してする賄賂ならば問題にならない、という法律です。
表向きは「規制」と言いつつ、規制されているロビイストは無制限に賄賂を扱えるので、事実上の「規制撤廃」になります。

戦後のアメリカ経済は、自動車産業、金融、医療、製薬、軍事、エネルギー、テクノロジーとロビイストが高額の献金をする業界が幅を利かせ、その巨大資本を利用して海外へも覇権を広げました。
アメリカ有数のガリバー企業はその賜物で、しかし政治的優遇策で収益を上げる方法では、いずれ企業努力や改善措置が疎かになり始めます。
サービスが際立って優秀でなくても、既存のシェアを保つために周りを沈めれば利益は確保できるからです。

そうした状況で安定を得られるものの、寡占企業に最適化された環境では経済全体が停滞します。
それにより貧富の差は拡大し、国民の大半が貧しくなるためGDPは下がり、それでも国家財政はバラ撒きをやめられず、赤字が累積していきます。

そして「いよいよこれではやっていけないかもしれない」と言う時に、本当に人の役に立つ、真の技術革新になるような開発を行なっているところはなかったりするのです。

「それなら、誇大宣伝でもいいから金をかき集めよう、投資額を跳ね上げれば"嘘から出た誠"でも、本当に技術革新になるかもしれない」

その思惑で始まったのが世界金融危機以降に始まったバブル、現在「第二次ハイテクバブル」と言われるものです。
半導体装置大手のNVIDIAが中心となり、現在世界の株取引の約半分はマグニフィセント7が担っています。

しかし、歴史上最高調の株高は、実態経済との乖離を浮き彫りにしています。
株式市場は、必ずしも実態経済の形を反映するものではないことに、今さらながら気づくのです。

「資本主義」というのは、まだ「モノ」を持っていない人を探し、その人に宣伝をしてモノを買ってもらうという仕組み上、最終的に新規購入者がいなくなるまで続きます。
逆に、「すでに持ってる人」に再購入を促すことで商売を継続していける性質がありますが、いずれ他の商品に代替されることを考えれば、次第に弱含みをしていくのは避けられません。

だからこそ、別の軸で「再購入」を促す仕組みも必要になります。
確実に再購入してもらうには、「麻薬」や「アルコール」のように、消費者を依存しすぎてやめられない体質に変えてしまうことです。
否が応でも「必需品」にしてしまえば、食料品や生活用品と同じ意識で課金してくれるでしょう。

あとは、「意図的に回転率を高めること」です。
例えば100年持つ丈夫な車があれば、大抵の人はその車一台を大事に乗り回し、何とか修理して使い続けるでしょう。
ただ、それだと産業全体が盛大にやっていけなくなるため、定期的にモデルチェンジをして、消費者に「買い替え」を促します。
それなら問題はありませんが、例えばメーカーが「わざと壊れやすく作る」など、不完全な商品を出したらどうでしょう。

当然、買い替えも加速するし、業界全体の回転率も上がります。
また修理に専属メーカーが携われば、アップデートや定期的なメンテナンスに係る特権的な利益を得ることもできるでしょう。
つまり「欠損しやすい」というのは、安定した「再購入」の需要を生み出すチャンスなのです。

表では「親切丁寧、出血大サービス」に見せかけて、裏側でどんな仕掛けが施されているかなど、一般消費者にはわかりません。
そこにいくら作為が忍んでいようと、人はイメージで商品を購入してもらうものです。

いつの世もアコギなやり方で儲けようとする人はいますが、資本主義が成熟しきると、市場規模は縮小するのに企業利益を減退させるわけにはいかないジレンマが自然発生し、それに抗うような小細工をせざるを得なくなるということです。

ゼロがプラスにならないのなら、一度マイナスにしてゼロにすれば、実質的にはプラスになります。
つまり「常に拡大を志向する」という資本主義経済の特性上、最終的には必要ない需要を作り出すために、わざと需要を喚起する事象を引き起こすことが、最大のビジネスチャンスになってくるのです。

私はこれが、近年「グローバリスト」がやろうとしてきたことではないかと思います。

最終的には、一切の企業努力も必要なくなり、人々が息をするように自社製品やサービスを購入してくれたら良いわけです。
そうなるための社会であれば良いわけですし、その仕組みに抗う勢力がいなければいないほど成功確率は上がり、安定性は増すでしょう。

これが「ビジネス」の範疇であれば、まだいいのです。
この価値観が「政治」の世界に持ち込まれると、ディストピアの入り口に差し掛かります。

自分たちの方針に従わない連中は、まともな生活ができないレベルに困窮して消えていけば、より賛同分子が絞られます。
消費者を徹底的に監視し、異端分子は発見したら社会的信用を取り除き、自身の利益を最大化するような者だけ引き上げれば、いずれ体制に従順な者しか残らなくなるでしょう。

この「エリート専制主義」をいち早く地上に実現したのが、北朝鮮や中国などの社会主義国です。
しかし統制が行き過ぎると、人々が生きる上で必要なモノや娯楽も不足が生じてきます。
それでは国民に不満が溜まり成り立たないため、北朝鮮は常に外貨を求め、中国は改革開放を打ち出し高度成長に向かいました。

ただ、アメリカのエリートはほぼ同じ思考を持ちながら、自分たちは完璧な「世界政府」による、統一された世界を支配することができると考えたのでしょう。
その準備段階として、現在の雑多な世界を淘汰し、人口を整理し、価値観や習俗を統一する「グローバリズム」を浸透させ、人々を従属させる必要があったのです。

その考えが政治的に推し進められることによって、どれほどの人が「幸福」になったのでしょうか。
それは強権的に押しつけられた、「エリートの、エリートによる、エリートのための政治」ではなかったでしょうか?

結局、資本主義・民主主義も共産主義・社会主義もエリート専制体制の下では全て「金主主義」になってしまい、富める者がより富を増やし、権力者が力なき者への支配を強める構造に変わりがありません。
この世界を動かす軸が「お金」である限り、お金の集まるところに力が集まり、お金のために人々を抑圧し、戦争を起こす人間も絶えることはないでしょう。

私たちは、いつまでこの仕組みにしがみつき、この仕組みを世界の全てだと信じ続けなければいけないのでしょうか。
ただ、仮に資本主義が終わりを迎えても、経済が崩壊しても「貨幣」というシステムがなくなるわけではありません。
「お金」に全ての目的を果たせるという幻想を抱き、その幻想のためにお金を求める時代が終わらなければ、人はずっとこのループから脱することができないのです。

この時代の変わり目の時、しっかり世界を見渡しながら、次の時代の経済はどうすれば良いのか、「お金」をどう再定義すれば良いか、そろそろ考えていかなければならない時なのだと思います。
これまでの「お金」の仕組みに限界を見るからこそ、「終わり」の先のことも考えなければいけません。

商品やサービスを対価で取引することができる「お金」は、必ずしも貨幣の形を取る必要もないかもしれません。
そのレベルから、新しい仕組みを考え直してもいいのではないでしょうか。


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「グローバリスト」の分裂

<p style="text-align: center">楽太郎です。</p>
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9月22日の新月、23日秋分の日を前に、既に新しいエネルギーを感じ取っていますが、それは秋のカラッとした心地よい空気を感じているだけではありません。

日本は現象的にはまだまだ沈むはずですが、それと反比例して陽気になる人が増えていくはずです。
エネルギーレベルで広がる「光」の気を受け取って、なぜかやってることと気分にズレを感じ始めるのではないでしょうか。

日本人は、「陽」の気を感じ取るのが得意な民族です。
国家祭祀の最高神が「天照大御神」なのだから当然ですが、長らく「お上」が頼りにならない日本政治史において、民衆は民衆で賢く楽しくやるやり方を心得ており、元々悲壮感に沈む国民性ではないのです。

だから、そろそろ<strong>「開き直る」人が続出する</strong>頃合いだと思います。
コロナ禍で社会全体が沈んでいた時に「アマビエ」ブームにあやかるような根アカさは、かつて大政奉還という大変革の時期に起きた「ええじゃないか運動」と根が繋がっています。

いくら民間で努力しても工夫しても、「お上」が伸び分を刈り取っていくのですから、下手に力んでもどうにもならないという風潮は広がっていくと思います。
ただ、「お上」がここまで国民に背を向けるのは、我が国の元栓を握っているエリート層が「既得権益」の維持が物理的にできなくなっているがゆえの強情でしょう。

少子高齢化と若年層をいじめ抜いた政策によって、既存の政権基盤が揺らいでいるのもありますが、経済形態として製造業主体の工業中心のトレンドは、低コスト消費型のサービス業がメインになりつつあるからです。
近年の日本政府による「中小企業いじめ」「個人事業主淘汰」の仕組作りは、経済のサービス主流化を押し留めておきたい意図の現れです。

「お上」にいる既得権益層からすれば、重工製造業の衰退は沽券に関わります。
日銀がほぼ国益にならない「円安政策」を30年以上推進してきたのも、輸出系企業が外国に製品を高値で売り、円安との差額分によって利益率を確保するやり方と繋がりがあります。
また、アメリカが「ドル高」を維持して、国債と株式から投資収益を得るギアとして円が使われてきたこととも密接に関わっています。

つまり、日本人が「働けど楽にならざる」状況は日本人が悪いわけではなく、結婚しない若者が悪い訳ではありません。
種から生えた植物が伸びないように伸びた分だけ刈り取り、刈り取った茎や実は転売して儲けていた人がいたというだけです。
経済の趨勢としては、製造業からサービス業に主体が切り替わるのは自然な流れでありながら、古い仕組みがそれを許さなかったのです。

ただ、これは今怒って敵を探して叩けばいい、というフェーズではなく、と言うより未だかつて我が国にそんな機会は一度もなかったでしょう。
大事なのは、日本の元栓を握るエリート層がズブズブの関係にあるアメリカという「利権大国」の終焉によって、地位が揺らぎ始めているという事実です。

今回は、その話がテーマになります。

私は今、世界を牛耳ってきた<strong>「グローバリスト」たちに分裂が起きているのではないか</strong>、と思っています。
ここからは完全に仮説と憶測の域を出ないのですが、どうも共和党のトランプ大統領が、ほぼ民主党一色だったアメリカのIT系富裕層を派閥争いに巻き込んでいるように見えるのです。

IT系富裕層と言えば、言わずもがなMicrosoft、Apple、Alphabet(Google)、Amazon、Meta、NVIDIA、テスラの7社のCEOを中心に構成されています。
Microsoftの会長はご存知ビル・ゲイツで、「世界経済フォーラム(WEF)」を事実上取り仕切る存在です。
彼の「ビル&amp;メリンダ・ゲイツ財団」は、傘下のWHOと組んでコロナワクチンの利権を最大限に押し広げましたが、現在ではワクチンの「薬害」の方が深刻であることが証明されつつあります。

ゲイツ財団はコロナ・パンデミック時にあらゆるマスコミに資金を投下し、世界中の諸国へパニックに近い扇動を行いました。
この件に関して、2023年に「どうもワクチン強制接種やロックダウンは失敗だったらしい」という共通認識が広がるにつれ、WEFやWHOへの批判が強まっています。

ウォール・ストリート・ジャーナルを皮切りに、Amazonのジェフ・ベゾスCEOが出資するワシントン・ポストが「コロナワクチン」に対する批判記事を掲載したのは、2023年初旬です。
この頃には既にゲイツ財団の影響力に翳りが見え始めており、WEFの次世代リーダーに選出され、そのままの枠組みの政策を推進していたニュージーランドのアーダーン首相が、ダヴォス会議の開催中に不参加・退任するという珍事も起きています。
また、今年4月にはWEF主宰であるクラウス・シュワブが辞任しています。

こうして見ると、超富裕層・エリートで構成されるグローバリストの中で、「地球温暖化、環境エネルギー利権・ワクチン利権」の主勢力たるゲイツ財団派が弱体化し、それに応じて「トカゲの尻尾切り」つまり<strong>ゲイツ派の排斥</strong>が起きているように見えます。

まあゲイツ財団はマスコミや製薬・金融企業との癒着も「調べれば出てくる」くらい公的証拠アリアリなので、あれだけ具合の悪い実績ばかり並べられたら、権威失墜は時間の問題だったということでしょう。
ただでさえ感覚的に「<strong>ワクチンは薬害の方が深刻ではないのか?</strong>」という一般認識が広がる中、ベゾス氏のポケットマネーで運営されるワシントン・ポストがワクチン批判に乗り出したのも、その反映と取ることができます。

ということは、Amazonのベゾス氏はMicrosoftのゲイツ氏と立場的な反目があることになりますが、それはどうなのでしょうか。

現在、マグニフィセント7はかつてのように「生成AI」一辺倒ではなくなってきています。
Microsoftはスリーマイル原発を稼働させてデータセンター建設を拡大する方針を凍結しましたし、Appleに至ってはAIに開発投資を行わない姿勢は徹底しており、しかも「<strong>生成AIはただのパターン識別器に過ぎず、思考能力は一切持たない</strong>」という研究論文も出していたりします。

Facebookの社名を「Meta」と改めて打ち上げた「メタヴァース」ビジネスが、1兆ドルを投資して盛大にコケ、その穴埋めとして始めた生成AI覇権を巡る競争も<strong>生成AI事業自体が藪蛇であ</strong>るという事実をつけられるまで、Metaは粘るでしょう。
ザッカーバーグ氏の「レプティリアン説」は私の好きな話だったりするのですが、それはさておき彼はトランプ大統領就任後、民主党支持から一転して共和党支持に鞍替えしています。

他方のAmazonは、実はEコマース事業での収益自体は地味なもので、収益の大部分は米国国防省の受注によるクラウド事業が占めています。
商品の配送に欠かせない「ラスト・ワンマイル」という地理情報計算システムと顧客データが、どうやらペンタゴンの軍事上の需要とマッチしているようなのです。

かつてペンタゴンの受注計画にMicrosoftと反目し、結局は国防省の案件をもぎ取ったAmazonは、Microsoftとはあまり仲が良くない可能性があります。
どちらかと言うと、Amazonのベゾス氏は環境エネルギーや製薬利権と繋がりの強いITロビーのゲイツ氏とは対照的に、イスラエルや軍事ロビーとの親和性が強いITロビーの一翼なのではないでしょうか。

Amazonはイスラエルの諜報任務、つまり暗殺に使われる生成AIの開発企業「パランティア」との業務提携を行なっており、ペンタゴンの案件を受けている以上、やはり軍事系ロビーとの繋がりが強いと考えて間違いないと思います。

かつて、アメリカの金融を支配したジョージ・ソロスは、「<strong>ロシアの国力を削るには、東欧に武器を売ってスラブ民族同士で殺し合いをさせれば良い</strong>」と言い放っていたそうです。
それと同じことが現在ウクライナで起こっており、西側諸国が足並みを揃えればとっくに終わっていてもおかしくないウクライナとロシアの戦争も、その発言を鑑みれば見方が変わります。

