招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

世界の袋小路と「神の道」

楽太郎です。

先日、「日月神示」の全文を掲載し、今後解説をつける予定のサイトをオープンしました。

日月神示解説 | 100年も嘘は申さん。

ここ最近は本ブログでも、神示にインスパイアされた大きなテーマの記事が続きました。
私には何となく切迫した感覚があって、「書かなくてはならない」という、衝動のようなものに突き動かされていました。
おそらく、現実的な社会情勢だけでなく、霊的にも世界は逼迫した局面を迎えていたのだろうと思います。

今、ようやく「今のハイテクバブルは、ドットコムバブルの再来ではないか」という憶測が出始めましたが、マスコミのミスリードは実際の世の動きより3周くらい遅れています。
ただ、その認識でも十分通用してしまうのが今の世の怖いところであり、マスコミの角度が高ければ高いほど、現実とのギャップは大きくなります。

私たち庶民の日常感覚とメディアの大本営発表との間に、ズレを感じるのが普通なのではないでしょうか。
世を動かす「巨大なもの」は、もはや巨大な群衆の力によって動いているのではなく、少数の選ばれた者たちが絶大な力を持って、巨大な仕組みを動かしているだけです。
そこに群衆の力は働かず、外側の「仕組み」が動けば、群衆はそれに従って右へ左へ振り回されるしかありません。

この世界の行き詰まりは、強いものが強いものに有利な仕組みを使い、強大な力を持ってより強大になっていくだけの無限上昇のスパイラルにあり、それに反して弱肉強食のシステムに溢れた弱いものたちは下に沈んでいき、肥やしになっていくしかありません。
その二極化は極まり、もはや強大なものは強大になりすぎて、全体を支えてきた多様性は淘汰によって失われ、もはや新たな仕組みを作る力すら失ってしまいました。

この構造を客観的に見て、「そんなものが続くはずがない」と思うのは、決して当てずっぽうではありません。

アメリカ、中国、ロシア、EU、日本のみならず、世界は特定集団の寡頭体制に向かっており、彼らエリートが中心になって世界を合理的に「管理」するためには、実はまだまだ世界は多様すぎるし、下々には煩雑な人間が多すぎるのです。
だからこそ、彼らはより自分たちが強大になる必要があり、大衆はとことん弱体化させ自由を奪い取り、いっそ思考も消し去った方が効率が良いと考えていてもおかしくありません。

「いらない人間がこの世に多すぎる」と彼らが思う以上は、搾取や弾圧は彼らにとって善なのです。
その無駄なエネルギーを「世界平和」のために活用してあげるのだから、君たちが自分勝手な方向に発散させるよりは遥かにマシだろう、という訳です。
そして、全人類が5億人くらいになれば、バランスの良い「永遠平和の社会」が実現するのでしょう。
少数の支配集団が安全に世界を統制するには、あまり民衆が力を持つべきではないからです。

「陰謀論」というのは、権威が否定するから「陰謀」に仕立て上げることができます。

政府広報やマスコミや学閥が「嘘だ」と言えば、どんな根拠がある話も理論的に「陰謀論」にできてしまうのです。
そこでは科学的正当性も学術的価値も、レトリックと圧力で封じることが権威には可能なのです。
ただ、公式見解に否定される以前の、あらゆる仮説や憶測は「意見」であり、立派な「思想」です。

何でもかんでも、権威の俎上で「陰謀論ではないか」と批判を恐れるからこそ、近ごろの私たちは自らの考えに確信を持つに至れないのです。
しかし、そうして意見を撹乱することも仕組まれているものであり、そこに真の「陰謀」があるとしたら、それも「陰謀論」と自ら取り下げるべきなのでしょうか。

私たちは、自分の考えを口に出すことはおろか、率直に思ったことでさえ自分で否定しなくてはならないほど、何かを恐れるようになって久しいように思えます。
そうして価値観や考え方の多様性を削ぎ落とされた結果、人々はより確かなものを「強いもの」に求め、例えそれがデタラメでも、強いものはより強大になっていったのではないでしょうか。

しかし「寄らば大樹の陰」と人々が信じて巨大な権威に縋りつき、もしその大樹が木の皮を被った化け物だったとしたら、気づいた時にはもう遅いのです。
今の世間を見回してみて、この光景に心当たりがないという人はいないでしょう。
私たちは、まんまと上手いことやられたのです。

この世界を牛耳る人たち、少なくとも国際社会のトップに君臨する人々からすると、民族も文化も国家もどうでもよいはずです。
少なくとも、自分たちの集団が子々孫々と君臨する栄誉が得られたらそれで良く、彼らにとってはそれが「理想社会の実現」であり「絶対正義」に当たるからです。

だから、私たち国民が窮乏するのも、治安が乱れて社会が荒廃するのも、近い将来に世代が途絶するのも特に大した問題ではなく、彼らにとって焦眉の課題は、民衆が自分たちの脅威にならないように抑え込むことでしょう。
自分たちの体制が揺らいだら「正義」も「理想」も絵に描いた餅に終わるからです。
だから、彼らはまだまだ私たち民衆を苦しめる手を止めようとはせず、むしろ本腰を入れるのはこれからでしょう。

