忍者ブログ

招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「乙女座の男」

楽太郎です。


20日頃から続く日食新月のエネルギーを受けて、久しぶりの強烈なアセンション反応でダウンしていました。

日食というのは、地球と月と太陽が一直線に並び、太陽に月が被ることで地球から見て太陽が暗くなる現象です。
スピリチュアル的には普段の新月よりも強力な「リセット」が働くとされ、人心のみならず社会情勢にも影響が起こることが多いそうです。

この日食新月が、私の誕生月である「乙女座」で起きています。
同時に金星も乙女座に入っているので、占星術的に見て乙女座、天秤座と月に強いテンションがかかっています。

そして明日、秋分を迎えます。
私は以前から今回の秋分点が節目になるという話をしていますが、マクロな意味だけではなく私自身にその変化は重要な影響をもたらすと思います。

この数日に私が感じ取っていた新月のエネルギーは、「統合」を意味していました。
自己浄化を日々進める中で、私自身の過去と現在のギャップの違和感をどうも埋められず、過去の自分との連続性をどう捉えたらいいのかわかりませんでした。

私は色々なことに手を出してやってきたのですが、その支離滅裂さもありながら、行いの悪さやあまりに浮き沈みの激しい過去を振り返り、この凹凸だらけの人生を消化しきれない私がいたのです。

自分の内面を浄化していく中で、昔の自然体の自分を取り戻し、ようやく楽になってきた感じはあります。
しかし、過去の自分と感覚を取り戻すにつれ、記憶に付随する世界と現在の世界との繋がりにギャップを感じたりもしました。

昔の日本は、ヤンチャな若者が多かったですし、社会全体もまだ活気があり、今よりもっと雑然としていました。
世の中が「青春」している感じがあって、まだ様々なことに夢がある時代だったのです。

人々はまだ浮かれ気分で、しょうもないことに情熱を燃やして失敗しては、笑い話にできるような世の中でした。
どこへ行っても人でごった返し、チャラチャラした若者がナンパ待ちをしていたあの街はどこへ行ってしまったのか、私は未だ腑に落ちないのです。

あの頃、天にツバを吐くほど威勢の良かった友人は今どんな顔をして暮らしているのか、見当もつきません。
けれど、あの頃の人々も街並みがもうないことだけは事実で、私はそれをどう納得すれば良いのか、ずっと考えていました。

自分の人生以上に「連続性」を感じにくくなってしまった、日本という国。
その社会に生きてきた、今生きている自分にとって、「時代」に繋がりを感じないことへの違和感を、どう消化したらいいのかわからなかったのです。

そして、何となく時代の雰囲気にノって「やらかし」てしまった私の過去も、どこまで「時代のせい」にできるかも曖昧なままです。
けれど、私の近年の運勢や、誕生月に太陽と月と地球が並び、「秋分」という転換点を迎えることの意味と照らし合わせた時、そこまで「原因」にこだわる必要もないことに気づいたのです。

少し前に、ある夢を見ました。
私は生まれて間もない頃、バラック小屋が並ぶような地方の街に住んでいたのですが、その裏手には大きな刑務所がありました。
その街並みも、当時一歳くらいだったはずなのに今でも思い出せてしまうのですが、そっくりの街にいる夢を見たのです。

バラック小屋の間を歩くと、私の住んでいた家の真裏に山があって、そこを見上げると大きな「神社」がありました。
私はそこに登ると、タイルとガラス張りで綺麗に整備された神社があって、そのフロアから街並みを見下ろすことができました。

私は目を覚まして、私が生まれた頃から「神様」は私をご覧になられていたのだと思いました。
というより、生まれる前から両親を見守り、私が生まれてから今に至るまで、ずっと神様は私を見守っていて下さったのだ、と気づいたのです。

なぜ、神様が「見守り」はしても、私が生死を彷徨うようなことが何度も起きる前に「助けて」下さらなかったのかと、皮肉めいたことも考えました。
普通に考えて、いくら神仏をお祀りしても病気にはなるし不幸は起こるし、事故にも災害にも巻き込まれてしまいます。
いくら信仰しても「良いこと」だけが起こるとは限らないのも事実です。

しかし、私たちが「不幸」な目に遭うことも神様のご意志だとしたら、というより「邪」や「魔」という存在に不幸な目に遭わされることを、神様が「お許し」になられているとしたら、それはどういう意味になるでしょうか。

よく、「良い人ほど早く亡くなる」と言います。
私が運転免許更新時に見た講習の動画で、とても心根の優しい子が交通事故で早逝されたことが語られていました。
「もし神仏を強く崇拝していたら、こういう事故は免れたに違いない」とは言いきれないでしょう。

もし、人生における全てのあらすじは予め決まっており、それを「運命」と呼ぶのだとしたら、人間はどう生きてもどういう選択をしても、起こりうることは一つしかないということになります。

しかし、私たちは常に一瞬一瞬、気をつけながら道を踏み外さないように慎重に生きていますし、その都度未来を選択して切り拓いているつもりでいます。
例え最善と思う道を辿っても、避けられない出来事というのは向こうからやって来ます。
これは、どう考えたら良いのでしょうか。

おそらく、「どういう選択をしても、結果的に最善の道を選択してしまう」というのが真実なのではないでしょうか。
私たちが常に善意を持って行動するのも、悪意マシマシで過ちを犯そうとする時も、おそらく「運命」という切り口から見れば、どの行動を取っても「最善」になるのかもしれません。

人間がこの世界に、「学び」や「修行」として生まれ落ちるとしたら、それぞれの魂に学ぶべき「カリキュラム」が存在するはずです。
人間は経験を通して学ぶものですから、間違いや失敗があるから自らを顧みて、また違うやり方を覚えて成長していきます。

この輪廻転生を「魂の学校」と呼ぶなら、「カリキュラム」は選択単位制で、タイムテーブルも自由なら「授業」の中身も前後します。
しかし全体を通して学ぶ内容は決まっており、今世で学びきれない分は、次の生まれ変わりに持ち越されるのかもしれません。

いくら「学び」と言えど、人間から見れば「失敗」や「挫折」などない方が良いのです。
そして、自分の犯した過ちを後悔して、アレコレと悩みがちです。
しかし大事なのは、その過ちを省みて学びに変え、自分の成長に活かしていくことです。

人間はこの世界のことしか目に見えないしわからないので、平面的に「成功」とか「失敗」という見方で自分の行動を振り返ります。
しかし神様の視点から、あるいは一つ高い次元から見れば、その平面で起こった出来事には別のあらすじを見出せるはずです。
人間は近目なので手元にあることで判断しがちですが、立体的に見れば底辺をなぞっているだけに過ぎないのかもしれません。

それこそ過去からのカルマや、「カリキュラム」の内容次第では、むしろ「痛い目を見る」ことの方が重要だったりするでしょう。
その意味は、地上で平面的に生きている人間には結局のところ知り得ません。
人間がその出来事を通して、どんな学びをし、どんな学びを残すかということだけです。

私たちが「最善」と思ってやる生き方の中に不幸が忍んでいる理由は、そこにあるのではないでしょうか。
人間にとって経験する出来事は「良い」か「悪い」かしかありませんが、一つ高い次元から見れば「学び」のプロセスであり、それは人間の価値判断で捉えきることは不可能なはずです。

私は常々「神様とは、人間ではないから神様である」と言っています。
そして、人間の「善悪」と神様の「善悪」も違うのです。

私たちが直感的にイヤな目に遭うと、神様を逆恨みしたりもするのですが、神様からすれば「成長の機会」を与える恩恵の意味を、人間が履き違えやすいだけなのだと思います。

だから、あらゆる選択は運命から見て「最善」であり、「最善」以外は存在し得ないのではないでしょうか。
しかし実際、霊的な目線で言えば今年の春分点のように、人生のタイムラインが切り替わるターニングポイントがあることも否定できません。

私が思うに、人生において大まかな専攻のテーマと「カリキュラム」は予め決まっていて、それを学ぶ仕組みにはなっていますが、進むコース自体は自分で選ぶことになっているのだと思います。
だから、「わざと道を外れる」というのもコースの一つであって、それは数ある最善の道から自分が選ぶ、自分が進もうと思う道なのではないでしょうか。

そう考えると、「人生における失敗」の定義は変わってきます。
私たちは「あの時こうしていれば」と悔やみがちですが、実はあの時、自分が無意識に「失敗しよう」と思ってやっていたなど考えもつきません。
けれど、その失敗が起こらなければ「学び」が発動しなかったとしたら、自ら失敗を引き起こす理由になりうるのです。

私はそう考えた時、いつまでも自分の半生にクヨクヨしていてもしょうがないな、と思いました。
私が自分自身で望んで犯した失敗なら、失敗した経験は「失敗の成功」なのです。
もし私の真後ろで、それを神様が糸を引いていたのだとしたら、全ての言動には「裏があった」ということです。

生まれる前から神様が見守っておられた私の人生は、誕生月の秋分を持っておそらくリセットされます。
その天体の流れは数億年前から決まっていたことで、私はその奇跡のようなタイミングで転機が訪れていることになります。

これはもう、神様に「降参」するしかありません。
自分の勝手な考えで神様をいくら否定しようと、それすら神の手の中にあったということなのですから。

私は、これまで自分の意志で色々やってきたように思ってますが、神様にやらされていたと考えれば、妙に辻褄が合う部分もあるのです。
このアセンションの時期に私がスピリチュアルに目覚めたこと、時代が切り替わる時期に私が起こしている行動、それらはどこにも「エゴ」を差し挟む余地がありません。

つまり、今の時代にこうしている私は、丸ごと神のご計画だったということです。

そうなったら、後は覚悟を決めるだけです。
いくらジタバタしても、ジタバタすること自体が神様の手のひらの内なのですから、いっそのことジタバタしない方が疲れません。

「そうさ 私は乙女座の男
お気の済むまで 笑うがいいさ

貴女は遊びのつもりでも
天国の果てまで ついていく」



*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ
※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手

PR

「金の時代」の終焉

楽太郎です。


9月23日の「秋分」が一つの切り替わりであるとお話しましたが、むしろ22日新月に係るエネルギーの凄さに驚いています。
私の生まれ月の関係かもしれませんが、星座的には昨日から月が乙女座に留まり、21日、22日にかけて「日食」が起こるそうです。
そのエネルギーを受けているからかもしれません。

これまで、自分の内面に潜む「闇」と向き合い、その葛藤と癒しを繰り返す中で、本来の自分を少しずつ取り戻してきました。
人間社会というのは、拘らなくても良いことに重きを置き、比べなくて良いことで優劣を決めようとします。

人は、その軋轢の中で落とし所を見つけ、自分なりの幸せを手にしていくものですが、その「軋轢」を産むこの世の「歪み」だけは、見逃されがちです。
その歪みが作り出した虚偽の自分、「悪の自分」と向き合い、反省する時間が「自己浄化」を意味します。

それはとても苦い記憶との戦いでもあります。
「悪の自分」との戦いが、この新月で一つのテーブルを挟んで向き合い、調停による妥協点を見出していく、そんな感じもします。
そして、新月で一旦リセットされた関係は、翌日の秋分点で「五分五分」になり、新たな関係が始まっていくのかもしれません。

先日の記事で「秋分を境に光のエネルギーが強くなる」と書きましたが、世の流れが具体的に変わるのはここからだと思います。
これまで、「闇の力」が幅を利かせてきた時代だったからこそ、「世に混沌をもたらすことで利得をえる勢力」のロジックが世界を支配してきたのです。

そして最近まで、その勢力が拡大を続け、あたかも世界の終わりまで彼らの時代が続くような雰囲気すらありました。
けれども、その世界線はこの節気を境に今後切り替わっていくでしょう。

単刀直入に言ってしまうと、その勢力は「金融」を司っています。
取引を公平化するだけの手段に過ぎない「お金」が、あらゆる目的や欲望を実現しうる機能を持った時、その仕組みを使って力を握る者が現れます。
彼ら「富める者」に憧れを抱き、またそのおこぼれに預かるべく、人々は労働したり従属します。

まず、簡単に「金融」とはどういう仕組みか説明します。

「お金」というものは、公的機関が発行するから共通の価値を持つものですが、何か「モノが欲しい」と思うお金がない人にお金を貸し、貸した期間の分だけお礼を返してもらう仕組みが「利息」です。

元々、お金を多く持っているから貸すことができるのであって、お金を貸すことで「利息」がどんどん増えていく商売は、借金をする人が増えて貸付が多くなればなるほど、儲かる仕組みです。
だから金融業というのは、元々富める者が自動的に富んでいく性質があるのです。

しかし、お金は持っているだけでは増えないので、さらに儲けるには「これから事業をやる」という人の成功に賭けてお金を貸し、その利益にあやかる方法もあります。これが「投資」です。
しかし、投資というのは成功するかはわからないので、たまに失敗して損失を出すこともあります。

だから、投資する側としては事業者が損失を出さないことを祈るしかないのですが、どうせなら手を回して事業の成功確率を上げてやれば回収率も高くなるはずです。
どうすれば事業の成功率が上がるかと言えば、社会の雰囲気を醸成して投資先の事業が成功しやすい環境にすれば良いのです。

政治やマスコミを使い、「経済」の流行り廃りのトレンドを作り出し、時代に合わせて最も儲かりそうなプランに市場を誘導していけば、資金が有り余るお金持ちはますます潤います。
誰もお金を使う「消費者」の意志まで操作できませんが、お金の力を使えば「消費するように仕向ける」ことは可能です。