おそらく、ソロスの財団をバックにする勢力が軍事ロビーであり、彼らとゲイツ財団のソフトパワーを使った利権はどうも性質が違います。
ゲイツ財団傘下の組織の動向を見ると、なるべく政治やマスコミを巧みに操り、ワクチンや環境エネルギーやEVなど、一見善良そうに見えるソフトを用いてグローバリズムの推進に動いているように思えます。

しかし、軍事・イスラエルロビーに至っては露悪的すぎるというか、イスラエルのパレスチナ民間人に対する虐殺を見ても、国際的批判をいともせず公然と全面協賛する姿勢を貫いています。
どうも、今のアメリカ政界・グローバリストの中で軍事・イスラエルロビーと製薬・環境エネルギー系ロビーの軋轢が生じているのではないでしょうか。

トランプ大統領が「経済効率化省(DODGE)」の初代長官に選出したイーロン・マスク氏が何も実績を残さず退任してから、マスク氏は民主党に鞍替えしてしまいました。
トランプ大統領が公認していた「EV補助金全廃」が実行されることになったため、補助金と炭素税の売買でテスラ社の収益代わりにしていたマスク氏は、赤字体質の営業方針では補助金なしではやっていけなくなるからです。
ゆえに、先日「マスクCEOが自社株を10億ドル分購入した」というのは、この事情に繋がってくるように思います。

おそらく、2024年大統領選後半までは民主党支持一択だったマグニフィセント7、ITロビーは共和党トランプ政権下での生き残りを賭けて「<strong>踏み絵</strong>」を踏まされているのかもしれません。

ザッカーバーグ氏やマスク氏が共和党にあからさまに乗り換えたのはわかりやすい例で、おそらく「お前らが共和党支持に回らなければ、どうなるかわかっているんだろうな」という脅しがあり、そのためにわざと<strong>エプスタイン問題にシラを切り通し、いざという時に使う</strong>とチラつかせているのではないでしょうか。
なお、マスク氏はエプスタイン問題の追求に「どんどんやればいい」という姿勢を見せており、マスク氏に限って潔癖とは考えられず、何らかの手は打ってあるのだろうと思います。

ということは、「ソロス派vsゲイツ(バフェット)派」と「民主党派vs共和党派」の対立がグローバリストの間で四つ巴というより「<strong>二重の分断」による派閥争い</strong>が起きている可能性があります。

ここでまだ名前が上がっていなかったAlphabet(Google)ですが、イスラエルの息のかかったパランティアに対してAmazonと共同で事業提携しているのですから、軍事ロビー派であるのは間違いないでしょう。
当然、Googleは地図の地理情報や顧客データ、SNSとの連携もあり、あらゆる個人情報を握っています。
ゆえに、そのユーザーデータが軍事上の「暗殺」に使われるのは理に叶っているのです。

最後に現在、全世界の株取引の中心にあり、流通を支えていると言っても過言ではないNVIDIAですが、私はそろそろ「<strong>店じまい</strong>」の準備に入っているのではないかと邪推しています。
先日、「Intelと共同で新型半導体の共同開発に着手」というニュースが出ました。

Intelと言えば製造ミスなどが重なり低迷期にあったところ、トランプ大統領に目をつけられて国有化の話すらも出ています。
ここ最近、「オラクル」が新しいビッグテックの新入りとして登場しそうな雰囲気もあり、「第二次ハイテクバブル崩壊」を前に選手交代要員が現れ始めたように見えます。

新型半導体開発でNVIDIAのGPU製造技術が「ウッカリ」Intelに流出して、なぜかNVIDIAが循環取引疑惑で追求を受けて火だるまになっている隙に、Intelが「最新型GPU」開発に成功する、なんてことを想像してしまいます。
ハイテクバブルにしか延命手段がない米国株市場は、選手交代しながら延々とゲームを続けるつもりかもしれません。

あるいは、次のトレンド「量子コンピュータ」がバッターサークルに控えており、「量子コンピュータでAIを走らせればAGIが動く」と吹聴して、このまま<strong>第三次ハイテクバブル</strong>にもつれ込ませるのも、わりと想像しやすいアイデアです。

マグニフィセント7が、もう既に泥沼に陥りつつある生成AI事業から抜け出せないのは、アメリカ政府が財政危機を乗り越える手段が今回のバブルもとい、外国からの株式投資にしかなく、ゆえにS&amp;P500で過大評価と言われながらも海外、国内問わずインデックス投資に頼るしかないからです。

「AI」とはそのための撒き餌であり、実質的な経済効果も技術革新も伴わない事実を覆い隠すために、マスコミを利用して「AI革命」を連呼し、それを補強するためにFRBがマネーサプライを使い、寡占企業が空中浮遊術を駆使しなければなりません。
しかし、無理に盛り上げているS&amp;P500も利回りとしては国債全般とほぼ変わらず、「持っていれば得をする」とも言い切れません。

そもそも、「無限上昇し続ける米国株」という神話に支えられているETF、いわゆるインデックス投資は、企業の経営体質に関係なく組まれたポートフォリオ通りに金が流れます。
「S&amp;Pは下落しない」という無敗伝説も、1929年の30年代大不況のきっかけとなった大暴落後は、ほぼ35年間最高値をつけることがなかったのです。
だから、「落ちない」のではなく、「落とさない」ためにFRBが株式相場だけは死守し、ジャブジャブの資金投下をしてきたのが真実の姿であり、そのFRBも毎年1兆ドルの赤字を垂れ流しています。

どの道、数字だけを見ればアメリカ経済が破綻するのは時間の問題で、順当に考えれば3年はかからない計算になると思います。
しかし、それではマズイからトランプ政権は他国に血を流させてでも国家破綻だけは避けたいわけです。
ただ、目先の赤字穴埋めのために、現在進行形で世界中に暴力と顰蹙を振り撒いているのも事実です。

アメリカという国は、このままではどう足掻いても経済破綻が避けられないでしょう。
しかし、経済的にそれを間近で見ている金融ロビー・ウォール街の人々は、金融業界が沈めばメシが食えなくなることはわかるはずです。

この「AIバブル」は、機関投資家や金融機関の上層部が「いかにうまく逃げるか」の仕組み作りであって、<strong>インデックス投資を流行らせて個人投資家をギリギリまで引きつけ、頂点に達したタイミングで売り抜いて逃げ切る作戦</strong>だと思います。
そのために「努力と労働が軽減されるAI」というのは、幻想とは言え大衆から見ればかなり魅力的なツールです。

ただし、誇大宣伝と勘づかれつつある「生成AI」では、もはや大衆を騙すことはできなくなり始めています。
私が「株式暴落はもうすぐである」と言うのは、このユーフォリアが冷め切るような何かが起こるか、<strong>ウォール街で夜逃げの準備をしている人々がいつ導火線に火をつけるか</strong>というだけの問題だからです。

大小問わず先細り、FRBの輸血に頼らざるを得なかった銀行業界も、2024年のうちにBTFP(銀行ターム融資プログラム)という支援制度が打ち切られてからは、生命線が絶たれているに等しい状況にあります。

酷い話が、アメリカでは経済格差で富裕層が株式・債権・現金の三方向で安全性の高いポートフォリオを組んで資産運用ができる反面、貧困層たる大衆は株式インデックス投資に賭けるしか資産拡大の手段、つまり財テクがないということです。
だからおそらく、株式大暴落の憂き目に遭うのは株式荷重のポートフォリオを組む一般投資家であり、貧しい人ほどその範囲に適合してしまいます。

数日前に、自動車のサブプライムローンを展開する「トライカラー」が破産し、その後始末をJPモルガンやバークレイズがつけることになるという話を取り上げましたが、トライカラーの破綻がローンの踏み倒し増加にあるとは結論づけられないにせよ、消費活動をクレカのローンに頼り、自転車操業的に毎月支払い続けている人々の経済的悪化は、既に目前に迫っています。

アメリカ国民の方々の心中を察すれば、日本の状況など可愛いものに見えてきますが、さらに酷なのは共和党を支援する大勢力ロビーに「<strong>銃器製造メーカー</strong>」があるという事実です。

コロナウイルスが人為的とは言いませんが、ワクチン需要で儲けた製薬ロビー、ロックダウンでオンラインビジネス需要にありついたITロビー、ウクライナとイスラエルの戦争、中国の台湾侵攻を喧伝して軍事需要を作り出したイスラエル&amp;軍事ロビー、化石燃料による発電を抑止し、環境エネルギーを利用する製品の製造で儲けたエネルギー系&amp;テクノロジー系ロビー。

これらのビッグビジネスの成功確率と、人命と金に糸目をつけない傾向を考慮すれば、「<strong>内戦をけしかけて銃器の購入を促進する</strong>」という蛮行に出ることも十分考えられるのです。
大袈裟な話に聞こえるでしょうが、私も妄想であって欲しいですし、フィクションのまま終わって欲しいのが正直なところです。
しかし、あれほど民主党一択だったマグニフィセント7に共和党の介入が見られ、その影響による変化が確認できる以上、民間への影響も草葉の陰に至ることは十分に考えられるのです。

私はなるべく、そうならない世界になることを願っています。
ただ、米国経済崩壊は時間の問題であり、もはや避けられないのは覚悟しなければなりません。

仮にその時が来て、スマホから推しに投げ銭をしたり、PCでAmazonプライムを眺めるような生活が続くと考えて良いのでしょうか。
全てのサービスが即座に停止することはないにせよ、今以上に改悪される可能性は極めて高いと思います。
私たち日本人には、むしろ世界の経済的混乱よりもその動揺の方が心理的影響は大きいと思います。

日本国内のことに関しては、政財官学民のトップ層が綺麗にフェードアウトすれば、大体は片付くことではないでしょうか。
日本の大衆には、世界経済の混乱も社会規範の乱れも十分に乗り越えられる実力が備わっています。
しかし、そのためには「アメリカ」という重石が取り除かれる必要があるのです。


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「AIバブル」のカラクリ

楽太郎です。


常日頃、Broombergを新聞端の4コマ漫画並みに面白く読んでる私ですが、本日付の本誌も大変勉強になりました。

アルファベット時価総額3兆ドル突破 - Broomberg

まず、司法当局に「Google Chrome」は独占禁止法違反とされ、それでも事業売却が「不要」となったから株価爆上げ、というのはどうも胡散臭い話です。
Chromeの買収にはAI検索サービスを手掛け、これまた生データ引っこ抜き疑惑があり、日本の新聞社と係争中のPerplexityが手を挙げていましたが、新興企業を次々と潰してシェアを確保してきたGoogleですから、色々と事情があったんだろうなと思います。

また、「Gemini」の需要が伸びたとされますが、Chrome始め、サービスにGeminiを抱き合わせで実装すれば、関連サービスの伸びをAI事業の伸びに転嫁しても理屈としては通ります。
また、もし本当にNVIDIAとの架空取引が行われているとしたら、Geminiを含むクラウドサービスも取引先がクラウドサービスの「購入」という形にして、利益に計上している可能性もあります。

NVIDIAとの架空取引説においては、NVIDIAは工場を持たず、外部企業に製造を委託するファブレス企業なので、取引には現物の納品が伴いません。
ゆえに、実際の流通がなくても、帳簿上では「取引」があったことにできる仕組みです。
このAI事業の増収に関しては、どうも「いつも通り」の仕組みを使ったのだろうという印象です。

「いつも通り」と言えば、他の記事で「マスクCEOがテスラの自社株買いをしてテスラ株7.5%上昇」というのも非常に胡散臭い記事です。

テスラは万年赤字企業で、国絡みの補助金がなければ企業維持さえできない仕組みであり、テスラが何かと話題の絶えないマスク氏をCEOに引き留めておきたいのは、各国の公金を引っ張ってこれるマスク氏の人脈に頼らなければ、企業が存続できないからです。
そこで杜撰な生産管理で不評の絶えないテスラの株安傾向を誤魔化すために、マスク氏が個人で10億ドルの「自社株」を購入したことで、「CEOが株を大量購入するくらいなら、株はこの先上がるという自信に違いない」と、連動して株価が上がったそうです。

これは、投資家には申し訳ないのですが、論理が破綻しているように感じます。
そもそも、CEOの自社株買いがなぜ「インサイダー」にならないのかの根拠も曖昧で、どうも株式市場はインサイダーそのものを公然の事実として容認している気配があります。
仮に株価が低迷しているから「テコ入れ」のためにCEOが自社株買いをしていると考えたら、どうでしょうか。
株価は下がったら誰かが買えば値上るのは当然で、マスク氏が1000億円の株を購入すれば、その分時価総額が上がるのも当たり前です。

Broombergだけではないですが、マスコミの出す記事は「前提から結論までが飛躍する」傾向があり、何となくニュースを見ている人をミスリードする論法をよく取ります。
大衆なんてその程度だ、と思われているのかもしれませんが、最近のニュースはそもそも「前提」自体がおかしく、結論もロジックもおかしかったりするので、全文通して支離滅裂だと感じることも多いです。

あ、Broombergでも日本のニュースを確認できますが、私は日本関連の情報は話半分で読みます。
日本の元栓を握っているエリート層の元締めはアメリカの超富裕層なので、大本を辿ればアメリカが変わらなければ日本は変われないと私は思っています。
まあ、勇気ある人がうっかり我が国の保有量世界一の米国債を売り浴びせて、日本おろか世界を救う救世主になってくれないかな、と思っていたりしますが。

さて、今回のテーマはその米国株景気を支える「AIバブル」についてです。

先ほどの「米国債を売れば日本は世界を救える」という主張は、エコノミスト・文明評論家の「増田悦佐」さんの論説の受け売りです。
私は同氏の経済学的知見を底本にしており、データに関しても大部分は増田さんからの出典を参考にしています。
9月1日付で新著「余命半年の米国経済(ビジネス社刊)」が発売されているので、私も後日購入しようと思います。

増田さんは「余命半年」と仰られていますが、私は半年どころかあと1.2ヶ月で株式大暴落があると踏んでおり、どの時点で「死亡宣告」されるかによると思います。
ただ、今回のバブルはこれまでと違い、発生から仕組みに至るまで全て人工的なバブルだと考えているので、「バブル崩壊」も既に織り込み済みのはずです。
ゆえに一度崩壊が起きたら、一度や二度の一時的な回復は見せるかもしれませんが、そのまま一気に崩壊しきると思います。

増田さんがよく仰るのは、「1946年のロビイスト規制法とは、政・官・学・財・民による贈収賄の合法化である」という説です。
政治家に賄賂を贈るだけで、曲がりなりにも自由競争の経済で企業戦略がそこまで上手くいくのか、という気持ちもありますが、実際にMicrosoftやGoogleなどのビッグテックだけが反トラスト法をすり抜けるのを見ると、どうしても嘘とは思えません。

