招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

搾取、権利、思いやり

楽太郎です。

先日、私が支援していた「生成AI被害による裁判」クラウドファウンディングの進捗報告が来ました。

生成AIは、世界中のテック企業が推進する次世代テクノロジーだと言われています。
ただ、「AI」と名前を冠していても、人々が想像する自律型のAIは「汎用AI(GUI)」と呼ばれます。
しかし、生成AIはGUIとは似て非なるものです。

生成AIは、全世界のネットにあるデータにアクセスするリスト(データセット)からプロンプトに応じて元データを引っ張ってきて、コラージュして出力します。
GUIと違うのは、「自律思考」の要素がないことです。この技術は、「生成型検索エンジン」と揶揄されています。

この仕組みは、ネット上にある著作物をクローリング(巡回)して勝手にタグ付けし、必要とあらば生成AI側で合成材料に持ってきます。
これは基本的に「オプトアウト制」と呼ばれ、個人の著作物が機械学習に使われて良いかの可否は、「自分の作品がAI学習に使われていたと判断でき、それが嫌ならサービス元に申請することができる」という仕組みです。
オプトイン(許可制)では、素材使用の賛同者がいなければデータが集まらないため、現時点では大したものが出力されません。

生成AIは、数とパワーの世界です。より多くの学習データがあれば、多様な出力が可能になり、それがアプリの精度に直結します。
現在は、ほぼ全ての生成AIはオプトアウト制であり、のべつ幕なしに世界中のデータを学習素材として回収します。
この生成AIサービスは、法的に保護された著作物すら素材として扱うため、世界中で訴訟が起こされています。

人間は学習すれば、学習した記憶を全て引っ張り出して、一から十まで回想してから知識を応用したりはしません。
抽象度の高い知識の雛形があれば、無限に応用が可能だからです。
しかし、生成AIを「人間と同じ思考手順を取って生成している」と思っている人は少なくありません。
本当に「自我」があるプログラムだと。


ある人気のイラストレーターがいて、誰かがイラストレーターの作品を生成AIにインプットし、その出力物をイラストレーターの名義を詐称して世に出したり、類似的な作品を自分名義で発表して収益化する、そんなことが可能になりました。

しかし、生成AIを通した時点で著作権侵害には当たらなくなるため、作品を素材として使われたクリエイターは泣き寝入りするしかありません。
生成AIの処理プロセスがブラックボックスなため、自身の作品が流用されたことが明確でも、その証明をするのが技術的に難しいからです。

先のクラウドファウンディングは、自身のイラストを生成AIに取り込まれ不本意な形で収益化されたイラストレーターと、生成AIユーザーの裁判です。
結審までに2年かかるそうで、昨年12月にようやく第一回の公判が開かれました。
実際にこの問題は2年前から始まっているので、4年以上の時間が費やされることになります。

この話を聞いて、「あー、AIが人類の新しい未来なのだから、権利とかしょうがないよね」と納得する方はどれほどいるのでしょうか。
私は、思っている以上に多いと思います。

私の立場で言えば、私が描いた作品が生成AIで加工され、全く無関係な人が別の目的で利益を得るわけです。
私には何の利益もないどころか、作風を量産されることで差別化が図れなくなり、商売が難しくなっていきます。

これが横行したら、創作活動がバカらしくなってしまう方もいるでしょう。
実際にそうして、私は筆を折る人を数えきれないほど見てきました。

そのため、業界やクリエイティブの世界そのものを守るための活動を続けてきました。
けれど、このままだと遅かれ早かれ自分も筆を折らざるを得なくなると思います。

…いや、思いました。

これが過去形なのは、私はこれからも絶対に諦めないからです

スピリチュアルとの出会いとすれ違うように、人の世はこのまま行くところまで行くと確信しました。
この世を覆う闇が深すぎて、もはや人間の力ではどうにもならないと悟ったのです。
人間よりも強い力にしか、この世界を変えることはできない、と。


新しい世界とは、一体何なのでしょうか。

この世がどんどん便利になっていき、寝ていても食事が口に運ばれるような社会で、病もなく長寿で無限の暇を持て余しながら、魂だけを置き去った世界。
才能の変わりにプログラムがあり、アイデアだけで一瞬でお金が動くような世界は、本当に人類が到達すべき楽園なのでしょうか。

人間の本質は、何十万年経っても変わりません。
人間は嘘をつく人が嫌いだし、ズルして調子に乗る人も嫌いだし、人に迷惑をかけて顧みない人も嫌いです。
その代わり、誰よりも実直に努力してきた人、自分の頭で考えて行動する人、人に正直で誠実な人、こういう人に信頼が集まります。

人は結局、真面目にコツコツ努力する人が好きです。

おそらく、人間のこの性質はこれから何万年経っても変わらないでしょう。
「美徳」とは、人類にとって普遍的であり、時空を超えて魂に刻まれた価値観なのだと思います。
その「美徳」を捨てた世界は楽園ではなく、真逆の様相を呈するでしょう。

では、私たちが新しく進むべき理想の世界とは何でしょうか。
第一に、人々が自分の尊厳を守られる世界でなければなりません。

人々が個々に尊重される世界は、大まかに言って「人権」が担保されなければなりません。
人権があるからこそ、どんな権力者であろうと人を蹂躙し、搾取することは許されないのです。

ただ、人権は「自由意志の尊重」でもあります。
私が悪を世界から消し去りたくても、悪と目された人の権利も保障されなければなりません。
その両者が互いに潰し合わずにどう共存するのか、どうすれば調和に向かうのか、その寛容さを受け入れなければ人権を正しく認識することはできません。

とても難しいことだと思います。
人は、自分の無意識の行いが他人からの搾取であるとすら気づきません。
ルールや法律すら、自分が罰せられなければギリギリまで守る必要はない、とさえ考えています。

この生成AI問題を追っていて感じたのは、「権利?イノベーションのためなら邪魔になるよね」と思っている人が想像以上に多かったことです。
「権利は大事だ」という話が、そもそも通じない人がとても多いのです。
権利とは、自分の存在や行いが不当に侵害されないための防波堤です。その意味の重さを、自分に置き換えて考えることができないようなのです。

けれども、その価値観ではこれから先の世を生きていくことはできないでしょう。

今世界に起こっている浄化は、こういう人たちに最も降り注いでいるとも言えます。
既存の価値観や社会構造に疑いを持たず、ハックを使い金さえ稼げれば豊かな人生があると思っていた人たちは、価値観の崩壊や社会の揺らぎが起これば自分の豊かさの定義が崩れ去るからです。

自分を守るには、他者を大事にすることが一番です。
いくら自分が強くても、周りの人を常日頃から足蹴にしていれば、自分が弱くなった時にまずいことになります。
自分が不当に搾取されないためには、他者を尊重し互恵的な関係を築くことです。

これからの時代、それが「当たり前」の世になっていけばいいなと思います。
むしろその方が、社会的に合理的だからです。持続可能な社会だからこそ、人々は安心して暮らせます。

そういった世を作るために必要なのは「優しさ」とも言えますが、厳密に言えば「思いやり」です。
相手がして欲しくないことはあえてしない、それ以前に相手のことを知ろうとする気持ちです。

そういう段階から、世は改まらなければならないと思います。
この気持ちの切り替えは簡単ではないかもしれません。けれど、いずれそうせざるを得なくなる流れが来ることでしょう。

誰が懲らしめられたら済むという話でもありません。思いやりのある社会なら、理不尽な問題は起こりえないというだけの話です。

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