ただ結論を言ってしまうと、そんなやり方では多くの人々だけでなく、彼ら自身も長くは持ちません。
自分たちには富も権力もあるし、無尽蔵の資本があらゆる人々を従属させ得ることも知っている、そんな彼らの弱みは、「人間がバカであることに賭けている」ところにあります。
私たち人間には、知ろうとする欲求があり、真贋を見極める能力があり、善悪を感じ取って自らを守る感性と、未来に希望を見い出す力があります。

この世界を支配したがる人々は、その人間の本質を知らないがゆえに人間を見下し侮り、力と欲望で全てを統制できると考えているのではないでしょうか。
しかし人間の心にある、かけがえのない自尊心や思いやりは、札束の魅力でどこまで服従させることができるのでしょうか。

私たちは、そろそろ目を覚ますべきです。

とは言え「ならば、どうすればいいか」を考えた時、正直言って現行制度の上で今の体制を覆すのは不可能でしょう。
全ての元栓は厳重に管理されており、私たちには元栓を閉める力すら持たないからです。
ただ彼らも、自らを支えるシステムが愚かな大衆にあることは重々承知しており、愚集は愚衆なりに言うことを聞かせられなければ困ります。

私は、彼らが本心から焦っていると感じています。
人々が、というより自分たちの成功体験を元にしたスキームが不動ではなくなってきたこと、自分たちの腐敗物が堆積し、自分自身が腐りすぎて足元から崩壊が起きているのを、外部からですら確認できるようになってきたからです。

イスラエルによるパレスチナ住民の虐殺を全面支援するアメリカ政府が、あの体たらくなのは偶然ではありません。
もはやアメリカ製兵器はイランやロシアよりも性能が低く、中国と戦争しても勝てる見込みはないでしょう。
それは政府を意のままに操ってきた企業体の超富裕層が、あらゆる公共資金の中抜きをして実態の伴わない商売をしてきた結果であり、彼ら既得権益者たちは自らの腐敗を口先で誤魔化す以外に方法がないのです。

今まで通用してきた経験則もスキームも揺らいでいることを自覚するがゆえに、彼らはより強大になろうとし、強大になるためならあらゆる暴力も犠牲も正当化しうるのです。
これこそ、運を天に賭けているようなもので、全く科学的でも合理的でもありません。

私たちはどうするか以前に、耐えているだけで彼らの崩壊をいずれ目の当たりにするはずです。
それははっきり言って時間の問題でしょうが、とは言え指をくわえて見ていれば良いものではないと思います。
私たちは一刻も早く頭を冷やし、一人でも多く彼らの正体に気がつくべきですし、彼らの化けの皮が剥がれた後の事態も見据えておかなければなりません。

彼らは現在の世界のあらゆる既得権益に根を張っており、彼らが倒れることは、今ある社会の基盤から権力が引き剥がされることを意味するでしょう。
おそらく「どこからどこまで」と決めることができないほどの癒着と腐敗がそこにあり、それを根こそぎ取り払うまで、次の時代が始まることはないと思います。

それはお金の計算の仕方や、来月の支払いだけでなく子供の将来設計や法律や国家の枠組みに至るまで、気の遠くなるような見直しを要求されることになるはずです。
だからこそ、私は早く人々に気づいてもらいたいと思い、こうして活動しています。
実は崩壊することよりも、崩壊した後の方が大変だからです。

奇しくも、「日月神示」にはそのヒントが書かれています。

どうせオカルトだ、と思われることを否定しませんが、仮にどんなインチキであったとしても、この一連の文章には的を得た部分があるのも事実です。
この神示が、一人の絵描きが世界を変えるために机の上で必死に考えたものだとしても、私はその思想に共感します。
この神示が本当に神によるものか、人間の手によるものかは大して重要ではなく、この文書に書かれた思想は私たちの行く先を確かに導くものです。

神示には、今の世に蔓延る醜い支配者たちも、この世界においては「悪という神の役目」を潔く負った者たちであり、決して憎むなと教えます。
その考えは、高尚すぎて直感的には受け入れがたいほどです。
しかし、そうして「悪者」を探し出し、引き摺り降ろし殺し尽くし、勝った正義がまた次の敵を作り出すという悪い循環があるからこそ、一向に戦争や迫害がなくならないのも事実です。

これから平和な未来があるとして、まず必要なのは「悪を滅さねばならない」という考えを滅することではないかと思います。
その観点で、日月神示ほど正論に近い言説を私は知り得ないのです。
だからこそ、神示が眉唾かどうかではなく、書かれている教えや思想に目を向けて欲しいと思います。

そして、「日月神示解説」というサイトがその一助となるよう、私は運営を続けて行きたいと思います。

この文書は、改めて読んでみると大して予言的でも破滅的でもなく、言ってみれば教訓的なものと感じます。
その眼差しと口調には厳しさだけでなく、憐れみと優しさがあり、この神示を降ろされた「天日月神」様には、古き良き日本人の面影を感じ取ることができるのです。

もし仮に、これほど「人間的」で、思いやりのある神様がこの世を治める時代が来るのなら、その世界が良い世界でないはずがあるでしょうか。
人間に任せきってこういう世界になったのだから、いっそ神様にお願いした方が未来永劫、マシな世の中になるようにさえ思えるのです。

私は、この世が嘘と方便ばかりだからこそ、言うべきことはキッパリ言う、そんな言葉の節々に癒されながら、いつも勇気づけられるのです。

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