カリフォルニア州で世界に先駆けて成立した「AI関連規制法」もビッグテックのお膝元の地域で成立した法案であり、これも胡散臭い気がします。
すでに「Gemini」や「ChatGPT」の先行者利益にありついたビッグテックは、あとは自社サービスに不利でない形で自社に合うコンプライアンスを整えれば良いはずで、後陣の新規AI開発企業が規制法に引っかかってシェアを奪い取れないようにする下地は完璧に出来上がったわけです。

アメリカという国が、なぜここまで露骨に10社ほどの大手企業に肩入れするかと言えば、これらの企業が政治家に渡す賄賂の金額が飛び抜けているからでしょう。
また、実はアメリカの実態経済は相当悲惨な状況にあり、ロビイング資金の豊富な業界以外の産業全体が、ここ数十年沈み続けています。
つまり政治家に贔屓にしてもらえるような業界は、ハイテクや製薬、金融や軍事など特定の数分野だけに限られるため、そこだけ資金が循環し、他の業界はこぞって冷遇され続けるのです。

そして、その実態経済の悲惨さを誤魔化すために、労働統計局のデータの集計法を恣意的に変えてわざと不精密にしたり、公表間隔を開けるなどの措置が行われようとしています。
だからアメリカの公式発表は中国並にアテにならないと私は思っているのですが、盛った分を差し引いても決して良い状況ではないのが見て取れます。

経済学の初学者でも、教科書通りにアメリカから「資本逃避」が起き、それも最終局面であるのはわかります。
冷静に見れば、現在国債がどんどん値下がりし、比例して金利が大幅上昇し、本来なら通貨スワップにより恩恵をもたらすはずのドル高が崩壊し、他国の通貨よりも安くなっています。

これまで国債を買って利回りで収入を得ようとする投資家は、逆に国債を持っていれば持っているほど含み損が増えていきます。
だからどれだけ米国政府が金策に困って債権を増発しても、投資家からするとそんなリスクは取りたくないから国債安がどんどん進みます。
ただ、それでは外国からの投資に経常収支を依存しているアメリカはやっていけません。

債権、通貨がダメなら、あとは株式に頼るだけです。
けれど、ガリバー企業以外の産業がほぼ全滅したアメリカ市場で、呼び水となる成長産業もやはりガリバー企業以外ない、ということになります。

しかし、すでに世界でシェアを取れるだけ取ってしまい、技術的にも営業的にも頭打ちになりつつあるマグニフィセント7にとって、何とか世界中から投資を呼び込む「口上」が必要になってきます。
それが、2022年に一度NVIDIAを始めビッグテックが軒並み株価を下げた「第一次AIバブル崩壊」の折、まだ技術的に未熟で権利的にも安全性にも検討の余地のある「生成AI」を早々にリリースする必要性に駆られたのではないでしょうか。
それが2023年、OpenAIの「ChatGPT」リリースを皮切りとした現在のハイテクバブル(第二次AIバブル)です。

正直、生成AIも権利問題を全て払拭し、安全性やコンプライアンスに基づき、地味なところから信頼を得ていけば、着実に成功したサービスかもしれません。
しかし、全世界のネットからとりあえず一頻りデータを回収し、著作権が明らかに定まっているデータも取り込み、「フェアユース」という強弁と共に、無理にサービスへの実装を推し進めました。

「需要」よりも先に未熟な形での「供給」が来たからこそ、宣伝は派手でも実際の経済効果が全く伴わない、という歪な状況を作り出しています。
しかし、アメリカの超富裕層で構成されるグローバリストが「白」と言えば「白」となる世の中、アプリとして課題しかない生成AIも政治に組み込まれると、採算の合いそうにない再生可能エネルギーやEVのように「国策」として強権的に推進されることになったのです。

そういった「金」の集まりそうな所には、補助金目当てに群がってくる人たちもいます。
「国策」としてべらぼうな公金が各所にばら撒かれると、その公金で潤った業者は事業を推進する政治家にキックバックを施すでしょう。
つまり、利権にとっては技術の完成度、需要など関係なく、金が集まればそれだけで目的を果たせてしまうのです。

特にアメリカは中間層の存在しない国となって久しく、国を動かすのは政治に献金が可能な層だけです。
貧困層も取り込んで当選したトランプ大統領も、今では貧困層切り捨て、富裕層優遇政策に舵を切っています。
もはや「金持ち」以外の国民の声は耳に届かない政治の世界だからこそ、何でもアリの状況になっています。

現在のS&P500の好調にも、実はカラクリがあります。
冒頭に上げた企業経営者の「インサイダー」や自社株買いによる「株価操作」、また商法として「循環取引」が違法ではないなど、ルールとして不健全な環境であるのは言うまでもありません。
S&P500採用銘柄の資産の内訳が不透明すぎるのも問題で、「無形資産」とされるものには「CEOが会社を離脱して新会社を設立した際に予想できる企業価値」も含まれており、そこまで言ったら何でも付加価値にできてしまいます。

そこで判定した企業価値が時価総額に加算され、インデックス投資で業績に関係なく資金が流入し、自社株買いで価格も吊り上げ、FRBからマネーサプライ供給を受け、その上に独禁法も知財法も循環取引も見逃されるのですから、どうやっても株価が上がるのは当たり前なのです。

ただ、Broombergのような提灯記事ばかりのニュースを読んでも、「ふーん」くらいに思うレベルの読解力なら、純粋に「アメリカの景気は良さそう」と錯覚してもおかしくありません。
むしろ、無垢な大衆にそう錯覚させて投資を呼び込むことで、アメリカは財政赤字を埋め合わせようと必死なのです。

これまでの歴史上、技術革新というのは蒸気機関車や自動車、電話やテレビ、携帯電話からスマホまで、新製品がプラットフォームとなり、派生的に需要が創出され、経済的な互恵関係を発展させながら普及するものでした。
しかし、鳴物入りで登場した「生成AI」に関してはどうでしょうか。
導入した企業が軒並み実装を取りやめ、使えば使うほど企業リスクを高めることが周知されつつあります。

GoogleのGeminiに至っては、中学生がスマホで同級生のディープフェイクを作るのに最適なアプリで、あらゆる生成AIも著作権作品を取り込んで同等の作品が出力されてしまっても「AIが出力したものだから著作権侵害にはならない」というロジックが成立してしまいます。

こんなデタラメは、少なくとも15年前の世界では通用しなかったでしょう。
しかし今では、いくら声を上げてもこの強弁が正当化される世の中になってしまいました。

それは世界覇権国であるアメリカが、自国の散漫な運営の末に国家存続すら危うい状況にあるからであり、一方的な報復関税も、外国から無理矢理引っ張ってきた融資案も、どう見ても戦争犯罪であるイスラエルのパレスチナ侵攻への全面支援も、全てアメリカという国が身の振り構わぬ、余裕を欠いた状態であることの証明ではないでしょうか。

だから、アメリカという没落寸前の帝国に、引導を渡すべき時が来ています。
しかし、そこまで強く出られる国があるとは思えず、やはりアメリカは散々世界中を引っ掻き回した挙句、勝手に沈むことになるでしょう。
その時、中国共産党とアメリカ政府が懇ろの関係であり、そもそも「新冷戦」は茶番だったと明らかになるはずです。

中国共産党の資産は、実はアメリカが握っています。
中国経済はすでに破綻寸前でありながら、アメリカに貿易面で有利な状況を作ってもらっているために破綻を免れています。
中国とアメリカが世間で言うように対立していると思う方は、1972年にニクソン大統領が訪中してからの両国の歩みを冷静に見れば、納得するはずです。
そしてアメリカの経済崩壊は、自ずと中国経済を道連れにするはずです。

ついでに、アメリカの寄生によって生きながらえてきたイギリスやカナダも、ある程度追随するのは確実だと思います。
ただでさえ長期不況と政治的混乱の渦中にあるEU諸国も、多大な影響を受けることは間違いありません。
ロシアに関しては、おそらく既に「アメリカなき世界」の覇権を虎視眈々と狙っているのではないでしょうか。
しかし、ロシアも現在の戦争で疲弊し切っており、すぐに動ける状態になるとは思えません。

そこで我が国の話が出てきますが、こればっかりは予想がつきません。
なぜなら、日本の政治を牛耳ってきた製造主体の企業団体がどの程度の影響を受けるか、アメリカの息のかかった政治家や官僚が、どの程度ダメージを受けるかによると思うからです。
また、アメリカがどれだけ本気で、日本を「道連れ」にしようとしてくるのかもわかりません。

私は前述の増田さんの受け売りが多いのですが、やはり「米国債の売り崩し」か「円キャリー巻き戻し」を現象として起こすことで、日本がかの世界帝国に引導を渡すことができると思います。

日本に不動産バブルを仕掛け、バブル後の30年に円安を押しつけることで日本を叩き売らせ、今の貧しい状況を作り出した米国。
80年前、降伏することがわかっていた日本に新兵器の「原爆」を落とし、その威力を実証する代わりに15万もの尊い人命を奪った米国。
果ては、幕末の混乱期を利用して南北戦争払い下げの兵器を売りつけ、その後軍事大国として育て上げた米国。

私は、そろそろこの腐った因縁を断ち切ってもいいのではないか、と思います。

増田さんの本から教わったのですが、文明史において世界の覇権を握る国は、前時代に植民地だった国となる法則があるそうです。
アメリカが覇権国である以前はイギリス、イギリスはフランスの属領であり、フランスの前身フランク王国はかつてローマの一部でした。

もし日本が世界覇権を握るとしたら、アメリカのように強権的な支配を行うでしょうか。
私はそうは思いません。世界の諸国と平等に付き合う、奉仕的な枢軸を形成していくと思います。
「大和」の精神を持つ我が国が、いつまでも外国の真似をしているだけで終わるはずがないのです。

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神様からの「クイズ」

楽太郎です。

昨日、街へ行きiPhoneの修理を済ませて来ました。

久しぶりに街へ行きましたが、また大型店舗が姿を消していました。
街の不況感は加速していますが、人々からそれほど悲壮感を感じないのは不思議でした。
むしろ若者の姿が目につき、彼らのエネルギーを強く感じました。

最近の若い親たちは、特に子煩悩だと思います。
目線を子供に合わせる大人が周りにいて、今の子供たちはある意味恵まれていると思いました。
世は混沌として大人さえ不安ですが、子供たちに不安を抱かせまいと頑張る親たちには頭が下がります。

けれど率直なところ、人々が変化を起こそうとしている気配は感じませんでした。
今あるもの、来たる現実を上手く乗り切るために、多少不恰好でも工夫を凝らしているように見えます。

私はその光景を見て、何となくギャップを感じました。
私は人々が困っているだろう、何とかしなければと思っていると感じていたのですが、街行く人々からは「今」という感覚だけがあり、今ある状況の中でできる限り楽しく生きようとしているように見えました。

人々がこのままで良いとは思っていないにせよ、自分の力、あるいは自分たち国民の力ではどうにもならないことは薄っすらわかっていて、かと言って落ち込んだ気持ちで生きるべきではなく、だから与えられた現実の世で楽しく生きようとしているのだと私は思いました。

街を見回してみて、これまでの私の考えが頭でっかちで、妄想じみた感覚で一方的に世の中を捉えていたわけではなく、やはりどう考えても立ち行かなる未来しか見えませんでした。
どの道、役に立ちそうにないAIや、奴隷労働に近い条件で雇用している東南アジアの人々に経済を支えてもらおうという考えは、早晩潰えると思います。
日本は、このままの規模の経済を保つことは難しいでしょう。

だからこそ、人々の健気なポジティブさをどう感じ取ればいいのか、私はしばし戸惑いました。

けれど、私は常日頃から人々が幸せに生きることを願っていますし、とは言えその生き方を続けるべきでもないと思います。
確かに、「美醜」や「善悪」に基づいて人々の生き方や価値観をジャッジしたくなる気持ちはありますが、それにしても「そのままではいけないだろう」という感情も無きにしも非ず。

ならば、人間はこの先どうすればいいと思う?

その問いと向き合うことが今日、私が街に行く用事ができた理由なのだなと思いました。

この国のあり方が例え正しくなかったとしても、私が自分の善悪で世を変えようと思った時、その正しさを人々に強要することは、日本を貧しくさせた一部のエリート階級や海外のテクノクラートが行ってきたことをトレースするだけではないか、そう私は自問自答しました。

私だけが「善」ということは決してなく、様々なやり方で幸せを感じる生き方があってもいいですし、とやかく言いたがる私の融通の効かなさも問題です。

何だかんだ言って、あれ程しょうもない自分を叩き上げて、一応立派に育ててくれた社会には感謝しているのです。
色々な人がいて様々な正解が用意された世界で、それぞれの学びや幸福があればいいのであり、それが世の本質なのではないかと私は思います。

ふと帰りの電車の中で、私は神様から「クイズ」の念押しがなされていることに気づきました。

ホームから電車から、常にスマホを片手に、あの板切れをしっかり握る人々の集中力の高さには違和感を覚えました。
スマホに変わる前はケータイで、ケータイの前は本か新聞だった電車内の風景も、なぜ疑問を持たなかったのかと言えば、私も普通に同じことをしていたからです。
けれどスマホに楽しさを感じなくなって初めて、この違和感に気づきました。

そこに醜悪さを見た時、神様から「お前はどう思うのか?」と問われている気がしました。
お前がこの世界をどう捉え、それに違和感を感じるならば、その世界をどう変えたいのだ、と。

私は確かに、人々がスマホに向かいすぎるのは、スマホには「何でもありすぎる」からであり、人との繋がりも娯楽もビジネスも、成功や人生の計画すらあの板切れ一つにぶち込まれていたら、確かにそれしかなくなると思いました。
つまり、「何でも詰め込まれすぎている」この板切れがあるからこそ、人々がデジタル越しに見る世界に心を奪われるのです。
これをどう見るべきか、私は修理したばかりのiPhoneを思い出していました。

けれど冷静に考えて、今の状態が未来永劫ずっと続くわけはありません。
かつての新聞や本がケータイに、ケータイがスマホになっただけで、また次の時代には違う何かに変わるだけです。
スマホは実際に悪意ある商品だとは思いますが、かと言ってスマホ自体が悪なのではなく、人々は今ある状況の中で最善の方法を選んでいるにすぎません。

問題があるとしたら、学校へ行き会社へ行き、郊外の家に帰る電車の決まった時間が「退屈」で、ストレスが溜まることそのものであり、その習慣の画一性にこそあるのではないでしょうか。
そして、その暇つぶしが「スマホしかない」という今の状況にあるのだと思います。
或いは、商店や書店や映画館や劇場が廃れ、あらゆる産業がデジタル化した時代において、消費文化がスマホに一極集中していることにもあるでしょう。

