招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

七難八苦を与えたまえ

楽太郎です。

「我に七難八苦を与えたまえ」という言葉を残したのは、戦国時代の山陰地方の武将、山中鹿之介(幸盛)です。

明治時代の教科書では、楠木正成と並び武士道の象徴とされた人物で、主君の尼子氏再興のために下野しても三度立ち上がり、毛利軍との熾烈な戦いに挑んで散っていきました。
この言葉は、仏教の経典「仁王経」に「七難即滅七福即生」とあり「困難とは幸福である」という意に基づきます。
山中鹿之介は、かねてより「自分が出会ったことのない困難によって自分を試したい」と語っていたそうです。

同じ言葉に、江戸時代の陽学者、熊沢蕃山が残した「憂き事の尚この上に積もれかし限りある身の力試さん」という和歌があります。
熊沢蕃山は備前岡山藩の改革を行いましたが、守旧派の反対に遭い退藩した後、幕政に対する批判を行いましたが、下総に幽閉されてしまいました。
この歌は、「困難がこれよりもっと降り掛かればいい、自分の限界を試してやる」という意味です。

困難は大抵の人が可能なら避けたいと思うものですし、仮に目の前に立ち現れても見て見ぬふりをして逃げ出す人もいます。
ただ困難とはきちんと向き合えば自分が成長するチャンスであり、克服する術を身につけるからこそ困難なことも困難ではなくなります。

最近、この期に及んで古い時代のエネルギーが行方を阻み、そういった圧力のような念を掻き分けながら進んでいる感覚がします。
新しい時代のエネルギーと拮抗している状態は、少なくとも11日の満月までは極大化するはずです。
この妨害は、以前のように人世に引き戻すエネルギーではなく、単に進行を阻むだけですが強力な逆風になっています。
今は相剋状態の最終段階であり、そのゴールはおそらく6月21日夏至、いよいよ神代の気場が完成する時を迎えます。

ここ数週間、私はずっと忘れていたような記憶が蘇っては、そこから沸き起こる感情と戦っていました。
これはこの時期特有の妨害のようにも感じられますが、ある見方をすれば「過去の自分との統合」であり、未練や罪悪感、後悔などの感情を乗り越えて新しい自分を確立するための試練とも考えられます。
この試練を乗り越えることで、過去の自分に感情的な区切りをつけ、新しい時代に合った新しい自分になれるのだと思います。

私の半生を振り返ると、人がしなくていいような苦労ばかりをあえてしに行ったようにすら思えます。
10代の頃は本の虫で、イーゼルより重いものを持ったことがないような内気な美術学生でした。
それが20代になって音楽を志し、同時にショーイベントにも携わり、人と殴り合うことも厭わないような体育会系に変貌し、全く逆方向の人生を歩み始めました。
なぜそこまで自分を壊して違う自分を探し続けたのか、今でも理由はわかりません。

この経験が自分に必要だったのかを今でも考えるのですが、もし自分がずっと10代の頃から絵を描き続けていたら、それはそれで今の自分にはなっていなかったでしょう。
あの頃のように草花に心通わすような繊細な心を持ち続けていたら、ある意味ここまでタフにはなっていないでしょうし、社会的な成功を手に入れていたら守りに入るような人間になっていたかもしれません。

そう考える時、大事なのは今の自分を肯定できるかどうかであり、仮に今の自分に認める要素がないくらい落ちぶれたと思っていたら、過去を思い出して自分の人生を後悔するだけだったはずです。
今でも落ちぶれてないわけではないのですが、こんな自分でも自分の知識や経験、実力やセンスに自信があるからこそ、これだけ冷静でいられるのかもしれません。
それは私が常に向こう見ずに行動してきたからですが、その経験が今頃になって自分の身になっていたことに気づくのです。

人は努力を嫌いますし、困難とは出会わないに越したことはないと考えます。

それは人間としての本質に近いと思うのですが、ただ人間は問題に直面し、それを乗り越えることで成長していく存在です。
人間の人格はそうやって磨かれていくものであり、成長できる課題から逃げ回っていたら、いつまで経っても考え方は幼いままです。
どんなに高齢でも「我良し」の人はいますし、歳を取っているから大人なわけではありません。

近年は、努力や勉強をせず成功を納めるほどクールだという風潮が広がったため、困難に前向きな考え方はものすごく嫌われます。
それゆえか、人生をとっくに折り返したはずの年齢の人でも、若気の至りが抜けてないような浮ついた感覚を変えない人もいます。
それは個性で構わないとは思いますが、人間として成長が止まるということは、自分の身の丈より大きな問題とぶち当たる機会がないということであり、挑戦も気づきも進歩も存在しないことになります。

