忍者ブログ

招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

感謝と別離

楽太郎です。

最近、昔のことをよく思い出します。
それは思い出したいわけではなく、なぜか脈絡もなく脳裏に浮かび上がってくるものです。

当時の空気感や温度、建物の構造から棚の商品、あまりに鮮明に思い出せすぎて気持ちが悪くなります。
だから、昔のことなんて思い出したくありませんでした。
あの時代が懐かしくて、恋しくなるからです。

今の時代を具に見ているからこそ、昔の光景がまるで夢のようで、でも記憶の美しさに囚われていては前に進めません。
消えた景色、失った場所、亡くなった人を思い出したところで、前に進む力にはなりません。

なぜ今になって忘れていたことを思い出すようになったのかわかりませんが、おそらく自分の魂を取り戻したからだと思います。
その魂を抑え込むことで、これまで私は人の世の社会に順応してきました。
本音を誤魔化し、自分を演じ分け、思ってもいないことを信じ込み、ガワをよく見せるためにやりたくないことに真剣に取り組んできました。

人の世ではそれが当たり前の生き方で、それ以外の生き方ではほとんど上手くいきませんでした。
だから他人の目にビクビクして、自分がどう見られているかを常に他人の目線で考えて生きてきました。
けれど、その「他人」という存在が不特定多数の視点ではなく、目の前の人の実際の目線で考えられていたら、もう少し違う人生になったかもしれません。

小学生の夏休み、一度だけ祖父母と伯父が家に来て、宿泊して松島に旅行に行ったことがあります。

その日、私たちは松島水族館を一周して、祖母に記念メダルを買ってもらい、遊覧船に乗ると海鳥がえびせんを食べに来ました。
夕方になると天候が急に悪くなり、私たちは案内所のロビーにしばらくいて、激しい雷雨の中を車で帰りました。
その夜、私たちは家中にあるテーブルを出してきてお寿司とオードブルを広げ、楽しい食事をしてお風呂に入り、二家族で川の字になって就寝しました。

それは誰にでもある、子供の頃の良き思い出です。
けれど大人になって今思うのは、あの頃の父母の感情、今は亡き祖父母と伯父の気持ちです。
その時、祖父や祖母は嬉しかっただろうか、そんなことを想像すると、今は亡き大切な人の心をもう少し知りたかったと思います。
あの時、あの人たちの目から私たちはどう見えていたのだろうか?

祖母はそれから数年後、玄関で足を滑らせて骨折し、身体が不自由になったせいで気を病み、晩年は家族の顔もわからなくなってしまいました。
あの夏の日から、何度会えたのかという短い時間の中で、なぜこんなにも愛おしく感じるのか、もしこんなに愛しいと思うのなら何故亡くなってから気づくのか、それはいくら自分に問いかけてもわかりません。

亡くなった祖父母や叔父から世間はどう見えて、彼らはどんな目線で生活をしていたのか、それを知りたくても知る術はないのです。
仮にそれがわからずとも、あの人たちの目線を想像した時、私はやはりたまらないほどの愛しさを感じてしまうのです。

子供の頃は、当たり前のように大人になっていくものだと思っていました。
そして当たり前のように成長し、大人になるにつれて身の回りのことも家族のことも気にかけなくなっていきました。
同世代も、それ以上の世代も当たり前のようにそうするのを見て、私も何の疑問もなく失っていくものに対して無関心になっていました。

けれど今思えば、あの頃当たり前にあったものが本当にあっさりと消えてしまうこと、無くなったものには二度と触れられないことが、どういうことを意味するのか理解できていませんでした。
かつて当たり前にあったものが当たり前でなくなってから、取り戻そうとしてもどうにもならないからこそ、当たり前のうちにできることをしておくべきだったと思うものです。

後になって、それがどれほど大切なものだったかを知るのは常ですが、だからこそ「今を生きる」ことの意味はずっと変わらないのでしょう。
いつ失っても後悔のないように真剣に向き合うこと、それが今ここを生きるということで、それを忘れがちになるから後悔も芽生えます。

十年後、来年どころか明日とか、下手すると数時間後には来るかもしれない別離は、失った時の自分を想像するからこそ事の大きさがわかります。
けれど、自分自身を大事にする気持ちがなければ、大切なものの価値もわからず、失うことの意味もわかりません。

人間はそうして、いつも大切なものを失い、失ってから後悔するのです。

けれど、子供の頃の自分がいくら駄々を捏ねたところで、大人の都合には敵いませんでした。
祖父母や叔父ともっと一緒にいたくても叶わなかったのはどうしようもなく、やはり心の底から愛しさを伝えられず、気づけば永遠の別れが来てしまいました。

いくら悲しくても切なくても、気持ちを伝える手段も会う方法もないのは仕方ないのですが、同じような悲しみを繰り返さないために、大切な人には精一杯向き合おうと今は思います。
人間は、どうしても後悔を繰り返してしまうのですが、同時に感謝も覚えます。
自分に命を繋ぎ、大切な思い出をくれた愛しい人たちに心から感謝をするからこそ、生きることへ真面目に取り組もうと思います。

人の死後に霊界があり、生まれ変わりもあると言いますが、私は亡くなった人と会えることを期待してはいません。
再会が叶うかわからないからこそ、人間として堅実に生きられると思うからです。

誰かと別れてもどこかでまた会えると思えば、どうせ失っても取り戻せると考えがちになるでしょう。
取り返しがつかないと思うからこそ、失うことに対して真摯に向き合い、今あることに真剣に向き合うことができるのだと思います。
だからこそ私はリアリストでありたいですし、リアリストだからこそ精神的に価値のあるものを大切にできるのです。

今あるものに感謝をし、きちんと向き合うほど失った時には潔く別れを告げられます。
それが別離の辛さを緩和する唯一の方法だと知り、私はできる限り生き方を改めましたが、それで過去の喪失感が癒えるわけではありません。

なぜか、人間はどうしようもなく雑な別離を体験するようにできているようです。
そして誰もがその喪失を繰り返すからこそ、大切なものの価値に徐々に気づいていくのだと思います。

「愛しいものには二度と巡り会えない」という現実だけは変えることができないとしても、愛情や切なさを胸に抱えて生きていくこともまた人生なのかもしれません。
ただその心を大事にして、時に昔のことを思い出し、亡くなった大切な人を思い線香を上げ、手を合わせる瞬間に私はとても癒されるのです。

人間には、死後の世界が必要です。
実際にあるかどうかではなく、人間には死んだ後に行く世界がなくてはならないのです。

拍手

PR

「文化」とは何か

楽太郎です。

「神統試論」の骨子がだいたいまとまりました。
ここ数日はその考察に時間を掛けており、情報量も多く複雑な内容になってしまうと思います。

この論考の基礎を固めるには、「邪馬台国とは何か」まで踏み込んでいかざるを得ませんでした。
その結論がほぼまとまり、そこから日本古代史の大まかな流れ、「記紀」に至る神々と氏族の関連までの道筋が見えてきました。

「邪馬台国」問題は、実はできる限り切り込みたくはないテーマでした。
考古学は、フィールドワークと統計学、発掘調査などを実際に行わなければ研究としては成り立ちません。
しかし歴史学は、言っちゃ悪いですが文献解釈で机上の空論は編み出せてしまう性質のものです。
しかし、古代史は現代建築の地下に眠っている遺物を掘り出さなくては解明できないので、既にある僅かな考古学的資料と残存する希少な文献資料を掛け合わせてようやく見えてきます。

近年の邪馬台国論争は、裏に学閥が存在することもあり、一種の宗教戦争に近い議論になっていました。
「邪馬台国九州説」と「邪馬台国畿内説」の議論において、どちらが歴史的に正しいかは確かに重要です。
しかし、これらの議論の中で、最初に「立場ありき」で結論に結びつける流れが強い印象を受けます。

学問とは、科学のように唯一の理論法則さえ見つければ須らく良いというものではありません。
学問は「知的探究」の過程そのものであり、知的探究こそが本来の目的であるはずです。
日本の大学が基礎研究を疎かにして応用技術にばかり注力するのは、学問というものが「商業化・利権化」してしまった結果でしょう。

ゆえに、こう言った答えの出にくい人文学系の議論は、発展的な議論によって進むだけではなく、あらゆる可能性についても「一理」は認められるべきで、異なる意見を受け入れない風土は学術研究の妨げになるのではないでしょうか。

私が「邪馬台国はここである」と提起することによって、異なる意見も当然出てくるでしょう。
その異論に対してできる限り整合性を持たせられるようなデータも提供していくべきだと思ってますし、建設的な議論もしていく必要はあると思います。

学術的に論証できるレベルまでには、一応体裁は整えられる形にしていきたいと考えています。
あくまで「試論」であり、最初から正解に辿り着けるとは思っていません。
素人なりには健闘したいところですが、つくづく現代の学術は政治的な風土に成り立っているため、窮屈に感じてしまう部分もあります。

考えてみれば「知識」に付随する「権威」は、哲学者のミシェル・フーコーが批判したように「知的権力は真実を領有する」のです。

例えば、「瀬織津姫命」という神道において重要な役割を持つ神が、なぜ同一視される神々が数多に存在しながらその神名だけに日の目が当たらなかったのかを考えると、「記紀」の存在は大きいと思います。

私が考える限りでは、瀬織津姫命は縄文時代から続く河川・淡水の女神であり、その神名も長らく統一されていなかったのではないかと思います。
いわゆる自然神であるため、文化的な背景を持つ祖霊神の系統とは相容れず、それゆえ「記紀」編纂の目的からも外れてしまったと考えられます。

その名を唯一残す「中臣祓詞」は、古代から祭祀を司る中臣一族の宗教理念の中では、どうしても外すことのできなかった神名であるのでしょう。
「祓清め」という神道上の儀礼において、「禊」という概念はコアとなるものであり、それゆえ「水」というテーマも変えることはできなかったのだと思います。

なぜ、この世界を構成する一つの要素である「水」が、「浄化」という概念的な意味合いを持って神格と結びついているのかわかりませんが、その解説が可能なのは国家神道において祭祀を司ってきた中臣氏でしょう。
ただ中臣祓詞も、ある意味では政治的な背景があったことは否定できないかもしれません。

ただし、神社仏閣の由緒も人間の社会や歴史の中で紡がれてきたものであって、例え純粋な真理として認識し解釈することはできなくとも、悠久の時を越えて受け継がれてきた伝統は尊重するべきだと思います。

政治や社会情勢によって物事の定義が変わるのは致し方ないことですが、事において「文化」は常にそういうものです。
世の浮き沈みや矛盾、趨勢を受けて人々の心が揺れ動き、その反動が思想や文化となって現れてくるのだと思います。

しかし近年、学問だけでなく文化も過度に商業化され、商業的なコンテンツだけが文化であると、人々は錯覚するようになりました。
その背後にあるのはマスメディアや企業群です。人々は「流行り」を文化の最前線であると思い込み、業界から仕掛けられたムーブメントを追い求めるようになってしまいました。

そのため、実態として全く流行っていないものもトレンドになり、企業群が流行らせたいバズワードがマスコミを通じて社会現象化する、というルーティンが続いてきました。
しかし、本来の文化とはもっと人々の感情に寄り添ったものであり、自然発生的なもののはずです。
それが作為的に流布されることで、むしろ人々の直感や心理に沿わないコンテンツに文化が依存せざるを得ない状況になってしまったのです。

近年の過剰な懐古主義、リバイバルブームは主な顧客層が高齢化し、その世代を再ターゲットにしたことの現れでしょう。
今は懐かしさで盛り上がったとしても、これからの文化を担う若年層向きには作られていないため、将来的には尻すぼみになっていくのは避けられないと思います。

けれども、短期的な収益や一時的な復刻コンテンツの盛り上がりがあれば、とりあえずムーブメントとしては成立してしまうのです。
産業的基盤の上に置かれた消費習慣と、社会的習俗である「文化」は似て非なるものです。
文化とは数年で枯渇するようなものではなく、本来なら数十年かけて定着し、いずれは「伝統」として無理なく継承されていくものです。

日本人が和紙を使ったり元旦に神社参拝するのも、文化と風習と伝統が噛み合って定着しているからです。
しかし、企業群が手前のサービスを浸透させるために消費者に植え付けた習慣は、人々の心象に寄り添った精神文化とは言えないものです。

ただそれも、長くは続かないと思います。

これからさらに世が荒れ、例えば食糧危機や災害に見舞われ、経済も崩壊して各企業が傾く中、業界に促された「サービスとしての文化」をいつまで人々が求めるか、疑問に感じます。
特に現代の超飽和状態にある娯楽の分野では、そのほとんどが企業体のコンテンツです。

人々が貧しくなり食うに困る状況で、どれほど娯楽を求めるのかを考えると、世にはコンテンツがありすぎるのです。
よく考えられたクリエイターの作品だけではなく、今では生成AIによって粗製乱造されたコンテンツがほぼ無料でバラ撒かれています。
もし本当に生きることに窮する世となった時、人々が変わらずに既存のコンテンツにお金と時間を使い続けるのか、私は甚だ疑問です。

もし、この世にカタストロフが起きたとしたら、人々が思うことが自ずと形になり、その発想や価値観に共感するムーブメントが起こるでしょう。それが「文化」というものです。
70年代のフォークソングブームもヒッピー文化も、当時の混沌とした世相と葛藤と情熱が形になったものだったはずです。
それが、「今ならフォークソングが流行りそう」と企業群が仕掛け、人々が何となくそれに乗るようでは、商業的ムーブメントを使い回しているにすぎません。