要は、世の中にもっと多様性があれば、夕方に帰宅ラッシュは起こりませんし、隣の見知らぬ人と世間話をしても、ガムを噛んでもビートを刻んでも、好きにやったらいいのです。
けれど、「それをやったらおかしい」という同調圧力で、結局は一番大人しい、誰もがやっている行動に落ちつきます。
何でも没個性的に、「一つに纏まろうとする」傾向だけが問題なのであって、多様性に対する許容が人々になさすぎることが原因なのではないかと思いました。

特に左巻きの人々や、グローバリストは人の行動に色々な角度で難癖をつけたがります。
彼らは口では「多様性」とか「公平」とか言っていますが、多様性の権化たるオタクを叩きたがるのも、オタクが「叩きやすい対象」だからです。
この世界を綺麗事で塗り固めたい人々からすれば、「選択可能」な社会とは「自分たちが選択した選択肢の中の選択」を人々にさせることによって、世をわかりやすくしたい訳です。

そこに人々の自主性や個性に対する尊重や、人間が無条件に幸せになって良い、という発想がありません。
けれども、そう言った彼らの画一的思考も許容してこそ、真の「多様性」はあります。
本当の問題は、彼らの価値観があまりにも強権的になりすぎて、その影響力の発露を誰も止めることができず、抑圧される人々がいるということです。

だから、やはりテーマは「画一性と多様性のバランス」であり、今の世は真の多様性とは程遠い世の中になっています。
その画一性はルールやマナーといった規則的なものだけでなく、「皆と一緒なら安心する」とか「自分が変に思われたら嫌だ」という内面的な作用まで、外側に合わせる働きが強いために起こることです。

だから、この社会の問題と向き合うには、この「一極に向かう力」をまず認識するべきであって、この世の人々のしがらみも歪みも、この収束力に対する抵抗から生まれているのではないでしょうか。
とすれば、「善」というおおよそ一つになりにくそうな価値観ではなく、「悪」と人々が感じうるもの
にこそ多様性を見いだすべきであって、いちいち「あれが悪い、これが悪い」とジャッジする心が多様性を阻害しているとも言えます。

そう考えると、私がこの日街に出て考えたこと、自分が「この世界を変えたい」と思う時、私自身が「あれが悪い、これが悪い」と評価することは、結局グローバリストが人々にして来たことを繰り返すだけになりかねません。
神示にある「悪を抱き参らせる」とは、自らを「善」として相手を見下げた状態ではならず、最初に「悪」を無条件に許した状態から始まる必要があります。

しかし、おそらくその境地で物事を考えた人間は、歴史上どれほどいたのでしょうか。
直感的に不可能とさえ思える感情の両立を、どう乗り越えていけばそう考えられるのか、今の私には想像ができません。

「悪い」と思うから、不快に感じそのままではいけないと思うからこそ、世にある問題を解決しようとします。
不快に感じるにも理由があり、いくら度を超えた残虐さでも、それを許すところから始めなければならないのは想像以上に難しいことです。

けれど、その不快をことごとく排除しようとした結果、争いが耐えなかったり、人々が似通った行動ばかり取らざるを得ず、かと言ってその画一性を批判するのも悪になります。
ただ、この葛藤は「何が良くて何が悪いのか」から始まっており、つまり善悪を決定しようという意識がもたらしているものです。

確か、ギリシャ哲学には「エポケー(判断停止)」という概念があります。

私たちは自分の制御が効かない、あらゆる事象に「良し悪し」とジャッジをつけ、何とか干渉してコントロールできないものか考えます。
けれど、そんなのは当事者からすると「余計なお世話」で、むしろ放っておいてくれた方がお互い上手くやれたりもします。

あれこれと物を考えすぎ、人の足元を見すぎるからこそ、全く無関係の自由にやっている人の行動が気になるのです。
むしろ良し悪しを「エポケー」することで、善悪という思考のしがらみから抜け出すことができ、その方が無闇にストレスを感じず、自分のためにも世のためにもなるのかもしれません。

だから、神様からのクイズの答えは「自由にすればいい」です。
それでも不味ければ人々が自分たちで変えるでしょうし、人々に変える気がなければ神様が変えられるはずです。
私は、私のやるべきことだけをやって行けばいいだけですし、実際にそれ以上のことはできません。

これが私の答えです。
ファイナルアンサー。


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乱世を生き抜く。

楽太郎です。

ここ最近は「アメリカ経済崩壊」について論じていますが、私自身としては貧困と社会不安に喘ぐアメリカ国民の不幸を心待ちにしている訳ではありません。

ただ、アメリカ金融界を牛耳るエリート階級が、その選民意識を剥き出しにして推進した帝国主義、いわゆる「グローバリズム」が現在の混沌とした世界の元凶であると見ており、彼らの破綻が全人類のみならず、真の「アメリカ合衆国」のアメリカ人たちの福音となると私は考えています。
だから、右翼的な眼差しで「アメリカが沈めばいい」と思っている訳ではないことを付け加えておきます。

さて、本日のBroombergに興味深い記事が出ました。
トップにある「Appleのアナリスト評価による投資判断引き下げ」ではありません。

自動車版サブプライム破綻-Broomberg

「サブプライム」と聞いてピンと来ると思いますが、2007年に勃発したリーマン・ショック(世界金融危機)の引き金となった住宅のサブプライムローン破綻が思い浮かびます。
「サブプライム」とは、経済的に不安定で返済の信用度が低い人々に対する「引き剥がし」の意味が強いローンのことで、今回は自動車のサブプライムローンを展開するトライカラーが破産を申請しました。

この記事によると、貸し倒れの金額は2億ドル(約300億円)に達するそうで、この担保は融資先のJPモルガンとバークレイズが被ることになりそうです。
今はバンク・オブ・アメリカを始め大銀行ですら資金繰りに苦しい状況なので、このダメージは徐々にボディに効いてくるタイプだと思います。

この記事で「炭鉱のカナリア」と表現されているのは、この破綻のカバーをウォール街が平然と埋め合わせることが出来れば、それだけ金融業界に体力があると言うことです。
しかし、JPモルガンがそこでヨタつくようであれば、そのまま鉱山が吹き飛ぶことになりかねません。

以前記事に書いたように、金融業界の「人身御供」としてNVIDIAやマグニフィセント7が悪者になるシナリオが既に用意されていると踏んでいますが、先日のAppleのカンファレンスで新型機種がちょっと薄くなっただけで「言葉にできない驚き」と表現してAIに触れず、投資家に言葉にできない驚きを与えたのは記憶に新しいです。

株式市場や投資家からは「A Iに遅れを取っている」と批判されがちなAppleですが、NVIDIAとの架空取引計上にだけは手をつけていない(自社株買いによる株価操縦はしている)Appleだからこそ、生成AI分野が藪蛇であることは知っているのだと思います。

私は、生成AIバブルが弾けた後に生き残る可能性が最も高いのはAppleだと思っていて、派手にMicrosoftやAlphabetやMetaが吹き飛び、海外のハゲタカに事業が分割されて外国企業に譲渡されていくターンにおいて、Appleは「Mac」というブランドだけを死守して細々と生き延びていくと思います。
iPhoneに関しては、そもそもビッグテックがサードパーティのスマホの開発を阻害してきた枷が外れて、もっとユーザーフレンドリーな端末が出てくれば、代替される可能性が高いと思います。

おそらく世界経済崩壊後の時代は、一極集中型のサービスは経験上忌み嫌われ、分散型の低リスクな傾向ほど好まれるようになるはずです。
だいたい、アメリカという国が贈収賄に甘すぎる国だからこそ、政治も経済も腐敗が進んだのであり、その権化たる超富裕・エリート階級もガリバー化した企業を根城にしているのです。
だから、その元凶が明るみになれば、ここ30年かけて散々いじめられた世界中の市民が「何が悪かったのか」をようやく広く知らしめられる時が来るはずです。

私は最近、日本人が物価高と不況の中で何となく「やる気」を無くし、製品もサービスもこだわらなくなり、それでもしっかり対価は得ようとする姿勢にヤキモキしていました。
けれど、今は「やる気がない」のはむしろ喜ばしいことではないか、と考え始めました。

なぜなら、いずれやる気を出しても世の中はほとんど動いていないので、ガムシャラにやるほど空回りする可能性が高いです。
また、「やる気がない」ということは、どこかで「やることを探している」ことでもあり、仮にやりたいことがあっても今やれる状態でなければ、やはりそれができるタイミングを図る必要があります。

だから、むしろ「やる気がない」方が「やる気がある」と言い変えることができますし、これからアメリカの経済が崩壊し、それに引きずられ中国やヨーロッパ経済も沈んでいく中、不確実性が極限に達する世でルーティンの商売はいずれ見直すべきタイミングが訪れるでしょう。
また、その過程でドン詰まりが避けられない業界も幾つか出てくるはずです。
そのため、袋小路に入るであろう通常業務に命をすり減らすより、次の時代に生き延びることを考え始めた方が賢明と思われます。

ただし「金があれば安泰」と、今でも悪どいやり方で金儲けをすることに情熱を燃やしている人は、そのやる気が逆回転する可能性が高いと思います。
あと、利権に付随して不労所得を吸い続けているような人も、それは長続きしないでしょう。

経済の形が変われば、自ずと社会構造が変わり、政治も変わらざるを得ません。
得に、日本は政治など元々あってないようなもので、きちんと司法制度が機能していれば勝手に良い社会を作る賢い国民ばかりです。
だから、むしろ妙な既得権益が剥がされた方が、我が国は健全化していくのではないでしょうか。

そうして既存の仕組みが崩れ、何かしらのルールを新たに作り出さなければならない時はいずれ来ます。
その時、既にある産業基盤をどれだけ使えるのかは未知数で、「これは変わらないだろう」という予測は、下手に足元を掬われかねないと思います。

では、確実に「アテになるものがない」としたら、どう考えるべきでしょうか。

私は、これまでの人生経験や習得した技能、知識を総動員して、自らの才能と需要の均衡点を探ることがこれからの乱世を生き抜く秘訣だと思います。
つまり、身の回りに困っている人がいたり、世の需要を見極め、ニッチな要求に対するニッチな能力を発揮することで対価を得る、という考えが役に立つ気がします。

これまでの社会では、資本力のある企業や経営者が「これをやってくれたら金を払う」という契約を人として、労働者が対価として企業からお金を貰っていました。
しかし、企業からするとより利益を確保するには、労働者の取り分をできるだけ減らしながら、何とかもっと働いてもらう方が、企業努力や設備投資を行うより手っ取り早いのです。

そして、労働対価と収益分のその差額は企業利益に計上させたり、あるいは経営者の懐に入っていったのです。

私は、これが「働けど楽にならざる」日本人が経験した、「失われた30年」の縮図だと思います。
確かに日銀の頑固な政策によって財政は健全すぎるほど健全になりましたが、企業利益に労働分配率を持って行かれる状態のせいで若者が家庭を築けず、少子高齢化に拍車をかけたのは言うまでもありません。

長年搾取され続けた国民だからこそ、いい加減に「もうや〜めた」と言ってもいい頃合いなのです。
しかし、それでも生活費は高騰してますし、ローンもあれば働かない訳にはいきません。
だから、この際に収縮する企業や組織の言いなりになってガムシャラにやるより、ある程度はテキトーにやっても悪いことではないでしょう。

とにかく自分と家族を大事にして、自分のことに意識と時間を向け、もし今の仕事を辞めた上で、どう「才能」やスキルを使っていくか、そのことにリソースを使った方が有益です。
あるいは、暇を見つけて手に職をつける努力は特に有効だと思いますし、「一芸は身を助く」を地で行く時代になるのではないでしょうか。
だから、今店頭や会社でやる気のない人を見かけても、「怠けている」という目を向けず、生暖かい目で見てあげるべきかもしれません。

ただ、本当に怠けているだけなら何とも言えませんが、その事情は赤の他人には分かりようがありませんし、まず自分のことです。
社会に頼らず、周りに頼らず、世間での言説に頼らず、インフルエンサーに頼らず、自分の頭で考えて自分で行動すること以上に確実なことはないのではないでしょうか。

あと、もしそれでも不安なら、「神様」に手を合わせてみるべきだと思います。
きっと、良いひらめきを与えて下さるのではないでしょうか。

【追記】

なんと、ゲイツ財団の融資を受けている政府御用達のプロパガンダメディア、Broombergが例のエプスタインのメールを独自に入手したそうで、その内容の記事が公開されました。

Epstein’s Indox


何となくキナ臭い感じがしますが、文面によると「金融業者、政治家、有名人、ハイテク億万長者」の関係が明らかとなっているそうで、波乱の予感がするのは私だけでしょうか。

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ちょっとスピった話

楽太郎です。
だいぶテーマの大きな話が続いたので、今回は閑話休題にしたいと思います。

とうとう、iPhoneがお亡くなりになりました。
と言っても、バッテリーを交換すれば復活するかもしれません。

AppleCareの修理予約が取れずヤキモキしてたのですが、お亡くなりになる直前、奇跡的に予約に繋がりました。
「真のグレートリセット」の記事をスマホで書いている最中、充電中にも拘わらず1分につき1%ずつ消耗していくので焦りました。
記事の途中でそのままバッテリーが尽き、ブログはPCで書き終えて公開しました。

そして未だに、いくら充電しても起動しません。
スマホを使い始めて十数年、しかも機種変して2年経ってないのに通常使いでここまで劣化したのは初めてです。
Appleも近年は業績不振に喘いでおり、いつもの「OSでバックドアを走らせてバッテリー消耗を加速させ、修理と機種交換需要を作り出す作戦」かなと思いました。
これこそ陰謀論ですが、有り得ない話ではない(前例がある)のがザ・ビッグテックです。

まあ、このブログは本来スピった話をする場所なので、グレートリセットの話を持ち出されたら困る闇の勢力の妨害ということにしておいた方が面白いかもしれません。

さて、本日9月8日の空模様はとても凄い星回りになっています。
厳密には真夜中の3時に満月と魚座で皆既月食が起こっていたので、過去形です。
私は頭痛が酷くて午前1時半に目が覚めてしまい、カレンダーの月齢表示を見て今日が満月だと気づきました。
私は満月の日の頭痛率はかなり高く、特に気の乱れを感じやすい日です。

体感としては、確かに邪気は強いのですが、それ以上に「浄化」の力を凄く感じます。
おそらく、ここらへんで「耐えきれん!!」と行動に移す人が続出するのではないでしょうか。
魚座は「過去」と繋がりの強い星座であり、「魚」は情緒や感情に繋がります。そこに「満月」が加わるので、「記憶」や「後悔」、あるいは「過去からのしがらみ」の精算が起きてくるかもしれません。
「目覚め」の後には、伸びをして布団から起き出すものです。そうして、「新しい一日」は始まります。

私は、これからの日本に心配をしていません。
私が危惧していたタイムラインでは、不況下での大災害があれば本当に人々が食うに困る段階まで行く可能性が高かったと思います。
しかし、やはり春分点で空気が変わり、日本が「ソフトランディング」する世界線に移行したのだと思いますし、それを機に人々の邪気も落ち着いたように見えます。