そこで、TVや新聞、ネットで「これが流行る」と言えば、何となくそれを信じてお金を使ってくれる人が増えていきます。
「その商売は怪しい」と思われると上手く回らないので、なるべく消費者には頭を使わずにお金を使ってくれるに越したことはありません。
だったら、国民全員が宣伝を信じて疑わず、疑う脳みそを持たないように訓練すれば良いのです。

マスコミを通して「売りたい」モノを、従順に「買い求める」国民が増えるように。

これが、私たちがどの国にいても巻き込まれている「お金」を巡る経済、供給と需要による市場の仕組みです。
ただ、新しく便利なサービスが登場し、それが広く知られることで消費者にメリットがあった時期が長かったからこそ、人々は「コマーシャリズム」をすんなり受け入れてきました。

しかし、手元にモノやサービスが行き届き、いくらCMを打っても人々が靡かない世になれば、番組の間に大量に流れ、ネットに出てチラチラ視界の邪魔をする「広告」は、むしろ見たくないものになりつつあります。

人々が従来の製品を購入しなくなれば、企業も先細り、金融機関は投資や融資からの収益が減ります。
そうすると、企業も金融機関もこれまでのやり方での「お金儲け」ができなくなってしまいます。

たくさんの人を使い、工場や大型装置を使う企業ほど資金が必要になる分、重工製造業の規模が巨大化するほど、融資をする側は資本の投下量に比例して収益を得ます。
しかし大規模な工業生産が縮小すれば、投融資が目減りし、お金を供給する側は儲からなくなってきます。

「消費者」たる一般国民は、経済が成熟すると手元にあるモノで過不足なく暮らせるのですから、どうせ使うなら美味しいものを食べたり旅行したり、ゲームしたり人と遊んだり、サービスの方にお金を使いたくなるでしょう。

つまり製造業主体の経済は、「モノ」が人々の手元に余すところなく行き届けば、以降は個別のサービスに需要が向かうのが自然な流れです。
しかし、企業としては人々に「消費し続けてもらわなければ困る」のです。
株式会社は株主に好配当を出さなければいけませんし、従業員の支払いを保証し、社員を長期的に養っていかなくてはなりません。

企業体としては「常に右肩上がりでなければいけない」のですが、消費者は「購入意欲が右肩下がり」になっていき、むしろ低コストでニッチなものに需要が向かっていく性質があります。
このズレを企業は何とか埋め合わせるために、無理矢理「新商品」や「トレンド」を作り出す努力をしながら、斬新さで需要を喚起しようとします。
ただ、それも長年やってしまうと既視感が生まれ、結局は似たり寄ったりになってきて、生物学的な「収斂進化」のように商品として「最適化」された状態に辿り着いてしまうのです。

そうなると、本格的に企業としての将来的展望はあまり持てなくなってしまいます。
ただでさえ新興国の廉価で質の良い製品が出回り、新興勢力と競争しなければならないのにも関わらず、です。

資本主義経済をひた走り、「先進国」と言われた国ほど、この仕組み上避けられない「ドン詰まり」に陥るのは早いでしょう。
そこで「先進国」代表であり、衰退が始まったアメリカは考えました。

既成事実を先に作って、「消費せざるを得ない状況」にすれば、確実に儲かるのでは?

それが「政治を使って収益を上げる」という思考に直結します。
大企業がロビイストを雇い、政治家に賄賂を贈ることで有利になる仕組みを作り、あるいは「需要が喚起される特殊な状況」を作ってもらい、そのタイミングを見計らって準備を整えれば良いのです。

1946年に成立した「ロビイング規制法」は、国家が認定したロビイスト資格者を通してする賄賂ならば問題にならない、という法律です。
表向きは「規制」と言いつつ、規制されているロビイストは無制限に賄賂を扱えるので、事実上の「規制撤廃」になります。

戦後のアメリカ経済は、自動車産業、金融、医療、製薬、軍事、エネルギー、テクノロジーとロビイストが高額の献金をする業界が幅を利かせ、その巨大資本を利用して海外へも覇権を広げました。
アメリカ有数のガリバー企業はその賜物で、しかし政治的優遇策で収益を上げる方法では、いずれ企業努力や改善措置が疎かになり始めます。
サービスが際立って優秀でなくても、既存のシェアを保つために周りを沈めれば利益は確保できるからです。

そうした状況で安定を得られるものの、寡占企業に最適化された環境では経済全体が停滞します。
それにより貧富の差は拡大し、国民の大半が貧しくなるためGDPは下がり、それでも国家財政はバラ撒きをやめられず、赤字が累積していきます。

そして「いよいよこれではやっていけないかもしれない」と言う時に、本当に人の役に立つ、真の技術革新になるような開発を行なっているところはなかったりするのです。

「それなら、誇大宣伝でもいいから金をかき集めよう、投資額を跳ね上げれば"嘘から出た誠"でも、本当に技術革新になるかもしれない」

その思惑で始まったのが世界金融危機以降に始まったバブル、現在「第二次ハイテクバブル」と言われるものです。
半導体装置大手のNVIDIAが中心となり、現在世界の株取引の約半分はマグニフィセント7が担っています。

しかし、歴史上最高調の株高は、実態経済との乖離を浮き彫りにしています。
株式市場は、必ずしも実態経済の形を反映するものではないことに、今さらながら気づくのです。

「資本主義」というのは、まだ「モノ」を持っていない人を探し、その人に宣伝をしてモノを買ってもらうという仕組み上、最終的に新規購入者がいなくなるまで続きます。
逆に、「すでに持ってる人」に再購入を促すことで商売を継続していける性質がありますが、いずれ他の商品に代替されることを考えれば、次第に弱含みをしていくのは避けられません。

だからこそ、別の軸で「再購入」を促す仕組みも必要になります。
確実に再購入してもらうには、「麻薬」や「アルコール」のように、消費者を依存しすぎてやめられない体質に変えてしまうことです。
否が応でも「必需品」にしてしまえば、食料品や生活用品と同じ意識で課金してくれるでしょう。

あとは、「意図的に回転率を高めること」です。
例えば100年持つ丈夫な車があれば、大抵の人はその車一台を大事に乗り回し、何とか修理して使い続けるでしょう。
ただ、それだと産業全体が盛大にやっていけなくなるため、定期的にモデルチェンジをして、消費者に「買い替え」を促します。
それなら問題はありませんが、例えばメーカーが「わざと壊れやすく作る」など、不完全な商品を出したらどうでしょう。

当然、買い替えも加速するし、業界全体の回転率も上がります。
また修理に専属メーカーが携われば、アップデートや定期的なメンテナンスに係る特権的な利益を得ることもできるでしょう。
つまり「欠損しやすい」というのは、安定した「再購入」の需要を生み出すチャンスなのです。

表では「親切丁寧、出血大サービス」に見せかけて、裏側でどんな仕掛けが施されているかなど、一般消費者にはわかりません。
そこにいくら作為が忍んでいようと、人はイメージで商品を購入してもらうものです。

いつの世もアコギなやり方で儲けようとする人はいますが、資本主義が成熟しきると、市場規模は縮小するのに企業利益を減退させるわけにはいかないジレンマが自然発生し、それに抗うような小細工をせざるを得なくなるということです。

ゼロがプラスにならないのなら、一度マイナスにしてゼロにすれば、実質的にはプラスになります。
つまり「常に拡大を志向する」という資本主義経済の特性上、最終的には必要ない需要を作り出すために、わざと需要を喚起する事象を引き起こすことが、最大のビジネスチャンスになってくるのです。

私はこれが、近年「グローバリスト」がやろうとしてきたことではないかと思います。

最終的には、一切の企業努力も必要なくなり、人々が息をするように自社製品やサービスを購入してくれたら良いわけです。
そうなるための社会であれば良いわけですし、その仕組みに抗う勢力がいなければいないほど成功確率は上がり、安定性は増すでしょう。

これが「ビジネス」の範疇であれば、まだいいのです。
この価値観が「政治」の世界に持ち込まれると、ディストピアの入り口に差し掛かります。

自分たちの方針に従わない連中は、まともな生活ができないレベルに困窮して消えていけば、より賛同分子が絞られます。
消費者を徹底的に監視し、異端分子は発見したら社会的信用を取り除き、自身の利益を最大化するような者だけ引き上げれば、いずれ体制に従順な者しか残らなくなるでしょう。

この「エリート専制主義」をいち早く地上に実現したのが、北朝鮮や中国などの社会主義国です。
しかし統制が行き過ぎると、人々が生きる上で必要なモノや娯楽も不足が生じてきます。
それでは国民に不満が溜まり成り立たないため、北朝鮮は常に外貨を求め、中国は改革開放を打ち出し高度成長に向かいました。

ただ、アメリカのエリートはほぼ同じ思考を持ちながら、自分たちは完璧な「世界政府」による、統一された世界を支配することができると考えたのでしょう。
その準備段階として、現在の雑多な世界を淘汰し、人口を整理し、価値観や習俗を統一する「グローバリズム」を浸透させ、人々を従属させる必要があったのです。

その考えが政治的に推し進められることによって、どれほどの人が「幸福」になったのでしょうか。
それは強権的に押しつけられた、「エリートの、エリートによる、エリートのための政治」ではなかったでしょうか?

結局、資本主義・民主主義も共産主義・社会主義もエリート専制体制の下では全て「金主主義」になってしまい、富める者がより富を増やし、権力者が力なき者への支配を強める構造に変わりがありません。
この世界を動かす軸が「お金」である限り、お金の集まるところに力が集まり、お金のために人々を抑圧し、戦争を起こす人間も絶えることはないでしょう。

私たちは、いつまでこの仕組みにしがみつき、この仕組みを世界の全てだと信じ続けなければいけないのでしょうか。
ただ、仮に資本主義が終わりを迎えても、経済が崩壊しても「貨幣」というシステムがなくなるわけではありません。
「お金」に全ての目的を果たせるという幻想を抱き、その幻想のためにお金を求める時代が終わらなければ、人はずっとこのループから脱することができないのです。

この時代の変わり目の時、しっかり世界を見渡しながら、次の時代の経済はどうすれば良いのか、「お金」をどう再定義すれば良いか、そろそろ考えていかなければならない時なのだと思います。
これまでの「お金」の仕組みに限界を見るからこそ、「終わり」の先のことも考えなければいけません。

商品やサービスを対価で取引することができる「お金」は、必ずしも貨幣の形を取る必要もないかもしれません。
そのレベルから、新しい仕組みを考え直してもいいのではないでしょうか。


*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ
※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「グローバリスト」の分裂

<p style="text-align: center">楽太郎です。</p>
&nbsp;
9月22日の新月、23日秋分の日を前に、既に新しいエネルギーを感じ取っていますが、それは秋のカラッとした心地よい空気を感じているだけではありません。

日本は現象的にはまだまだ沈むはずですが、それと反比例して陽気になる人が増えていくはずです。
エネルギーレベルで広がる「光」の気を受け取って、なぜかやってることと気分にズレを感じ始めるのではないでしょうか。

日本人は、「陽」の気を感じ取るのが得意な民族です。
国家祭祀の最高神が「天照大御神」なのだから当然ですが、長らく「お上」が頼りにならない日本政治史において、民衆は民衆で賢く楽しくやるやり方を心得ており、元々悲壮感に沈む国民性ではないのです。

だから、そろそろ<strong>「開き直る」人が続出する</strong>頃合いだと思います。
コロナ禍で社会全体が沈んでいた時に「アマビエ」ブームにあやかるような根アカさは、かつて大政奉還という大変革の時期に起きた「ええじゃないか運動」と根が繋がっています。

いくら民間で努力しても工夫しても、「お上」が伸び分を刈り取っていくのですから、下手に力んでもどうにもならないという風潮は広がっていくと思います。
ただ、「お上」がここまで国民に背を向けるのは、我が国の元栓を握っているエリート層が「既得権益」の維持が物理的にできなくなっているがゆえの強情でしょう。

少子高齢化と若年層をいじめ抜いた政策によって、既存の政権基盤が揺らいでいるのもありますが、経済形態として製造業主体の工業中心のトレンドは、低コスト消費型のサービス業がメインになりつつあるからです。
近年の日本政府による「中小企業いじめ」「個人事業主淘汰」の仕組作りは、経済のサービス主流化を押し留めておきたい意図の現れです。

「お上」にいる既得権益層からすれば、重工製造業の衰退は沽券に関わります。
日銀がほぼ国益にならない「円安政策」を30年以上推進してきたのも、輸出系企業が外国に製品を高値で売り、円安との差額分によって利益率を確保するやり方と繋がりがあります。
また、アメリカが「ドル高」を維持して、国債と株式から投資収益を得るギアとして円が使われてきたこととも密接に関わっています。

つまり、日本人が「働けど楽にならざる」状況は日本人が悪いわけではなく、結婚しない若者が悪い訳ではありません。
種から生えた植物が伸びないように伸びた分だけ刈り取り、刈り取った茎や実は転売して儲けていた人がいたというだけです。
経済の趨勢としては、製造業からサービス業に主体が切り替わるのは自然な流れでありながら、古い仕組みがそれを許さなかったのです。