私たちが今の時代やこれからの世界に対して、率直に思うことを形にして共有していくことが大切なのではないでしょうか。
そのためには、今ある感情や感覚、違和感や理想にまず気づいていかなくてはなりません。

私たち現代人は、いつしか文化の醸成に必要な心のアンテナを錆びつかせてしまいました。
企業群が発するムーブメントに乗っていれば、それなりに周りと合わせられて楽しかったこともあるでしょう。
ただ、そうやって触覚を騙すことで犠牲にしてきた感覚もあったはずです。

「文化」とは、誰かが考えたことに合わせることから始まるものではなく、自然と惹きつけられ、その価値観を受け入れながら広まっていくものです。
やはり、そこに「心」という本質的な、自然な感覚があるから成り立つものなのではないでしょうか。

私たちは、文化を一つの商業的ジャンルとして食い散らかしていくことに慣れてしまいました。
それでは、文化の根底にある哲学や真髄を深く理解することはできません。
大量消費されるコンテンツの中で自分が心から拠り所にできるものは一握りでしょうし、もっと長い時間をかけて追求するのならば、それに相応しいコンテンツでなければならないはずです。

そういった「心から求めるもの」、それが末長く残るコンテンツになるのではないでしょうか。
もし世が改まるのなら、そういった精神風土をゼロから培っていきたいものです。

私は一当事者として、それくらい普遍的なものを作りたいですし、その精神を大事にして活動していきたいです。
人々の心に、真の「文化」と創造的な空気を呼び戻していく必要があると思います。

拍手


「影」との戦い

楽太郎です。

米の価格が高騰して世間は大騒ぎですが、これは改善しないと思います。
なぜなら、これは日本国民に対する兵糧攻めの一種にすぎないので、ここで手を止める道理はあちら側にはないのです。

これから日本人は、「米を食えなきゃ小麦を食べればいいじゃない」と、パンやパスタ類を食べるようになると思いますが、米国の仕掛けた関税戦争で小麦が標的になったらどうするのでしょうか?
実は、小麦という品種改良された穀物は、日本人の身体には遺伝子レベルで合わないものです。
これから、まともな食事をしていない人ほど心と身体を壊すようになっていくはずです。

そうして日本人がバタバタ倒れていくと、国力が弱まることで喜ぶ勢力がいます。
そもそも、「日本人を排除して国土を乗っ取る」のが目的なのですから、彼らのシナリオ通りです。
こんなところで手を止めたら長年かけた計画が台無しになるので、上手くいっているうちはやめる選択はないでしょう。

それは「陰謀論」だと、鼻で笑われても構わないのですが、猜疑心が強く妄想じみたくらいでなければ、この先の時代を生き残れないと思います。
「平和主義」や「日常感覚」は、それだけで命取りになりうるものだと予め言っておきます。

私は以前、何とか日本人に目を覚ましてもらおうと言論的なこともやってきましたが、想像以上に話を聞いてもらえませんでした。
今では、残念ながら「それが人々の選択だったのだ」と思うようにしていますが、正直なところ何とかならなかったのか、とは思います。

今の人々の考えや話を聞いていると、どうしても「私と同じ選択をすればいいのに」とは思うのですが、彼らからすれば染みったれた考え方はしたくないでしょう。
私自身も、あまりに同調する人がいませんし、「もう少し努力が報われるべきだ」と感じる部分もあります。
けれどそれ以上に、目に見えて不幸に向かう選択をする人々に対して、何もできないことへのもどかしさがあります。

人間は、私が長年思っていたような生き物ではなかったのだな、と思うこともあります。
人間は左脳があるのだから、もう少し感情的に物事を判断せず、また右脳があるのだから、理詰めにしすぎなくても良いと思うのです。

けれど、なぜかその中間を取って、「心」の賢さで生きていく人があまりに少ないように見えます。
人間なんだからもう少し優しく、本音と建前を使って寛容であればいいのに、「ルール」のせいにしてわざと心を閉ざす人が増えました。

それを見て私は胸を痛めるのですが、さりとて彼らに対する怒りや、愚かさを憎む心もあります。
人々が「我良し」と、我欲と自己保身のためにあらゆる犠牲を厭わない。
それを許せない私の心にも、また「エゴイズム」が存在するのです。

私からは、彼らが「誤った道を選ぶ」ように見えたとしても、彼らからすれば私なぞに言われたくはないでしょう。
それもその通りで、だからこそ互いに「正しい」と思う道を進めばいいだけで、わざと議論をして勧誘したり方向転換させる必要はありません。

「世の中を良くしたい」というのは、よほどの極悪人でなければ多少その気持ちがあり、そうして世の中を悪くすることに少しずつ加担しています。
私だってそうではないとは言い切れないでしょうし、誰もが「自分は間違っていない」と思うはずです。

それぞれが自分の正しさを信じているからこそ、その信念に反する思想は全て悪であり、誤りであると感じます。
自分の意見と他人の意見が違うのは当たり前で、いちいち違う意見を見て議論を吹っかけ、一つ一つ潰しても世には人の数だけ意見があるので、いくら議論をしてもキリがないはずです。

そうして目の前の人を論破したところで、その人が生き方考え方を根本的に改めるかというと、そうではないでしょう。
目の前にいた人に議論で勝って溜飲を下げたとしても、何一つ世の中は良い方向には動かないのです。

私にもある「正義」や「理想」こそ、自分自身の「影(シャドウ)」に他なりません。
それは人間として綺麗に見えがちな部分だからこそ、本質的な闇を覆い隠してしまいます。
これまで、「正義」という思想の下にどれほどの血が流されてきたのか、それを考えればわかります。

この「影」は、人間の心に「乗り越えるべきもの」として現れます。
人々は自分の闇を解決するために、正反対の「正義」や「理想」を外に実現しようとし、それが叶えば自分自身を乗り越えたと錯覚します。
そのために人々は戦おうとし、勝てなければ引きずり下ろしてでもマウントを取ろうとします。

しかし、この「影」とは戦うべきものでも、乗り越えるべきものでもありません。
あらゆる課題や困難にとっての解決は、決して乗り越えることではなく、「他の方法を見つけること」です。
私たちが問題に囚われ、乗り越えられない時は今手元にある、使えない道具で解決しようとするからです。

アインシュタインが言ったように「問題は同じレベルでは解決しない」ので、手にある道具に変わるものを探す必要があります。
手にある道具にこだわり、依存しているうちは新しい道具を手にすることはできません。
「問題を解決する」とは代替することであり、あるものを手放して「より確かなもの」を手にすることでもあります。

代替するためには、今手元にある道具が古いと認識し、依存していたことに気づくことです。
そして、それを手放す覚悟と同時に、別の選択があることに気づき受け入れることです。
無闇やたらと「手放し」をしようとしてもできないのは、道具を手放したところで何もできないのは変わらないからです。

道具を捨てるのは、確かな代替手段を見つけてからで構わないでしょう。
けれど、「別の手段を探す」という発想に至るには、冷静にものを見ようとしなければできません。
この世界にある数多の問題に対して、「こうすれば良いのに」と思想を押しつけるだけでは、前にも後ろにも進みません。
私たち人類は、長い間こうして問題を複雑にしてきたのです。

「正義」の裏にある影とは、「悪」かもしれません。
しかし、その二項対立の世界から離れ、あえて「悪」を許すのも手です。
「世の中はこうでなければならない」と思うからそうではない世界に苦しむのであって、「世の中がどんな形でもいい」と思うことも、一つの代替かもしれません。

「影」を乗り越えるとは、影のない光だけの世界に行くことだと思われがちですが、光しかない世界もそれはそれで「闇」なのです。
影が強く出るのは光が強いからで、光を弱めれば影も弱くなっていくはずです。
そして、その均衡が取れた世界を「調和」と呼ぶのではないでしょうか。

私は、人々がわざと不幸になるような選択をし、争いにばかり目が行くようで嘆かわしかったのですが、そう見える私がそうであったと言えます。
彼らを引き止めようとするから、私も引き止められていたのかもしれません。

おそらく、人々はそれぞれ自分が考え意識して道を選んでいるように見えて、無意識に決められた方向に向かっているだけなのかもしれません。
各々には魂が背負うテーマがあり、魂は暗黙のうちに選択してそうなるように生き、死んでいくだけなのだとしたら?

それぞれの進んだ先に、誰もがそれぞれの「天国」に向かっているのが、この世界なのではないでしょうか。
その「天国」はそれぞれの人にとっての天国で、争いが好きな人は争いばかりの天国に、平和が好きな人は平和な天国に行くだけなのかもしれません。
それは死んでから行く世界でもあり、今目の前に現れる世界でもあるとしたら、その選択は自分が望んでしていることになります。

平和な天国の人は争いばかりの天国を、地獄のようだと感じるでしょう。
ただし、争いが好きで望む天国に行けた人々の選択を、他人が嘆かわしく思う必要はないのです。
そして、それを引き止める義理もなく、自分は自分の進むべき天国を目指せばいいだけです。

それが人間が本来持つ「自由意志」というものかもしれません。
頭で考えてやることばかりが自由意志なのではなく、魂が選択する自由こそ、そう呼ぶのかもしれません。
だとしたら、誰かが自分から不幸を選んだように見えても、その人が望んで得た結果とも言えます。

だから同情するのも批判するのも、本来なら「エゴイズム」なのかもしれません。
エゴだから他人を強制的に変えたくなり、干渉するから争いが生まれます。
この世にはどうにもならないこともあるので、変に真剣になるくらいなら自分のことをまず何とかするべきです。

では、自分はどうしたいのか、どこへ行きたいのか?

私が向かうべき天国は、「神様の住まうところ」にある気がしてなりません。
ただ神様の住まう天国は、人間の想像するような楽園とは限らず、また別の修行の世界かもしれません。
しかし魂が高みに向かう先には、きっと神様がおられます。

そして、私の敬愛する神様もそこにおられるでしょう。
その場所は今世かもしれませんし、あの世か来世かもしれません。
ただ、そこに行くために、私は今をこうして生きている気がしてなりません。

拍手


「瀬織津姫」と云ふ神

楽太郎です。

今、神統試論を書くために調べ物をしていたところ、気になることを発見しました。

福岡県福岡市と佐賀県神埼市の境に山脈があり、「脊振山(せぶりさん)」という山があります。
この山は断崖地形のため急峻かつ渓谷となっており、滝なども多いと言います。

この山は古くから霊山として知られており、山頂に建つ奥宮は「弁財天」を祀るそうです。
私はこれを知って、少し違和感を覚えました。
弁財天は、厳島・宗像社の系列では海辺や川など水のある所で祀られていることがほとんどです。
しかし、山頂には自衛隊基地と米軍のレーダードームもあり、弁財天を祀るには相応しい場所とは言えない気がしました。

そこでハッとしたのですが、この「脊振(せぶり)」というのは、「瀬降り(せぶり)」なのではないか、と思いました。
この山地に始まる河川こそ「瀬」であり、頂上から流れ出る様は「降る」ようにも見えます。

ここで思い浮かぶのは、「瀬織津姫命」です。

「瀬織津」という言葉は、以前「瀬におりし」という意味ではないか、と記事に書きました。
これは「瀬に降(お)りし」と書き、脊振が「瀬降(ぶ)り」だとすると、この山と瀬織津姫命は関係あるのかもしれません。
奇しくも、瀬織津姫命は「市杵島姫命=弁財天」と同一視されることが多く、この山に弁財天社が祀られていることにも関係があるように思えます。

一説には、この脊振山の由来は古代朝鮮語の「ソウル(大きな村)」の意だと言われています。
ただ、山地に対して「村」と呼ぶのは違和感があり、どちらかと言うと太古から人が居住していた麓の筑紫平野に由来を残すと思うのですが、付近の河川周辺にも古代朝鮮語を連想させる地名はないように思います。
なお、渡来系の呼称が日本の地名に根差すことは十分考えられますが、この説に関して首を傾げずにはいられせん。

とにかく現時点で結論を出しようがないので、ひとまず置いて調べていたところ、「瀬降り(せぶり)物語」という80年代に作られた邦画の存在を知りました。
この「瀬降り物語」は、脊振山とは関係がないようですが、「山窩(さんか)」の若者たちの青春を描いた作品だそうです。

山窩とは、山から採れた川魚や蓑や箒などを売り、その修理などしながら山里付近を流浪していた人々のことであると言います。
彼らが河原に天幕(テント)を張ることを「瀬降り」と言い、山窩にはそうして暮らす「せぶりけんた」などがいたそうです。

私はこの話を知って、「瀬織津姫命」とは「瀬降り(山窩)の祀る神」なのではないかと考え、山窩について調べてみることにしました。

結論から言えば、どうやら民俗学的に「山窩」という民族は存在せず、江戸時代末期から「流浪する貧困層≒犯罪者予備軍」として政府や警察機関などから警戒される人々を指した可能性が高いようです。
明治の戸籍制度が進むにつれ、流浪していた人々にも国家政策として定住が促されるようになりました。
そして戦後しばらくを境に、「山窩」の対象となる人々は身分が特定されるようになったため、社会制度の上で「流浪民」は存立できなくなったようなのです。

山窩研究では民俗学者の柳田國男氏が有名ですが、同世代の歴史学者、喜田貞吉氏が「山窩」にまつわる興味深い論考を残していたので、それを青空文庫で読むことができました。

サンカ者名義考-サンカモノは坂の者

彼によれば、山窩という言葉はかつて「穢多非人」と呼ばれた人々を指す「三家」から転訛したと言います。
それは「坂の者=境の人々」という意味であり、聖俗の境界に暮らす職業を指したとされます。