しかし、これから私たちの日常が、足元から変わっていく時代にはなるのだろうと思います。
私自身、iPhoneが使えなくなって、アプリが使えずブックマークも開けず、情報更新もできないのは想像以上に不便さを感じました。
私がビッグテック嫌いなのは置いといて、いくら人々の生活や仕事に欠かせなくても物事には栄枯盛衰があり、いつかはスマホを手放して違うものを掴む時は来ます。
それが見果てぬ最新端末なのか、ガラケーか紙とペンなのかわかりませんが、それを作るのも選ぶのも私たち次第です。

この時代の切り替わりも人類の「学び」のプロセスであり、これまで「物質」を追求して人々の生活が楽になる流れの反作用として、金と権力の偏りがもたらす負の側面がありました。
次の時代は、その反省を活かして物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも享受して調和のとれた文明を目指すことになるのだと思います。

今の子供たちは、小さい頃に苦しいマスクをして生活せざるを得ず、不況と殺伐とした社会の中で、大人たちから一方的に与えられる知識と娯楽を受けて育ち、決して恵まれているとは言えません。
けれど、彼らがもう少し大人になる頃には、全く違う時代を自分たちで切り拓けるようになり、いずれは本当にいい時代にしようという機運を担って行くのではないでしょうか。

そして、彼らが歩む道を用意するために、私たち天から役目を与えられた「降誕人」が時代に先立って生まれました。
その数は思ったほど少なくないと思います。国内で数十万人、下手すると数百万人いるのではないでしょうか。
しかし、そういった天からの命持ちにとって、天界とは全く性質の異なるこの地上世界はあまりに歪で、散々いじめられ苦に負けた先で、諦めた者もいれば潔く闇に堕ちた人々もいます。

その中で、今こうしてライトワークを行う命持ちの人々は、苦に負けずに魂を磨き続けた勇者であり、その強い光があれば闇に惑える人々を救うことができるはずです。
そして、その光で未来ある子供たちや若者を導けるのなら、その先の未来に光を繋ぐことができるのです。

今、闇に包まれて一寸先も見えない日々に負けず、どうも「あの人はおかしいんじゃないか」と言われてでも、一心不乱に自らのやるべきことをやり抜く姿勢は、きっと周りを動かし、子供たちに「大人」の見せるべき背中を見せることができるはずです。
社会一般からは不甲斐ないと言われても、本当に大切なものを取り戻すためには、今とは逆のことをやらなければいけません。
その行動は、現時点では稀有にしか見られませんが、いずれ世界のスタンダードとなり、スタンダードにしていくべきものなのです。

私は最近、その役割を強く感じますし、逃げる隙すらないことに気づきました。
私は天界に、愛する人を残してきました。この世でいくつか仕事をするためです。
けれど、その不安にいつも寄り添ってくれる仲間がいます。

目に見えず、たまにいるのかいないのかわからない彼らですが、今でも高いところから見守ってくれているように思います。
彼らがしかめっ面でいるのか、笑っているのかは正直わかりませんが、私はきちんとこの世で仕事を果たし、良い土産を持って帰らなければなりません。

その日のために、私を待っていてくれる愛する人のためにも、私は彼女に恥をかかせる訳にはいかないのです。


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真の「グレートリセット」

楽太郎です。

先日から国際問題に切り込んだテーマを扱っていますが、ある意味危険な領域に踏み込んでいる実感があります。
それは別に世界を牛耳る「闇組織」を告発しているからではありません。
私自身が「陰謀論」と世間で片付けられかねない事象の話を取り扱っているからです。

これに関して、まず「陰謀論」を陰謀論と決定づけるものが何かを考える必要があります。
「陰謀」というからには、根拠にエビデンスがなく情報リソースも曖昧で、ロジックが飛躍していたり破綻していたり、妄想やこじつけが強ければ、そう断定しやすくなります。
しかし近年の「陰謀論」は、エビデンスも科学的でロジックもきちんと筋が通り、おまけに倫理的観点から見て正論としか思えないような言説でも「陰謀論」とされることがあります。
これは何故でしょうか。

私は「陰謀論」を作り出すのが決まって「権威」の側であるからだと思います。
例えば、「A」という論文と「B」の論文があって、AもBもどちらも正当なデータを元にロジックを組み立てていたとしても、権威が「Aは正しく、Bは間違いだ」と言えば、Aの説が何であろうとBの結論は間違っている、と客観的に評価されます。
AもBもエビデンスが等価だとしても、学会やマスコミが Aのロジックを採用し、Bのロジックは都合が悪いとするならば、自らの権限で「Bは陰謀論である」と結論付け、社会的評価を規定できてしまうことになります。
つまり、言説の強度を決めるのは「権威」であって、決して妥当性の高さや倫理的正当性とは限らないのです。

私は、ウクライナ侵攻の情報を追う中で、反省したことがあります。
それはロシアが一辺倒で悪と断定し、ウクライナ側の正当性だけを過大評価していたことです。
戦争自体を始めたのはロシア側であり、その国家的責任は許されるべきではないと思います。
しかし、どうもドンパス地域によるロシア系住民へのウクライナ政府の迫害はどうも事実であり、ロシアには軍事介入における論拠があったことを認めざるを得ません。
ゆえにウクライナ側が「正義」であり、ロシア側を「悪」と断じていた認識を反省しながら、戦争とは言え民間人を標的にした作戦や非人道的な戦術を続けるロシアを擁護することはできず、やはり戦争は「善悪二元論」で片付けることはできないのだと思います。

CIAの協力で誕生した現ウクライナ政府は「DS」の手先であり、ロシアが「DSから世界を守る戦い」をしているとか、あるいは西側諸国の民主主義を脅かす社会主義帝国の侵略と取り、ウクライナが民主主義陣営の代表として戦っている、という見解もあります。
これらの説は正しいか間違っているかというより、まず「善悪二元論」で捉えていることを考慮しなければなりません。
やはり戦争とは黒と白の入り混じるものであり、決してグレー一色とも言えず、とは言え、決して白と黒で見てはならないものであることは確かだと思います。
ゆえに、善悪二元論を排して見る利害関係にこそ真実が隠されており、どちらが正しくてどちらが間違っている、という断定では拾いきれないものがあります。

特に戦争のような諜報が基本となる出来事は、双方が「陰謀」というレトリックを用います。
事実のレベルからフィルターが掛けられた不確実な情報の中で、「正解」を踏み続けることは不可能であり、それゆえ「善悪」とも「陰謀」とも断定するのは危険です。

前置きが長くなってしまいましたが、要は「陰謀論」という断定は、かえって真実性にフィルターをかけてしまいかねず、その評価には「権威性」がつきまといます。
正誤の判断はエビデンスをしっかり見極めた上でロジックを吟味し、たどり着く結論が妥当かどうかを各自が考えるべきだと思います。
だから私は「陰謀論」という印象を抱かれないように努力しますが、論拠となるデータに関してはソース上の権利の関係で、今回は省きながら解説させて頂くことをご了承下さい。

さて、今回のテーマは「グレートリセット」についてです。
「グレートリセット」とは、「世界経済フォーラム」が開催する2020年度開催のダヴォス会議においてテーマとされ、世間を騒がせた概念です。

かねてから陰謀論の目玉とされることの多いWEFですが、Wikipedia日本語版の記事を読むと確かにツッコミ所満載です。
ここでWEF最高責任者であるクラウス・シュワブ氏の提唱をまとめてみます。

1. 利害関係者の経済の整備
2. 弾力的で公平、かつ持続可能な環境構築
3. 第四次産業革命の先進性の活用

この理念を実際に、WEFの具体的な推進事業に当てはめてみます。

1′.LGBTQ(性的多様性)、ポリティカル・コレクトネス
2′.環境エネルギー、脱炭素社会、EV、窒素肥料削減、家畜削減
3′.生成AI、AIロボット、自動運転技術

「うわあ…」と思ってしまいますが、これは決して穿った目で見ている訳ではなく、彼らの思想が具現化したものを私たちはこれまで見させられてきた、ということだと思います。
つまり、いつも隣にグローバリストがいた訳で、この支配感の延長に彼らが口にする「世界政府」はあるわけです。
決して、リベラル派やコミュニストの専売特許だったわけではなく、どうやら権利元は「世界経済フォーラム」だったようです。

日本語版Wikipediaによると、これらは「リセット」後に構築されるべき仕組みであり、その他に「経済グレートリセット」なる概念があるそうです。
それによると経済グレートリセットとは、わざと国債や通貨価値を暴落させ「インフレを極限まで高めることで負債をゼロ同然にし、超インフレでの国民の不満は補助金などの政策によって緩和し、金融取引は金や銀で行う」という解説が付記されていました。

経済学的に見て、申し訳ないですが現実的ではありません。
そもそも、国債価格がゼロになるということは国家財政の破綻を意味するので、国家もろとも消滅することを示しています。

通貨に価値がなくなるわけですから、インフレどころか物物交換か他国の通貨を使って取引することになります。
そこで金銀で取引するのは、現代においても通常の商用取引であり、金本位制に移行するのは結局、通貨の撤廃を意味します。
これらをまとめると「国家もろとも消し去って、通貨も撤廃する」と言っているようなものです。

例えば負債総額35兆ドルで、日々含み損が肥大しているアメリカのような国が、「もうアメリカ合衆国やめるので、ドルも廃止します」というのは、確かにグレートリセット以外の何ものでもありません。
ただ、さすがに世界中のエリートが集まるWEFでこんなフワフワした話が出たとは思えないので、「世界経済フォーラム」が公式に定義する「グレートリセット」を順を追って考えるなら、どういったものになるのでしょうか。

男と女という差別をそもそも無くし、人種という概念自体を取り払い、国境も民族もいっそ無くしてしまって、人間が労働から解放されるためにAIを使役するようにしながら、たくさん人口がいるとそれだけ統治コストが高く、環境に悪影響なので総人口を合理的に削減し、人口増加リスクを軽減するために農地も減少させ、動物の肉もなるべく食べないようにして、地味な自然環境エネルギーだけを使い、末永く人類を世界政府の下で細々と管理される存在にしよう

こういう説明だけを聞いていても、どこか街角で聞いたことがあるくらい、懐かしいメロディに感じます。まるで、どこかの国の映画で見たディストピアです。
つまり、このサステナブルな世界にするためにはその準備が必要であり、いつかは焦眉の課題である人口削減に取り掛からなければいけませんし、農地や家畜の数を減らさなければなりませんし、化石燃料を廃して自然エネルギーで発電できる環境を整え、人間が働かなくて良いようにAIにできることを全てやらせるところまで、文明を持っていく必要があります。

ここに、近年東西問わず先進国を中心に推進されてきた自然エネルギー発電、EV、農地削減、AIまでのトレンドが揃います。
今、世界中で起こっている戦争や疫病までWEFの提唱通りとは言いきれませんが、薬害が確認されているコロナワクチンはWEFの中心母体であるビル&メリンダ・ゲイツ財団とその影響下にあるWHOが推進したものです。

ここまで来たら、陰謀論と実際にやっていることの距離がなさすぎて、もはや「陰謀」ではなく実際に推進されている事業の良し悪しではないでしょうか。
このWikipediaでは、これらのグローバリズムを批判する人々の名が列挙されており、「陰謀論者」であると断定しています。
しかしよく読むと、これら陰謀論者の発言をファクトチェックしたBBCは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の資金提供を受けている放送局であることは公然の事実であり、CNNもとい、どこも旧メディアは資金難に喘いでいると聞きます。
ゲイツ財団の支援を受けているBBCの「WEF」批判に対するファクトチェックは、朝日新聞のファクトチェックを朝日新聞系列組織がやるようなものではないでしょうか。
Wikipediaも昔から中立とは言い難い内容がありますが、有志記者の管理にも限界があるのかもしれません。

では、ここから「グレートリセット」が本当に発動するとしたら実際にどうなるのか、考えてみたいと思います。
本題に入るまでが長くなりすぎました。申し訳ございません。

先ほど、「経済グレートリセット」に関して批判を行いましたが、実際にアメリカの中央銀行である連邦準備制度(FRB)は、ドルのデジタル通貨一元化を計画しているようです。
FRBは2019年の金融危機以降、青色吐息の金融業界を救うために毎日2400億ドルの通貨供給をしながら、利払いで日々7・8億ドル溶けていき、今や年間損失額が1000億ドルを超えていると言います。
米国政府の負債総額は35兆ドルとされており、利払いと年々積み重なる財政赤字で火の車なのは明らかであり、いっそ「ちゃぶ台返し」を考えていてもおかしくありません。

最近まで、トランプ大統領はFRBのパウエル議長に対し、利下げ要求の圧力を強めていました。
FRBが利下げを渋るのは、外国為替市場でドルが売られてドル安になれば、余計に利払いが増え財政負担となり、赤字まみれの財務状況が悪化するからでもあるのでしょう。
FRBには「ボルカーのインフレ退治」の成功体験があるため、「インフレには利上げ」という形式的な考えが染みついており、中央銀行のプライドとして教義に背く訳にはいかないのかもしれません。
ただ本音としては、中央銀行が扱えるのは国内に滞留する20兆ドルの流動性に過ぎず、国外には「ユーロダラー」と呼ばれる160兆ドル程度の制御不可能な資本が市場の流動性を決定づけており、政策金利をいじって通貨量を変えたところで、実は何もできないのを悟られる恐れがあるからです。

日本の省庁でもそうですが、ああいったエリートで固めた組織は「俺たちが国を動かしている」というプライドがあり、それゆえに中央銀行が無能であることを悟られる恐怖はエリートたちにとって相当のはずです。
だから対外的には、トランプ大統領の命令通りに「利下げ」をしたら、余計に状況が悪化するかをまず見極める必要があり、そこに関してここ数か月は検討を重ねていたのだと思います。
あと他にも、FRBがどうしても高金利の状態を維持したかった理由があります。

2020年にコロナのパンデミックが起きた時、FRBは経済浮揚を図るために財源として2兆ドルの臨時国債を増発しました。
その時、アメリカの大手銀行である「バンク・オブ・アメリカ」が7000億ドルの国債を大量に購入し、どうもその後の国債暴落に合わせて多額の含み損を抱えてしまったようなのです。
ただ、バンカメはアメリカを代表する大銀行の一行ですから、経営危機に陥っていると言えど簡単に潰れてもらうわけにはいきません。
そのため、利上げポジションを保つことでバンカメの自己資本の欠損や含み損を相殺し、なるべく赤字を軽減させようとしてきたのです。

ただ、バンク・オブ・アメリカの株を大量に保有していた投資会社、バークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェット氏も、さすがにそんな危ない銀行の株は持てません。
そのため、現在バフェット氏はバンカメの株を大量に売却し、開示義務のある10%以下の保有率まで下げ、たぶん現在は売り切っているはずです。