霊界から見れば、この世は「刑務所」だと言う人がいます。

確かに、肉体を持ち生まれつき条件づけられた環境の中で、何一つ思い通りにいかない人生は何かの罰のようにも感じます。
私たちは肉体という「檻」の中にあり、自由はその檻の中にしかないわけです。
人間は魂の修行をするために生まれてくると言われますが、その艱難辛苦も刑期だと思えば納得が行きます。

しかし、私たち人間は神々から「分身霊(わけみたま)」を受け取った神の一柱です。
魂としては神に近い完全な形でありながら人間として生まれ落ちたことで、本来の魂の状態に「曇り」を受けてしまいます。
男に生まれたら魂の女性的な部分は眠り、女に生まれたら男性性は眠り、その人生で求めるべきものと対極の性質で生まれるとしたら、その魂の制約は心のシコリとして残ります。

そういった条件づけと現実社会の軋轢の中で、生まれる前には完全な輝きを放っていた魂も、どんどん曇っていきます。
あるいは、過去世を何度か経験しても取れないような曇りがあり、その汚れを拭い去るために何度も転生してきたのかもしれません。

そういった「魂の曇り」は、やはり自分自身の内面を磨くことで浄化され、本来の輝きを取り戻していくものなのではないでしょうか。
その曇りは、綺麗な布で拭く程度では磨かれず、研磨剤をかけてヤスリでゴシゴシ削らなければ磨かれないからこそ、人生には困難が付きまとうのかもしれません。
ゆえに、人生が思い通りに行かないのは魂を磨くチャンスであり、きちんと魂を磨こうとすれば人間として卓越していくことができます。
それが過去世からの「カルマ」の解消であり、そのために輪廻転生が起こっていると考えて差し支えないでしょう。

しかし、こういった宗教観は現代ではほぼ通用しませんし、よしんば何の苦労もなく死ぬまで悠々自適に暮らせるのが理想だと人々は思います。
それができるのは「力」と「お金」であり、それを手に入れてからが人生とすら考えています。
それならば、どんなに汚い手を使ってもお金を手に入れられたら良いでしょうし、どんな手段を使っても強力なコネを作ろうとなります。

そう言う人は、実際に世の中にたくさんいます。
ただ、そういう人が人格者に見えるかというと、そうではないでしょう。
やはり、人生の課題と向き合ってきた人の感覚や考え方は俯瞰的ですし、実感も伴っています。
人はそういう人に信頼を感じるもので、わりと肩書きで靡きがちな人でもいずれ気がつくのです。

こういった人生の課題に前向きに挑んできた人は、未来の不確実性に対しても前向きです。
だからこそ新しいことに挑戦して学び、さらに実績を積み上げていけるのだと思います。
これこそが人生の王道であり、この生き方なくして成長はありえません。

「我に七難八苦を与えたまえ」という言葉は、自分の実力を試すチャンスが得られることで、自分が成長する喜びを手にすることができる、という意味なのではないでしょうか。
ゆえに「困難を迎える」ことそのものが恵みであり、その恵みが「幸福」への道となるのです。
神から与えられし試練は、神様から捨て置かれるような人にはやって来ないでしょうし、成長と救済の手が差し伸べられるからこそ課題が与えられるとも考えられます。

神仏に祈る際にはただ願いごとを言えばいいものではなく、何かの課題に対する意志を表明し実際にそれに取り組むからこそ、それでは神様が願いを聞いてやろう、となるのです。
冒頭の山中鹿之介は、滅亡した尼子氏を再興したいという不屈の意志を持ち、その願いを成就させるためならどんな困難でも乗り越えてみせる、という誓いを神様に掛けていたのだと思います。

それほど強い願いだからこそ何度失敗してもお家再興のために立ち上がったのであり、現代人である私たちでも尚、その勇姿を知り憧れの眼差しを向けるのです。
それは実際に願いが叶ったかどうかではなく、生き様として人々に示唆を与えるからこそ、私たちの胸にこの言葉が響いて来ます。

私も人にはないような経験をたくさんしましたし、言ってみれば苦労人には変わりないのですが、だからこそ今さら大きな困難が来てもそれほど動じないかもしれません。
こう言えるのも自信の一つであり、経験が財産になっていると思います。

見た目としては誇れなくても、その真の価値は目に見えないところに現れる、そういうところで「困難」に対する不屈の精神は、私にとって一番の才能なのかもしれません。

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