ただ、これは今怒って敵を探して叩けばいい、というフェーズではなく、と言うより未だかつて我が国にそんな機会は一度もなかったでしょう。
大事なのは、日本の元栓を握るエリート層がズブズブの関係にあるアメリカという「利権大国」の終焉によって、地位が揺らぎ始めているという事実です。

今回は、その話がテーマになります。

私は今、世界を牛耳ってきた<strong>「グローバリスト」たちに分裂が起きているのではないか</strong>、と思っています。
ここからは完全に仮説と憶測の域を出ないのですが、どうも共和党のトランプ大統領が、ほぼ民主党一色だったアメリカのIT系富裕層を派閥争いに巻き込んでいるように見えるのです。

IT系富裕層と言えば、言わずもがなMicrosoft、Apple、Alphabet(Google)、Amazon、Meta、NVIDIA、テスラの7社のCEOを中心に構成されています。
Microsoftの会長はご存知ビル・ゲイツで、「世界経済フォーラム(WEF)」を事実上取り仕切る存在です。
彼の「ビル&amp;メリンダ・ゲイツ財団」は、傘下のWHOと組んでコロナワクチンの利権を最大限に押し広げましたが、現在ではワクチンの「薬害」の方が深刻であることが証明されつつあります。

ゲイツ財団はコロナ・パンデミック時にあらゆるマスコミに資金を投下し、世界中の諸国へパニックに近い扇動を行いました。
この件に関して、2023年に「どうもワクチン強制接種やロックダウンは失敗だったらしい」という共通認識が広がるにつれ、WEFやWHOへの批判が強まっています。

ウォール・ストリート・ジャーナルを皮切りに、Amazonのジェフ・ベゾスCEOが出資するワシントン・ポストが「コロナワクチン」に対する批判記事を掲載したのは、2023年初旬です。
この頃には既にゲイツ財団の影響力に翳りが見え始めており、WEFの次世代リーダーに選出され、そのままの枠組みの政策を推進していたニュージーランドのアーダーン首相が、ダヴォス会議の開催中に不参加・退任するという珍事も起きています。
また、今年4月にはWEF主宰であるクラウス・シュワブが辞任しています。

こうして見ると、超富裕層・エリートで構成されるグローバリストの中で、「地球温暖化、環境エネルギー利権・ワクチン利権」の主勢力たるゲイツ財団派が弱体化し、それに応じて「トカゲの尻尾切り」つまり<strong>ゲイツ派の排斥</strong>が起きているように見えます。

まあゲイツ財団はマスコミや製薬・金融企業との癒着も「調べれば出てくる」くらい公的証拠アリアリなので、あれだけ具合の悪い実績ばかり並べられたら、権威失墜は時間の問題だったということでしょう。
ただでさえ感覚的に「<strong>ワクチンは薬害の方が深刻ではないのか?</strong>」という一般認識が広がる中、ベゾス氏のポケットマネーで運営されるワシントン・ポストがワクチン批判に乗り出したのも、その反映と取ることができます。

ということは、Amazonのベゾス氏はMicrosoftのゲイツ氏と立場的な反目があることになりますが、それはどうなのでしょうか。

現在、マグニフィセント7はかつてのように「生成AI」一辺倒ではなくなってきています。
Microsoftはスリーマイル原発を稼働させてデータセンター建設を拡大する方針を凍結しましたし、Appleに至ってはAIに開発投資を行わない姿勢は徹底しており、しかも「<strong>生成AIはただのパターン識別器に過ぎず、思考能力は一切持たない</strong>」という研究論文も出していたりします。

Facebookの社名を「Meta」と改めて打ち上げた「メタヴァース」ビジネスが、1兆ドルを投資して盛大にコケ、その穴埋めとして始めた生成AI覇権を巡る競争も<strong>生成AI事業自体が藪蛇であ</strong>るという事実をつけられるまで、Metaは粘るでしょう。
ザッカーバーグ氏の「レプティリアン説」は私の好きな話だったりするのですが、それはさておき彼はトランプ大統領就任後、民主党支持から一転して共和党支持に鞍替えしています。

他方のAmazonは、実はEコマース事業での収益自体は地味なもので、収益の大部分は米国国防省の受注によるクラウド事業が占めています。
商品の配送に欠かせない「ラスト・ワンマイル」という地理情報計算システムと顧客データが、どうやらペンタゴンの軍事上の需要とマッチしているようなのです。

かつてペンタゴンの受注計画にMicrosoftと反目し、結局は国防省の案件をもぎ取ったAmazonは、Microsoftとはあまり仲が良くない可能性があります。
どちらかと言うと、Amazonのベゾス氏は環境エネルギーや製薬利権と繋がりの強いITロビーのゲイツ氏とは対照的に、イスラエルや軍事ロビーとの親和性が強いITロビーの一翼なのではないでしょうか。

Amazonはイスラエルの諜報任務、つまり暗殺に使われる生成AIの開発企業「パランティア」との業務提携を行なっており、ペンタゴンの案件を受けている以上、やはり軍事系ロビーとの繋がりが強いと考えて間違いないと思います。

かつて、アメリカの金融を支配したジョージ・ソロスは、「<strong>ロシアの国力を削るには、東欧に武器を売ってスラブ民族同士で殺し合いをさせれば良い</strong>」と言い放っていたそうです。
それと同じことが現在ウクライナで起こっており、西側諸国が足並みを揃えればとっくに終わっていてもおかしくないウクライナとロシアの戦争も、その発言を鑑みれば見方が変わります。

おそらく、ソロスの財団をバックにする勢力が軍事ロビーであり、彼らとゲイツ財団のソフトパワーを使った利権はどうも性質が違います。
ゲイツ財団傘下の組織の動向を見ると、なるべく政治やマスコミを巧みに操り、ワクチンや環境エネルギーやEVなど、一見善良そうに見えるソフトを用いてグローバリズムの推進に動いているように思えます。

しかし、軍事・イスラエルロビーに至っては露悪的すぎるというか、イスラエルのパレスチナ民間人に対する虐殺を見ても、国際的批判をいともせず公然と全面協賛する姿勢を貫いています。
どうも、今のアメリカ政界・グローバリストの中で軍事・イスラエルロビーと製薬・環境エネルギー系ロビーの軋轢が生じているのではないでしょうか。

トランプ大統領が「経済効率化省(DODGE)」の初代長官に選出したイーロン・マスク氏が何も実績を残さず退任してから、マスク氏は民主党に鞍替えしてしまいました。
トランプ大統領が公認していた「EV補助金全廃」が実行されることになったため、補助金と炭素税の売買でテスラ社の収益代わりにしていたマスク氏は、赤字体質の営業方針では補助金なしではやっていけなくなるからです。
ゆえに、先日「マスクCEOが自社株を10億ドル分購入した」というのは、この事情に繋がってくるように思います。

おそらく、2024年大統領選後半までは民主党支持一択だったマグニフィセント7、ITロビーは共和党トランプ政権下での生き残りを賭けて「<strong>踏み絵</strong>」を踏まされているのかもしれません。

ザッカーバーグ氏やマスク氏が共和党にあからさまに乗り換えたのはわかりやすい例で、おそらく「お前らが共和党支持に回らなければ、どうなるかわかっているんだろうな」という脅しがあり、そのためにわざと<strong>エプスタイン問題にシラを切り通し、いざという時に使う</strong>とチラつかせているのではないでしょうか。
なお、マスク氏はエプスタイン問題の追求に「どんどんやればいい」という姿勢を見せており、マスク氏に限って潔癖とは考えられず、何らかの手は打ってあるのだろうと思います。

ということは、「ソロス派vsゲイツ(バフェット)派」と「民主党派vs共和党派」の対立がグローバリストの間で四つ巴というより「<strong>二重の分断」による派閥争い</strong>が起きている可能性があります。

ここでまだ名前が上がっていなかったAlphabet(Google)ですが、イスラエルの息のかかったパランティアに対してAmazonと共同で事業提携しているのですから、軍事ロビー派であるのは間違いないでしょう。
当然、Googleは地図の地理情報や顧客データ、SNSとの連携もあり、あらゆる個人情報を握っています。
ゆえに、そのユーザーデータが軍事上の「暗殺」に使われるのは理に叶っているのです。

最後に現在、全世界の株取引の中心にあり、流通を支えていると言っても過言ではないNVIDIAですが、私はそろそろ「<strong>店じまい</strong>」の準備に入っているのではないかと邪推しています。
先日、「Intelと共同で新型半導体の共同開発に着手」というニュースが出ました。

Intelと言えば製造ミスなどが重なり低迷期にあったところ、トランプ大統領に目をつけられて国有化の話すらも出ています。
ここ最近、「オラクル」が新しいビッグテックの新入りとして登場しそうな雰囲気もあり、「第二次ハイテクバブル崩壊」を前に選手交代要員が現れ始めたように見えます。

新型半導体開発でNVIDIAのGPU製造技術が「ウッカリ」Intelに流出して、なぜかNVIDIAが循環取引疑惑で追求を受けて火だるまになっている隙に、Intelが「最新型GPU」開発に成功する、なんてことを想像してしまいます。
ハイテクバブルにしか延命手段がない米国株市場は、選手交代しながら延々とゲームを続けるつもりかもしれません。

あるいは、次のトレンド「量子コンピュータ」がバッターサークルに控えており、「量子コンピュータでAIを走らせればAGIが動く」と吹聴して、このまま<strong>第三次ハイテクバブル</strong>にもつれ込ませるのも、わりと想像しやすいアイデアです。

マグニフィセント7が、もう既に泥沼に陥りつつある生成AI事業から抜け出せないのは、アメリカ政府が財政危機を乗り越える手段が今回のバブルもとい、外国からの株式投資にしかなく、ゆえにS&amp;P500で過大評価と言われながらも海外、国内問わずインデックス投資に頼るしかないからです。

「AI」とはそのための撒き餌であり、実質的な経済効果も技術革新も伴わない事実を覆い隠すために、マスコミを利用して「AI革命」を連呼し、それを補強するためにFRBがマネーサプライを使い、寡占企業が空中浮遊術を駆使しなければなりません。
しかし、無理に盛り上げているS&amp;P500も利回りとしては国債全般とほぼ変わらず、「持っていれば得をする」とも言い切れません。

そもそも、「無限上昇し続ける米国株」という神話に支えられているETF、いわゆるインデックス投資は、企業の経営体質に関係なく組まれたポートフォリオ通りに金が流れます。
「S&amp;Pは下落しない」という無敗伝説も、1929年の30年代大不況のきっかけとなった大暴落後は、ほぼ35年間最高値をつけることがなかったのです。
だから、「落ちない」のではなく、「落とさない」ためにFRBが株式相場だけは死守し、ジャブジャブの資金投下をしてきたのが真実の姿であり、そのFRBも毎年1兆ドルの赤字を垂れ流しています。

どの道、数字だけを見ればアメリカ経済が破綻するのは時間の問題で、順当に考えれば3年はかからない計算になると思います。
しかし、それではマズイからトランプ政権は他国に血を流させてでも国家破綻だけは避けたいわけです。
ただ、目先の赤字穴埋めのために、現在進行形で世界中に暴力と顰蹙を振り撒いているのも事実です。

アメリカという国は、このままではどう足掻いても経済破綻が避けられないでしょう。
しかし、経済的にそれを間近で見ている金融ロビー・ウォール街の人々は、金融業界が沈めばメシが食えなくなることはわかるはずです。

この「AIバブル」は、機関投資家や金融機関の上層部が「いかにうまく逃げるか」の仕組み作りであって、<strong>インデックス投資を流行らせて個人投資家をギリギリまで引きつけ、頂点に達したタイミングで売り抜いて逃げ切る作戦</strong>だと思います。
そのために「努力と労働が軽減されるAI」というのは、幻想とは言え大衆から見ればかなり魅力的なツールです。

ただし、誇大宣伝と勘づかれつつある「生成AI」では、もはや大衆を騙すことはできなくなり始めています。
私が「株式暴落はもうすぐである」と言うのは、このユーフォリアが冷め切るような何かが起こるか、<strong>ウォール街で夜逃げの準備をしている人々がいつ導火線に火をつけるか</strong>というだけの問題だからです。

大小問わず先細り、FRBの輸血に頼らざるを得なかった銀行業界も、2024年のうちにBTFP(銀行ターム融資プログラム)という支援制度が打ち切られてからは、生命線が絶たれているに等しい状況にあります。

酷い話が、アメリカでは経済格差で富裕層が株式・債権・現金の三方向で安全性の高いポートフォリオを組んで資産運用ができる反面、貧困層たる大衆は株式インデックス投資に賭けるしか資産拡大の手段、つまり財テクがないということです。
だからおそらく、株式大暴落の憂き目に遭うのは株式荷重のポートフォリオを組む一般投資家であり、貧しい人ほどその範囲に適合してしまいます。

数日前に、自動車のサブプライムローンを展開する「トライカラー」が破産し、その後始末をJPモルガンやバークレイズがつけることになるという話を取り上げましたが、トライカラーの破綻がローンの踏み倒し増加にあるとは結論づけられないにせよ、消費活動をクレカのローンに頼り、自転車操業的に毎月支払い続けている人々の経済的悪化は、既に目前に迫っています。

アメリカ国民の方々の心中を察すれば、日本の状況など可愛いものに見えてきますが、さらに酷なのは共和党を支援する大勢力ロビーに「<strong>銃器製造メーカー</strong>」があるという事実です。