このように、「グレートリセット」のWikipediaにある、国債価格を限りなくゼロにして負債を相殺する、というのは理論上は可能です。
でもどうせなら、このまま債務地獄に陥り破綻するのは見えているので、いっそドルを「デジタル通貨」に一元化すれば、中央銀行としてのメンツを保ったままユーロダラーから優位性も奪還することができ、おまけに国民の経済活動の全監視と統制能力まで獲得できるのです

これまで米国経済を牛耳ってきたグローバリストが、もしこの構想をFRBと共有したとして、瀕死の中央銀行が乗らない理由があるでしょうか。
「グレートリセット」の提唱理念の始めにあるように、世界各国のコロナ対策として膨らんだ負債をチャラにする妙案としてのグレートリセットは、国債の価値を限りなくゼロに近づけて超インフレを起こし、負債を無同然とすることです。
アメリカの金融業界の柱であるFRBが、多業界の超富裕層の集団であるWEFと懇ろでないはずはないので、今取りかかるつもりではないにせよ、この妙案通りの方針に出口を見出していてもおかしくはありません。

奇しくもバンカメの株を売り払ったバフェット氏は、WEFの影の主催者であるビル・ゲイツ氏の師であり、ゲイツ氏自身もアメリカ金融界が瀕死の状態にあることを知らないはずがありません。
ドルを廃止し「デジタル貨幣」に切り替えることは、ITと金融が新基軸のデジタルドルを完全に掌握することとなり、例えばブロックチェーン技術を用いて国民や世界中の人々の信用度をデータベース化できれば、全ての流通と投資を監視しながら、中央銀行が全統制能力を獲得することができるのです。
これが空想にせよ、捉えどころのない分散型のユーロダラーに主導権を奪われ、実質的に風見鶏同然の存在となったFRBや世界各国の中央銀行が、自らの威信を取り戻すためには基軸通貨の転換こそ理に叶っているのです。

つまり、「負債を帳消しにして新しい世界秩序を作る」という点では、進むも退くもできない金融業界と、世界政府樹立を目論むグローバリストたちとは利害が一致します。
けれどここで気になるのは、経済界の富豪と繋がっているであろうFRBのパウエル氏やクック理事を更迭して、自らの息のかかった責任者にすげ替え、FRBをコントロール下に置きたいトランプ大統領は、どうもグローバリスト側と利害が一致しているように見えません。

これまでいつでも暴露可能なエプスタイン問題を素通りしたり、軍事予算に全く手をつけずに予算案を提出したり、マニフェストと逆のことに勤しんできたトランプ氏が、むしろインフレに実行力のある利下げ方針を取り、グローバリストの意向に沿う働きをしてきたFRBの改革に手をつけ始めているのは、何となく矛盾しているように思えます。
この動きを見るに、トランプ氏としては米国政治の要であるイスラエルロビーや軍事系ロビー、医療・製薬ロビー、IT系ロビーの既得権益を毀損するつもりはないし、金融ロビーと金融業界もできるだけ延命させたいが、グローバリストから経済のハンドルだけは取り戻したい、というのが本音なのではないでしょうか。

しかし、そうは言ってもFRBには事実上の経済調整能力はなく、主導権はほぼ実態のないユーロダラーにあるので、トランプ大統領がFRBというハンドルを握ったところで、経済は思うように動かないのです。
おそらく「ディール」好きのトランプ大統領は、イーロン・マスクを通じて「DS」つまりグローバリスト側と協議し、グローバリスト勢力の利権を保証する代わりに金融に関する主導権を獲得したのではないでしょうか。
しかしグローバリストも一枚岩ではないため、特に民主党寄りの勢力とは利害が一致せず、民主党支持であるパウエル氏とは未だに折り合いがついていないと考えられます。

こうして見ると、アメリカの超富裕層を中心とする「グローバリスト」はそもそもアメリカ経済を土台としており、アメリカの政治はエリート階級のロビイングや財力に支えられているため、そもそも相反するというより元々持ちつ持たれつであるように思います。
従って、「グローバリスト」とはエリート階級の抱く選民思想やアメリカ帝国主義の支流にあって、彼らからすれば「グローバリズム」の母体としてのアメリカと、3億4000万人の住む多民族国家としてのアメリカは定義の異なるものであり、それゆえに中流階級以下の国民の利益や権利が政治の上で軽視されるのは当然かもしれません。

トランプ大統領がマニュフェストをひっくり返してグローバリストに有利な方針に変わったのも、「世界政府」のビジョンとアメリカ第一主義の相似性と矛盾の少なさに気づいたからであり、仮にアメリカが世界に君臨するにも、その下に世界政府が存在しても結果的には同じことになります。
つまり、「アメリカ的思想」の発露としての「アメリカ帝国主義」がいずれ世界を支配することになれば、事実上理念としてのアメリカが永久に繁栄することを意味します。
従って、現在のアメリカ政治と金融を支える既得権益がそのまま残存しても、大した問題はないどころかむしろ有益、くらいに考えてもおかしくありません。

仮に世界を混乱に陥れたコロナウイルスの出元や正体が何であろうと、結果的にファイザーやモデルナを始めとする米国内の製薬業界は相当な国益をもたらしたはずで、EVや再生可能エネルギー、AIにしろ政治家に莫大な供与をしてくれる企業系のスポンサーがあってこそのアメリカ政界であり、彼らを敵に回すのは得策ではないのは確かです。
ゆえに、いつ沈むかわからない「アメリカ合衆国」を存続させるという第一目標を達成するには、中流以下の国民がどれだけ貧困に沈み治安が悪化し堕落しても、「国家」という崇高な理念の前では二の次にもなるでしょう。

そして、金満で溢れる国際的なトップエリートの集団に加わり、彼らの利権に預かろうとする人々は世界中にいるわけです。
例え自分の国が傾こうと、これから訪れるであろう「世界政府」が誕生した暁には、新政府内で良いポジションに就いていれば自国に利益を分配することができ、それは自分の利益にもなるでしょう。
その最大の貢献者が自分であるとするなら、エリート内の出世争いのためにグローバリズムのマニフェストを実行し、一時的に国益を毀損してでも長い目で見れば国にとって善いことをしているのだ、と正当化しうるはずです。

どうもその思考が近年の各国の政治事情に反映された結果、国民の意向を無視した政治権力の暴走に繋がっているのではないでしょうか。
そう考えると、過剰なマイノリティ優遇や不必要な環境エネルギーの推進、大した利益をもたらさないEVや生成AIへの過剰投資も説明がつきます。
そして、ここまで利益誘導的な性格が露出しているこれらの計画が、アメリカの一大産業である「戦争」という分野に活用されていないはずがないのです。
アメリカが世界中の批判に甘んじながら国費を投入して支援するイスラエルのパレスチナ侵攻、ウクライナ戦争に関しても不自然に見える部分はとても多いように感じます。

こうして俯瞰してみると、確かに世界のトレンドはグローバリストの提案通りに拡大しており、「世界政府」への布石も着々と打たれているように見えます。
しかし、私のような一般市民でも「陰謀論」に罹患し、グローバリストのやりたいことが手に取るように見えるご時世にあって、彼らが「自分たちが導かなければならない雑多な大衆」と思う大多数の人類を相手に、裏を掻かれることがないと言えるのでしょうか。

前回の記事にも書きましたが、防疫どころか薬害をまき散らすコロナワクチンや、思うほど大規模になってくれない幾つかの戦争、なかなか成果を発揮しない農業改革、自然エネルギーは未だコストに似合わず、EVは全く普及せず欠陥まみれ、生成AIは未だに有効な活用方法がなく、AGIの開発はまだ理論すらできていない、この現実を前にしていつまで彼らが強気でいられるのか、私は甚だ疑問です。
しかも彼らの提唱するポリティカル・コレクトネスは、逆にマイノリティの人々をやりづらくし、「差別を避ける」ことの意識化が逆に差別を呼んでいます。
そこには、「マジョリティである我々が、弱いマイノリティに目溢ししてあげなければ君たちはやっていけないはずだ」という優越意識がにじみ出てはいないでしょうか。

ただ、もう世はそういったロジックにさめざめするほど触れた結果、匂いを嗅いだだけで「ソレ」とわかるくらい、人々の脳裏には忌避感が広がっています。
大衆的な感覚ではハッキリ「嫌い」と言えるほどの評判になっていても、相変わらず肩書のある人々は優越意識を剥き出しにしながら、異論には容赦なく力を用いる彼らのやり方ですら、無邪気な大衆も予測ができるようになってしまいました。
つまり「社会的強者」と「大いなる弱者」となった大衆との間ではここまで温度差があり、その「社会的強度」で保証される発言力や強制力が社会的地位、財力や権威を基盤とするなら、それが瓦解した時には自分たちも「大いなる弱者」の一部になることを意味するのです。

そして実際、私が解説してきたように、アメリカ金融の世界は破綻直前であり、好況と思わせている株式も一皮剥けば実態がないことも明らかになりつつあります。
果たして、「アメリカ経済」という下支えを失った状態で、国内のガリバー企業の経営陣で構成されるWEFの権威は保たれるのでしょうか。
もしもの話をすれば、懐と名誉が傷んだ経営者が「世界新政府」の閣僚として誕生したとして、全世界の人々から惜しみない喝采が送られるでしょうか。
やはり、世界新政府も今日のアメリカ合衆国がしているように、強権的かつ強引な手法で抵抗勢力を制圧しながら、身内には甘いやり方で権勢を維持しようとするのではないでしょうか。
それはあたかも、ハリウッド映画によくある「ディストピア」のように。

「世界政府」というのは、見方を変えれば「アメリカ帝国主義による世界征服」であり、真のアメリカ合衆国を毀損した末に築かれる、全世界195カ国を属州とした「世界のアメリカ合衆国」を意味します。
その利害とトランプ大統領の「アメリカ第一主義」は全く矛盾しないからこそ、彼が糾弾しようとしていた「DS(グローバリスト)」の利益となることを推進し始めたのだと思います。
ゆえにトランプ政権はグローバリズムの体現であり、アメリカのナショナリズムはグローバリズムと同化したと考えて良いでしょう。
しかし実態としては刃の欠けた諸刃の剣であり、トランプ大統領が意気込めば意気込むほどに墓穴を掘る状況になりつつあります。

冒頭に戻りますが、彼らの言う「グレートリセット」というのは、現時点で実現不可能です。なぜなら、その試みの達成度は現時点でどれも及第点に至っていないからです。そして、今からやり直したとしても、もう上手くいくことはないでしょう。
ただし「アメリカという国をリセットして、基軸通貨も負債もリセットする」という意味での「グレートリセット」はもの凄く現実的です。
そして、米ドルなき世界経済も、必然的に「グレートリセット」という大変革を迎えることでしょう。

アメリカを世界政府の土台としながら、それ以外の国々を民族もろとも「リセット」する本来の「グレートリセット」は今や夢幻となり、世界変革で最も大きな利権を得ようとしていた彼らがその富や権益をリセットされる時が来るのならば、それこそ新時代のための「グレートリセット」となるではないでしょうか。
現在の強大な既得権益構造が剥ぎ取られ、中央集権型の「ドル」が世界の経済の中心になるのではなく、投資先を求めて世界中を回遊する「ユーロダラー」がトレンドを作る世界は、さぞかし風通しの良い世の中になりそうです。

むしろ「グレートリセット」で君臨する予定の彼らのリセットこそ、人類に有益な「グレートリセット」であり、決して大勢の人の命や文化ではなく、如何わしい権力者の持つ富や権力こそリセットされるべきなのです。



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「世界政府」樹立ならず

楽太郎です。

このところ、あまりにテーマが社会派になりすぎて、「巨悪と戦う」ような姿勢に見えていたかもしれません。
しかし、「戦う」にも色々なタイプがあって、相手とバチバチに石を投げ合うのも「戦い」なら、自らの欲望に耐えてガマンするのも「戦い」です。
私のニュアンスはどちらかと言えば後者に近く、結論としては「耐えてたらなぜか勝っていた」状況になると私は思っています。

今回は「世界政府」について取り扱います。
これまた大きなテーマで恐縮ですが、一先ずお付き合いください。

さて、前回の記事ではあたかも「DS(ディープステート)」と呼ばれる組織が「世界経済フォーラム(WEF)」であるかのように取り扱いました。
私は「DS」に関して何を対象として扱うかで意味が異なると考えていて、例えばロックフェラーやロスチャイルドの私設闇組織とか、西欧の貴族と富豪が集まる「ビルダーバーグ会議」とか、例に漏れず「世界経済フォーラム」とかを挙げることができますが、誰がどう「DS」と呼ぶかによるので、断定できません。

結局、陰謀論が湧き上がってもトータルで「開き直れば良い」と割りきり、「表向きに計画がバレようが、その通りにやって大して批判が起こらず、実行可能なら特に問題はない」と考えて世界経済のトレンドを意図的に操っているのは、WEFの中心母体であるビル&メリンダ・ゲイツ財団が本丸であると、私は確信しています。

WEFの年次総会である「ダヴォス会議」には、世界の政府要人や貴族や富豪、著名な学者や文化人も参加し、その討議の様子は全て中継され大部分が配信されているので、「闇」は全く感じません。
しかし、この総会を「カンヌ映画祭」に例えたら、大衆にとっては映画の内容より俳優や監督がレッドカーペットを歩く姿を見るのがメインであり、このフェスが業界のレセプションとしての意味合いが強いことがわかるはずです。

WEFに参加可能な錚々たる面々を一人ずつ確認すると、この会に参加する「資格」がどういうものかは一目でわかるはずです。
あまりここで実名を出すと誹謗になりかねないので伏せますが、大抵「大富豪」「業界トップ」「エリート」の三拍子に「グローバリスト」という半拍がついた人々です。

彼らがレッドカーペットを歩く俳優や女優だとしたら、映画の賞を選考する主催者がいるはずです。
その選考委員を取りまとめるのが、かのMicrosoft会長のビル・ゲイツ氏であり、米国一の投資会社バークシャー・ハサウェイを率いるウォーレン・バフェット氏の愛弟子とされる人物です。
ゲイツ氏の動向を穿った目で観察すれば、ボロボロとホコリと陰謀論が出てきてしまうのですが、私自身が興味深いと思うのはそこではありません。

2020年のコロナウイルス流行に伴うワクチンの強制接種や、都市ロックダウンからの経済的変容、食糧難を煽りながら進む農業縮小、化石燃料を悪役化して成り立つ環境エネルギー、エンジン車に変わるEVの流通、AI革命による人的労働力の代替、これらがグローバリストの諸々の計画の一部だとしても、大概うまくいっていないことです。

一つ一つ説明していったら長くなるのですが、例えばゲイツ財団とWHOが結託して先進国の人々に打たせたコロナワクチンは、防疫効果よりも接種後の薬害と、ワクチンの薬効をすり抜けて逆に増殖するウイルスが判明し、それに加えワクチンに含めた「避妊」効果さえも暴露されてしまい、完全に手元のカードがバレてしまいました。