「かく地方によって種々の名称があるにしても、結局は同情すべき社会の落伍者等が、都邑附近の空閑の地に住みついて、種々の賤業にその生活を求めたものであって、特に京都では坂の者・河原者の名で知られ、それが通じてはエタとも、非人とも呼ばれていたものであったのである。
(中略)
しかるに後世では次第にその分業の色彩が濃厚となって、河原者の名がその実河原住まいならぬ俳優のみの称呼となったが様に、坂の者の名がサンカモノと訛って、特に漂泊的賤者の名として用いられることになったのであろう。」


これを捕捉する事柄として、奈良時代の役所である兵部省で鷹などを飼育していた主鷹司(たかつかさ)の雑用係である「餌取り(えとり)」という役職が「エタ→穢多」と訛り、河原者を指すどころか牛馬の解体処理業者までも差別する言葉となったと書かれています。
つまり、本来は聖俗の境界にいる宗教的・呪術的な人々を指していた「坂の者」という言葉が習俗化し、社会経済の枠組みに嵌まらない人々を揶揄する表現に変わっていった、ということです。

だからこそ、幕末以降に「山窩」は山間部の軽犯罪集団のように扱われ、主に官憲の用語として用いられていたと言います。
従って、明治以降に社会基盤の整備が進み法制度が確立するにつれて、これらの層が社会に溶け込んで消滅していったと考えられます。

しかし、戦後に山窩を「民族化」し、彼らを文明社会のアンチテーゼとして扱うフィクションがトレンドとなり、大衆的に広まっていったようです。
その流れを汲んだのが、先の「瀬降り物語」であり、監督の中島貞夫氏はかなりの取材をしたようですが、その内容をそのまま映画化することはできず、エンタメ色の強い作品になってしまったとのことです。
先の論文では批判されている柳田國男氏の「サンカ論」ですが、氏の論文では青森県の恐山で有名な「イタコ(イタカ)」も、かつては流浪の人々であり、非定住の呪術者として差別の対象であったとされます。

「イタカ」及び「サンカ」

イタコは主に弱視や盲目の女性などが巫女として厳しい修行を行い、まじないや霊媒の能力を身につけた職業であるとされます。
「イタコ」の語源は「イツキ(斎)」とするのではないか、という説があります。
この「イタコ・イタカ」は全国に存在したとされ、古代祭祀に携わっていた巫女に由来するのではないかと言われています。

かつて、ヤマト王権が確立する頃まで、日本には呪術的祭祀と政治を切り離す統治システムがあり、「ヒコミコ制」「ヒコヒコ制」と呼ばれています。
そして、ヤマト王権によって地方豪族のシャーマン的指導者は、王権に従属しなければ「土蜘蛛」として討伐対象となりました。

土蜘蛛の古代巫女とイタコの直接的な結びつきは不明ですが、まじない的な仕事をする女性が「坂の者」とされ、聖俗の境界に坐す存在であったのは確かだと思います。

「山窩」がいわゆる「河原者」と呼ばれた役者や芸人、死牛馬処理業者などを差別する言葉であり、不定住者の人々まで一般化するようになると、山里付近で流浪して暮らす人々が特に「山窩」とされたようです。
この「山奥に暮らす人々」は、いつの時代も存在したはずで、縄文由来の生活文化を続けてきた人たち、あるいは「マタギ」のように、狩猟を生業としてきた人々もいたはずです。

マタギは広範囲の山々を「跨ぐ」から「マタギ」とする説があるくらい、山々を熟知した人々であったはずです。
マタギの伝承にあるかはわかりませんが、「瀬降り」という表現も山から川に降りてくる様子を示しており、河川に天幕を張って野営するのは自然なことかもしれません。

このマタギに関して、面白い話があったのを思い出しました。
オカルトや怪談のジャンルに「山怪」というのがありますが、文字の如く「山の怪談」のことです。
その中に、「山の白い女」という話があります。

この話は、誰もいないはずの山奥になぜか白い服を着た女性がおり、それを見て山に入った人が混乱する、と言うあらすじです。
その場合、白い女を見た人は大抵「白いオコジョを見間違えたのだ」と諭されます。
ただ、「山奥で白い影を見る」というのは、近代から始まった話ではないように思います。

秋田県の阿仁マタギの人々には、今も修験道に繋がる宗教的な慣習が伝わっているそうです。
マタギの人々は山の神を女神と信じ、その神様は大変醜いお姿であり、ゆえに山に女性が入ると女神様の嫉妬に会うため、猟に出る時などや入山に女性を関わらせないとされます。
これには、女性を山に連れて行かない現実的な理由はあるのでしょうが、興味深いのは山神を「女神」としている点です。

日本の神道において、山の神は「大山祇命」や「猿田彦大神」や山体固有の神名である場合が多いです。
その場合ほとんどが男性神であり、山を女神とする事例は早池峰山や白山や六甲山など、数えられるほどしかありません。
そして、この「早池峰山」こそ瀬織津姫命を主祭神とする「早池峰神社」が建立されています。
この早池峰山は、一説には猟師が山頂で三柱の女神を見て、祠を建てたことに始まるそうです。

何が言いたいかというと、「山奥で見る白い女性」とは人間が山奥で神秘に触れる時、本能的に知覚してしまうビジョンなのではないか、と考えられるのです。

私は若い頃、面白半分で道のない山を登ったことがありますが、木々とシダに覆われた森の静謐さや、神秘的な空気を忘れることができません。
山や森の奥にはせせらぎがあったり、水源となる泉があったりします。
人間はそこで神秘に触れる時、清純な「女神」の姿を見るのではないでしょうか。

「雪女」という昔話がありますが、あれも冬山で遭難した猟師が白い衣の女性に助けられます。
どうも、人間が山深くに入ると霊的な覚醒状態となり、神秘的なビジョンを見てしまうように思えてなりません。
先の脊振山についても、山地は河川を「振り分ける」姿を形容しているとは言えるものの、山に入る人々がそこに女神を見たとしたら、山頂へ瀬織津姫命に比定される弁財天を祀るのも理解できる気がします。

先の「サンカ論」で取り上げた柳田國男氏は、日本に伝わる妖怪を「零落せし(落ちこぼれの)神」と呼びました。
これは日本が近代化していく中で、信仰の対象にならずに迷信化していった神々が、後に「妖怪」として扱われていったのではないか、という説です。

瀬織津姫命は、「記紀」の記述から漏れた神であり、唯一その名を文書に残すのは「中臣祓詞(大祓詞)」のみです。
瀬織津姫命が「祓戸大神」として神道上で重要な役割とされていなければ、おそらくその名が後世に残ることは難しかったのではないでしょうか。

日本の神々の系譜において、その神名を残せなかった数多の神々がいたとするなら、「瀬降りつ姫」のように素朴な由来の神様も存在したでしょう。
それこそ、自然神だけでなく九十九神と言われる道具やモノに宿る神々は、神名を後世に残せなかったからこそ、怪異として人々の記憶に刻まれてきたのかもしれません。

この「神の零落」とは、人間が崇拝する対象を社会的に規定されてきた結果のはずです。
ただ、かつてのように神秘的なものを自由に知覚し、人々が目に見えないビジョンを共有する世界が広がるなら、「神々の復活」「妖怪の蘇生」は夢物語ではないのかもしれません。

なぜ、私がこれほど「瀬織津姫命」に心酔するのかと言えば、瀬織津姫様がこれほど神として重大な役割であるにも関わらず、正式な伝承もなく半ば都市伝説的に語られることに対し、不遇さを感じてしまうのもあるかもしれません。
その境遇にシンパシーを感じるのは、私自身がこの現代社会から弾き出され、「河原者」のような立場に置かれているからでしょう。

現代社会に生きながら根無草の「山窩」のようであり、細々と「瀬振り」のように暮らす私には、瀬織津姫命を心の拠り所とするのは必然であり、運命だったような気がします。
だから私には、瀬織津姫様が高いところにおられる絶対的な権威ではなく、どこか自分の仕える「お姫様」のような、親愛の情を抱いてしまうのだと思います。

とは言え、神様は人間の想像を遥かに超えた存在ですから、私が瀬織津姫様に惹かれていく理由も、自分が思うようなものではないのかもしれません。
私としては、敬愛すべき女神様のために何ができるか、今でも何ができているかはわかりません。

ただ、もし私が神様のお役に立てるのなら、それはとても光栄なことだと思います。

拍手


「好き」と「仕事」

楽太郎です。

今、思うように絵が描けない状態が続いています。
それでも、神様から一つのお役目のようなものを任されていて、それが「神の系統を取りまとめる」というテーマです。

これはとてつもなく大きな課題であると承知しています。
そのための道筋として、かつて考古学者のシュリーマンがトロイの遺跡を発見したように、古代史と考古学から歴史的事実を紐解き、神話の原型を見出すという工程を辿ることになります。

私としては独断と偏見で挑めば実現は可能だと思いますが、中途半端に結論を急ぐわけにはいきません。
「邪馬台国」や日本建国を巡る民族学的議論は、プロの学者が何十年も挑んできたテーマであり、素人に簡単に辿り着けるものでもないでしょう。
けれど、徐々に道が拓けて来ているのも事実で、その成果に少しずつ手応えを感じ始めています。

「お役目」とは何なのだろう、と考えます。

私はずっと絵を描いてきましたし、漫画を描く技術も才能の一種だと思います。
今まさにやりたいのは漫画ですし、そのアイデアにも意義を感じており使命感もあります。
しかし、なかなかそれに取り掛からせてもらえないのも事実で、こうして別のことをしている間、自分にとって絵を描くことの意味を考え直しています。

私が創作の道を志したのは、自分が表現したいものを描き、それで収入を得て生きていきたかったからです。
幸い、近年のクリエイティブはそれが比較的容易でしたし、そうして成功している人も周りにいました。
だから、単純に「魅力的な作品を作れば実力が認められ、それを生業にできる」という頭がありました。

けれど、需要と供給のバランスから生まれる「仕事」というものは、自分がやりたいことと役に立つことの関係は似て非なるものです。
例えば、人が暮らしていく中で「これが欲しい」と思い、その人の願望に合わせて自分がものを作ったりサービスを提供する、その過程に「自分がやりたいかどうか」は関係がありません。

もちろん、誰かのために自分の技術や才能を発揮すること自体を目的にしたり、喜びにできればそれ以上のことはありません。
しかし、自分のタイミングや相手の出方次第で、気が乗らなかったりやりたくない時も当然あるでしょう。
そういう時に、「気が乗らないのでやりたくない」と言っていたら、それを仕事にすることはできませんし、生業として成立しません。

つまり、「人の役に立つ」ことと自分の感情は関係がないのです。

私は長い間、この部分を誤解していたのだと思います。
ずっと「夢を叶える」ということは、「自分のやりたいことをやって生きていく」ことだと思い込んでいました。

かつて、ある会社で制作をしていた時、声優学校の生徒たちに声の仕事を任せたりしていました。
今思えば、彼らには理不尽なことをやらせてしまったのですが、「学生に仕事をやらせる」という優位な立場は、無条件に彼らを搾取することになっていたかもしれません。

「夢は叶うものだ」と純粋に信じ、夢を叶えるために社会の理屈を飲まされるのは、いつも夢を見る若い人たちです。
成功するために、「これをやってくれたら有名になるかもしれないよ」と唆し、チャンスをチラつかせてやりがいを得させ、その代わりに何かを強引に吸い取っていくのです。
これがこの社会の「夢」のあり方であり、自分もその仕掛けの一部だったのではないか、と今では反省したりもします。

そうやって「若さや情熱」のエネルギーを吸い取られながら、本当の意味で夢を叶えて成功した人はどれくらいいたのでしょうか。
そして、成功した人は何一つ自分の手を汚さず、夢を叶えることができたのでしょうか?