コロナウイルスが人為的とは言いませんが、ワクチン需要で儲けた製薬ロビー、ロックダウンでオンラインビジネス需要にありついたITロビー、ウクライナとイスラエルの戦争、中国の台湾侵攻を喧伝して軍事需要を作り出したイスラエル&amp;軍事ロビー、化石燃料による発電を抑止し、環境エネルギーを利用する製品の製造で儲けたエネルギー系&amp;テクノロジー系ロビー。

これらのビッグビジネスの成功確率と、人命と金に糸目をつけない傾向を考慮すれば、「<strong>内戦をけしかけて銃器の購入を促進する</strong>」という蛮行に出ることも十分考えられるのです。
大袈裟な話に聞こえるでしょうが、私も妄想であって欲しいですし、フィクションのまま終わって欲しいのが正直なところです。
しかし、あれほど民主党一択だったマグニフィセント7に共和党の介入が見られ、その影響による変化が確認できる以上、民間への影響も草葉の陰に至ることは十分に考えられるのです。

私はなるべく、そうならない世界になることを願っています。
ただ、米国経済崩壊は時間の問題であり、もはや避けられないのは覚悟しなければなりません。

仮にその時が来て、スマホから推しに投げ銭をしたり、PCでAmazonプライムを眺めるような生活が続くと考えて良いのでしょうか。
全てのサービスが即座に停止することはないにせよ、今以上に改悪される可能性は極めて高いと思います。
私たち日本人には、むしろ世界の経済的混乱よりもその動揺の方が心理的影響は大きいと思います。

日本国内のことに関しては、政財官学民のトップ層が綺麗にフェードアウトすれば、大体は片付くことではないでしょうか。
日本の大衆には、世界経済の混乱も社会規範の乱れも十分に乗り越えられる実力が備わっています。
しかし、そのためには「アメリカ」という重石が取り除かれる必要があるのです。


*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「秋分」に起きること

楽太郎です。

やはり9月22日新月と23日秋分の日がひとつの「区切り」になると確信しました。

私は体感として、これまでまとわりついてきた湿った薄暗いエネルギーが掻き消えているのを感じますし、世は混沌とする一方なのに私はどんどん気が楽になっています。
世を流れるエネルギーはもうすでに違う波長に切り替わっており、もう後戻りできない所まで塗り替わっているように見えます。

その時、「神に仇なす」闇の力は相変わらず蔓延ってはいるのですが、決定力を失うレベルには削り取られているのを感じます。
以前「反転攻勢が始まった」と書きましたが、そのエネルギーの相克状態はやや「光」の側が有利に傾きつつあり、おそらく秋分点でそれが逆転するはずです。

秋分は、「昼と夜の長さが同じになる日」とされます。
これまでは季節的に昼の時間の方が長く、夜が長くなるので意味としてはこじつけのように思われるかもしれませんが、この季節分点の意味は象徴的だと思います。
これまで「闇の勢力」が強かったからこそ世界は混沌とした状態にあり、その長く続いた暗い時代も「光」の勢力が塗り替えようとしていると考えたら、感慨深いです。

この数年、私は2019年から始まったと思っているのですが、地球の次元上昇、いわゆる「アセンション」とは、これまでこの星を支配してきた「法則」そのものが塗り替わる過程だったのだと思います。
アセンション以前の地球は、「物質」という非常に重たい波動が、物事や人を動かすエネルギーの中心でした。
それゆえ、「お金」や「所有」、「肉体的欲求」などの具体的なエネルギーが経済や社会を動かす原動力となり、人々の生き方を支配していました。

しかし、「資本」や「権力」が集まる所では、自然にある因果律さえも人為的に塗り替えてしまうほど、それほど強いエネルギーが法則を捻じ曲げることも可能でした。
重大犯罪人ほど差し引きで優遇され、悪人ほど得をするような世の中だったのは言うまでもありません。
金や権力の力で法もすり抜け、抗議や被害者の声を根元から無きものにすることができたからです。

神に仇なす闇の勢力は、低い波長のエネルギーを苗床にして人々の行動原理を支配していたため、本来高い波長域にある神々や光のエネルギーは届きにくかったのです。
人間は善悪や哲学的なことよりも、肉体的な欲望に従う傾向が強いため、波長の低い世界は動きやすかったことでしょう。
当然彼らの妨害は凄まじいものでしたし、ある意味完全に神を「無きもの」に扱う社会風土すら広汎に作り上げてしまいました。

ただ、それも地球の「次元上昇」によって、人々の足元にある大地から波長が切り替われば、地球上にある全ての物質の波動が高くならざるを得ません。
そうすると、神に仇なすものたちは低い物質の波長域を思うように使えなくなり、逆に神々の力は発揮しやすくなるでしょう。

私は以前、「世界政府樹立ならず」という記事の中で、これまでの世界に混沌をもたらしていたあらゆる災厄が、ほぼ遂行されずに中挫同然となり、そのため世界中の富裕層を中心とする「世界統一政府」の企みは阻止されるであろう、と書きました。
おそらく、これが「次元上昇」前の波長の低い世界なら、もっと実現する可能性が高かったかもしれません。
しかし、物質レベルで波長が高くなるということは、低い波長域の干渉は弱まり、それだけ高い波長域の干渉、即ち「神々」の法則が発動しやすくなったのではないでしょうか。

かつての戦争は常に壮絶な悲惨さを伴いましたし、少なくとも9.11世界同時多発テロまでの世界線では、「闇の論理」がことごとく通っていたために、世界を「金融」という手段で操ってきた人々からすると、人口削減計画も大衆奴隷化も利権最大化も、これまでの経験則やスキームを使いこなせば、達成できるという目論見があったでしょう。
しかし、実行しても何故かあらゆる物事が上手くいかず、大体が「肩透かし」の結果になっているのは、これまでの時代の「法則」が通用しなくなったからと考えられます。

地球の次元上昇「アセンション」は、惑星全体の波長域を変えることで因果と法則を根本から変える、という効果をもたらしていると思われます。
ゆえに、これまでの因果律に支えられてきた「常識」は通用しなくなり、その影響は徐々に人々の認識や行動そのものを変えていくはずです。
「悪」を堂々とまかり通らせてきた者たちが、これまでのやり方が通用しなくなる世界線が具現化しつつある現在、やはりいつまでも彼らが望むような混沌とした状況は続かないでしょう。

今の世はまさに「旧」と「新」の入れ替わるタイミングであり、「秋分点」というのはその意味でも象徴的です。
時間的にはまだまだ夜は更けていくでしょうし、闇も濃くなって行くでしょうが、より抽象的な「エネルギー」の観点から見れば、「光」と「闇」の切り替わりがここで起こります。
地球はこれから「夜」が長くなる季節を迎えますが、「時代」という目で見れば「昼」の方が長くなっていくのです。

「日月神示」に言われる「ミロクの世」とは、こうした長い「昼」の時代、即ち「日の沈まない世界」を意味するように思えます。
私が日月神示を頻繁に引用するのは、現在起きている霊的変化と世の現象と神示の内容に全く矛盾も齟齬もないように感じるからです。
例えば神示では、「日本を盗るために世界中が攻め寄せてくる」と語られています。

少なくともここ30年、日本を切り売りしてきた反日勢力やグローバリストは特定の国が行って来たものではなく、食指を伸ばしてきたアメリカ、イギリスや欧州、朝鮮半島、中国やロシアなどの国々は主義主張を問わないわけです。
ただ、その中で世界の覇権を握ってきたアメリカという超大国は、今まさに文明の中心的役割を終えようとしています。
私はこれも神々のシナリオの一部としか思えず、やはり最終的に「日本のお土は上がる、外国のお土は下がる」という予言を間に受けてもいいのではないか、とすら感じます。

私たち日本人はここ30年、理不尽な目にばかり合って来ました。
いくら努力しても工夫しても、国のてっぺんから頭を押さえつけられてきた国民は、「伸ばせば刈り取られ れる」という憂き目に遭い続け、今では手も足も出ないほど疲弊しきってしまいました。
常にモヤモヤは感じているのだけれど、それを言い当てる事実や情報は遮断され、思考力も言葉も奪われて久しいからこそ、右へ左へ進んでも壁にぶち当たるだけです。

人々はその暗がりの中で、未だに苦しみもがき続けています。
古い時代の栄華に憧れ、昔のような楽しさを求めたところで、かつての青春は戻ってきません。
けれどそれを認めたがらず、未来が見えないまま過去に希望を求め、古いやり方に固執しては同じことばかりやり続けます。
まるで、それしか知らない、それ以外思いつかないように。

しかし、もう時代が違うので、そのやり方では先細っていくだけです。
いつまでも味のしないガムを噛んでいるようなもので、既に美味しさは抜けてしまったことにいい加減気づくべきです。

「上の世代がおいしい部分を全部噛んでしまった」と嘆きたくなる気持ちもわかりますが、別のところに永遠に美味しく噛み続けられるガムが置いてあるのですから、それに手を伸ばせば良いのではないでしょうか。
まだ口の中にあるガムは、発がん性の「チクロ」入りだったのですから、もう口に入れておくべきではありません。
そして本当に味わいのある、いくら噛んでも味の抜けないガムは、手を伸ばせばそこにあります。

ただ、そのためには今夢中で噛んでいるガムを吐き出す必要があり、その依存心を断ち切るのは難しいかもしれません。
新しいガムも、一体どんな味がするかは口に入れてみないとわかりません。
それでも果敢に挑戦する人から先に、美味しさに気づいていくはずです。

「目に見えるモノ」で満たされた世界は、「目に見える」喜びばかりの世界でした。
ただし「目に見えないモノ」も身近にある世界が来たら、目に見えるものと目に見えないものの両面があるからこそ、正しく世界を味わうことができることに気づくはずです。
その時代はすでに到来し、私たちがどんどんその世界に足を踏み入れていることは、あまり知られていません。


*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「AIバブル」のカラクリ

楽太郎です。


常日頃、Broombergを新聞端の4コマ漫画並みに面白く読んでる私ですが、本日付の本誌も大変勉強になりました。

アルファベット時価総額3兆ドル突破 - Broomberg

まず、司法当局に「Google Chrome」は独占禁止法違反とされ、それでも事業売却が「不要」となったから株価爆上げ、というのはどうも胡散臭い話です。
Chromeの買収にはAI検索サービスを手掛け、これまた生データ引っこ抜き疑惑があり、日本の新聞社と係争中のPerplexityが手を挙げていましたが、新興企業を次々と潰してシェアを確保してきたGoogleですから、色々と事情があったんだろうなと思います。

また、「Gemini」の需要が伸びたとされますが、Chrome始め、サービスにGeminiを抱き合わせで実装すれば、関連サービスの伸びをAI事業の伸びに転嫁しても理屈としては通ります。
また、もし本当にNVIDIAとの架空取引が行われているとしたら、Geminiを含むクラウドサービスも取引先がクラウドサービスの「購入」という形にして、利益に計上している可能性もあります。

NVIDIAとの架空取引説においては、NVIDIAは工場を持たず、外部企業に製造を委託するファブレス企業なので、取引には現物の納品が伴いません。
ゆえに、実際の流通がなくても、帳簿上では「取引」があったことにできる仕組みです。
このAI事業の増収に関しては、どうも「いつも通り」の仕組みを使ったのだろうという印象です。

「いつも通り」と言えば、他の記事で「マスクCEOがテスラの自社株買いをしてテスラ株7.5%上昇」というのも非常に胡散臭い記事です。

テスラは万年赤字企業で、国絡みの補助金がなければ企業維持さえできない仕組みであり、テスラが何かと話題の絶えないマスク氏をCEOに引き留めておきたいのは、各国の公金を引っ張ってこれるマスク氏の人脈に頼らなければ、企業が存続できないからです。
そこで杜撰な生産管理で不評の絶えないテスラの株安傾向を誤魔化すために、マスク氏が個人で10億ドルの「自社株」を購入したことで、「CEOが株を大量購入するくらいなら、株はこの先上がるという自信に違いない」と、連動して株価が上がったそうです。

これは、投資家には申し訳ないのですが、論理が破綻しているように感じます。
そもそも、CEOの自社株買いがなぜ「インサイダー」にならないのかの根拠も曖昧で、どうも株式市場はインサイダーそのものを公然の事実として容認している気配があります。
仮に株価が低迷しているから「テコ入れ」のためにCEOが自社株買いをしていると考えたら、どうでしょうか。
株価は下がったら誰かが買えば値上るのは当然で、マスク氏が1000億円の株を購入すれば、その分時価総額が上がるのも当たり前です。

Broombergだけではないですが、マスコミの出す記事は「前提から結論までが飛躍する」傾向があり、何となくニュースを見ている人をミスリードする論法をよく取ります。
大衆なんてその程度だ、と思われているのかもしれませんが、最近のニュースはそもそも「前提」自体がおかしく、結論もロジックもおかしかったりするので、全文通して支離滅裂だと感じることも多いです。

あ、Broombergでも日本のニュースを確認できますが、私は日本関連の情報は話半分で読みます。
日本の元栓を握っているエリート層の元締めはアメリカの超富裕層なので、大本を辿ればアメリカが変わらなければ日本は変われないと私は思っています。
まあ、勇気ある人がうっかり我が国の保有量世界一の米国債を売り浴びせて、日本おろか世界を救う救世主になってくれないかな、と思っていたりしますが。

