自分の運命を呪う Category:エッセイ Date:2025年07月07日 楽太郎です。 世の中が順調に悪化していくのをいくら目の当たりにしても、世が良くなる兆しは一つも見えません。 強いて言うなら、アメリカの国内情勢が明らかに破綻に向かいつつあることですが、とは言え破滅を望む心が善良とは言えないでしょう。 日本の参院選も20日に控えていますが、政治家という職業は選挙の前だけは必死になり、いざ議会が始まると便宜のことに頭を巡らせる人々ばかりです。 私は「民主主義」というのは社会主義同様に絵空事ではないかと思っていて、資本と癒着した民主主義は必ず腐敗します。 トランプ大統領に反旗を翻したイーロン・マスクが今度は新党を立ち上げて、共和党の対立候補に対して資金援助をすると豪語しています。 1947年に成立した「ロビイング規制法」以降、逆にロビイストの献金によって動くようになったアメリカ政府は、大企業に都合の良い法律や制度や環境を作り、市場の自由競争を完全な建前にしてしまいました。 特に大統領選を見てわかりますが、選挙戦はほぼマネーゲームの様相を呈しており、大富豪や企業の政治的献金がモノを言う世界に成り代わっています。 日本ですら、大政党とコネのある企業は業界の覇権を握りますし、国内の長引く不況をもたらした日銀の円安政策も、一部の輸出企業に恩恵を誘導する状況を作り出してきました。 政党支持率は思想云々ではなく、一部の人々の利権によって先導され、大衆はマスコミやメディアの煽りを受けて右へ左へと流されてきたのです。 その思想性のなさゆえに現在の状況があり、どうも日本人という民族は思想と政治と宗教に関して絶望的にセンスがないようです。 今では「正義」を象徴するものが「お金」になり、お金にならなければ悪、お金があれば幸せになるし便利だし願いも叶うし安全も買える、だからお金こそ正義である、と信じる人がたくさんいます。 そう言った人々にいくら考え直すように促したところで、それ以上に余計なお世話はありません。 彼らは彼らの価値観で正しい生き方を選んでいるので、「清貧」などと言おうものならタコ殴りにされるだけです。 彼ら自身も、決して間違っているわけではありません。 お金があれば力が生まれ、そのパワーがあれば大抵の人は言うことを聞くので、あらゆる欲望も願いも叶い、最終的には法や因果すらも捻じ曲げることができます。 お金があれば大概の不安はなくなり、豊かな生活が保証され健康でいられることは、幸福に繋がります。 ゆえに、そういう仕組みの世の中に「適応」しただけで、適者生存で繁栄する種族に罪はありません。 けれど、私からすると先細りが明らかに見える社会的状況で、世の不正や搾取を修正できる兆しも一切なく、どうやって同じことを繰り返して発展していくつもりなのか、甚だ疑問です。 どう考えてもこれだけ世の中が悪ければ若い世代はますます家族を作りたがらないでしょうし、少子化が加速すれば国家存亡の危機に陥ります。 おそらく今トップにいる人たちは、「日本列島に住むのは別に日本人でなくてもいい」という考えなのでしょうが、その流れで言えば今の状況を甘んじて受け入れている国民一人一人が、「棄国」に協力していることになります。 自分が生きているうちは「まだ日本」だから安心して死ねるのでしょうが、二世代三世代後の日本人がどうなるかまでは考える気がないのでしょう。 そんな世を見て、「この状況をどうすれば変えることができるか?」と私は常々考えるのですが、もはや一市民が立ち上がり、仮に十市民になっても千市民になってもどうにもならないかもしれません。 今、この国だけでなく世界中で起こっていることはもはや人間だけのレベルで起こっていることではなく、それゆえ人間よりも上位の存在、即ち神様のお力でなければ世を動かすことはできないでしょう。 今、世界のエネルギーは「覚醒」と「変革」を促す方向に向かっています。 しかし残念ながら、私が見る限りで「改善」「回復」の波動は見当たりません。 だからこそ世は混沌を増す一方であり、一時的に改善してそこから快方に向かう、という流れには感じ取れません。 むしろ、膿を出せるだけ出し切り、腐敗をさせ切って塵にしてからようやく革新が始まる、そんなシナリオに思えます。 この殺伐とした緩い地獄のような時代に、成長期や青春を過ごさなくてはならない子供たちを思うと、胸が痛みます。 そう言っている私も、これまでの拝金主義の時代にボコボコにされてきた人間ですし、私は根から競争社会や比較を軸にした価値観とは合いませんでした。 人間、一度せっかく生まれてきたのだから、他人の意見に左右されず、抑圧されても決して我慢して生きることなく、好き勝手にやればいいと思うのです。 