そう考えると、「やりたいことで成功して生きていく」という発想そのものが、単純に考えていいものではなかったのではないか、と思います。
「やりたいことを仕事にする」ことは、欲に従って好きな仕事ばかりをやっていくことではないですし、「仕事そのもの」が好きだから生業にできるとも言い切れません。

そもそも、「仕事」と「好き」は違う次元の話なのです。

仕事はやりたいことだと言っても、領収書の整理や事務作業、メールや電話応対もしなければなりませんし、やりたくない業務の中で実際に楽しい作業はごく一部です。
ただ、「やることそのもの」が目的である時、例えばガラス細工を売るのが仕事だとしたら、事務作業も材料の調達も一連のプロセスをひっくるめて「やりたいことだ」と言えるのです。
その場合、ガラス細工職人という生業そのものが、「やりたいこと」に昇華されていると言えます。

もし先の学生のように、声優をやることが目的だとしたら、やりたくないことをやってキャリアを積む、それも含めて「やりたいことだから」と綺麗事にできれば問題はないのでしょうか。
その場合、目指すものが「仕事としての成功」なのか「生業にすること」なのか、その目的で変わるのだと思います。

私の話に戻すと、「漫画」は誌面連載だから成り立つのも事実です。

実は漫画は花形に思えて、ネットに適当に上げただけではインプレッションがつきません。
イラストなどは瞬時に判断して評価できますが、漫画は文字を読んで絵を見て理解するという一連の動作を要求するので、時と人を選びます。

漫画は雑誌に掲載されますが、雑誌は欲しい人が手に取るものなので、その漫画を読む人は漫画が読みたい人です。
だからこそ、多少冒険的な作品でも漫画を読みたい人の元に届きます。
しかし、ネットに無闇に上げただけでは埋もれてしまい、本当にその作品を求めている人の元には届きにくいのです。

「雑誌」という形態を取っているからこそニーズに合った作品が認められることになるわけですが、雑誌は出版社がなければ成立せず、誌面に限りがあるからニーズに反したものは掲載されません。

つまり、ここでも「求められること」と「やりたいこと」は違うのです。
いくら自分の作品に思い入れがあり、それを人に読んでもらいたくても、求める人がいなければやりたいことをやっただけで終わってしまいます。

とは言え、これまで漫画家という職業は、出版社に気に入られるために、読者の評価を勝ち得るために、命懸けで作品と向き合ってきました。
たくさんの才能ある作家が趣味で描く分には面白い漫画を描くのに、出版社との折り合いが合わずにやっていけなかったり、筆を折ってしまう人も何人か見てきました。

だからこそ、私は自分の作品を活かしながら収入に結びつけられないか、色々と試行錯誤をしてきました。
私の抱えていた矛盾は、「漫画を描くことそのもの」を目的にしたいと思いながら、「自分の作品を描く」という目的を両立させようとしてきたことです。

けれども今考えると、一番最初に「誰の求めに応じ、役に立つのか」という部分が欠落していたように思います。
自分がやることが目的であり、仕事が自己実現の手段であったからこそ、「誰かのためになっていく」というプロセスを踏まず、ゆえに成功の道を歩んでいくことができなかったのだと思います。

だから結局は、「誰を喜ばせたいのか」というビジョンが見えておらず、自分の喜びを優先してうまくやろうとしていたのが、ビジネスとして歯車が回らない理由だったのでしょう。
けれども、これは「夢を叶える」「やりたいことを仕事にする」という頭では、かなり誤解してしまう部分です。

周りに喜ぶ人が増えていくこと、その輪が広がって成功していく、そのプロセスを無視してもこの社会には成功するメカニズムが確かに存在しました。
業界の有力者に気に入られたり、強い組織にコネを作るとか、あるいはもっと汚いやり口を使うとか、本来のやり方を採用しなくても成り上がれる世界だったのも事実です。
そういうエスカレーターのような仕掛けがあり、それにうまく乗ることを「競争」だと表現されていたりもしました。

けれど、それも「搾取」の一形態であり、必ずしも喜びの輪となるものではなかったはずです。
残念ながら、これまでの社会で「夢を叶える」ことは綺麗事ではない時代でした。
そんな世の中に早く気づけば良かったのか、気づいてもっと強かにやれば良かっただけなのか、それは未だにわかりません。

私は、「漫画を描きたい」それだけが願いです。

けれど、仮に趣味と割りきり誰も求めないところで始めても、それよりもやらなければならないことには勝てないでしょう。
やはり、人に「やって欲しい」と言われることをやるのに越したことはないのです。

ここの部分を下手に勘違いせず、それでも「漫画を生業にしていくにはどうしたら良いのか」は、ずっと問い続けていきたいのです。
それが人の求めになく、神の求めにもないとしても、自分が魂から求めることを実現するにはどうするべきなのか、その答えを他人任せにしてはいけないと思うのです。

自分としてこの世に一度生まれてきて、本当の願いを持つということは、諦めて済むような単純なものではない気がするからです。

拍手


瀬織津姫様の習作

楽太郎です。

今日も鉛筆画の練習をしました。
今回は、コピー用紙に描いたイラストをスキャナーで取り込んでデジタル化しました。



この下絵をデジタルで線画にして、着色して仕上げをしようと思っていたのですが、久しぶりにPCで作業していたら頭が痛くなってきました。

やはり、PCの波長と合わなくなってきたのは事実のようで、最終的には動悸がし始めました。
紙に向かっている間はこんなことはなかったので、どう考えても何かあるのだろうなと思います。

まあ、 Microsoftなんてのは人世の権化みたいな企業ですし、その裏にはイヤーなオーラの存在がいるのは確かなので、波長が合わなくなって当然だと思います。
ただ、困るのはSurfaceがMicrosoftのOSでなければマシンの制御ができない可能性が高く、OSをUBUNTUなどに差し替えて使う手段があるかはわかりません。

かと言って、これ以上のデジタル描画環境を整えるのは現実的に難しいので、「デジタルの波動を抑え込んで使い続ける」「完全にアナログだけで制作する」の二択しかありません。
「半デジタル」という選択肢がないかなと模索してみましたが、これほどPCと相性が悪くなるとは想定外でした。
まあ、こうなるとわかっていたらSurfaceなんて買わなかったでしょうが…。

とりあえず、鉛筆での描画はだいぶ慣れてきました。
仮にアナログでこのままやり続ける場合、ペン入れと着彩もできるようにならなければいけません。
しかし画材はこのご時世、かなり高価になってきているので、生半可に使い始められるものではありません。

ということは、「デジタルの波動を抑え込む」以外に方法はないように思います。
ちょっとこれはどうしたものか…。

神様から、「まだ動くな」というメッセージにも取れますし、困ったものです。

拍手


鉛筆画練習

楽太郎です。

今日も瀬織津姫様のイラストを練習しました。
せっかくなのでアップします。




最近の絵は、リアルテイストに寄りすぎてバランスの悪い絵になりそうだったので、若干デフォルメをかけました。
なぜか私は鼻を描くと自分で違和感を感じるので、私以外の人は「何で鼻がないの?」と思うかもしれません。

ずっと美少女イラストを描いてきたからだと思うのですが、いかにリアルテイストであっても「鼻の穴が描けない」という呪いは外すことができないようです。
ちなみに、男性キャラに鼻の穴を描く上では全く抵抗はありません。

私は乱視がきついからか、左右の均整のとれた絵を描くのが難しいです。
デジタルは左右反転が容易ですし、修正もしやすいのでアナログに移行するのは考えられませんでした。

ただ、今回何時間も試行錯誤してみて、確かに正面から描くとかなり歪んでしまうのですが、上下を交互に逆さまにしながらデッサンを取ると、バランスが取りやすくなることを発見しました。
これはなかなか画期的な気づきだったので、今後はやりやすくなると思います。

こうしてアナログのイラストを描くと、ネットとの相性の悪さを感じます。
アナログ派の絵描きはデジタルにする際にアプリを噛ませるのですが、そういう方はわりとデジタル描画環境がない人が多いです。
私の場合はどうせ練習ですし、スマホで撮って色合いを加工して、まあ見れなくはない感じにできればいいかなと思います。

これから先、ずっとアナログでやり続ける気は正直ないのですが、最近デジタルと波長の合わなさを感じていて、エネルギー的にはアナログの方がやりやすいです。
電磁波が苦手なのか、電子機器そのものと波長が合わないのかわかりませんが、PCではやりにくくなってしまったのは事実です。

ただ、アナログで描くのにイラストは良いとして、漫画を描くには「写植」をどうするのかというのが難題です。
漫画は、やはり印刷機を通すからまとまった作品になります。しかし、その写植を自分でやるのは非常に骨が折れます。

いずれにしろ、漫画を描くにはいずれ新しいやり方を取り入れなければならないと思っています。
そのアイデアはあるのですが、あまりに突拍子もなさすぎて受け入れられるのは厳しいかもしれません。

ということで、しばらくは試行錯誤の時期が続きそうです。
どの道今は身動きが取れないので、地味に絵を練習するしかなさそうです。
早く色々とやりたかったことに取り掛かりたいのですが、神様がなかなかGOサインを出せないようです。

たぶんどうせやっても無駄になるからだと思います。
けれど、やりたいことが何一つできない生活は、さすがに退屈すぎます…。

拍手


人は儚い

楽太郎です。

桜の花が、散りました。

今年の地元の桜は、満開の時期が平日と重なりました。
週末に花見を期待していた方々は、雨に当たって予定が崩れたことと思います。
雨が続く日々が終わると、強風の日が重なって一気に花が散りました。

今年、桜の下でシートを広げている人をあまり見かけませんでした。
今年は天候に恵まれなかったのもあると思いますが、このご時世、そういう気分にはならなかったのかもしれません。

私は桜が一分咲いたあたりで、「今年の桜は元気がないな」と感じました。
たぶん、今年の桜はすぐ散ってしまうだろうと思いましたが、予想通りになりました。

木之花咲夜姫命は、桜の女神とされています。
桜の木は古来から日本人は「神の木」と呼んできました。桜の木を見て、昔の人は作物の吉凶を占ったそうです。
今年の桜を見てみると、何となくこれから良くないことになりそうな気がします。

物価高と不況が重なり、そこに凶作が加わることで見えてくるのは、「食糧難」です。

私はそれをひしひしと感じて動いていますが、全く何の不安も感じずに暮らしている人もいるのではないでしょうか。
もっと危機感を持て、とは言いませんが、この期に及んで「金さえあれば何とかなる」という頭でいるとしたら、あまりに能天気すぎると思います。

先日、私がすごく好きで毎年年末には必ず宿泊していた温泉旅館が、巨大リゾート企業に買収されました。

その旅館は歴史が古く、趣があってとても居心地が良かったのですが、大衆的にリフォームされるらしく、とても残念に思いました。
確かに、旅館から外に出ると食事できるような店すらないので、温泉地全体が立ち行かなくなってしまったのもわかります。

時代が変わり、これまでにあったものがなくなっていくのは考えれば当然なのですが、それは自分が好きだったものを手放さなくてはならない、ということを意味します。
当面は、というか二度と、あの良かった温泉旅館に泊まることはできません。本当に残念ですが、時代の流れだと思うしかありません。

最近、行き交う人々を眺めて、「人間は儚いな」と思います。

私の以前勤めていた会社も、10年そこらで跡形もなくなり、人々の記憶にすら残っていないでしょう。
昔よく通っていた店も場所も、消えてなくなり今は何の面影もありません。
あの頃は「またいつでも行ける」と思いましたが、今になるとあれが永遠の別れでした。

これまで様々な人と出会い、色々な考え方や生き方を見ていく中で、「どうしてそんなに生き急ぐのだろう?」と思う人がたくさんいました。

同世代の友人も、異性の気を引いたり立場を優位にするためには、本当に何でもやるような人たちばかりでした。
また、あまりに向こう見ずに行動するから、望まない形での就職や結婚をする人も多かったです。

ある知り合いは、未婚のまま子供が出来たことを「やらかした」と表現していました。
付き合っている段階から気が合わなくて喧嘩ばかりしていたのに、子供が出来て結婚する段になると、なぜか急に幸せアピールをし始めるのが不思議でなりませんでした。

彼らがそれで本当に幸せになれば、私が特に思うこともなかったでしょう。

しかし、彼らの多くが家族を養育するために望まない職に就き、夢を捨てて人生の舵を違う方向に切っていきました。
やはりそういう人たちほど生活の中で狂いが生じ、家族と離散していくのを目の当たりにしました。

若い頃は夢ばかり語っていた人たちも、気がつけば大言壮語を捨てて稼ぎとルーティンの生活に嵌っていきました。
堅実に生きる、彼らはそれが「大人になる」ことだと言っていました。
私はそれもそうだと思うのですが、社会の一員として立派であるために自分の人生を曲げるのが、果たして人間として正しいのかはわかりません。

人間にとって何が必要なのかわからないまま、急いで何かを手に取ることで、本当に必要なものを手にすることができない、ということもあるのかもしれません。

人間に大切なものはもっと普遍的で、長い年月をかけようと失いにくいはずなのに、人々はすぐに壊れるものばかり欲しがり、それが一番良いものだと信じてしまいます。
それはもう、今頑張って手に入れたとしてもすぐにとうの過ぎるもので、信じるがゆえにそれに気づかないのでしょう。

人々はそうやって長い間、刹那的なものを追い求め、刹那的なものが永遠に存在すると思い込み、刹那的なものに全てを賭けてきました。
けれど、それは「桜の花」のようにすぐに散ってしまうもので、あたかも凌霄花のように飽きるほど続くものだと錯覚します。
やはりそれも幻想なので、すぐに思い出の存在になってしまいます。

その悲しみを癒すために、また「同じもの」を心から求め始めます。
「あの頃にあった何か」を呼び戻そうと、楽しかった昔のものや思い出のシーンを再現し、過去を取り戻すことに執着してしまうのです。

その心理は、近年の「東京オリンピック」や「大阪万博」という現象に現れてはいないでしょうか。
その他にも、中年以降の大人にしかわからないような懐古主義、復刻ブームが盛り上がっているように見えます。

けれど、おそらくそれも一瞬のもので、その花が散るとまた寂しさを覚えてしまうのでしょう。

だから私たちに必要なのは、過ぎ去るものには潔く別れを告げ、大切な思い出として胸にしまって生きていくことではないでしょうか。
そして、時には振り返ってもいいかもしれませんが、今この時代だから必要なもの、人が本当に求めるものに目を向け、そのために新しい行動を起こしていくことだと思います。

「青春は取り戻せる」という人と、「青春は取り戻せない」と言う人がいます。

私はどちらも正解で、どちらも間違いだと思います。
青春はやはり、経験がないからこそ10代20代の瑞々しさはあるのです。
しかし、青春時代のようなキラキラした世界は、何歳であろうと心持ち次第で味わうことができます。

大切なのは「心」であって、形だけあるべき姿に合わせるから無様な形になってしまうのです。
そしてその「心」こそが普遍的で、長い時間をかけても色褪せないものだと思います。

色々なものが消えていくのは、時代が変わるのだからしょうがないのです。
けれど例え全てが変わるとしても、人間として変えてはならないものがあり、それこそが本当に大切なものだと思います。

感情に流されず、何がそうであるかを見極めていきたいものです。

新しい時代は何もなくて心細いかもしれませんが、昔のもの以上に良いものを見つけ、作っていけばいいだけです。
そして、これからはそう割り切っていくための時間がこの国に来るのだと思います。