さて、今回のテーマはその米国株景気を支える「AIバブル」についてです。

先ほどの「米国債を売れば日本は世界を救える」という主張は、エコノミスト・文明評論家の「増田悦佐」さんの論説の受け売りです。
私は同氏の経済学的知見を底本にしており、データに関しても大部分は増田さんからの出典を参考にしています。
9月1日付で新著「余命半年の米国経済(ビジネス社刊)」が発売されているので、私も後日購入しようと思います。

増田さんは「余命半年」と仰られていますが、私は半年どころかあと1.2ヶ月で株式大暴落があると踏んでおり、どの時点で「死亡宣告」されるかによると思います。
ただ、今回のバブルはこれまでと違い、発生から仕組みに至るまで全て人工的なバブルだと考えているので、「バブル崩壊」も既に織り込み済みのはずです。
ゆえに一度崩壊が起きたら、一度や二度の一時的な回復は見せるかもしれませんが、そのまま一気に崩壊しきると思います。

増田さんがよく仰るのは、「1946年のロビイスト規制法とは、政・官・学・財・民による贈収賄の合法化である」という説です。
政治家に賄賂を贈るだけで、曲がりなりにも自由競争の経済で企業戦略がそこまで上手くいくのか、という気持ちもありますが、実際にMicrosoftやGoogleなどのビッグテックだけが反トラスト法をすり抜けるのを見ると、どうしても嘘とは思えません。

カリフォルニア州で世界に先駆けて成立した「AI関連規制法」もビッグテックのお膝元の地域で成立した法案であり、これも胡散臭い気がします。
すでに「Gemini」や「ChatGPT」の先行者利益にありついたビッグテックは、あとは自社サービスに不利でない形で自社に合うコンプライアンスを整えれば良いはずで、後陣の新規AI開発企業が規制法に引っかかってシェアを奪い取れないようにする下地は完璧に出来上がったわけです。

アメリカという国が、なぜここまで露骨に10社ほどの大手企業に肩入れするかと言えば、これらの企業が政治家に渡す賄賂の金額が飛び抜けているからでしょう。
また、実はアメリカの実態経済は相当悲惨な状況にあり、ロビイング資金の豊富な業界以外の産業全体が、ここ数十年沈み続けています。
つまり政治家に贔屓にしてもらえるような業界は、ハイテクや製薬、金融や軍事など特定の数分野だけに限られるため、そこだけ資金が循環し、他の業界はこぞって冷遇され続けるのです。

そして、その実態経済の悲惨さを誤魔化すために、労働統計局のデータの集計法を恣意的に変えてわざと不精密にしたり、公表間隔を開けるなどの措置が行われようとしています。
だからアメリカの公式発表は中国並にアテにならないと私は思っているのですが、盛った分を差し引いても決して良い状況ではないのが見て取れます。

経済学の初学者でも、教科書通りにアメリカから「資本逃避」が起き、それも最終局面であるのはわかります。
冷静に見れば、現在国債がどんどん値下がりし、比例して金利が大幅上昇し、本来なら通貨スワップにより恩恵をもたらすはずのドル高が崩壊し、他国の通貨よりも安くなっています。

これまで国債を買って利回りで収入を得ようとする投資家は、逆に国債を持っていれば持っているほど含み損が増えていきます。
だからどれだけ米国政府が金策に困って債権を増発しても、投資家からするとそんなリスクは取りたくないから国債安がどんどん進みます。
ただ、それでは外国からの投資に経常収支を依存しているアメリカはやっていけません。

債権、通貨がダメなら、あとは株式に頼るだけです。
けれど、ガリバー企業以外の産業がほぼ全滅したアメリカ市場で、呼び水となる成長産業もやはりガリバー企業以外ない、ということになります。

しかし、すでに世界でシェアを取れるだけ取ってしまい、技術的にも営業的にも頭打ちになりつつあるマグニフィセント7にとって、何とか世界中から投資を呼び込む「口上」が必要になってきます。
それが、2022年に一度NVIDIAを始めビッグテックが軒並み株価を下げた「第一次AIバブル崩壊」の折、まだ技術的に未熟で権利的にも安全性にも検討の余地のある「生成AI」を早々にリリースする必要性に駆られたのではないでしょうか。
それが2023年、OpenAIの「ChatGPT」リリースを皮切りとした現在のハイテクバブル(第二次AIバブル)です。

正直、生成AIも権利問題を全て払拭し、安全性やコンプライアンスに基づき、地味なところから信頼を得ていけば、着実に成功したサービスかもしれません。
しかし、全世界のネットからとりあえず一頻りデータを回収し、著作権が明らかに定まっているデータも取り込み、「フェアユース」という強弁と共に、無理にサービスへの実装を推し進めました。

「需要」よりも先に未熟な形での「供給」が来たからこそ、宣伝は派手でも実際の経済効果が全く伴わない、という歪な状況を作り出しています。
しかし、アメリカの超富裕層で構成されるグローバリストが「白」と言えば「白」となる世の中、アプリとして課題しかない生成AIも政治に組み込まれると、採算の合いそうにない再生可能エネルギーやEVのように「国策」として強権的に推進されることになったのです。

そういった「金」の集まりそうな所には、補助金目当てに群がってくる人たちもいます。
「国策」としてべらぼうな公金が各所にばら撒かれると、その公金で潤った業者は事業を推進する政治家にキックバックを施すでしょう。
つまり、利権にとっては技術の完成度、需要など関係なく、金が集まればそれだけで目的を果たせてしまうのです。

特にアメリカは中間層の存在しない国となって久しく、国を動かすのは政治に献金が可能な層だけです。
貧困層も取り込んで当選したトランプ大統領も、今では貧困層切り捨て、富裕層優遇政策に舵を切っています。
もはや「金持ち」以外の国民の声は耳に届かない政治の世界だからこそ、何でもアリの状況になっています。

現在のS&P500の好調にも、実はカラクリがあります。
冒頭に上げた企業経営者の「インサイダー」や自社株買いによる「株価操作」、また商法として「循環取引」が違法ではないなど、ルールとして不健全な環境であるのは言うまでもありません。
S&P500採用銘柄の資産の内訳が不透明すぎるのも問題で、「無形資産」とされるものには「CEOが会社を離脱して新会社を設立した際に予想できる企業価値」も含まれており、そこまで言ったら何でも付加価値にできてしまいます。

そこで判定した企業価値が時価総額に加算され、インデックス投資で業績に関係なく資金が流入し、自社株買いで価格も吊り上げ、FRBからマネーサプライ供給を受け、その上に独禁法も知財法も循環取引も見逃されるのですから、どうやっても株価が上がるのは当たり前なのです。

ただ、Broombergのような提灯記事ばかりのニュースを読んでも、「ふーん」くらいに思うレベルの読解力なら、純粋に「アメリカの景気は良さそう」と錯覚してもおかしくありません。
むしろ、無垢な大衆にそう錯覚させて投資を呼び込むことで、アメリカは財政赤字を埋め合わせようと必死なのです。

これまでの歴史上、技術革新というのは蒸気機関車や自動車、電話やテレビ、携帯電話からスマホまで、新製品がプラットフォームとなり、派生的に需要が創出され、経済的な互恵関係を発展させながら普及するものでした。
しかし、鳴物入りで登場した「生成AI」に関してはどうでしょうか。
導入した企業が軒並み実装を取りやめ、使えば使うほど企業リスクを高めることが周知されつつあります。

GoogleのGeminiに至っては、中学生がスマホで同級生のディープフェイクを作るのに最適なアプリで、あらゆる生成AIも著作権作品を取り込んで同等の作品が出力されてしまっても「AIが出力したものだから著作権侵害にはならない」というロジックが成立してしまいます。

こんなデタラメは、少なくとも15年前の世界では通用しなかったでしょう。
しかし今では、いくら声を上げてもこの強弁が正当化される世の中になってしまいました。

それは世界覇権国であるアメリカが、自国の散漫な運営の末に国家存続すら危うい状況にあるからであり、一方的な報復関税も、外国から無理矢理引っ張ってきた融資案も、どう見ても戦争犯罪であるイスラエルのパレスチナ侵攻への全面支援も、全てアメリカという国が身の振り構わぬ、余裕を欠いた状態であることの証明ではないでしょうか。

だから、アメリカという没落寸前の帝国に、引導を渡すべき時が来ています。
しかし、そこまで強く出られる国があるとは思えず、やはりアメリカは散々世界中を引っ掻き回した挙句、勝手に沈むことになるでしょう。
その時、中国共産党とアメリカ政府が懇ろの関係であり、そもそも「新冷戦」は茶番だったと明らかになるはずです。

中国共産党の資産は、実はアメリカが握っています。
中国経済はすでに破綻寸前でありながら、アメリカに貿易面で有利な状況を作ってもらっているために破綻を免れています。
中国とアメリカが世間で言うように対立していると思う方は、1972年にニクソン大統領が訪中してからの両国の歩みを冷静に見れば、納得するはずです。
そしてアメリカの経済崩壊は、自ずと中国経済を道連れにするはずです。

ついでに、アメリカの寄生によって生きながらえてきたイギリスやカナダも、ある程度追随するのは確実だと思います。
ただでさえ長期不況と政治的混乱の渦中にあるEU諸国も、多大な影響を受けることは間違いありません。
ロシアに関しては、おそらく既に「アメリカなき世界」の覇権を虎視眈々と狙っているのではないでしょうか。
しかし、ロシアも現在の戦争で疲弊し切っており、すぐに動ける状態になるとは思えません。

そこで我が国の話が出てきますが、こればっかりは予想がつきません。
なぜなら、日本の政治を牛耳ってきた製造主体の企業団体がどの程度の影響を受けるか、アメリカの息のかかった政治家や官僚が、どの程度ダメージを受けるかによると思うからです。
また、アメリカがどれだけ本気で、日本を「道連れ」にしようとしてくるのかもわかりません。

私は前述の増田さんの受け売りが多いのですが、やはり「米国債の売り崩し」か「円キャリー巻き戻し」を現象として起こすことで、日本がかの世界帝国に引導を渡すことができると思います。

日本に不動産バブルを仕掛け、バブル後の30年に円安を押しつけることで日本を叩き売らせ、今の貧しい状況を作り出した米国。
80年前、降伏することがわかっていた日本に新兵器の「原爆」を落とし、その威力を実証する代わりに15万もの尊い人命を奪った米国。
果ては、幕末の混乱期を利用して南北戦争払い下げの兵器を売りつけ、その後軍事大国として育て上げた米国。

私は、そろそろこの腐った因縁を断ち切ってもいいのではないか、と思います。

増田さんの本から教わったのですが、文明史において世界の覇権を握る国は、前時代に植民地だった国となる法則があるそうです。
アメリカが覇権国である以前はイギリス、イギリスはフランスの属領であり、フランスの前身フランク王国はかつてローマの一部でした。

もし日本が世界覇権を握るとしたら、アメリカのように強権的な支配を行うでしょうか。
私はそうは思いません。世界の諸国と平等に付き合う、奉仕的な枢軸を形成していくと思います。
「大和」の精神を持つ我が国が、いつまでも外国の真似をしているだけで終わるはずがないのです。

*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「大峠」はなぜ起こるか

楽太郎です。

本ブログ「招神万来」をサイトに移設したタイミングで、読み返して9ヶ月間の文章の変化を見ています。

このブログを始めた当初は、まだスピリチュアル界隈に来て1ヶ月経っておらず、しかも殆ど先達のスピリチュアリストからの受け売りのまま、見切り発車で始めています。
ただ当初から「神様と約束をして始めた」という動機は一貫しています。
ブログを始めた経緯も今思えばはっきりしていないのですが、何となく「新しい世界の役に立つことをして欲しい」というメッセージを受けていたような気がします。

そのインスピレーションを間に受けて、見様見真似で始めたスピリチュアリスト仕草が、まさか9ヶ月も続くとは思いませんでした。
今読み返してみると、文章の密度も視点もまるで違います。
年末年始にかけては、生霊と邪気とアセンション反応で完全にメンタルがやられていて、やけにセンチメンタルな記事が多く、特に恥ずかしい時期です。

その頃の記事は「誰が読むんだ」みたいなポエミーな文章が続くのですが、やはり転機は瀬織津姫様を自宅でお祀りするために、日帰りで岩手の早池峰に弾丸旅行をした3月初旬あたりでしょうか。
その頃から学問的な傾向の記事が増え、抽象度の高い文章が頻発し、しかもますます長文になっていきました。

この辺りで「吹っ切れた」感じがあり、憑依や霊障と自己浄化に邁進しながら、オカルト的傾向はより加速し、夏至あたりからは完全に「Wokeism(目覚めた人)」のような怪しい文章になっていきます。
このブログでは、何を書いても「バズらない自信」があるので、今では完全に好き放題書いています。

バズらない仕組みも知った上でやっているからですが、この長文と内容の怪しさで、初見でお察しして頂けるだろうという算段があるからです。
この敷居の高さが「邪気祓い」になって魔を寄せつけないと思うので、私は相変わらず突き抜けたことばかり言っていこうと思います。

自分で読み返してみても、ダラダラ長い文章が続いて「もういいよ!w」となるものがとても多いのですが、書いているうちは夢中で、書き切った後はどうでも良くなって、書いたことすら忘れるのも不思議なものです。

