「日月神示解説」サイトオープン
- Category:お知らせ
- Date:2025年08月23日
本日、「日月神示」の原典を全文掲載し、解説を加えたサイトをオープンしました。
現時点では、神示の独自解釈による解説ページは準備中です。
本日、8月23日の朝方に太陽が乙女座に入り、午後2時半頃から月も乙女座に侵入します。
奇しくも私の誕生月である乙女座に太陽と月が同時に位置し、しかも本日午後3時には新月を迎えます。
私自身は何となくサイトを制作していたのですが、この占星術的暦を知ったからには是が非でも今日の新月に間に合わせなければいけないと思いました。
何故なのかはわかりませんが、時の運びとして重要な意味をもつ気がしています。
ここ数週間、日月神示の解読に情熱を燃やしていましたが、このサイトをまとめるに当たり、やはり神示のメッセージの重要性を再確認し、その解説を含めて世に広めていかなければならないと思いました。
正味な話、「日月神示」をまとめたサイトや解説系のブログはたくさんあります。
神示の関連本もたくさん出ていますし、門外漢である私が今さら神示に触れるのも奇妙に思われるでしょう。
私自身も少し前まではそう思っていたのですが、神示には読み方が「八通り」あるとされており、その一つの読み方が見えてきたのです。
仮にその読み方が既にされていたとても、私がそれを「世に示す」こと自体に意味があるのではないかと思っています。
近年の日月神示ブームにおいて、文中の「五六七の世」という言葉は、一般的に「ミロク」と読みます。
これは、「一ニ三(ひふみ)」「三四五(みよいづ」」と時代の並びに比例して、仏教において56億7000万年後に訪れる「弥勒の世」という天国的地上世界の概念と重ね合わせ、「五六七(みろく)」と読ませています。
近年の流行りでは「五六七=コロナ」であると紐解き、予言が当たったと評判になりました。
私はその読み方も一つだと思いますし、神示には「読む人のあり方によって神示の内容は異なる」と書かれているので、それも正しいのでしょう。
ただ神示の語法は具体的に読むよりも、より抽象度の高い解釈をした方が筋が通るように思います。
今、世が混迷を極めているからこそ、人々はこの先を知るための予言的な兆候を求めるのではないでしょうか。
街に出ても、まるで魔法がかかったように寂れていく光景を目の当たりにすると、客観視しきれないほどの感情に襲われます。
誰もが感じる困難さは、まさに神示の中にある「大峠」を連想させ、直感的に受け入れやすい土壌にもなっているのでしょう。
だからこそ、今まさに「日月神示」を深く知ることの必要性が増しているのだと感じます。
その「大峠」は、大いなる「岩戸開き」によって成就するとされています。
神示において最大のキーワードとなる「岩戸開き」ですが、これは世界に存在する全ての物事、それぞれの生命に必要なプロセスであると語られます。
この岩戸開きには大きく分けて「天の岩戸開き」と「地(くに)の岩戸開き」があり、「天の岩戸はすでに開かれている」とあります。
神示をタイムラインで読み進めればわかるのですが、「本巻」の時系列1950年代以前は、「愈々(いよいよ)」という文字が頻出します。
私が思うに、1948年の子年を境に本当に岩戸開きがあり、1958年までに「天の岩戸」は実際に開かれていたのだと思います。
しかし、肝心の「地の岩戸開き」の方は五重の岩戸とされ、これは地上に住む人間と神々が共同して開かなければならないとされています。
この五重の岩戸こそ、「伊弉諾命と伊奘冉命の別離」「素戔嗚命の追放」「天照大御神の岩戸隠れ」「神武天皇の擁立」「仏教伝来」を指します。
この五つの「岩戸閉じ」と「岩戸開き」に関して、長くなるのでここでは詳述できませんが、どうもこれらは神の道を塞ぐ障害としての岩戸であり、私たちが知らず知らずのうちに信じ込んでいる「常識」の中にこそ、これらの岩戸があるようです。
本来人が進むべき神の道が閉ざされたことで、人々が進む道を逸れて闇の中へ迷い込んでいったのならば、この岩戸を開くことにこそ唯一の解決策があるのではないでしょうか。
未だ地の岩戸は閉ざされており、天の岩戸は開いていても真の岩戸は開かれず、そのため世はまだ闇の中にあるのだとしたら、その岩戸を開く鍵が「型」を出すことにあるのだと思います。
つまり、人間が神の力を借りて本来の「神の道」を体現することにこそ、岩戸開きの秘訣が隠されているのではないでしょうか。
「天の岩戸」が1953年から1958年に開かれたからこそ、日本は第二次世界大戦を最後に戦争に巻き込まれることがないのだとしたら、確かに日本人の運命は変わったのかもしれません。
そして、おそらく1984年の子年を境に、1990年頃に「地の岩戸」が開く予定だったとすると、神示が降りた岡本天明氏が文中で「96歳7ヵ月」に開くと予言された1993年に一致します。
しかし、何らかの理由で1990年頃に起こるはずだった「地の岩戸開き」は、ほぼ30年後の2025年に繰り越され、現在進行形であると私は考えています。
おそらく、今日まで地の岩戸開きが数十年行われなかったのは、その型を出す人がいなかったからではないでしょうか。
だからこそ今、「地の岩戸開き」を行うための「型」を出す人材が求められているように思えるのです。
私は、本ブログならず「日月神示解説」のサイトにおいても、この周知に貢献していきたいと思います。
やたらと「終末論」的に捉えられ、破滅的な予言書と扱われがちな神示ですが、私はあくまで「新しい時代に向けての思想書」であり、「新しい神道の指南書」であると解釈しています。
実際、読み方次第では恐怖を煽る文言にも裏があり、その論拠もしっかり示されていたりもします。
私が思うに、神示を降ろされた「日月神」様は駄洒落好きの上機嫌な叔父様であり、ユーモアとギミックを持って文章を立てられているように見えます。
だから文脈通りに読むとトリックに引っかかりがちで、それゆえに「赤子の心で読め」と仰るのだと思います。
新たな三千世界を統べる大神、「天日月大神」「大日月大神」「国常立尊大神」の正体について、私なりに辿り着いた結論もあります。
ただ、これらの解釈学は2013年頃の神示ブームの時に出尽くしているかもしれませんし、その見解に固執するつもりはありません。
ただ、私たちに求められる焦眉の課題は「地(くに)の岩戸開き」であり、その関を越えないことには我が国に訪れている闇は一層深くなるばかりでしょう。
その「岩戸」は私たち一人一人の心の中にあり、自らその扉を開けていくことが大事なのだと思います。
そして、多くの人がその「岩戸」を開けた時、この国を塞いでいる大岩は取り除かれ、新たな弥栄の時代を迎えられるのではないでしょうか。
私の活動がその一助になれば、と思います。
この一連の書を紐解くほどに、このメッセージは今の日本人、世界にいる人々に新たな道を示し、希望を与えると私は確信しています。