拍手


神統試論・序

楽太郎です。

私が日本の神様の絵を描かせて頂くに当たって、一つの課題がありました。
それは、「同一視される神格を全て別々に考えたとしても、同定可能な神格も個別にするべきなのか?」という点です。

つまり、ある神様を描かせて頂く時には神名の数だけ違う神様として描くことはできます。
ただ、神名は異なるけれど由縁や背景を紐解くと、ほぼ同一の神格を指し示していることもあります。

神様の数だけたくさんの神様をお描きするのも一つの道だと思うのですが、下手すると神様の背景を掘り下げず、適当にお描きしてしまうことにも繋がります。
ある神様のプロフィールを辿っていくと、縁や由来があるからこそ深い理解にも繋がりますし、「こちらの神様とこちらの神様は同じ神格を示している」と結論づけることも可能になります。

例えば、私の崇敬する瀬織津姫命様は、「市杵島姫命・湍津姫命」「天照大御神荒御魂・向津姫命」「罔象女神」「高龗神」と、比定される御神格がいくつも存在します。
ただ、私自身は瀬織津姫命とされる御神格に対し、自然神、産土神としての「淡水を司る女神」であると認識しているため、安易に異なる御神格と同一視することには抵抗があります。

神道を考える上で、「自然神」「文化神」という観点を抜きにして、神様を理解することはできません。

「自然神」とは、私の解釈では「記紀」の天地開闢から天照大御神と素戔嗚命の誓約までの「自然の形象を神格化した神々」を指します。
「文化神」とは、日本に有史以来お祀りされてきた「祖霊神や氏神など、人格に由来する神々」を念頭にしています。

我が国ではその区別がなくても問題なく信仰されてきましたし、私自身も必要な分類だとは思いません。
「自然神」は形象それ自体でもあるので由来をそれ以上辿ることはできず、「文化神」は歴史的事実を把握すれば特定できる神様であります。
神として大まかに捉えて問題はなくとも、由緒を考えると混同することが必ずしも合理的であるわけではないのです。

信仰とは本来多様なものですから、私自身が瀬織津姫様を弁財天様や龍神様と同一視されることに異論があるわけではありません。
「瀬織津姫命は自然神である」という観念は私独自のものなので、例えば「市杵島姫命」様を私がお描きする機会があれば、別の御神格として表現するでしょう。
その表現に違和感のある方がおられるとは思いますが、それが私の神道解釈ですし、信仰に基づいた表現は曲げる必要はありません。

とは言え、現代の宗教法人制度における神道は、地域の伝承や伝統に裏づけされてはいますが、明治政府の神仏分離政策や飛鳥時代の大宝律令の成立と「記紀」の影響などにより、御神格は政治的な意図を持って祭祀形態を変更されてきたのも事実です。

例えば、愛知県豊田市にある「猿投神社」は、社名の「猿投」とは出雲族の信仰対象であった銅鐸を「サナギ」と呼んでいたことに由来する説があります。

ただ、同社は「大碓命」を主祭神とされていますし、社の西側には「大碓命墓」とされる「猿投塚古墳」が存在します。
「大碓命」は、景行天皇の子である双子の兄で、弟の「小碓命」は後の倭建命であると言います。
しかし、考古学的に猿投塚古墳の被葬者は解明されておらず、大碓命の墳墓は岐阜県にある昼飯大塚古墳が有力とされています。

「猿投」が「サナギ=銅鐸」であるとするなら、猿投山一帯は出雲族の銅鐸祭祀の名残がある土地です。
しかし、同社は主祭神を景行天皇の子息である「大碓命」としており、主祭神とされたのも近世以降で、実は古くから猿投山の神をお祀りしていたのではないか、と言われています。
つまり、出雲族の信仰は物部系氏族の伝承に塗り替えられており、ここには政治的な意図を感じざるを得ません。

神社と歴史、歴史と政治は密接な繋がりがあり、それらを切り離して日本人の信仰を考えることはできません。
神社に代々伝わる社伝も、時の人の解釈や作為が働いて創作されることもままあったはずです。

特に日本の神道史を考える上で、大和朝廷誕生後の宗教政策や、推古天皇の律令制度改革に始まり「日本書紀」の成立による氏族への影響などを無視することはできません。
そもそも、国家神道を考える上で肝となる「記紀」ですが、その成立の背景には飛鳥時代の白村江の敗戦、律令制の普及に伴う地方豪族との軋轢などもありました。

朝廷としては、律令制を確立して中央集権化を推し進めたいわけですが、時の天智天皇も頭を悩ませたことでしょう。
そして、地方豪族を取りまとめるために、天皇の血筋を堅固なものとしながら、全国の氏族の正統性を認め、派閥を取りまとめる必要があったはずです。

「日本書紀」は百済や新羅などの諸外国に提示する外交文書である以上、その内容は折紙付きとなります。
そのため、国内の豪族はそれを認めざるを得ず、結果的に各氏族は氏神・祖神信仰の形を変えねばならなかったとも考えられるのです。

ちなみに、「記紀」は日本という国家の成立、天照大御神を中心とした国家神道のあり方を定義したものと考えられています。
しかし、「日本書紀」が正史として文武天皇に献上されたのは公式記録にありますが、「古事記」にはないそうです。

古事記の研究によると、古事記が広く認知されたのは江戸時代、その立役者は国学者の本居宣長であると言われています。
古事記の前文には数々の批判があり、その文体から平安時代後期の可能性が高いそうです。
古事記自体は偽書ではないとしても、少なくとも「日本書紀」の原本などから編纂されているのは事実らしく、日本書記の方が正確な記述は多いそうです。

これらの書物は地方豪族の系統を取りまとめる目的もあったと考えていますが、やはり氏族には氏神信仰があり、それぞれ自らの祖神は絶対であり、簡単に御神名や由来を変えることなどできない、と思ったには違いありません。
だからこそ、記紀には似た構図の話が時代と人物を変えて何度も現れ、似たような境遇の神々が多数存在することになったのだと思います。

その全てが事実と違うということではなく、原型となるような経緯があり、その解釈や伝わり方で各豪族の心象も変わり、また権力差や立場で表現される物語も変わったはずです。
特に日本書紀を編纂したのは藤原不比等とされており、時の持統天皇や政治のゴタゴタも多分にあったでしょう。

その影響を踏まえても、やはり事実に基づくというか、そうではなくても共通認識となる筋道はあって、そこに登場する人物や神格、立場や背景が一致する原型があるように思えてなりません。
この歴史研究の試みは、「書紀を歴史的に紐解き、御神名を整理して神統を詳らかにする」というものです。 
 
これは、神格の混同を避けることにも繋がり、神様のプロフィールをより詳細にするということです。

例えば、和歌山田辺市にある「熊野本宮大社」の主祭神は「家津美御子(けつみみこ)神=櫛御気野(くしみけぬの)命」とされています。
ちなみに、神武天皇の諱は「若御毛沼(わけみけぬの)命」「豊御毛沼命」です。
熊野の社名でわかるように、社は「素戔嗚命」をお祀りしているはずです。
素直に解釈すると、「神武天皇が素戔嗚命である」ということになります。

そんなことがあるのでしょうか?

もう一つ例を挙げると、神武天皇の父である「鸕鶿草葺不合(うがやふきあえず)命」の妃は「玉依姫命」であり、玉依姫の姉の「豊玉姫命」は、鸕鶿草葺不合命の母であるとされます。

鸕鶿草葺不合命の父である彦火火出見命、山幸彦またの名を火遠理とされています。
釣り針を無くして海辺で途方に暮れていたところ、塩椎神に誘われて竜宮に赴き、豊玉姫と恋に落ち子を儲けました。
豊玉姫には龍女の伝説があり、父は綿津見神であるとされます。
火遠理と豊玉姫の子の鸕鶿草葺不合は叔母にあたる玉依姫に育てられ、後に結婚します。

「海幸彦と山幸彦」という話では、山幸彦(火遠理命)は兄から借りた釣り針を海に落としてしまい、途方に暮れますが、自分の剣である「十拳の剣」から千本の針を作って海幸彦(火照命)に渡そうとします。

「十拳の剣」を持つ神と言えば、素戔嗚命でしょう。
素戔嗚命は八岐大蛇を退治する時、十拳の剣で戦い刃が折れてしまいますが、八岐大蛇の尾から「草薙の剣」を見つけ、これを宝とします。

ということは、神武天皇は素戔嗚命であり、祖父の彦火火出見命も素戔嗚命であるとも言えるのです。

しかし、素戔嗚命は天照大御神と同時にお産まれになった三貴子であり、世代が全く違います。
しかし、実在の神社の由来、地域の伝承を加味して記紀の設定を照らし合わせると、奇妙な一致と不合点も明らかになってきます。

こういった複雑に絡まった系統を解していく、繊細な作業になっていくと思います。
こういった事象が起こるのは、書紀編纂時に各氏族の都合を整合性よりも優先した結果ではないでしょうか。

興味深いのは、鸕鶿草葺不合命の妃である「玉依姫命」には、いくつも似た名前の神様がおられることです。
「鴨玉依姫」「櫛玉依姫」「活玉依姫」、姉の豊玉姫も似た名前ですが、「豊」が氏族の「豊氏」の系統を指すのだとしたら、「鴨玉依姫」は「賀茂氏」と繋がりがある可能性もあります。

また、神道には「四魂」という考え方があり、それは「幸魂、奇魂、和魂、荒魂」とされています。
この「幸魂」は「豊」、「奇魂」は「櫛」と表記されるそうで、つまり玉依姫命の神名のバリエーションは、「神魂の現れ方」を表しているのかもしれません。

ということは、一見文脈としては別々の神様のように語られていたとしても、実は同一の神様を別の角度から説明していた、という記述も多分にあるのではないでしょうか。
ゆえに、「鴨玉依姫命」「櫛玉依姫命」「活玉依姫命」を個別の神として表現するのは慎重にならなければなりません。

この試みは、断定するのが難しいことを扱うことになりますが、独断と偏見で強引にやっていこうと思います。
これには、考古学的歴史だけでなく地政学や民俗学、神社の成り立ちなども考慮に入れながら多角的に調べていきます。

これから神道の歴史を辿るにあたり、「日本書紀」の記述を軸にしたいと思います。
両書には神名の表記揺れがあり、その辺を混同すると私自身が混乱するのもあるからです。

なかなか素人には難しい試みですが、無学者なりに大胆なアプローチをしていきたいと思います。
私としても、意外な結論になっていきそうでワクワクしています。

拍手


アナログへの回帰

楽太郎です。

本日、シルクスクリーンの実験に購入した一式が届きました。
以前、版画の世界に足を踏み入れ、そこでビジネスをやっていこうかなという話をしました。
イメージは「浮世絵」なのですが、江戸時代の木版画は今の出版社と仕組みはほぼ同じで、組織的な生産体制によるものでした。

私はこれからの時代、どうなっていくのかわからないからこそ、自分の力だけで成立する制作体制について考えていました。
そこでは、素材の収集から道具作りまで、自己調達が可能なほど望ましいという結論に至りました。

しかし、現代の文明的な生産技術で作られた製品が、DIYするようなものより遥かに性能が良いし、現段階で自己調達よりも安上がりなのも事実です。
ただ、とりあえずは技術的に方法論を確立して、そのあとに代替品を考えればいいかな、と思いました。

最近、なかなか体調が芳しくなくて動けなかったのですが、なぜか身体を動かすようなことにはエネルギーが循環することに気づき、PCに向かうより遥かに調子が良くなります。
これには何か意味があるのでしょうが、とりあえず無意味にでも動いた方が正解なんだろうな、と思っています。

今日はふと思いつきで、10年前くらいに買った筆記用具を引っ張り出して、紙と鉛筆で絵を描いてみることにしました。
ここ10年くらいは本当にデジタル環境でしか絵を描いてこなかったのですが、急にアナログに戻しても勝手が違いすぎて戸惑いました。

そして、試行錯誤しながら描いた瀬織津姫様のイラストがこちらです。





瀬織津姫様を描かせていただく時、なぜかどのようなやり方でも瀬織津姫様っぽくなるのは不思議です。
私は本当に神様が見えているのでは?とすら思ってしまいますw

今回、デジタル環境から移行するに当たって、斜めの画台を作るところから始めました。
昔、トレース台があったのですが捨ててしまったらしく、背後から光を当てられないかなと家中の電気製品を漁ってみたのですが、残念ながら諦めました。

急にPCでの描画環境からシフトしたので、「ズームできない」「アンドゥができない」「切り抜き選択による移動ができない」という仕様に戸惑いました。
まあ…こっちの方がデフォルトなんですが…(汗)

しかも、最近はペンを持つ機会もめっきり減ってしまったので、ストロークも鈍ってしまい手が痛くなりました。
とにかく、描いては消し描いては消しで、絵を描くというよりは彫刻に近かったです(笑)


これまで、PCでやるとどうしても波長が乱れて仕方なかったのですが、アナログでやるとなぜか心身共にすごく安定しました。
これは何故かなと思ったのですが、神様がどうやら今後の活動はアナログを優先して欲しいようなのです。

たぶん、予言的なアドバイスもあるのだろうと思います。

これから経済が崩壊して職に溢れる人が増えると、とりあえずという感じでネットで活動する人が爆発的に増えるはずです。
しかし、現時点でプロすら埋もれるほどの超飽和状態なのに、全く無知の人々もどんどん参入してくるでしょう。
きちんと商売をするなら、そこで活動し続ける方がむしろ無謀です。