思い起こせば、ブログの初期あたりには「神代(神世)と人世」の二項対立的世界観と、「神世に行かなければ滅びる」くらいの強迫観念が記事から感じ取れます。
私は今年の春分点までは、本当に「大難シナリオ」になる可能性が高かったと思います。
しかし、人々の意識覚醒、霊的意思決定が春分点のシナリオを「小難ルート」に変更したと見ており、春分以前の記事がやたら暗いのはそのためだと思います。

神様たちは、人間が改まることを確信できるまでは、大地を揺らし社会を揺らし、混沌とした状況を作り出すことで「アタリ」が出るまでシャッフルするつもりだったのではないでしょうか。
その「アタリ」とは気づきや社会変革の萌芽であり、春分点、それに続く5月の満月までにそれを見届けられたのだと思います。

だからこそ、夏に豪雨被害はあったものの、最近は地震や災害の発生数がめっきり減り、7月にあると言われていた例の問題もニアミスで済んだのではないでしょうか。
今も目で見る社会からは邪気が薄れ、空気が軽くなっているのを感じながら、多くの人々が無意識に「変革の道」を選択し、これから歩み始めようとしているのだと思います。

「これから」というのは、実はまだ「大峠」は始まったばかりで、気づく気づかない以前に、まだ大峠の前に差し掛かっていない人々の方が多いと私は見ているからです。

私がブログの当初から「神世に行かなければならない」と焦っていたのは、そのタイムラインで「神世に行かなければ死ぬ確率が高かった」という理由だけではありません。
「神世」というのは、新しい世界の気場(エネルギーフィールド)に築かれた集合意識、つまり新しい文明のプラットフォームです。
そのプラットフォームは天の神々の直下にあるため、地球意識や共同観念、平和的感性など新時代に合った霊性が必然的に求められます。

ゆえに、「我よし」や必要以上に競争意識や排他精神の強い魂は、その気場に入ることが許されなかったのです。
その気場が開放されたのが6月の夏至であり、今思えば、その時点でアーリーアダプターになるには特殊な訓練、霊的修行が必要だったからだと思います。

アーリーアダプターであることは、ある意味「新大陸の開拓団」の一員でもあるため、そこには厳しい適性が求められていたのかもしれません。
だから私はビジネスも人脈も全て捨てて、体当たりで必死に挑まなければならなかったのです。

けれど、今は幸いにも未来が多少は見える位置にいます。

私はおそらく人より先に「大峠」に向かい、すでに峠は佳境を迎えつつあるように感じています。
「大峠」に至るのが人より早かった理由は、自分で勝手に「大峠」を迎える準備を始めてしまったからだろうと思います。

私は2021年には既に業界から半分ドロップアウトしていましたし、2023年からは逆張りし始めて挑戦的なことしかしなくなっていました。
2024年にはアレよあれよとスピリチュアル仕草をしながら、今年始めには業界から完全に足を洗うよう神様から促され、今では全く別のことをしています。

私はこの4年、自分でわざと断捨離をするための行動しか取っていないのではないかと思うほど、古いやり方や身の回りのものをパージし、その代わり精神的なもの、スピリチュアルなものを取り入れて今日に至ります。

そして、その道筋こそ「浄化=身魂(みたま)磨き」の歴史であり、その祓い清めを継続することで、自分を改め能力や知見を広げてきました。
ゆえに、私が「大峠」と呼ぶものは、決して大災害や社会的混乱のみを意味しません

本当の意味での「大峠」とは、人々が古い価値観や考えや習慣を見直し、自分に必要なものを選りすぐり、取捨選択の葛藤を乗り越えながら、あるべき自分の姿、生き方を取り戻していくためのプロセスであると考えています。

神示で「大峠」とペアで語られる「富士(ニニ)」とは「不ニ」であり、真の自分自身に至ることで唯一無二の自分を呼び覚ますことである、そう読み解けます。
これまで、外側の「◯」を取り繕うために、形式やルッキズム、社会的ステータスなどの外部的条件に自分を合わせなければなりませんでした。
自分の内面「・(キ、◯の中に本来収まるもの)」よりも外側のカタチを重視し、誰もが本質より外側に価値を感じるからこそ、世の流れも余計にそうなっていきます。

本来なら、人間ならず全ての物事は、外側も中身もしっかり備わった「◉(◯の中に・が入っている)」なのです。
しかし、この中身の部分は限りなく軽視され、外側だけを求める風潮が強かったからこそ、世はどんどん形骸化し、権威主義と利権の跋扈する時代となってしまいました。

人も社会に合わせて必要な努力を優先し、消費活動に傾倒した文化に馴染むことで、内面性がどんどん削られ、「自分らしく生きる」ことが難しくなっています。
そして、これらが原因となり、混沌と衰退をもたらす世を改めるために「大峠」が起こるのです。

このまま古い形式の世を続けても、異常な権力が頭を押さえつける世界は、袋小路の末に破綻する未来が目に見えています。
それでは続かないことが誰にもわかるからこそ、「何とかしなければならない」という思いが湧いてきます。

新しい世に繋がる道は、「大岩」が塞いでいるので簡単に通れません。
道を塞ぐ「大岩」は、その人の行く道や場所によって大きさも種類も異なります。
私には私の「大岩」があり、人には人の「大岩」、生活の場での「大岩」があり、業界の大岩、社会の、国家の、世界の、それぞれの「大岩」が道を塞いでいます。

即ち、これら大岩で道が塞がれている場所こそ、暗がりの道としての「岩戸」であり、大岩を取り除いて岩戸を開ける時、大峠は無事に乗り越えられるでしょう。
つまり、神示にある「岩戸閉じ」とは、神々の世界だけを閉ざしていたわけではなく、私たちの目の前の日常を閉ざすあらゆる道にあり、それを何らかの「障害」という形となって未来を塞いでいるのです。

だから、私たちが日々困難だと思う現象は、岩戸を塞ぐ「大岩」そのものです。
つまり、その大岩をこじ開け岩戸を開き、大峠を渡り切った先に誰もが弥栄える世、「ミロクの世」が来ると神示に語られているように思います。

それぞれに岩戸があり、それぞれの岩戸開きがあるのです。
その現象を社会的、世界的なスケールで見る時、現代の拝金主義・物質主義の大転換期として現れています。
だから、狭義と広義の岩戸開き・大峠があり、神示で預言的に記された時代的な単位は、この「広義の大峠」を意味するのだと思います。

これらは多難な道のりであり、この難局を乗り越えるには相当な覚悟や忍耐が必要となるでしょう。
だからこそ、春分点で人々は「大峠を乗り越える気があるのか、ないのか」を神々から問われ、その選択が直ちに「覚醒・非覚醒」のルートへ繋がったのではないでしょうか。

唯一無二への道、「富士」の道は自ずと「神の道」そのものを指し示しています。
つまり、神の道に辿り着いた人々は、もれなく「神人」に至る道に入っているのです。
それが神々の選択に従った人々なら、「獣」となった人たちが行けるのは獣道しかなく、つまり神と同じ道に入ることは叶いません。

大峠を拒んだ人たちは「獣」として、大峠を行く旅人を襲いもするし、妨害もするはずです。
彼らが岩戸が開かれた後の世を見ることはできるにしても、再び日の目を見ることはないかもしれません。
それは過酷すぎる運命に思えますが、彼らの「回答」が結果になっただけに過ぎないため、その選択も尊重するべきなのです。

これらの過酷な宿命が、これから殆どの人々に訪れるはずです。
人々はよくわからないまま、未だ登り口あたりでごった返してて、ようやくチラホラ登り始めた人がいるくらいです。

この大きなスケールで捉えた「大峠」が、神示にはどう記されているかの解説は、別の機会にしたいと思います。
ただ言えるのは、大峠とは一度や二度の災難に現れるようなものではなく、もっと個別的、象徴的な現象として断続的に訪れるということです。

そんな中で、神世のアーリーアダプターとなった人々は、もうすぐ「大峠」を渡り終えるタイミングにあるように思います。

大峠を踏破した者は、その山稜がどういう地形かわかります。
起伏の地点も、登りきる方法も、その道の先も、渡り終えているから人に教え導くことができ、暗闇を照らす灯りとなることもできます。

私は、少なくともその任を与えられているように感じます。
私がこのブログを書いているのは職業人としてではなく、人類の一人としてのミッションを感じているからです。

人々が、次の時代にはより良く生き、そんな社会を作れるように。

私だけでなく、そう言った人は今もどこかに何人、何十人もいるはずです。
そういう人々が、この先の未来に果たす役割は大きいと私は感じています。



*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


神様からの「クイズ」

楽太郎です。

昨日、街へ行きiPhoneの修理を済ませて来ました。

久しぶりに街へ行きましたが、また大型店舗が姿を消していました。
街の不況感は加速していますが、人々からそれほど悲壮感を感じないのは不思議でした。
むしろ若者の姿が目につき、彼らのエネルギーを強く感じました。

最近の若い親たちは、特に子煩悩だと思います。
目線を子供に合わせる大人が周りにいて、今の子供たちはある意味恵まれていると思いました。
世は混沌として大人さえ不安ですが、子供たちに不安を抱かせまいと頑張る親たちには頭が下がります。

けれど率直なところ、人々が変化を起こそうとしている気配は感じませんでした。
今あるもの、来たる現実を上手く乗り切るために、多少不恰好でも工夫を凝らしているように見えます。

私はその光景を見て、何となくギャップを感じました。
私は人々が困っているだろう、何とかしなければと思っていると感じていたのですが、街行く人々からは「今」という感覚だけがあり、今ある状況の中でできる限り楽しく生きようとしているように見えました。

人々がこのままで良いとは思っていないにせよ、自分の力、あるいは自分たち国民の力ではどうにもならないことは薄っすらわかっていて、かと言って落ち込んだ気持ちで生きるべきではなく、だから与えられた現実の世で楽しく生きようとしているのだと私は思いました。

街を見回してみて、これまでの私の考えが頭でっかちで、妄想じみた感覚で一方的に世の中を捉えていたわけではなく、やはりどう考えても立ち行かなる未来しか見えませんでした。
どの道、役に立ちそうにないAIや、奴隷労働に近い条件で雇用している東南アジアの人々に経済を支えてもらおうという考えは、早晩潰えると思います。
日本は、このままの規模の経済を保つことは難しいでしょう。

だからこそ、人々の健気なポジティブさをどう感じ取ればいいのか、私はしばし戸惑いました。

けれど、私は常日頃から人々が幸せに生きることを願っていますし、とは言えその生き方を続けるべきでもないと思います。
確かに、「美醜」や「善悪」に基づいて人々の生き方や価値観をジャッジしたくなる気持ちはありますが、それにしても「そのままではいけないだろう」という感情も無きにしも非ず。

ならば、人間はこの先どうすればいいと思う?

その問いと向き合うことが今日、私が街に行く用事ができた理由なのだなと思いました。

この国のあり方が例え正しくなかったとしても、私が自分の善悪で世を変えようと思った時、その正しさを人々に強要することは、日本を貧しくさせた一部のエリート階級や海外のテクノクラートが行ってきたことをトレースするだけではないか、そう私は自問自答しました。

私だけが「善」ということは決してなく、様々なやり方で幸せを感じる生き方があってもいいですし、とやかく言いたがる私の融通の効かなさも問題です。

何だかんだ言って、あれ程しょうもない自分を叩き上げて、一応立派に育ててくれた社会には感謝しているのです。
色々な人がいて様々な正解が用意された世界で、それぞれの学びや幸福があればいいのであり、それが世の本質なのではないかと私は思います。

ふと帰りの電車の中で、私は神様から「クイズ」の念押しがなされていることに気づきました。

ホームから電車から、常にスマホを片手に、あの板切れをしっかり握る人々の集中力の高さには違和感を覚えました。
スマホに変わる前はケータイで、ケータイの前は本か新聞だった電車内の風景も、なぜ疑問を持たなかったのかと言えば、私も普通に同じことをしていたからです。
けれどスマホに楽しさを感じなくなって初めて、この違和感に気づきました。

そこに醜悪さを見た時、神様から「お前はどう思うのか?」と問われている気がしました。
お前がこの世界をどう捉え、それに違和感を感じるならば、その世界をどう変えたいのだ、と。

私は確かに、人々がスマホに向かいすぎるのは、スマホには「何でもありすぎる」からであり、人との繋がりも娯楽もビジネスも、成功や人生の計画すらあの板切れ一つにぶち込まれていたら、確かにそれしかなくなると思いました。
つまり、「何でも詰め込まれすぎている」この板切れがあるからこそ、人々がデジタル越しに見る世界に心を奪われるのです。
これをどう見るべきか、私は修理したばかりのiPhoneを思い出していました。

けれど冷静に考えて、今の状態が未来永劫ずっと続くわけはありません。
かつての新聞や本がケータイに、ケータイがスマホになっただけで、また次の時代には違う何かに変わるだけです。
スマホは実際に悪意ある商品だとは思いますが、かと言ってスマホ自体が悪なのではなく、人々は今ある状況の中で最善の方法を選んでいるにすぎません。

問題があるとしたら、学校へ行き会社へ行き、郊外の家に帰る電車の決まった時間が「退屈」で、ストレスが溜まることそのものであり、その習慣の画一性にこそあるのではないでしょうか。
そして、その暇つぶしが「スマホしかない」という今の状況にあるのだと思います。
或いは、商店や書店や映画館や劇場が廃れ、あらゆる産業がデジタル化した時代において、消費文化がスマホに一極集中していることにもあるでしょう。