「環境エネルギー」という新型利権にありつくためにでっち上げた「地球温暖化説」も、経済効果を伴えば嘘も誠になったのでしょうが、EVは長期的に見て全く合理的ではない上に技術的に未熟で、自然エネルギー発電に至っては天然ガスと石油の熱効率を代替しようとするほどコストが爆上がりするので、完全にイロモノの技術です。

とりあえず、全て富豪がより富豪になるための富豪によるアイデアの寄せ集めなので、思いついたことを力任せにやっていればうまくいくものではないことの証明ではないでしょうか。
生成AIによる芸術家やクリエイターの著作権侵害、世界中の創作・芸術文化をメタメタにしたことや、ディープフェイクによる社会犯罪や人権侵害もまだ可愛いもので、コロナウイルスが人工的か自然発生からは置いておいて、ワクチンの薬害なんてのは下手すると国家が吹き飛ぶくらいの大疑獄になりかねません。

脳裏に、新日本窒素肥料が引き起こした公害による「水俣病」や厚生省とミドリ十字の「薬害エイズ」も決着までに何十年もかかった記憶があり、訴えようと政府や企業がゴネて長引くのは目に見えます。
また、この訴訟が起こるにしても先進国はだいたい強制接種を行なっているので、なかなか実現するとは思えず、この問題の根は深いと思います。

ただ、それだけのことをやっても平然としていられるのは、彼ら一万人規模のエリート集団を集めたら、全地球の資産の何割かを保有している可能性が高く、それゆえの自信かもしれません。
だから、「何をやってもどうせ大衆は手出しできない」とタカを括っているからこそ、環境問題を取り扱うダボス会議に自家用ジェット機を飛ばして駆けつけても、一般大衆からどう思われるか全く気にしないのでしょう。

もし、彼らがトランプ大統領が倒したかった「DS」なのだとしたら、それこそ児童売春のエプスタイン問題を引っ張り出せば、大衆が勝手に彼らを引きずり下ろすはずです。
しかしそれに関してトランプ大統領は当選後、一貫してシラを切り通しており、むしろ今は「DS」が喜びそうなことばかり実行に移しています。
トランプ大統領が「DODGE」でメスを入れるとされた歳出予算削減でも、社会保障費を減額して軍事防衛費はむしろ増大しています。

どうやらアメリカは共和党、民主党問わずグローバル勢力であり、むしろ「グローバリズム」を逸脱したアメリカのナショナリズムは存在しえないのかもしれません。
「自国拡張主義」、言ってみれば「帝国主義」に民主主義も社会主義も関係なく、帝国を支配する王族や貴族が今や企業家や富豪に置き換わっただけのように見えます。

実のところ人類は、ピューリタン革命やフランス革命を経たところで寡頭政治の歴史は変わっておらず、民主主義ですら「エリート支配層に気に入られた」者だけがトリックを使って代表職に就いてきたのだとしたら、完全な人治政治である社会主義が不幸な歴史を歩んできたのも頷けるのです。

特にアメリカは1946年の「ロビイスト規制法」施行から、企業努力よりも制度を変えることで企業の成長を促してきました。
寡占企業は他の競合を潰すため、優遇策を利用してシェアを拡大すると、どんどん資本が集まりガリバー化します。
MicrosoftはPCにOSを付属させ、それに「Office」を抱き合わせることでスタンダードを作ってきましたが、これは明白に独占禁止法違反ですが未だに何のお咎めもなく、それはGoogleもAppleでも同様です。

国家ぐるみで巨大化した企業から政治家は巨額なキックバックを受け取り、大富豪はますます私腹を肥やし、権力も影響力もますます増大していくのです。
それがビッグテックのような、直接的には人畜無害な業界ならまだ良いのですが、それが軍事や医療や製薬に及ぶのがシャレにならないのです。

アメリカという国が常に戦争を起こし介入したがるのは、戦争自体が巨大な産業であり、その利権にありつく人間が多いからです。
自分たちの利益のために戦争さえ厭わないのですから、欠陥ワクチンを世界中に押しつけることに躊躇するとは思えません。

アメリカのボロを突けばホコリは無限に湧いて出るのですが、今回の話のテーマはそこではありません。
今、トランプ大統領はFRBのパウエル議長やクック理事を解任させ、自分の指名候補に入れ替えることに躍起です。

トランプ大統領がグローバリストに屈してもしていなくても、これまでFRBはアメリカの利権の中心にいたのは間違いなく、トランプ大統領が本気でアメリカ経済を何とかしたいのは事実かもしれません。
アメリカの命運を分ける話題となっている「米国債9月利下げ」に関してですが、おそらく政策金利の利下げをFRBが渋るのは「利下げが危険だから」ではありません。

実は、米国株の堅調を支える「マネーサプライ供給(M2)」や債権を含めた世界流動性の総量を決定づけているのはFRBではなく、欧州や外国の投資家のもつ「ユーロダラー」と呼ばれる、本国以外で流通するドル資産です。
専門家の推察では、米国内の流動性が20兆ドルだとしたら、海外に滞留するユーロダラーの総量は160兆ドルほどではないか、と言われています。

FRBが操作可能な中央銀行貨幣を20兆ドルとすれば、本国以外で取引されるドルの総量が8倍近くあり、その資本の総量を鑑みればFRBの施策が小手先で終わるのは目に見えています。
FRBが利下げを渋るのは、これを自分でわかっているからであり、「利下げをしたのに、さっぱり良くならないじゃないか」と突っ込まれたら、FRBに政策金利を操作して米国経済をコントロールする力がそもそもないことが判明してしまうからです。

そして実際に、トランプ大統領の指示通りに利下げをすれば、確かに国債の値段は上がります。
FRBが低金利にしておくことで、外国での資産運用が有利に働いていたテクノロジー系企業が株式を支えるアメリカにとって、その恩恵は株高をもたらすでしょう。
「これでアメリカの将来は安泰だ」と外国人が国債を買い、今年に支払えるかわからない7兆ドルの債務もきちんと賄えるとしたら、確かに「ソフトランディング」するかもしれません。

しかし、ここまで国債金利が上がったのは、コロナ以降数年で膨らんだ18兆ドルの債務を誤魔化すために国債を増発したからであり、いくら国債と株式市場が好調でも、赤字財政の体質そのものを是正しなければまた自ずと国債価格は下がり、金利が上昇してよりインフレが加速してしまいます。
成長産業が殆どなく、ガリバー企業となったビッグテックを投資の呼水にするしかないアメリカが、国債価格を上げて景気浮揚をしようにも政府と国家経済の枠組みそのものを変えなければ、いずれ必然的に破綻します。

しかも、世界中のマネーサプライの殆どが海外にあるアメリカにとって、投資家は「儲かるか儲からないか」で考えて資本を投下しているのであって、投資が覚束なければ金詰まりを起こし、流動性危機をもたらします。
また米国株式を支えている40%は海外投資家であり、彼らの機嫌次第で株が動いているので、仮にAIバブルに踊らされただけだとわかったら、すぐに資金を引っ込めるでしょう。

また、各国に押し売り強盗の態度で関税交渉をしたアメリカに反感を抱いていない国はありません。
ただでさえ常日頃からロクなことをしてこなかったアメリカが、強情に出るから相手国が穏便にしているだけで、ニコニコして席を譲った日本でさえ、魂の自動車産業は毎日2億円の損失を出しているそうです。
まして、隙あらばアメリカを沈めてやろうと思う勢力もおり、ドルを持っているから味方とは限らないのです。

私はどの手を読んでも、ビックリするほど手詰まりの状況に思えるのですが、いつまで持ち堪えられるのかと静観している次第です。
そこで涼しい顔をしてスイスのリゾート地をジェット機で駆けつける富豪たちの姿が思い浮かびます。
もし彼らグローバリストが一枚上手で、アメリカという国を踏み台にしてまで世界政府樹立を計画しているなら、参ったという他ありません、

ただ、コロナワクチンの評判や、思うほど大規模になってくれない戦争、戦争特需に大した経済効果なく、なかなか成果を発揮しない人口削減、食糧危機を煽っても大した飢餓になってくれず、自然エネルギーは儲からず、EVは大抵赤字、生成AIはパクるだけパクって役立たず、これらの計画を見るとそこまで頭がキレる人々とは思えません。

しかも成金国家のアメリカが金づるにならずに、どうやって世界政府の財源を得ようと考えているのでしょうか。
そもそも、世界政府に資金を上納しそうな企業はだいたい米国企業なのですが、それが安泰でないのにマジでどうするつもりなのか、愚民である私には想像がつきません。

「いや、世界中のグローバリストが結託すればアメリカ一強ではない」というのも頷けます。
しかし、ダボス会議に有色人種の参加者が極端に少ないのは、おそらく白人がフロントとして大衆の面前で相手をして、黒人や中東系やアジア出身の偉い人々が、バックヤードにいるビル・ゲイツと膝を合わせて人類の未来を昼夜語り合っていると考えて良いのでしょう。
「人類皆平等」を夢見るグローバリストが、まさか白人中心の考えなど持たないでしょうからです。

彼らの魂胆を、それすら見え透いてしまう一般人がいて、世界経済フォーラムの人々の面の皮の厚さと共に、その偉大なる業績まではっきりと認識できる今の世にあって、全人類に称賛されながら誕生する「世界政府」は逆に見てみたくもあります。
まあ、国家運営が2、3年続けば御の字ではないでしょうか。

今回はかなり挑発的な内容となりましたが、まさか閲覧数が極端に少ないこのブログがCIAに狙われることはないでしょうし、そもそも本国から仕事のない絵描きをわざわざ消しに来るほど暇でもないでしょう。
こんな声なんてのは、今ではどこでも交わされていますから。

私は普段、スピリチュアルな話を良くします。
目に見えない世界のことやわからないことには第六感を使いますが、目で見て頭で考えてわかることに、その力は使う必要がありません。

*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

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人間、本来のあり方に

楽太郎です。

私は心霊オカルトが子供の頃から大好きで、TVの心霊特番はいつも楽しみにしていました。
「幽霊がいたら面白いな」という感覚はありましたが、自分の霊感は疑ってましたし、周りに合わせて「目に見えない世界」の存在を否定していました。

私はつい1年前までは、完全に「無神論」の世界にどっぷり浸かり、その世界観に全く疑いもなく生きてきました。
それが昨年の秋分以降、みるみる霊的な覚醒をしていき、あれよあれよという間にスピリチュアリストとしての道を突き進んできました。
それはもはや私の意志というより、強制的に「道に戻された」感覚に近いのです。

このブログでは常々、目に見えない存在からの「憑依」の戦いを綴ってきました。
そもそも、私が「憑依されやすい体質」であること、憑依されるから言動や思考に影響を受けやすいこと、霊障が起きているから心身共に体調がおかしく、何となく変なことばかり起こるのも、それまで「無神論=唯物史観」の世界に生きてきたからこそ、何十年も気づくことができなかったのです。

考えてみれば、赤ん坊の頃に異常な夜泣きをしたり、幼稚園に上がる前から頭痛持ちで、子供の頃から集団がもの凄く苦手で、大勢の人と同じ空間にいると頭がモヤモヤしてくるのも、全て「霊感」という概念で説明がついたはずです。
しかし、周りにそういった指摘をできる大人はなく、その大人の大部分が「霊など存在しない」と思ってましたし、憑依や霊障も何らかの病気の一種で、ちゃんとした医者にかかれば治ると考えていました。

しかし今答えを出すならば、私が正しく「信仰」という道に気づいていれば、神様が私を守ってくださり、心身はもっと充実した状態でいられたのでしょう。
そして無駄に苦しむことなく真の問題と向き合い、自分の心身に何が起こっているかも知ることができたはずです。

その「気づき」が遅れたのは、別に周りの大人が悪いわけではなく、霊障に苦しむ人生も自分の魂と神様が決めた人生のシナリオだったのだと思います。
ただ、「唯物主義」に染まった世の中であるがゆえに、目に見えない世界の干渉や影響の可能性に誰も気づかず、あらゆる不調の原因を「科学的病理」としてきたからこそ、問題の在処が覆い隠されてきたのです。

私の亡くなった叔父の話をすると、やはり私と同じ能力と血族的因縁を持った人で、霊感もかなりある人だったのだと思います。
叔父は心を病んで自ら命を絶ってしまったのですが、生前に「あるはずのないものが見えたり、聞こえる」ことを誰かに相談しても、「お前は頭がおかしいんだ」と散々言われ続けたようなのです。
ど田舎の農村から大学受験をして良い所の大学に進み、そのまま東京で有名な大企業に就職した頭の良い叔父は、その仕事場で心を病んでしまいました。

全ての因果を叔父が知ることができたなら、叔父は何十年も無闇に苦しむことはなく、自ら命を絶つ前に救われる道はいくらでもあったのです。
「唯物主義の社会」と「無理解」が叔父を殺めたとも言えるのです。
そして、下手すると私自身も叔父と同じ道を辿る寸前のところにいました。

人を陥れ、神を無きものとしたい勢力からすると、唯物論の蔓延る世界はやり易かったことでしょう。
その裏に「神に仇なす者」がいるとすれば、神の存在を否定すると同時に、自らの暗躍に気づかれずに済むからです。
「目に見えない世界を否定する世界」は、これまで闇の存在にとって最適化された状況であり、人間がモノしか見なければ争いに夢中になり、神を蔑ろにし人々が信心を忘れるほど、神々の加護は加わらなくなるからです。

しかし、それでも世界の真実に気づく人は気づいてましたし、先達たるスピリチュアリストも世のしがらみや誹謗を耐え抜いて、真実を伝えて来られました。
それでも、オウム真理教を始めとする宗教団体の起こす社会問題が、余計に信仰への阻害と無神論を加速させていったのです。

「神を無きもの」にするという巨大な陰謀があり、現代社会が物言わずに闇の力に流されてしまったことで、人心の荒廃が起こり不幸に陥る人々は増していく一方でした。
マクロな視点で言えば、神々が窮地に立たされるのも宇宙の大きなシナリオとも言えるのですが、気づくのが不可能と思えるほどの巧妙な隠蔽の中で、私たちが無闇に苦しむ原因がもたらされる状況が続きました。

この世は「神に仇なす存在」に主導権があり、人間社会は「無神論」の方針を支持する形で発展を続けてきたことで、ずっと逆神の肩を持ち続けてきたのです。
だからこそ人々は神への真の信仰になかなか至れず、邪教を崇拝し道に迷い、神に仇なす者たちの邪な干渉を受け続けてきました。

私一人が、その流れを変えられるわけではありません。
しかし、私以外の人々が次第に覚醒していけば、この世界を覆う闇の正体と影で暗躍している者たちの思惑を、世に知らしめることができるはずです。