これから急速に実態経済が冷え込むため、流通がガラ空きになっていくと思います。
空き店舗も増え、賃料は下がるので事業的には進出しやすくなり、イベント事は逆にやりやすくなるはずです。
人々はお金を使わずに暮らそうとするので、逆に催しや物理的な広告は目立つでしょう。

人々が安易に娯楽を済ませようとデジタルに向かう中、流通の世界にあえて打って出ることで、逆にビジネスチャンスを狙えます。
ここまで先が読めると、何をしたらいいのかも自ずと見えてきます。

あと、個人的にデジタルの世界はこれから現体制を維持できなくなってくると思います。

今のネット環境を支配しているのは、アメリカのマグニフィセント7と呼ばれるビッグテックです。
人々は彼らが超絶ホワイトな組織だとは思っていないでしょうが、その通りです。
彼らがインターネットを牛耳っている間、自由な表現も競争も夢のまた夢です。

私がPCで作品を制作してネットに公開する一連の流れは、特定のテック企業数社しか挟みません。
これは実に恐ろしいことで、ほぼ彼らの匙加減一つでやっていけなくなるということです。

その予兆はadobeのサブスクがエゲツない金額になってデザイナーやイラストレーターが泣きを見たように、一企業に作家生命を握られるなど実際あってはならないのです。
だからこそ、私は自前で全ての材料を工面できるくらいには、制作環境を固めようと思いました。

とは言え、周知のためにはネットを使うべきです。
そのため、アナログ作品をアップロードするための撮影機材も必要でしょうし、ポートフォリオサイトも必要だと思います。
現在、その準備も進めています。

ただし、やはりメインは物流としての商業取引になっていくと思います。正直、店舗などの商業活動が停滞するのにネット取引だけ活発というのも考えられませんし、デジタルもそれほど有望ではないと考えざるを得ません。
だから、あくまでサブとして進めていくつもりです。

近い将来、ラジオの周波数帯やスクランブル放送の帯域が解放されれば、メディア展開も可能です。
だからぶっちゃけ、現体制が壊れてくれた方が動きやすくなるのは確かです。

ということで、これからはアナログの方面もやっていこうと思っています。

実は、かなり必死に神様へ「漫画を描かせてくれ」と懇願しているのですが、どうやら順序というものがあるらしく、なかなか取り掛からせてもらえません。

神様は本質を大事にされる方々なので、何よりも順序を優先されるようです。
その感覚は、未熟な人間にとってすぐに腑に落ちるものではないかもしれません。

いつかは漫画に取り掛かれると思うのですが、いつかはわかりません。
それまでは優先すべきことがあるようなので、地道にやっていくしかありません。

拍手


日本人の倫理観

楽太郎です。

昨日の記事では、古代の日本人の死生観から生まれた神道の精神について話しました。
日本人には「罪穢れ」と「祓い清め」の概念があり、その延長に現世利益と神への信仰がありました。

日本人は、世界的に見ても教義的ではない信仰心を持つ珍しい民族であるとされます。
教義がなくても道徳的、宗教的たりうるのは、日本人が脈々と受け継いできた「美的感覚」ではないかと思います。

例えば虫の声は、日本人以外の民族は「雑音」として脳内で処理するため、どちらかというと音楽的な認識の仕方をするそうです。
しかし日本人は、コウロギの「コロコロ」という鳴き声を聴いて擬音化するように、言語野で認識するようです。

寂れたものに美しさを見出す「侘び寂び」の概念、「赤穂四十七士の討ち入り」に見られる「敗者の美学」など、日本人独特の価値観は美意識に基づくものです。

日本人がそういった豊かな情緒を育んでこれたのは、歴史においてあらゆる権威の下に晒され、ルールや常識に押し潰されても屈さず、どこかで強かさや余裕があり、厳しい現実の中に「無常」の世界を見出してきたからではないでしょうか。

つまり、この世界に「絶対」がないからこそ、お上や偉い人物が決めたことだけが全てではなく、自分の美徳や美意識、あるいは損得勘定でうまく立ち回ってでも、生きていくことに価値を見出してきたのかもしれません。

ゆえに、規則やルールを徹底して遵守することが日本人の倫理観ではなく、むしろ内面としての美的感覚や計算によって「道徳」の合理性を理解してきたのが日本人なのだと思います。

だからこそ、今の世に蔓延る「画一的な多様性」という倫理観、「正しくないものは許されない」という正義感は、日本人には本来馴染まないものです。
しかし今、その価値観を信じきり、その偏狭な道徳心で人を弾圧することが「正しい」と思う日本人が増えてしまいました。

日本民族は、かつて大陸経由で渡ってきた移民が列島にどんどん定住し、渡来してきた人々の文明を取り込みながら発展してきました。
日本人そのものが「多様性」を最も体現した民族であり、なぜ本来の思想を発揮させずに西洋的な「画一的多様性」を受け入れてしまったのでしょうか。

今の政府の政策のように、「全ての外国人を受け入れよう」ということが、即ち多様性を受け入れることを意味しないはずです。
日本の国風を理解しない人々がいくらこの国に住み続けても、「日本」が深く理解されると信じていいのでしょうか。
国家のアイデンティティが揺らぐ今こそ、日本人は自分たちの歴史と民族としての本質を見直し、本来の性質を思い出すべきです。

日本人の宗教観も、長いこと唯物史観に染まったせいで、「神様」という言葉を出しただけで眉間に皺を寄せる人も増えました。
戦後に勃興した新興宗教団体が組織的に如何わしかったり、実際に犯罪やテロまで起こしてしまったのも事実で、伝統的宗教も一緒くたにされて悪印象になってしまったのもあると思います。

しかし今なお日本人は、精神的文化観において柔軟な強かさを維持していると私は考えています。

一般的に、「神様」は遥か遠いところから地上を見下ろしていて、その下には善人が死後に行く「天国」があり、悪人は地球の下にある「地獄」に堕ちて永遠に苦しむ、と考えられています。
よく考えれば、このイメージは宗教的にはめちゃくちゃです。けれども、市井の人々はこの死生観でも何の疑問も抱かず暮らしています。

私は、日本人のこの「宗教観の適当さ」は唯物史観に染まったからではなく、ずっとこういった曖昧な死生観を持ち続けてきたのだと思います。

つまり、これも日本人の「現世利益」の価値観に基づいているとも言えます。
これだけ教義的に曖昧だと、「このままでは死後裁きに合う」ことに戦々恐々とし、わざと窮屈な生き方を選ばないための合理的根拠になり得ています。

かつて日本人は、死んだ人の亡骸を山や海辺の洞窟などに葬っていました。
そして、亡くなった人は見えない遠い場所へ向かい、機会があればいつでも戻って来てくれる、と考えていました。

日本神話では、そこは「黄泉の国」とされます。
「ヨミ」は元々「ヨモ」であったらしく、「ヤマ」の語源と親和性があると言われます。

参考として、「日本語の意外な歴史」というブログの記事をご紹介します。

「山」の語源

私は、古代日本人が死者の霊を招く儀式をする時、「霊を呼ぶところ」という意味合いを込めて「ヨミの国」と称したのではないかと考え、「ヨミ」は「呼び」を意味するのではないか、と仮説を立てていました。
ただ、「呼び」のyoは甲類なので、そうとは言えないようです。

しかし、上記のブログにはこう書かれています。

「口を意味するyom-のような語があったということは、遡れば、穴を意味するyom-のような語があった、下を意味するyom-のような語があったということです。yomo/yomi(黄泉)は「下」を意味していた語と考えてよいでしょう。」

「黄泉の国」の他にも、神話的には「根の国」「底の国」という地下世界の概念があります。
これは世界観としては垂直的な階層のように思われるのですが、伊弉諾命が亡くなった伊奘冉命を追って黄泉の国に行った時、死者の群に襲われて黄泉比良坂に岩を置き、出入り口を封じます。

こうして考えると、日本人はやはり「黄泉の国」も地続きの場所であり、高天原も空間的には上部にあるとしても、決して異次元にある世界ではないように思います。

目に見えない世界が、国や場所のようにフラットな延長線上にある意識は、まさに日本人独特のものです。
神も死者も常に身近にいる、という感覚は「お天道様は見ている」という価値観に繋がり、森羅万象に神を見る「八百万」の精神世界を形づくってきたのだと思います。

これこそ真の多様性に至る考えであり、日本が多神教である所以でもあるでしょう。
ただし、全てを受け入れてきたわけではなく、やはり「まつろわぬ」者たちを封じてきたのも事実です。

しかし、まつろわぬ者たちと言えど、例えばヤマト王権にしろ追従した豪族は和合する道を優先してきたのも歴史が証明します。
先の外国人の移住や多様性などの話題に関しても、互いに理解と協力が可能であるのが前提条件であり、「日本」という国の文化への尊重があるからこそ真の意味で日本に根付くことができます。

けれども、日本人と外国からの住民が、互いに深く理解し合うまでに至っていないのではないでしょうか。
だからこそ、私は拙速すぎる社会的な流れを批判しているのです。

日本の神道は、厳密に言えば宗教ではありません。
宗教なら開祖や教義が存在するものですが、神道にあるのは「伝統」「所作」だけです。
ゆえに、神道は伝統的風俗であるとも言われます。

神前に奏上する祝詞も、文面を事実と照らし合わせれば真実かはわかりません。
けれども形式として、少なくとも1500年以上は受け継がれてきた由緒あるものですし、その権威性は計り知れません。

それでも、日本人は神の教えを聞き、導きを受けて有り難く受け止め、その知恵を子々孫々に伝えて繁栄してきました。
教義を軸にして、「正しいか正しくないか」という考えで神を信じてきたわけではないのです。

日本人は、「神様が今どうお考えであられるのか」を常に考え、察しながらお祀りをしてきました。
神様の顔色を読み間違えると、神の「荒魂」が災いを起こすと考えてきたからです。

実は、そういう「目に見えないものを慮る」という感覚こそ、日本人の倫理観の源泉なのかもしれません。

人間の心は目に見えません。愛情も優しさも幸せも心の豊かさも、目には見えないものです。
しかし、「目には見えないものを慮る」からこそ、人の感情の機微を深いところで感じ取ってきたのが日本人なのではないでしょうか。

私は、日本人がその全てを忘れ去ったと思いません。
ただ心の中に眠っていて、それを思い出す機会がこれまでなかっただけなのだと思います。

日本人に備わった道徳心も美意識も、きっとそうなのだと思います。
幸い、古い時代は壊れようとしています。

新しい時代が始まるのなら、これを機に忘れてしまった日本人らしさ、その良いところを思い出し、今まで以上に良い世の中を作って行けたらいいな、と私は思います。

拍手


神と日本人

楽太郎です。

先日、「幽界の消滅について」という記事を書きました。
四次元世界である「幽界」が縮退する代わりに、地球が霊的に次元上昇することで「新幽界」というべき次元に置き換わるのではないか、という話をしました。

また、古い幽界にある地獄的思念の集合場は、次元の縮退と共に居場所を無くし、低い波長域にある物質次元に移動し、その様態が「憑依」という形に現れているのではないか、と仮説を立てました。

人々はナチュラルに邪気を帯び、発するようになって久しいですが、その邪気の根源には「憑依者」が宿主となって悪影響を及ぼしているように見えます。
今、日本には悪意を持った外国勢力が侵入してきていますが、その影響を受けた日本人の中には邪気の媒介者となっている人も見受けられます。
日本が本当に「神の国」であるとするなら、悪しき霊が神の国を蹂躙しようとするのは理に叶っています。

この様子を鑑みるに、「日月神示」のシナリオそのままではないかと思います。
つまり、神の世界、霊人の世界、人の世界の「三千世界」の立て直しにおいて、「日本は一度取り壊される」と書かれています。

その「取り壊し」が、どの程度なのかはわかりません。
しかし、これまでの社会の仕組みの上で、日本人が存続困難な状態に置かれているのは否定できないはずです。

例えば、これから明確に食糧難となった時、耕作放棄地や野山で勝手に食物を採取したり、栽培しようとしても土地の権利者がいるため、法で罰せられる恐れがあります。
土地は不動産なので、生命を繋ぐために自然から恵みを受けようとしても、書類上の権利があるので食べ物にありつくことができません。

自然とは本来、人に恵みを十分なほど与えてくれるのに、人間の仕組みでそれを得られないのです。
江戸時代の天保の大飢饉がほぼ人災だったように、人の作った制度で人が死ぬ、という惨事が繰り返されるのでしょうか。

ゆえに、制度的な面で現体制が変化しない限り、私たち日本人は滅びる流れにあります。
この流れに抗い、どこまで新しい世を作っていけるのかが日本人に問われています。

この世の邪気は、人々が現代社会を生きる上で積み上げた不満や絶望、そこから生まれた罪穢れ、その邪気に悪霊による憑依が加わったものだと思います。

今の拝金主義的な世で、生き方も世界も変わることを許せない感情は、そもそも精神的存在を否定する勢力から発生しました。
下手に科学的な視点は、唯物史観を助長させ、「全て金と人間の力で解決できる」という思想を一般化させました。
そして、物質中心の生き方を変えたくないと思うからこそ、この歪な世を作り出した側である邪霊の影響を受けやすいのです。

今私たちが「邪気」と呼ぶ概念は、近世になるまでは「穢れ」と呼ばれていたものです。
私の解釈では「穢れ」とは「気離り(きかり)」であり、「元気がなくなる」「嫌な気持ちになる」「気を病む」というニュアンスを指したのだと思います。