要は、世の中にもっと多様性があれば、夕方に帰宅ラッシュは起こりませんし、隣の見知らぬ人と世間話をしても、ガムを噛んでもビートを刻んでも、好きにやったらいいのです。
けれど、「それをやったらおかしい」という同調圧力で、結局は一番大人しい、誰もがやっている行動に落ちつきます。
何でも没個性的に、「一つに纏まろうとする」傾向だけが問題なのであって、多様性に対する許容が人々になさすぎることが原因なのではないかと思いました。

特に左巻きの人々や、グローバリストは人の行動に色々な角度で難癖をつけたがります。
彼らは口では「多様性」とか「公平」とか言っていますが、多様性の権化たるオタクを叩きたがるのも、オタクが「叩きやすい対象」だからです。
この世界を綺麗事で塗り固めたい人々からすれば、「選択可能」な社会とは「自分たちが選択した選択肢の中の選択」を人々にさせることによって、世をわかりやすくしたい訳です。

そこに人々の自主性や個性に対する尊重や、人間が無条件に幸せになって良い、という発想がありません。
けれども、そう言った彼らの画一的思考も許容してこそ、真の「多様性」はあります。
本当の問題は、彼らの価値観があまりにも強権的になりすぎて、その影響力の発露を誰も止めることができず、抑圧される人々がいるということです。

だから、やはりテーマは「画一性と多様性のバランス」であり、今の世は真の多様性とは程遠い世の中になっています。
その画一性はルールやマナーといった規則的なものだけでなく、「皆と一緒なら安心する」とか「自分が変に思われたら嫌だ」という内面的な作用まで、外側に合わせる働きが強いために起こることです。

だから、この社会の問題と向き合うには、この「一極に向かう力」をまず認識するべきであって、この世の人々のしがらみも歪みも、この収束力に対する抵抗から生まれているのではないでしょうか。
とすれば、「善」というおおよそ一つになりにくそうな価値観ではなく、「悪」と人々が感じうるもの
にこそ多様性を見いだすべきであって、いちいち「あれが悪い、これが悪い」とジャッジする心が多様性を阻害しているとも言えます。

そう考えると、私がこの日街に出て考えたこと、自分が「この世界を変えたい」と思う時、私自身が「あれが悪い、これが悪い」と評価することは、結局グローバリストが人々にして来たことを繰り返すだけになりかねません。
神示にある「悪を抱き参らせる」とは、自らを「善」として相手を見下げた状態ではならず、最初に「悪」を無条件に許した状態から始まる必要があります。

しかし、おそらくその境地で物事を考えた人間は、歴史上どれほどいたのでしょうか。
直感的に不可能とさえ思える感情の両立を、どう乗り越えていけばそう考えられるのか、今の私には想像ができません。

「悪い」と思うから、不快に感じそのままではいけないと思うからこそ、世にある問題を解決しようとします。
不快に感じるにも理由があり、いくら度を超えた残虐さでも、それを許すところから始めなければならないのは想像以上に難しいことです。

けれど、その不快をことごとく排除しようとした結果、争いが耐えなかったり、人々が似通った行動ばかり取らざるを得ず、かと言ってその画一性を批判するのも悪になります。
ただ、この葛藤は「何が良くて何が悪いのか」から始まっており、つまり善悪を決定しようという意識がもたらしているものです。

確か、ギリシャ哲学には「エポケー(判断停止)」という概念があります。

私たちは自分の制御が効かない、あらゆる事象に「良し悪し」とジャッジをつけ、何とか干渉してコントロールできないものか考えます。
けれど、そんなのは当事者からすると「余計なお世話」で、むしろ放っておいてくれた方がお互い上手くやれたりもします。

あれこれと物を考えすぎ、人の足元を見すぎるからこそ、全く無関係の自由にやっている人の行動が気になるのです。
むしろ良し悪しを「エポケー」することで、善悪という思考のしがらみから抜け出すことができ、その方が無闇にストレスを感じず、自分のためにも世のためにもなるのかもしれません。

だから、神様からのクイズの答えは「自由にすればいい」です。
それでも不味ければ人々が自分たちで変えるでしょうし、人々に変える気がなければ神様が変えられるはずです。
私は、私のやるべきことだけをやって行けばいいだけですし、実際にそれ以上のことはできません。

これが私の答えです。
ファイナルアンサー。


*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


乱世を生き抜く。

楽太郎です。

ここ最近は「アメリカ経済崩壊」について論じていますが、私自身としては貧困と社会不安に喘ぐアメリカ国民の不幸を心待ちにしている訳ではありません。

ただ、アメリカ金融界を牛耳るエリート階級が、その選民意識を剥き出しにして推進した帝国主義、いわゆる「グローバリズム」が現在の混沌とした世界の元凶であると見ており、彼らの破綻が全人類のみならず、真の「アメリカ合衆国」のアメリカ人たちの福音となると私は考えています。
だから、右翼的な眼差しで「アメリカが沈めばいい」と思っている訳ではないことを付け加えておきます。

さて、本日のBroombergに興味深い記事が出ました。
トップにある「Appleのアナリスト評価による投資判断引き下げ」ではありません。

自動車版サブプライム破綻-Broomberg

「サブプライム」と聞いてピンと来ると思いますが、2007年に勃発したリーマン・ショック(世界金融危機)の引き金となった住宅のサブプライムローン破綻が思い浮かびます。
「サブプライム」とは、経済的に不安定で返済の信用度が低い人々に対する「引き剥がし」の意味が強いローンのことで、今回は自動車のサブプライムローンを展開するトライカラーが破産を申請しました。

この記事によると、貸し倒れの金額は2億ドル(約300億円)に達するそうで、この担保は融資先のJPモルガンとバークレイズが被ることになりそうです。
今はバンク・オブ・アメリカを始め大銀行ですら資金繰りに苦しい状況なので、このダメージは徐々にボディに効いてくるタイプだと思います。

この記事で「炭鉱のカナリア」と表現されているのは、この破綻のカバーをウォール街が平然と埋め合わせることが出来れば、それだけ金融業界に体力があると言うことです。
しかし、JPモルガンがそこでヨタつくようであれば、そのまま鉱山が吹き飛ぶことになりかねません。

以前記事に書いたように、金融業界の「人身御供」としてNVIDIAやマグニフィセント7が悪者になるシナリオが既に用意されていると踏んでいますが、先日のAppleのカンファレンスで新型機種がちょっと薄くなっただけで「言葉にできない驚き」と表現してAIに触れず、投資家に言葉にできない驚きを与えたのは記憶に新しいです。

株式市場や投資家からは「A Iに遅れを取っている」と批判されがちなAppleですが、NVIDIAとの架空取引計上にだけは手をつけていない(自社株買いによる株価操縦はしている)Appleだからこそ、生成AI分野が藪蛇であることは知っているのだと思います。

私は、生成AIバブルが弾けた後に生き残る可能性が最も高いのはAppleだと思っていて、派手にMicrosoftやAlphabetやMetaが吹き飛び、海外のハゲタカに事業が分割されて外国企業に譲渡されていくターンにおいて、Appleは「Mac」というブランドだけを死守して細々と生き延びていくと思います。
iPhoneに関しては、そもそもビッグテックがサードパーティのスマホの開発を阻害してきた枷が外れて、もっとユーザーフレンドリーな端末が出てくれば、代替される可能性が高いと思います。

おそらく世界経済崩壊後の時代は、一極集中型のサービスは経験上忌み嫌われ、分散型の低リスクな傾向ほど好まれるようになるはずです。
だいたい、アメリカという国が贈収賄に甘すぎる国だからこそ、政治も経済も腐敗が進んだのであり、その権化たる超富裕・エリート階級もガリバー化した企業を根城にしているのです。
だから、その元凶が明るみになれば、ここ30年かけて散々いじめられた世界中の市民が「何が悪かったのか」をようやく広く知らしめられる時が来るはずです。

私は最近、日本人が物価高と不況の中で何となく「やる気」を無くし、製品もサービスもこだわらなくなり、それでもしっかり対価は得ようとする姿勢にヤキモキしていました。
けれど、今は「やる気がない」のはむしろ喜ばしいことではないか、と考え始めました。

なぜなら、いずれやる気を出しても世の中はほとんど動いていないので、ガムシャラにやるほど空回りする可能性が高いです。
また、「やる気がない」ということは、どこかで「やることを探している」ことでもあり、仮にやりたいことがあっても今やれる状態でなければ、やはりそれができるタイミングを図る必要があります。

だから、むしろ「やる気がない」方が「やる気がある」と言い変えることができますし、これからアメリカの経済が崩壊し、それに引きずられ中国やヨーロッパ経済も沈んでいく中、不確実性が極限に達する世でルーティンの商売はいずれ見直すべきタイミングが訪れるでしょう。
また、その過程でドン詰まりが避けられない業界も幾つか出てくるはずです。
そのため、袋小路に入るであろう通常業務に命をすり減らすより、次の時代に生き延びることを考え始めた方が賢明と思われます。

ただし「金があれば安泰」と、今でも悪どいやり方で金儲けをすることに情熱を燃やしている人は、そのやる気が逆回転する可能性が高いと思います。
あと、利権に付随して不労所得を吸い続けているような人も、それは長続きしないでしょう。

経済の形が変われば、自ずと社会構造が変わり、政治も変わらざるを得ません。
得に、日本は政治など元々あってないようなもので、きちんと司法制度が機能していれば勝手に良い社会を作る賢い国民ばかりです。
だから、むしろ妙な既得権益が剥がされた方が、我が国は健全化していくのではないでしょうか。

そうして既存の仕組みが崩れ、何かしらのルールを新たに作り出さなければならない時はいずれ来ます。
その時、既にある産業基盤をどれだけ使えるのかは未知数で、「これは変わらないだろう」という予測は、下手に足元を掬われかねないと思います。

では、確実に「アテになるものがない」としたら、どう考えるべきでしょうか。

私は、これまでの人生経験や習得した技能、知識を総動員して、自らの才能と需要の均衡点を探ることがこれからの乱世を生き抜く秘訣だと思います。
つまり、身の回りに困っている人がいたり、世の需要を見極め、ニッチな要求に対するニッチな能力を発揮することで対価を得る、という考えが役に立つ気がします。

これまでの社会では、資本力のある企業や経営者が「これをやってくれたら金を払う」という契約を人として、労働者が対価として企業からお金を貰っていました。
しかし、企業からするとより利益を確保するには、労働者の取り分をできるだけ減らしながら、何とかもっと働いてもらう方が、企業努力や設備投資を行うより手っ取り早いのです。

そして、労働対価と収益分のその差額は企業利益に計上させたり、あるいは経営者の懐に入っていったのです。

私は、これが「働けど楽にならざる」日本人が経験した、「失われた30年」の縮図だと思います。
確かに日銀の頑固な政策によって財政は健全すぎるほど健全になりましたが、企業利益に労働分配率を持って行かれる状態のせいで若者が家庭を築けず、少子高齢化に拍車をかけたのは言うまでもありません。

長年搾取され続けた国民だからこそ、いい加減に「もうや〜めた」と言ってもいい頃合いなのです。
しかし、それでも生活費は高騰してますし、ローンもあれば働かない訳にはいきません。
だから、この際に収縮する企業や組織の言いなりになってガムシャラにやるより、ある程度はテキトーにやっても悪いことではないでしょう。

とにかく自分と家族を大事にして、自分のことに意識と時間を向け、もし今の仕事を辞めた上で、どう「才能」やスキルを使っていくか、そのことにリソースを使った方が有益です。
あるいは、暇を見つけて手に職をつける努力は特に有効だと思いますし、「一芸は身を助く」を地で行く時代になるのではないでしょうか。
だから、今店頭や会社でやる気のない人を見かけても、「怠けている」という目を向けず、生暖かい目で見てあげるべきかもしれません。

ただ、本当に怠けているだけなら何とも言えませんが、その事情は赤の他人には分かりようがありませんし、まず自分のことです。
社会に頼らず、周りに頼らず、世間での言説に頼らず、インフルエンサーに頼らず、自分の頭で考えて自分で行動すること以上に確実なことはないのではないでしょうか。

あと、もしそれでも不安なら、「神様」に手を合わせてみるべきだと思います。
きっと、良いひらめきを与えて下さるのではないでしょうか。

【追記】

なんと、ゲイツ財団の融資を受けている政府御用達のプロパガンダメディア、Broombergが例のエプスタインのメールを独自に入手したそうで、その内容の記事が公開されました。

Epstein’s Indox


何となくキナ臭い感じがしますが、文面によると「金融業者、政治家、有名人、ハイテク億万長者」の関係が明らかとなっているそうで、波乱の予感がするのは私だけでしょうか。

*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ


※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「天日月大神」解説

楽太郎です。

ここのところ、「神世」と「人世」のエネルギーの相剋状態が佳境に入っているように思います。
「神に仇なす者たち」の妨害が脇目も振らないような激しさとなっているように見えますし、同時に「変革と覚醒」のエネルギーがそれだけ押しているということだと思います。

おそらく、一般的な人々の間でも葛藤が起きており、ここでさらに「闇化」する人と古い時代に袂を分つ人が大きく引き離されていくと思います。
この「クライマックス感」は秋分点まで高まりつつ、10月からはまたガラっと空気が変わるはずです。
おそらく、世の中が大きく動くとしたら、その辺りからではないでしょうか。

