フィジカルへの回帰
- Category:神人関連
- Date:2025年02月11日
ここ数日、やたらと物質面に目を向けさせるような出来事が続いています。
「お金」はずっと私のテーマですが、具体的に勉強する機会が訪れ、その意識を変えている最中です。
YouTubeを見ていても、大豆由来の粉物で作るお菓子とか漬物とか、なぜか今まで興味がなかった分野のことに興味が出始めています。
あと、筋トレを始めました。
これは数週間仕事から離れていたので、椅子に着くと集中力の低下や持久力が著しく落ちたのを感じてしまうからです。
脚の筋肉も体幹もかなり弱っているのを実感するので、軽いスクワットなどを生活に取り入れるようにしています。
このように、徐々に私の生活のテーマが変わってきています。
「フィジカルへの回帰」と言えば、おかしな言い方かもしれません。
これまで次元上昇のために、数年かけて波動を上げる修行をしてきました。三次元世界や人世への依存心を捨て、抽象度の高いテーマと向き合いながら魂を成長させるためです。
ただ、おそらく地球のアセンションの状態は安定期に入りつつあるのだと思います。
そのため、そろそろ抽象的になりすぎた意識を、大地に根差す準備を始める段階に入ってきたのではないでしょうか。
私にかかるテーマはもう一つあって、それは「日本文化への回帰」です。
これまで、記紀を中心とした日本神界との結びつきも重要なテーマでしたが、古史古伝や歴史への探究心も芽生え始めています。
それだけでなく、日本の食材を使った伝統料理や、古民家や神社などの日本建築にも興味が湧き始めています。
これは、私自身としては「趣味として」情動が高まっているという感覚ではありません。
大豆由来のお菓子を作ることに興味があるわりには、私はそれほど甘いものが好きではないのです。
何か、「使命感のようなエネルギーでやりたいと思わされている」という表現がピッタリ来ます。
神様から入ってくるエネルギーは、だいたいこういう感覚で表に出てくるので、おそらくこれがお役目なのだろうと思います。
では、なぜ「日本文化への回帰」を神様が促すのでしょうか。
ご存知の通り、日本は戦後80年の間に国家の仕組みごと骨抜きにされてしまいました。
途中までは日本人らしさが花開いた良い時代はありましたが、今はご覧のあり様です。神様は、他文化と我欲に汚される国土を見て、さぞかし胸を痛めていることでしょう。
「日本人に日本文化を取り戻して欲しい」というのは、神社仏閣におわす神様だけでなく、神々に限りなく近い遠津祖、日本をずっと守ってこられたご先祖様たちにとっても、心からの願いでしょう。
日本の歴史の中で、自らを犠牲にしても後世を守るために志を貫かれた多くの英霊たちは、今の日本を見てどう思われるのでしょうか。
これから物質文明が衰退し、再び国土が日本人の手に戻るとしたら、ご先祖様たちや日本の神々は、日本を本来の姿に戻してもらいたいのかもしれません。
日本人が日本を取り戻す事業は、「富」という概念を履き違え、金と欲望に使役される奴隷となっていた現代人が、我に返った先に目的意識を取り戻す時、「温故知新」という考え方と共に、日本人の強い光となるはずです。
「モノがなくても、人がいなくても幸せになれる」という考え方は、資本主義が衰退した後の世界では福音になるのではないでしょうか。
日本の古き良き文化は、その役割を十分こなせるはずです。
そして、その需要が高まるということは、そこに「金運」の種が宿っているということです。
例えば、たくあんや漬物は、商品として卸しても大した利益にはならないかもしれません。
しかし、独自の製法で作られた漬物があるとして、作り方のノウハウ自体を商品とするなら、その情報はたくあんを数十年売り続けるよりお金になる可能性もあります。
こういう発想は実に「風の時代」的ではないでしょうか。
たくあんを工場で大量生産して売り捌く、という土の時代の考え方とは明らかに違います。
この情報も、売るべき相手を自分で選び、共有するコミュニティも自分で選択する、商品の価値も自分で決める、その主体が自分自身にあるからこそ、自立した生き方ができる気がしてなりません。
神様は、そうして選択の主導権を自分が握ることで、支配構造から自由に生きていける人を増やしたいのではないでしょうか。
これまでは、力のある人間が専売特許を奪うためにあれこれ工作をしてきたわけですが、個人の力が強くなればその要求も跳ね除けられるはずです。
そのために、神様は人々が「唯一無二の才能を育てる」ことを願っておられるのだと思います。
自分にしかできない、自分しか知らない、そういった特殊技能を武器に世の中を渡り歩いていく、そうすることであらゆる支配から自由になることができるのではないでしょうか。
こう考えたら、文明の崩壊を目の当たりにして一喜一憂することなく、次の時代を見据えて研鑽していく、そのプロセスを有意義に感じることができるかもしれません。
薄暗い世相ですが、私は時代が変わるのが楽しみでしょうがありません。