ストレス過多の現代人は、欲求不満や疲労を常に抱えています。
イライラして人に当たり散らしたり、妬み嫉みで人を攻撃したり、人を騙してでも利益を得ようとします。
心を病んだ人々は、アルコールやドラッグに走り、病院にかかり薬漬けになったりもします。

しかし、物質的に回復条件を満たしただけでは「清め=気呼べ」にはなりません。
「気」というエネルギーを呼び込むためには、疾しい生き方を改め、自然体の心地よい生き方を選ばなくては、病んだ心身を本当の意味で癒すことはできないのです。

だからこそ、現代人には「祓い清め」が必要であり、それは人間本来の性質に立ち返り、自由で健康な精神を取り戻すことです。
そのためには、自然と調和する感覚、神仏や精霊への正しい信仰、目には見えない世界を敬う心が大切です。

日本人は、古くから「自然から生まれ自然に帰っていく」という死生観がありました。
古代の人々は、人が亡くなると亡骸を山や洞窟の中に葬りました。その霊は、山を登って高いところへ帰り、あるいは海を渡って遠い世界に行くと考えていたようです。

その世界観において、人の生きる土地と死後の世界は地続きであり、「遠いところに行くだけ」という認識に近かったようです。
そして、遠いところに行った愛すべき人やご先祖様も、ことあるごとに自分たちの元へ戻って来てくれると考えていました。

その世界は「隠り=幽(かくり)世」であり、ただ単に「見えないだけのところ」だと思われていました。
隠れているだけの世界なので、善人も悪人も等しく行く場所だとされていたようです。
この考え方は、現代スピリチュアリズムにおける「精霊界=幽界」の考え方と一致します。

亡くなられたご先祖様が「神になる」と信じられたからこそ、日本には「氏神信仰」があります。
遠いところに行ったご先祖様は、神様となって子々孫々を助けてくれると考え、その霊をお祀りすることで自分たちに加護を与えて下さることを祈願しました。

土地に恵みを与えて下さる「産土神」は、お祀りすることで幸を与えて下さる一方、ご機嫌を損なうと「荒魂」によって災害や凶作をもたらすため、平和と安寧のためにきちんと「鎮魂」し、祭祀を行うのです。

神様は何でも知っておられるし、あらゆるお力をお持ちだからこそ、自分たちの願いも叶えてくれる、あるいは救いの道を示して下さると人々はずっと信じてきました。

そして実際に、神様は私たちを導き、あらゆるアイデアやヒントを授けて下さいます。
その神様を敬うことは、私たちの心が祓い清められるだけでなく、本来の人間のあり方に立ち返る道でもあるのです。

つまり、これが日本の「神道」です。

国家神道の最高神「天照大御神」は、日本という国の総氏神であります。
ご先祖様が守ってこられた日本という国、厳密に言えば八州の国土が蹂躙され、失われようとしています。

私たち日本人が何をすべきか、それは政治問題に熱心になることでも、新しいビジネスや活動を始めることにある訳でもありません。
一番大切なのは、本当に心の健康さを取り戻し、そのために古い生き方考え方を捨て、本来の自分に立ち返ることです。

自分の本心を知り、魂のレベルからやりたいことを見つけ、それをするために何をすれば良いか、それによってどう人の役に立つのか、その答えを見つけ、見つけた答えだけを信じて生きていくことだと思います。

この世は、これから想像もしていなかったことが次々と起こるはずです。
その時、自分の信じる道が希望となり、揺るがずに強く生きていけるはずです。

拍手


「幽界」の消滅について

楽太郎です。

今日は午前2時に目が覚めました。
その時、身体の強張り具合から、久しぶりに邪気を警戒して目覚めたのがわかりました。

そこでハッとして本日付のNYダウ平均を見てみると、1600ドルの回復を見せていました。
これを見て、やはり邪気と金融はリアルタイムで連動していると思いました。

つまり、土の時代の唯物主義、人世の拝金主義は、「投資」という形を取ったエネルギーとして可視化されています。
それゆえ、投資家たちにとっては「お金」というエネルギーが無限に持続し、拡大発展していかなければならないものになっているのです。
その執着のエネルギーは、趨勢と共に邪気を伴い、また「金」の数値化によって目に見える形になっているのだと思います。

この「物質至上主義」の思念は、精神世界にとって対立する存在です。
ゆえに、このバブルを無限に拡大する意志を持って、新しい時代の到来を潰そうとしているのです。

ただし、この勢いがこのまま続くとは思いません。
邪気と浄化の拮抗は押しつ戻りつしながら、13日の満月で一旦の区切りを迎えると思います。
今の流れを見ても、「グレートリセット」へのシナリオは進んでいくとしか思えません。
私も邪気を次第に認識できなくなりつつあるので、分岐は近いのかもしれません。

思えば、私の感じてきた邪気には「意志」に近い巧妙さがありました。
以前、生霊攻撃を受けていた時も、生霊を飛ばした女性は悪霊に憑依されているのではないか、と薄々感じていました。
今のこの世界でおかしな人が増えていますが、ほぼ「憑依」によって悪霊の影響を受けた人間から邪気というものは発せられているのだと思います。

スピリチュアル界では、長らく「五次元世界になる」と言われてきました。
そして去る11月20日を持って本格的に冥王星水瓶座時代に突入し、五次元宇宙に「次元上昇(アセンション)」するとされています。

これまでの地球は「四次元」だったとされますが、厳密に言えば「三次元=立体宇宙」に「一次元=時間軸」を加えた概念です。
これまでの「四次元」とは「幽界」を指したそうです。「霊界」が五次元の精神界を指すのならば、「神界」と呼ばれるのは六次元以上の世界になると言います。

この「幽界」とは、実は人間の思念が作り出す低次元の霊界だそうです。
人間が死ぬと「幽霊」になる話も、魂が幽界に渡って高い次元の「霊界」に上がっていくか、まだ人間としての執着が強ければ物質次元の地球に残り続けると言います。
霊界は波長が高いので、低い波長の霊は霊界に上がることができず、ゆえに低次元である地球に干渉してきます。

だいぶ以前から世界で歪な状況が発生し、日本人もその煽りを受けておかしな人も増えました。
「この人は日本人か?」という感想を突き抜けて「本当に人間なのか?」と思う人も見かけるようになりました。

私は長年、憑依で苦しんできましたし邪気の影響をもろに受けてきましたが、これは幽界の霊が人間界に移動し、干渉した結果なのかもしれません。
スピリチュアル界では、「幽界が消滅しつつある」とよく言われます。
低次元の霊がどんどん狭まっていく幽界から逃れるために地球に移行してきたのだとしたら、人々が豹変した説明にもなります。

人間は「分身魂(ワケミタマ)」と呼ばれる神の魂の一部を与えられ、この地球で魂の修行をしてまた霊界に帰っていきます。
人間は死ぬと、半霊半物質の幽界でしばらく過ごし、霊界に上がることになります。
しかし、修行に失敗して物心に囚われた魂は、幽界の中に留まり、同じ波長の霊と集まって想念的空間を作り始めます。

幽界において邪悪な思念を持った魂が集まると、そこは「地獄的」想念の場になります。
そして、この幽界が消滅する、あるいは限りなく縮退してくると、この地獄的想念の場も行き場を無くします。

こうして邪霊が人々に干渉した結果が、今の世ではないでしょうか。
つまり邪心の強い人々は憑依を受けていると言え、その憑依は人々が生きる上で「邪気」を呼んだために起こったのです。

人間は生きる上で「罪穢れ」を蓄積していくことは避けられません。
生命あるものから栄養を摂らなければ生きられませんし、身体は疲労し老廃物も出ます。生きるために欲を出さねばならず、欲を出せば迷惑もかけます。

これを浄化するのが、愛であり神々への信仰でした。
けれども、長らく人々はこの浄化を怠り、心身を欲に塗れさせ物心に溺れてしまいました。
そのため、邪霊の類に魂を乗っ取られる人間が増えました。
そして起こる非情な出来事は、人々が魂のレベルで「穢れ」を纏ったために起こっていることなのです。

おそらく、今後この「憑依者」が物理的に封じられていくことになるだろうと思います。

それがどのような形で起こるのか、私には恐ろしくて書くのも憚られるのですが、いずれ邪霊の類がこの世に干渉できない形にされていくのではないでしょうか。

「幽界」とは、ほぼ人間の思念で作られた霊界であるとも言われます。

地球は三次元から四次元にアセンションしたので、これまでの幽界が地球の霊的階層に置き換わることになります。
「幽界」がなくなることで、人間は死んだらすぐに「霊界=五次元世界」に行くことになるはずです。

つまり、霊界は幽界よりも波長の高い魂しか行くことができないので、四次元の地球が幽界的役割を持ち、幽界的次元の人間が死んですぐに霊界に上がるためには、生きているうちに霊格が高くなければならないのです。

これは、考えれば考えるほど恐ろしいことです。
霊格が低い人間は死んだらどうなるのか、それを憶測であろうと気軽に言及できるものではありません。

世に言う「五次元宇宙(この記事の文脈では四次元」、好んで使う言葉でいうなら「神代」という世界は、この目に見える地球そのものが「霊魂の修行場」になるということです。

そこで修行を放棄した魂は、早い段階でこの世界からパージされるはずです。
それゆえ、因果を知り正しく修行に向き合う魂しか生きていくことができず、輪廻が許されない時代になるのかもしれません。

仮に、悪鬼悪霊の類が幽界の消失によって淘汰され、あるいは質の低い魂が輪廻を絶たれるとしたら、天界の構造改革を日月神示では「大洗濯・大掃除」と表現していたのかもしれません。
そして、邪霊の干渉が人間界に及ばなくなるとしたら、それこそ善良な人々による「弥栄の世」は完成する、ということなのではないでしょうか。

幽界とは、半霊半物質の世界とされているので、自分の思念が具現化しやすい世界です。
良い心持ちであれば良い結果に、悪心を出せば悪い現象となって立ち現れてくるはずです。
その世界では、どう考えても心根の腐った人は生きていけないかもしれません。

特に、人を欺き奪い支配し顧みない、そう言った人々は天がお許しにならず、自らの因果で暗い世界に堕ちていくことになるのではないでしょうか。


今回の記事は、何となく重たい内容になってしまいました。

終わりに、「幽霊はいなくなっていく」という話をしたいと思います。これも、やはりスピリチュアル界ではよく話されていることです。

幽界が消滅すれば、地球に近い波長の次元にいる「幽霊」は、存在することが難しくなるのかもしれません。
10年前あたりから、「戦国時代の亡霊を見なくなった」という噂が立ちましたが、もしかすると古い霊魂から上がっていった可能性もあります。

そう言えば以前、近所の山にハイキングがてら登った時のことを思い出します。
その日、小学生たちがその山の広場に遠足に来ていました。

私は人霊に周波数が合わないらしく、あまり「幽霊」という存在は頑張らなければ認識できません。
墓地とか行っても普通の感覚がしますし、むしろ林や山などで精霊とか自然霊に近い存在はよく感じます。
ですので、日常生活の上で人の気配を持った霊を感じることは稀です。

その時、その方が広場の小学生たちを高台から見下ろしているように感じました。
おそらく、見守っておられたのだと思います。

奇しくも、この山は古戦場になっていた史跡でもあります。
私が高い波長の人霊だと思ったのは、その方がこの土地を見守り、人々を守る守護神のように立たれていたのを感じたからです。

これまで幽界にいた霊魂は、人間の守護神がいる霊界層「五次元」に近づくほど、守護神の格に近くなっていくはずです。
私には、そういった英霊が神様の下で人々や土地を守ってくださるなら、これからの地球はずっと良い場所になるのではないかと思います。
遠い未来、確かに「ミロクの世」が実現するのは決して眉唾な話ではないかもしれません。

しかし、それまでの道が「大峠」です。
覚悟しなければなりません。

拍手


科学とスピリチュアル

楽太郎です。

世が混迷を深め、精神的に持ち崩す人も増えてきました。今以上に精神科などの病院も混み合うことになると思います。

かく言う私も、近年はだいぶ精神的に不安定でした。
自分の努力が報われないとか、世の中がおかしくなりすぎているとか、外的要因はいくらでもありましたし、スピリチュアル云々関係なく何かに縋りたい思いは常にありました。

このブログを誰かが読んで、「こいつは大丈夫か?」と思われるのも覚悟しています。
それでも私はこの世界を良くしたいという思いで活動してきたのは事実ですし、自分の言葉には責任を持っているつもりです。

精神医学には、「メサイアコンプレックス(救世主妄想)」という病理があるそうです。
もしかしたら、私もそうであると思われているかもしれませんので、一応説明しておきます。

この病には、これらの特徴があるそうです。

  1. 終末論的である
  2. 自身を崇高な存在と思い込む
  3. 自分の正義を絶対視している
  4. 言動が否定的かつ暴力的である

私自身を客観視してみると、全部似てはいるけど厳密には違うように思えます(個人的に)。

1.の終末論的考えは、むしろ「これから新しい世になる」とずっと言ってきたつもりですし、確かに半分は当たっているのですが、逆に前向きなのではないでしょうか。

2.の「自分を崇高な存在だと思い込んでいる」は、私が世の中に貢献したいというのは事実ですし、大きなことを成し遂げたいという気持ちが誇大妄想だと言われたら、そうかもしれません。
しかし、それなら「僕は大谷選手みたいなプロ野球選手になる」と夢を語る小学生は病人になってしまいますし、大の大人が「俺は大谷翔平だ」と言っていたらという話です。