これまでの世は、人間のあり方そのものを歪めながら、生き方そのものを型に嵌めて矯正する仕組みでした。
人は生まれた瞬間から、社会が親に与えたヒエラルキーの直下に育ち、学校では定義された「優秀さ」を競わされ、マスメディアでは「理想」とされる人々の成功が持て囃され、世に出れば歪な「エリート」の尺度で行末を決められる、凡そ自分の尺度を持ち込みようのない世界です。

その中で、本当に自分にとって必要な情報や気づきに辿り着くのは、非常に困難でした。
あまりに世にノイズが多すぎるからこそ、確かなものでさえ曖昧になり、何となく生きている人々に紛れてしまえば、何事も確かさなどないように感じられたでしょう。
それでも社会は物質的には豊かであり、何も考えなくてもお金さえ手に入れば、そこそこ深く悩まずとも享楽的に暮らすことができたのです。

しかし、それは「豊かな時代」だからできた誤魔化しであり、貧しくなる一方の状況では異なるはずです。

おそらく日本ならず世界が、かつてのような高度経済を軸にした世には戻ることはありません。
それは「ドル」経済圏が終わるからであり、少なくともドルに代替する基軸通貨が発展形で流通し始めるまでは、低成長経済がスタンダードになっていくはずです。

先進国の少子高齢化もさることながら、製造業主体の経済的牽引はサービス業に取って代わり、製造業は若年人口が多く「発展途上」とされてきた国が担うことになるはずです。
ゆえに日本は、少なくともバブル以前の勢いを再現するのは不可能であり、これからは物質的な豊かさから「精神的な豊かさ」へとシフトする段階に入ったのだと思います。

私の観点は、他の論者とは一手二手先読みする特性があるので、その兆候を感じるのは難しいかもしれません。
しかし経済崩壊は足元に迫っており、心の準備をしていた方が身のためだと思います。
そして、みるみる不便になっていく世を眺めて混乱するのではなく、来るものだと認識しておくことは自分や家族を守ることに繋がるはずです。

現代を形成してきた世界的経済圏の崩壊は、フランス革命とイギリスの産業革命を皮切りとした西洋型資本主義と、そこから派生したマルクス主義の終焉を意味します。
これまでの世界を構成してきた「資本」と「物質」という枠組みが揺らぐことは、人の世を支配してきた権威も決して不動ではなくなるということです。

社会を規定づける権威や権力が相対化される時、人々が「イヤイヤ」ながら従ってきた、ルールや慣習からの拘束も緩むことになるでしょう。
そうすれば、明日だけでなく10年20年先を見越して、仕方なくやるような生き方には何の確かさなどないことに気づくと思います。
その時、人々の心にかけられた「常識」という鎖が解けて、各々が「個人」として立ち戻るきっかけを得ることでしょう。

その時に初めて、これまでの世界を「闇」が支配していたこと、闇の深くに「神に仇なす見えない存在」が蠢いていたことを知るはずです。
そして同時に目に見えなかった存在が、目に見えるようにはっきり人々の心に映ることでしょう。
そこで人々は光を見て、光の中に「神」を見るのではないでしょうか。

私はその時、ようやく報われる人もたくさんいると確信しています。
人々が小さく押し込められた「お金と欲望のために消費される人生」が虚妄に過ぎず、その共同幻想こそ自分たちに迷いや苦しみをもたらしていたことに気づくはずです。

その瞬間が訪れたら「金儲け」という支えを失い「じゃあ、これからどう生きていけば良いんだ」と困惑し、絶望する人も出てくるでしょう。
自分の軸を持ち、金儲けという枠組みがむしろ煩わしかった人ほど、産業のシステムや規則に縛られない状況こそ、待っていた趨勢かもしれません。

それは少なくともこの250年間、巨大な枠組みの中で争いと淘汰を繰り返し、物質的に便利にはなっても人心がどんどん荒廃していく時代が終わり、やっと一息ついて「これからどういう世界を作って行こうか」と考えるタイミングが訪れるのです。
その時に初めて自分らしい生き方を手にする人もいるでしょうし、そのタイミングに合わせて生まれてきた魂もあるのでしょう。

今、闇が深まっていくばかりの世では、どう考えても光なんてないように感じられるかもしれません。
しかし、私たち人間が「悪くなる」と思うことも、神々があえて「悪くしている」のだとしたら、見方はまた変わってきます。
そして神々には、人間の考える「良し悪し」とは別の軸としての意味で「より良い世界」をご計画なされているのだと思います。
ただ、そのスケール感は人間に見渡せるものではないため、ひたすら残酷な部分だけに目が行ってしまうのではないでしょうか。

どんな不幸があっても、どんな不幸がこれまであったとしても、より良い世になるのであれば浮かばれる魂もあります。
私は、うまく生きられなかった叔父の苦しみや悲しみを思う時、私が世の中を変えることに貢献することで、その救いになるのではないかと思います。

叔父だけでなく、私だけでなく、見ず知らずの苦しみを抱えて生きてきた全ての人々が報われるために、これからは良い時代を作っていきたいのです。
ならどうすれば良いのか、私はいつもそのことについて考えています。

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「悪人」の正体

楽太郎です。

昨日、「神の試練を考える」という記事を書いて、「9ヶ月間神様のお役に立つことを考え、頑張ってきた割には何一つ良いことがない」と書きました。
それに泣きっ面に蜂の気分になりつつあって、スマホのバッテリーが劣化しすぎて充電できなくなりました。
まあ、ただの経年劣化なので別に神様のせいではないのですが、AppleCareで毎月580円を支払っているのに、バッテリー保証サービスを受けられる系列店舗が県内に2ヶ所しかなく、しかもどちらも1週間以上予約が取れません。

Appleはまあ、こういう企業なのは前から知ってますが、本当にここまで日本人を舐めていても我が国に莫大なフォロワーがいるのは何とも言えない気持ちになります。
第一、iPhoneの文字入力予測変換に日本慣用漢字ではなく中国語繁体字が上位に出てきますし、文字より先に絵文字が出てくるのもイラッと来ますし、いい加減なんとかならんもんかと常々思っています。

メリケンテックに対する愚痴を溢したらキリがないのでこの辺にしておきますが、海外の企業からすると日本人はこの程度にしか思われていないのが実際なところではないでしょうか。
私は近々、スマホもPCも誰もが使い続けるか悩む事態に陥ると思っているので、特にビッグテックには課金しないように心がけてさえいるのですが、残念ながら代替する製品は世界中見回しても今のところ存在しないので、型落ちのPCにUBUNTUを突っ込むのが席の山ではないかなと思っています。

とにかく「スマホが使えなくなりそう」というのは由々しき事態で、何とかAppleCareのサービスを近いうちに受けられることを願っています。
というか、月々580円を払って無料保証を受けるために電車を乗り継いで遠くの店に行かなければいけない時点で、どうやってもお金を使わなくてはいけないのは腑に落ちません。

私のケチなところが出てしまって、愚痴が止まらず申し訳ないです。
こういう、小さいところのストレスさえどうにもならない現状、神様の「お陰」というのは感じにくいのも現実です。
ただ、神様が加護を与え、いくら導いた上で恩恵や祝福を与えようと、瑣末なストレスまで綺麗さっぱり無くしてあげる道理はなく、そこまで期待するのは甘えなのでしょう。

こういったイカサマが今の世の中には横行していますが、ジワジワと雰囲気が悪くなっていく世の流れも、神々のシナリオの一部だと私は思っています。
世の中がまるで漫画に描いたように極端な悪化を見せれば、さすがにどれほど鈍感な人でも問題意識を持ち始めます。
これまでの人の歴史は、そういった意識による反動が世の中を動かしてきたのです。

そして、「世の中を悪くする人たち」というのも、神々からすれば「世を悪くする」という密命を持った人々なのだろうと思います。
おそらくこの世の「悪」というのは、悪を行うことで現世で利益や願望を実現する代わりに、負のカルマを一身に背負う役割を担っているのではないでしょうか。
だから、今世では何の疑問も反省もなく良い気持ちで一生を終えたとしても、死後の世界や来世ではどうなるかはわかりません。

この世に、もし世の中を良くするために犠牲になる人がいるのなら、彼らは世を悪くするために犠牲になる人たちなのかもしれません。
だから、「悪人だけが得をして、正直者はバカを見る」と思うことも、実は平面的な見方に過ぎないと言えます。
かと言って、「犠牲」という概念が現・幽・神界を通して存在するのかも判断がつかないのですが、私は「悪人」も実は神性が強い傾向があるのではないか、と薄々感じているのです。

聖書的な解釈をすれば、悪魔の王サタンは元々、神に最も近い天使だったルシファーとされ、神性が強かったがゆえに闇堕ちした後はとんでもない悪意の権化となったのです。
私の記憶を顧みれば、中学時代にグレ始めた人は小学校まで良い子だった人も多かったように思いますし、社会人になっても闇堕ちする人は元々真面目な人ばかりでした。
私にもグレていた頃はありましたし、その頃の感覚を思い起こせば、自分の正しいと思う価値観が周りに悉く否定され、自分でも矛盾を感じていたからこそ、その怒りの矛先を探していたのです。

私はいわゆる厄介な人々とも渡り合った経験があるので、「悪人」や「悪意」というものがどういうものかは手に取るようにわかります。
それどころか、つい最近までガチの邪霊や悪魔とやり合っている自覚があったので、「悪」がどういう性質の存在であるかは重々承知していたりします。

その見解に基づけば、彼らは「悪意」を持って「善行」を実践しています。
つまり、他人を貶めたり傷つけて潰したり、社会的地位を剥奪したり人権を叩き壊すのも、破壊や破滅的行為によって自己主張をしたり、「世を変える」という正義に基づいていたりします。
だから、一般的な「善行」という解釈から真逆の行動を彼らは「正義」と思っているだけで、彼ら自身は彼らの世界の「善人」なのです。

そこでは、他人を欺き陥れて満足したり、誰かを誹謗中傷したり嘲笑するのも、「一汗かいて気持ちがいい」程度の感覚なのです。
その様子を私たちが見れば何ともおぞましく感じますし、その異様さを醜いと感じ、社会的な損失を考えれば彼らを憎む気持ちも湧いてきます。

しかし彼らが純粋に、「善悪」の定義が違うだけの「善人」であるとすれば、極端な意味での「多様性」とも言えるのです。
私が先日のブログで「悪を犯す自由と、悪行を楽しむ自由がある」と書いたのは、その考えに基づきます。
その「悪」がこの世に存在を許されているからこそ、彼らの行いを見て考え反省し、世の中の「悪」を取り締まり、調和の取れた平和な社会にするための意義を悟るのです。

そして、彼らが行う「悪」がこの世の大正解であるはずはなく、調和や均衡を乱して破壊をもたらすことは、いずれ自身の破滅を招きます。
見える場所を手当たり次第に「焼き畑」すれば、どこも不毛な土地になり、いずれ自分が飢えて死にます。
ただ、そうなることを考えられないのが「悪」の限界であり、むしろ彼らを導いて生きられるようにするのが本当の「善」というものではないでしょうか。

「日月神示」には、そのお考えが滔々と述べられており、それが「悪を抱き参らせる」ということです。
悪を滅ぼそうと攻撃すれば、かえって反撃の応酬となり、犠牲への憎しみからどちらか一方が滅びるまでやり尽くすしかなくなります。
しかし、その記憶がまた別の悪意を生み、だからこそ争いの因果は連鎖し続けてきたのです。

ゆえに「善」とは悪を滅することに本質があるのではなく、「悪」という存在を認めた上で共存の道を模索し、まして「悪人」が生きながらえる道を示してあげることです。
そこまで「善」に徹するからこそ、その懐の深さと強さと賢さの前に平伏し、「参りました」と言わせることができます。
私は、これが「悪を抱き参らせる」ということの意味ではないかと思います。

もし「悪人」の本性が「善人」であるとすれば、悪人であればあるほど改心した時の反動は大きいのかもしれません。
私が見てきたヤンキーや性悪人間というのは、やはりどこか繊細で、感受性が豊かだから返って傷つき、自分を大事に思うから反発する力が強くなっていったように思います。
ただ、そういった弱さや疾しさは、闇の存在にとっては恰好の依代となるのです。

凶悪犯罪者ほど、どこか「人間らしさ」を感じない、サイコパス傾向が強いのは、彼らが実際に「人間ではない者」と感応するからであり、極悪人に人間味を感じないのはそういうことだったりします。
だからこそ心の迷いを晴らし、正直に親切であろうとする心持ちというのは、それだけで「魔」を祓い悪を遠ざけるのです。

そして人間に幸運をもたらすのも、「魔」を祓い厄病を寄せつけないために「信仰」というのは大事で、「神も仏もいない」という荒んだ気持ちが闇の存在を惹き入れてしまう要因になってしまいます。
私が思うに、「信仰心」と「善」はセットであり、ただ信仰心とは、必ずしも毎日神棚に手を合わせるようなことを意味しません。
「目に見えない存在や人の心」を大事にする感覚こそ神の心であり、その感覚と繋がっていれば例え儀式を伴わなくても信仰は可能なのです。

そして、「神の心」と繋がっていれば自ずと「善」が何かもわかってきます。
全て「目に見える世界が全て」という荒んだ感覚から悪が始まっており、しかし目に見えない世界を想像するのは、心身共に健康さや余裕が必要だったりします。
ゆえに貧しい人が犯罪に走りやすいのも当然の話で、お腹が減っても神様では満腹にならないからです。

私たちは「悪」を憎むがあまり、「悪」を知ろうとしません。
知らないからこそ先入観が膨張し、ますますあり得ない悪人に見えてしまいます。
けれど、意外と会って話してみたらイメージと違ったり、向こうには向こうの事情があったりするのです。
だから、まず相手を知ろうとする努力なくして、「悪」の真の退治は行えません。

前回の記事にも書きましたが、「悪を犯す自由」とは「間違いを犯す自由」であり、「倒錯する権利」でもあります。
厳密に言えばそれこそ「多様性」であり、多様性を謳う人々が特定の価値観を徹底的に弾圧するのも、多様性の一部として認めなければなりません。
そこで矛盾に歯を食いしばりながら、滔々と正論を吐き続ける胆力があってこそ「善行」は全うできるのであり、絵に描いた勧善懲悪では片手落ちなのです。

また、将来的に悪人が良心と知性に目覚め、自らの行いを省みる自由も権利も保証されなければなりません。
そこまで考えられるほど「善」は大人になる必要があり、懐深く気高くなければならないのです。
そこまで行けば聖人か天使かという印象ですが、実際のところ、そうでもない人間が人の生命を裁いてきたのも現実です。

私たちにとって、「善悪」を定義するものは何なのでしょうか。
そして、「悪人」の幸福はどこまで認められるべきなのでしょうか。

悪が悠々とのさばる時代だからこそ、むしろ私は「善」の側にそう問いかけたいのです。

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