けれど今までの時代は、人間が勝手に作った「謎ルール」に従わざるを得ず、そんな規則と同調圧力で雁字搦めになって身動きが取れなくなり、そうなって苦しんでいるのは自分だけではないのに、それを逸脱することを許しません。 こんなピリピリした雰囲気の社会では、おおらかに子供を育てて幸せな家庭を築こうとは思いませんし、生まれてくる子供の人生に責任を取れません。 こうして社会全体でジワジワと自分の首を絞め続けてきたのが、これまでの戦後日本だったのではないでしょうか。 「この状況を何とかしたい」と思うほどに、成す術がないことに気づきます。 だからと言って、変化を求めるあまり災害や世の破滅に期待するのは悪の思想で、どう転んでもジレンマを抱えてしまいます。 純粋に誰も傷つくことなく世界が平和になるためには、今すぐにでも自分が持っている武器を捨て、お金を他人に分け与え、倉庫に蓄えた食糧を配る、そんな夢物語にしか理想を叶える方法はありません。 しかし、現代の人類のレベルでそこまで出来るとは思えません。 ならば、本当に人々を救いたいのならば何を願い、何をするべきなのでしょうか。 その答えは、簡単には見つかりません。 私は、自分の運命を呪うことがあります。 これだけ善意で生きようとしても恥をかかされ、素直に生きれば嘲笑われる世界で、真正面から生きることをやめられない自分に対してです。 他の多くの人が、多少軽率であろうと強かに気持ち良く生きているのに、なぜ私にはそれができないのかと。 確かに、正しさや善良さは人間には必要ですが、そればかりではないからこそ世の中は回っています。 不条理を見抜き曖昧さを許せない、自分の融通の効かなさのせいで、私はあまり利口ではない形で苦しみを抱えて生きてきました。 そして要領の悪すぎる自分をいつも変えたいと思い、自分を否定して誰かの真似をし、常に何者かになろうとしてきたのです。 この世界で生きるのは想像以上に居心地が悪く、何をやっても座りの悪い感覚がありました。 けれど、私は軽快に生きている人々が憎らしいと思ったことは一度もなく、いつも楽しく生きようとする彼らが憧れであり続けたのです。 他の多くの人々のように、もっと強かに心地良さを求めて生きられるなら、私もきっと同じように幸せになれるに違いない、そう思ってきました。 今でも、自分よりもずっと幸せそうなのに、厚かましく彼らの幸せを願ってしまう自分がいるのです。 だからこそ、下手に世の煽りに流されて自分の首を絞めないで欲しい、実はその気持ちこそが本音なのかもしれません。 私は確かに世の人々からはコテンパンにされてきましたが、未だに彼らを怨みに思うことはないのです。 誰しも、何かしらテーマを持って生まれてきて、人生を生きていきます。 その他人のストーリーにいくら憧れを抱いたところで、他人になり変われるわけではありません。 私には私の人生のテーマがあって、それはトランプのババを引いたように思えても、自分のゲームである以上は仕方ないのです。 私は自分の運命を呪いますが、同時にそれは「使命」を持っているということです。 使命は、自分だけに与えられて中途半端に捨てることも諦めることも許されない、生まれる前に神様と交わした「約束」なのです。 この「約束」を果たすことは、人間として幸せになる以上に大切なことで、その役目を果たすために生まれてくる人もこの世界にいるのでしょう。 私にとって、人様のやることは大抵頭が痛くなることばかりなんですが、それを目の当たりにして心底嫌気が差しても、決して憎みきれないのです。 なぜ、これほど人間のことが嫌いなのに、人に向けて文章を書き、人間をキャラにした絵や漫画を描いて、見知らぬ誰かを喜ばせることを考えているのか、それでも世の平和と人々の幸福を願ってやまないのか、それは頭で考えてもわかりません。 本当に人間というものは面倒くさくて疲れますし、自分が人間であることも時々イヤになるのです。 これまでどんな酷い目に遭わされても、人として生きる目的や希望を捨てきれなかった理由を考えると、私は何だかんだで人間のことをずっと信じているのだと思います。 どれほどの失望を味わってもまた信じてしまう、人間を諦めきれない気持ちは、小手先のヒューマニズムにないであろう泥臭い情念に近いものです。 私は、人間を愛することをやめられないのです。 それゆえに傷つき損をするのですが、かと言って何かを欲しいわけではありません。 強いて言うなら、人々や社会がもっと寛容になって、自由に生きる人々に口を挟まない程度には穏やかな世になって欲しいと思います。 それが私が人々に願うことです。 それ以上でも、それ以下でもありません。 PR