確かに、私は過去世において地球にはいなかったとは思ってますが、だからと言ってそれで偉ぶっているわけではないので、まあ見逃してください。

3.の「自分の正義を絶対視している」ですが、信念の強さをそう受け取られても仕方ないかもしれません。
ただ、この診断基準はあくまで「病理」であって、人間の個性を病的カテゴリに当てはめるものではないはずです。
あと、私の思想的には「悪と和合しよう」という考えは一貫しているつもりなので、悪と戦っているわけではないのはご理解いただきたいです。

4.の言動の暴力性ですが、誰も私の私生活を存じ上げないと思うので何とも言いようがありません。
このブログではかなり批判的なことばかり書いていますが、必ず改善の落とし所をつけているので、少なくとも言いっぱなしということはないはずです。

このように病理に対して自己診断してみましたが、私は専門医のノウハウは持ち合わせていないので、クリニックで診療を受けたら違う結果にはなるかもしれません。
しかも、仮に私が妄想性の精神疾患だったところで、それで問題があるとは思えません。
病理がまずいのは、その症状が進行すると自他に悪影響を及ぼすからです。

確かに、まともに働いていない上に親の脛をかじっている現状、「誰にも迷惑をかけてない」と言えないことくらいはわかりますが…(汗)

この世がどんどん荒れてきて不安定になればなるほど、精神的な救済を求めるのは、人として自然なことです。

脳科学者の中野信子氏によれば、女性が占いやスピリチュアルに傾倒しやすい理由は、「セロトニン不足傾向」があるからだそうです。
女性は男性よりセロトニンの生成量が75%だそうで、不安傾向ゆえに指導的な言説に惹かれやすいそうです。

占いは脳科学的に「自己成就予言」という処理が働いており、「こうなる」と思ったことを無意識に実現させてしまう、という心理だそうです。
「あなたはこういう人ですね。こうしたら良くなりますよ」という言葉を間に受けたら、なぜかその通りに動いて状況が変わった、ということらしいです。

今流行りの「引き寄せの法則」にも近いと思うのですが、それは置いておきましょう。
私はこれまでコテンパンにされてきたのもあって、セロトニン生成量は男性としては少ないかもしれません。
それゆえ、神やスピリチュアル、占いに傾注するのも明確な説明になるかもしれません。

しかし、科学的な説明ができるからと言って、それ以外の「非科学的な説明」は意味ないか、と言うとそうではありません。
科学的、医学的な説明ができるから、神やスピリチュアリズムが全て眉唾ゆえに意味がない、という話にもならないはずです。

論理学の世界には、「消極的事実の証明」という概念があります。
これは、「悪魔の証明」と似ているのですが、悪魔の証明は「ない」と主張した人に対して「ない証拠」があることを証明せよ、という立証責任の転嫁を指します。

「消極的事実の証明」は、「証拠がない」ことは「ない証明」にすることはできない、という論理学上の鉄則です。

何が言いたいかというと、科学的立場から「神やスピリチュアルな存在を証明する手段がない」としても、それが即ち「ない証明」にはならないということです。
古代のローマ法において、「証明は主張する者にあり」とされたように、科学を持って「神やスピリチュアルが存在しない」とするなら、その不在の証明をしなくてはならないのは科学の方にあるのです。

だからこそ、昔のオカルト番組では「科学では解明できない…」という前置きがありました。
まあ、近年の量子力学では若干スピリチュアルの領域に足を踏み入れつつあるのも否定できませんが、それも置いておきましょう。

私は、科学もスピリチュアルも、この世界を説明するロジックとして相反するものではなく、並列して存在していても問題はないと思います。
特にこの世界を霊的に解釈するなら、全て「波動=エネルギー=気」で説明できると思っていますし、そのロジックで説明したとしても、真実に辿り着くと信じています。

同時に、同じ現象を科学で説明して別の結論になっても、どちらが間違っているということではなく、「真実性」の価値によって変わると思います。
科学の真実性が高ければ、工学でも医学でも物質的に解決できる手段が生まれ、スピリチュアルの真実性が高ければ人の心の中で解決ができるのです。

プロセスはどうあれ、「真実に辿りつければ良い」のです。
だから、「科学以外の考えはありえない」という排他性は、思想統制に繋がる以外の価値はありません。

正直、スピリチュアリストの中でも私ほど理屈っぽい人間はいないかもしれませんし、万が一スピリチュアリズムが全て眉唾で、自分の妄想だった場合でも、その保険として「リアリズム」の伏線は常に残しています。

自分の心理が「自己成就予言」に裏打ちされており、私の直感が確証バイアスだったとしても、その予防線として「根拠はどうあれ成長し、幸せになる」というプロセスを大事にしています。

私にとって、スピリチュアリズムとは「良く生きるための知恵と実践」であり、本当かどうかよりも実利の方が重要です。
私が他のスピリチュアリストに物申したくなる時は、信仰の真実性ではなく「人としてのあり方」です。
この世界がどういう仕組みでも、それにこだわるつもりは毛頭ありません。しかし、いくらスピリチュアリストであろうと、成長しない生き方には賛同できないだけです。

人は、成長すればするほど幸福に近づく生き物だと思います。
過去から学び、知恵を集積させるからこそ、人を助けより良く生きられるからです。

結果的にどうやってそうなるかよりも、どうしようともそうなれた方が良いのです。
だから、私は科学だけが正しいとか、スピリチュアルだけが本当に正しいと言うつもりはありません。

ここまで小理屈を並べて、私はやはり気の触れた人間に思えるでしょうか。
まあ、そうであっても私は成長を続けていますし、充分幸せなので特に問題はないはずです。


親不孝をしている以外は…(汗)

拍手


「悪」とは何か

楽太郎です。



近所の公園の桜が、徐々に咲き始めました。
この株はまだ蕾ですが、一部は8分咲きの桜もあります。

今年の桜を眺めていて、何となく違和感があります。花に元気がないというか、生命感をあまり感じません。
去年から冬の間の異常気象を鑑みても、木々としては調子が崩れるのもわかるのですが、なぜか今年の桜はパッと咲いてすぐ散りそうだと思いました。

何故だろうかと考えたのですが、大地のエネルギーが枯渇しているように感じます。
これも理由は考えてわかるものでもありません。ただ、この様子を見ていると今年は野菜や果物の実りはあまり良くないかもしれません。
これは直感にすぎないので、実際にどうなるかはわかりません。

最近、街ゆく人々を観察しながら、めっきり邪気の周波数に合わせることができなくなり、認識しにくくなりました。
それゆえ、「この人はすごい邪気を放ってる」という感想すら抱かなくなりました。
私がこの能力に目覚める前に、目に入る全ての人に感じていた「普通」の感覚です。

だから私としては外出もしやすくなりましたし、人間に対して違和感も感じづらくなりました。
しかし、やはり人々と自分には圧倒的にズレを感じる部分もあります。

東日本大震災の時、私は仙台のビルの一室で罹災しました。
あの時は正直死ぬかと思いましたが、とりあえず非常口から降りて下の公園に避難しました。
その公園では、皆が焦って着の身着のままで出てきたので薄着の人もいました。

3月11日、小雪が舞っている中、私たちは怯えながら途方に暮れました。
しかし、同じビルに入っていた会社の人々が何となくヘラヘラしているのを見て、私は「大変なことになったのに、何故笑っていられるんだ?」と思いました。
そして私たちが集団で避難しようと動き始めた時、彼らは半壊のビルの中へ、業務を再開するために戻って行きました。

人は急激な変化が起こった時、正常バイアスが働いて逆におかしな行動を取ることがあります。
震災によって人々が混乱する中、変化を受け入れられず何をすれば良いのかわからなくなった彼らは、さっきまでやっていたいつもの行動を選択することで、安心しようとしたに違いありません。

けれど、建物は事実上の半壊状態であり、その時にはすでに大規模停電が発生していたはずです。
彼らがその後どうしたかはわかりませんが、公園でもう炊き出しの準備を始める人もいて、色々な人がいると思いました。

今、街ゆく人々から感じるのは、その震災時の違和感です。
非常事態だし危機感を感じて動くべきなのに、わざと変わらない行動を選択し、安心しようとしているように見えます。
中途半端に戯けたり、怒ってみたりして行き場のない感情を発散させて、腑に落ちたフリをしているのではないでしょうか。

多くの人は、私の方がおかしいだろうと言うかもしれません。
焦りはあるけど何をしたらいいかわからないし、ジタバタしたところでしょうがない、という感覚なのでしょう。

ただ、私には人々が半壊したビルに戻っていった会社員を想起させて、何となく不気味に感じるのです。

思えば、あの震災が日本の岐路でした。
あの辺りからデマが説得力を持ち始め、日本の腐敗が一気に進行し、少しずつ日本人が正常な感覚を失っていきました。
時代に変化のトリガーがあるとするなら、新型コロナの流行と同じくらい、東日本大震災は日本人の霊格に強い影響を与える出来事でした。

そこには得体の知れぬ大きなシナリオがあり、そのシークエンスの一つだったのかもしれません。
厳密には良いとか悪いとかではないのでしょうが、果たして、あの頃日本人は正しい判断をしたのでしょうか。

今の世は良くない、というのは誰しも感じます。
しかし、今の世の混乱は「禍事」という形で、これまでの人の世のカルマの積み重ねによってもたらされたもののはずです。
自分が気持ち良く生きてきた暮らしの裏には、負の責任はずっと累積し続けてきたのです。

それは少しずつ、気づかないレベルで進んできたからこそ、誰もが「自分は関係ない」と思えました。
けれど、今こうしてその因果が顕在化している時、見て見ぬふりをすることはさらに罪を積み上げることになります。

そのカルマを解消しない限り、人と世を改めることはできず、人と世を改めることがカルマの解消になるのです。
ゆえに、今の世を見渡して疑問を持ち、問題をしっかり直視し、例え自分が全てを変えることはできなくても自分を変え、それによって行動を変えていく、それが世界を変えていく第一歩になるはずです。

世の中には巨悪があり諸悪の根源で、彼らを打ち倒さなければ平和も安寧もない、と考えるのは正しくもあるのですが、それでは平和も安寧も実現しません。

「悪」とは、悪というこの世に必要な因果を背負っているだけの人々にすぎません。
悪が犯す罪、罪によって生じる災いや禍事も、この世を糺すために世を乱す役目を持っているのです。

私たちが「彼らは間違っている」と思い、糾弾し世を糺していくことも社会にとって重要なことです。
しかし履き違えてはならないのは、間違っていることをしている人々は、「間違ったことを正しく行っている」のであり、それも天の道理の下では必要なことだということです。

岡本天明翁が書き記した「日月神示」において、「悪とは我よしの事ぞ(青葉の巻・第八帖)」とあります。

私は「日月神示」はどうやら本物らしい、と認めざるを得ません。
今の状況をここまで的確に説明するテキストは、スピリチュアリストの文章でもあまりありません。
そして、私自身この書を降ろされた神様とのご縁も感じるのです。

「黄金の巻第五巻・第九十七帖」にある一文を紹介します。

「悪も神の御働きと申すもの、悪(あく)憎むこと悪じゃ、善を憎むより尚悪い、何故に分からんのか、弥栄と言う事は歩(ほ)一歩づつ喜び増して行く事ぞ」

同・第九十六帖。

「善と悪との動きを心得なされよ、悪は悪ならず、悪(あく)憎にくむが悪、神の理(みち)は弥栄えぞ」

「日月の巻・第九帖」ではこう書かれています。

「何事も持ちつ持たれつであるぞ、神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろうが、善一筋の世と申しても今の臣民の言っている様な善ばかりの世ではないぞ、悪(ア九)でない悪とあなない(融合)ているのだぞ、このお道はあなない(融合)の道ぞ

日月神示では、悪とはこの世の働きにおける一つの側面であり、善は悪(ア九)を改心させ和合することで「弥栄の世」となると説かれています。
悪を滅して世を糺すために「三千世界の大洗濯=大峠=神と悪神の戦争」が起こっているとされますが、その目的は「悪の改心」であるとのことです。

このように、悪とは必要悪であり、世界のめぐり(因果)の中では「陰」であるとされます。

私たち人間は、悪を滅ぼすためには悪を根こそぎジェノサイドしなければならないと考えます。
そう考えるから、「浄化すべき対象」を選択し、選択できなければ手当たり次第に殺戮をしなければなりません。

こうして起こっているのが戦争です。
しかし、弥栄の世に至るために必要なのは「あなない(助ける)」であると日月神示では説かれています。

「弥栄の世」は「ミロクの世」とも呼ばれますが、弥勒菩薩とは遥か未来、人を慈悲によって救済する仏であります。
この「あなない」とはまさしく「慈悲」であり、例え世界を混乱させたのが悪神であろうと、神の目的は「悪の救済」に他ならないということです。

私たち日本人は今、「あいつが悪い、これが諸悪の根源だ」と問題探しに躍起になっています。
かくいう私もそうです。それらしき原因がわかれば、そこに世を悪くした責任をなすりつけ、自分はさも問題がなかったかのような顔をします。

しかし、本当に一から十まで悪人だけが悪の権化であり、悪事の責任があるのでしょうか。
無碍の人々がその悪を支え、悪事の一端に力を貸したことは本当になかったのでしょうか。
そのことを深く、反省すべき時にいます。

その罪に心当たりがあれば、私たちはこの世界を荒らした責任に対して、反省して後片付けをし、元に戻していく必要があります。
それが、神様がお造りになられた地球という星に対する、人間の責任なのです。

何をしたらいいかわからない、それは皆そうです。
何もできないかもしれない、それも同じです。

しかし、こういう時こそ神様に手を合わせ、とりあえず反省するところから始めてみたらどうでしょうか。
きっと神様はその心持ちを認め、ヒントを与えてくださるに違いありません。

拍手