さて、今回は例によって「日月神示解説」です。
「日月神示ファン」の方々なら最も気になるであろうトピック「大峠」に関しては次回以降にしたいと思います。
そこに至るまでには、「前提」の話をしなければいけないからです。

「日月神示解説」で取り上げている「荒れの巻」口語訳と解説において、その内容から「伊奘冉命が真の天照大御神であり、伊弉諾命が岩戸開きによって復活なされ、その跡を嗣ぎ(厳密には共同統治)、天日月大神となられる」と読み解きました。

「月と大海原(地球)」を治める素戔嗚命とは伊弉諾命(国常立尊)の「神力の働き」を示す神格であり、「天照大御神=天照皇大神」に対応する御神名であると考えています。

「荒れの巻」に登場する「那岐・那美の神」とは、神示において「伊弉諾命・伊奘冉命に先立って誕生した二柱神」と想定され、後に解説しますが「高神産日神・神産日神」に比定することが可能です。

なぜ「記紀」で男神として描かれる「高神産日神」が伊弉諾命ではなく伊奘冉命とするのかと言うと、記紀での「成婚」の段で、天沼矛を使い作り出したオノゴロ島に八尋殿を建て結婚しようとする折に、伊弉冉命が先に声を掛けたことで一度破談になっています。

上位である「高神産日神」がリードするのは理に叶っていますが、両者の立場通りにプロポーズしたらうまくいかなかったためで、これは「伊弉冉命」が伊弉諾命よりも立場が上であることの証左ではないでしょうか。

また、神示には「男が上で女が下」と男尊女卑を髣髴とする、議論を呼びそうな文言が登場します。
少なくとも神界のルールでは「男神」が先に立つ必要があるのでしょうが、その「順番(いろは)」が違えば物事はうまくいかないということだとしたら、やはり男神である「伊弉諾命」が順序に従いプロポーズをする側だと考えられます。

最初に「太陽と月」を二柱でお造りになられた時、既に「太陽」の支配権を得たのが伊弉冉命であるとするなら、高天原の最高神格である「天照皇大神(大御神)」の玉座も伊弉冉命のものである可能性が高いです。

そして、神界(高天原)を統べるのが伊弉冉命(天照皇大神)であるなら、「高神産日神」の御神名に相応しいのは伊弉冉命であり、また女神である以上は多くの神産みが可能なのも高神産日神である所以なのではないでしょうか。

「記紀」において瓊瓊杵尊が天孫降臨を行う件において、その指揮とサポートを行ったのが高神産日神であり、それゆえに天照大御神の次なる権威という印象も抱きます。
伊弉諾命が単神で三貴子をお産みになられても、神話上どの権威の座にも属していませんが、伊弉冉命は死後に「黄泉の国」の支配神となられているので、やはり伊弉冉命のご神格が本来「上位」であるとした方が自然です。

ゆえに、「荒れの巻」で語られる「那岐の神」を「神産日神」と比定し、「那美の神」を「高神産日神」と同定した上で話を進めます。
記紀ほか日本神話では高神産日神・神産日神を始め「造化三神」を性別のない単神をしますが、神話の語り口ではやはり高神産日神を「男神」とすることが多いので、ここでは視点からは外します。



「日月神示」の内容から抽出した「最高神の系図」です。
神示の中で複数回言及される「御三体の神々」には2パターンあると私は考えています。

原初の神であり、「宇宙そのもの」でもある天御中主神と、その次に成り出でた「高神産日神」と「神産日神」は、「天地開闢」というレイヤーで重要な役割を果たされた神々であり、神示に言うところの「元の神」であるため、こちらの神々が生き通しだからこそ現在の宇宙が存在しているのであり、確かに御三体の神々が御働きをやめてしまえば、宇宙は成り立ちません。

これらの宇宙創生に関わる神々を「天の御三体の神」と呼ぶならば、宇宙が出現した後に元の神々は役目を変えられて違う神格になり、異なる御働きをなされるはずです。
それが「成りなりて」という表現での「別の神格での生まれ変わり」を意味しますが、そもそも天地開闢から生き通しの神々様であらせられるので、「死による転生」とは捉えられないかもしれません。

先ほど天の御三体の神に比定した「那岐・那美の神」は、「国生み」の段にて「伊弉諾命・伊弉冉命」としての御神格に成りなられます。

神示にはもう一つの「御三体の神」として天照大御神の荒御魂とされる「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」と思われる「つきさかきむかつ姫」を加えた神々が言及されています。

神示の言い回しでは、「天照大御神」と「天照皇大神」、「天照皇大神宮の神」とはどうもご神格が違うようで、おそらく「真の天照大御神」は未だ岩戸に隠れられているとされているので、そのご神格を伊弉冉命とするならば、「撞賢木向津姫」は天照皇大神宮の神であると考えられます。

伊勢神宮始め数々の由緒書きや伝承本によれば、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」は「瀬織津姫命」とされており、神示の中でも「祓い清め」や「祓戸大神」は重要なタームとなっています。
中臣祓詞、通称「大祓詞」や「禊祓祝詞」「天津祝詞」において、祓戸大神は伊弉諾命が黄泉の国から帰還した際、潔斎をした際にお産まれになられています。

その時に天照大御神含む三貴子が同時にご誕生なされており、この故事が「天照大御神=瀬織津姫命説」の論拠となっています。

なぜ伊勢神道始め歴代の神道が伊弉冉命ではなく瀬織津姫命を「天照大御神」としてお祀りしているのか、私はきちんとした根拠があると思っているのですが、それとは別に「撞賢木向津姫命」が御三体の神に含まれているのはなぜでしょうか。

神示の文脈でいうと、日(太陽)の神としての伊弉冉命、月と地球(大地)の神としての伊弉諾命の他に、「水の神(地球の水)」を司る撞賢木向津姫命の「御働き」があるからこそ、太陽の光と大地と水の力で生命が育まれているからではないか、と思います。
これらの司宰神が三柱揃うからこそ地球上に生物が存在しうると考えたら、宇宙創生の神々に等しく重要な御働きを担われている神々であると言えます。

私は、こちらの三柱を「地(くに)の御三体の神」と呼称したいと思います。




付け加えておくと、「撞賢木向津姫命」は伊弉冉命が黄泉の大神となり、伊弉諾命と仲違いした時に伝言をなされた「菊理姫命」と同じく、伊弉冉命の御子神か二柱からご誕生なされた可能性があると思います。

「撞賢木(つきさかき)」の「撞」とは「月・槻」であり、「賢木」を「榊」と置き換えるなら、「向」は「日向」に使われる「依代(神籬)」に宿る神格であり、「月」と「榊」はそれぞれ月と太陽(日)、或いは「サ(稲)」の神であることを示しているのではないでしょうか。

ならば、「撞賢木向津姫命」は太陽と月の両方の性質を受け継いだ女神ということになり、伊弉諾命と伊弉冉命の二柱の御子神と考えて良いかもしれません。
伊勢神道を始め、日本で「日月」の性質を持つ撞賢木向津姫命を「天照皇大神」としてお祀りする意義は強いと思います。

しかし、神示の中では伊弉冉命も伊弉諾命も各々が幽閉に近い状況にあり、ならば二柱の正統後継者として色濃い撞賢木向津姫命が神界を支配しているのでしょうか。
私はその可能性が高いと思います。
しかし、神示では二柱が幽閉に近い状態に置かれ、「騙された神が”偽の岩戸開き”から現れたことで闇の世となった」と語られています。

「騙された神」が撞賢木向津姫命であるかは定かではありませんが、いずれにせよ「騙した神々」がいることは確かで、ややもすれば偽の岩戸開きをでっち上げた神々が伊弉諾命と伊弉冉命を幽閉させた上で、クーデターを成功させ「闇の王」として支配していたとも考えられます。

或いは「騙されて王位に就いた」撞賢木向津姫命の統治能力が低いために混乱が起きたのか、権力を有した宰相が独断で勝手な政治を始めたのか分かりませんが、それによって神界は相当乱れ、その混乱は三千世界に広がり今の私たちの情勢に繋がっているということらしいのです。

あるいは、「祓戸大神」「瀬織津姫命」として、父・伊弉諾命の補佐役につき、地上に残って世界の罪穢れを浄化する役割に徹していたのかもしれませんし、「菊理姫命」として封じられた両神の伝通役を担っていたのかもしれません。
そうだとしたら、皇統のロイヤルファミリーが何者かに高天原を追放されていた可能性も考えられます。

神示に語られる「五つの岩戸閉じ」のうち、「人皇による支配」と「仏教伝来」以外の岩戸閉じ、「黄泉の千引の岩戸」「天照大御神の岩戸隠れ」「素戔嗚命の追放」は伊弉諾命と伊弉冉命の幽閉と比定することによって説明がつきます。

そして大峠の後に達成される「岩戸開き」が起こると、東北の地に封印された「国常立尊(伊弉諾命)」がまず最初にお出になられ、すぐに「千引の岩」を自らこじ開け、幽閉された天照大御神(伊弉冉命)を救い出し、何千年か越しに逢瀬を果たすと言われています。

その後、伊弉諾命は真の天照大御神(皇大神)であられる伊弉冉命から、高天原を支配する玉座を引き嗣ぎ、次の「天照皇大神」となられます。
そして二柱で神界を統治することになり、「日の神」である伊弉冉命と「月と地の神」である伊弉諾命が一緒になり、「天日月大神」となられるのです。

神示の中では、国常立尊一柱が「天日月大神」となられるようにも読めるのですが、「荒れの巻」では両神が「一つになる」ことが特に強調されているので、仮に伊弉冉命が天照皇大神の玉座を降りずに引き続き就任するにしても、伊弉諾命が新しく玉座を獲得されることに変わりはなく、「天日月大神」となられる事実も変化しません。

そのため、別の見方では「素戔嗚命が天照大御神となる」という解釈も可能です。
神示では「天が地を補佐する」とも書かれており、素戔嗚命の天ヶ下での御働きを天照大御神がサポートするという意味に取れば、やはり二柱での共同統治という説明は理に叶っているように思います。

そして、「日月神示」がなぜ「ひつく」と呼ばれるのか、要所に出てくる「てんし様」とは何かと言えば、「天嗣(てんし)=天(日)を嗣ぐ」ことを意味し、国常立尊が「てんし様」となる意味が通ってくるのです。

伊弉諾命と伊弉冉命が一緒になることで「天日月大神」となられるのだとしたら、時に見られる「大日月大神」とはどう違うのでしょうか。

神示には「大日月の大神と称えまつれ、全ての神々様を称えまつることであるぞ(黄金の巻・第五十八帖)」とあり、この一文から察するに大日月大神とは神の類魂(グループソウル)を示す可能性が高く、大洗濯後にはバラバラに行動していた神々がひとまとまりになるとされることから、高天原を始め全ての神々が大日月大神となる(属する)とも言えます。

その大神を取り仕切る神が天日月大神であるとするなら、ある所では「天日月の神とはお役所のようなものぞ」ともあり、大神の下に属する神々が「お役人」だとすれば、二柱神は「市長」のような感じかもしれません。
天日月大神が神界・幽界を支配する最高神とするなら、地上いわゆる「現界」を司るのも二柱であり、しかしその場合は「地(くにの)日月大神」と呼ばれるはずです。

そして神示によれば「地日月神」とは臣民、即ち人間のことであり、そもそも大神から分御霊(わけみたま)を与えられている全ての人類は、神の一柱です。
つまり、全世界の「神」の類魂、集合体が「大日月大神」そのものとなり、それゆえに三千世界を跨ぐ統一・統合が可能になるということではないでしょうか。

そう考えると、これまで神・幽・現界とそれぞれ三千世界がバラバラであったがゆえの混乱であり、それが「闇の世」をもたらしてきたのだとすれば、それらの世界の統一は理に叶っていますし、確かにこの世が誕生して以来ない大変革です。

その膨大なスケールの構造改革こそ「大峠」であり、冷静に考えてこれほどの改革が行われるのであれば、衝撃的な出来事や「禍事」に似たショッキングな現象が伴うのも頷けます。

しかし、「三千世界の大洗濯」が終わった後には、「悪を抱き参らせた」新たな秩序の宇宙に生まれ変わり、そこでは「善と悪」の戦いはなく善も悪も仲良く弥栄える、三千世界通して天地一平の世になると神示には語られています。

現在、自らを「絶対正義」と信じて疑わず、あらゆる偽称も搾取も迫害も、「善悪の戦い」という暴力の中で正当化されているからこそ、世は混沌とした闇の世となっているように感じます。
この争いこそ「大洗濯」の渦中に現れる罪穢れや禍事であるとするなら、その汚れを取り去った後には、確かに奇麗な風通しの良い世の中になっているかもしれません。

私は、どうもそれが今この世界で現象化しており、「大峠」はこれから佳境に向かっていくように思えてなりません。

そのことについても「日月神示」には記されており、その解説は近いうちにしたいと思います。
そして新たな世界の扉を開く「岩戸開き」は、どうも私たち地上の人々、「地日月神」にかかっているようなのです。

そのヒントも神示にはあるようです。日月神示は、本当に示唆に富む書物だと思います。

*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

*「日月神示解説」にて関連記事を投稿しました。*

日月神示解説 | 「天日月大神」について

拍手


ちょっとスピった話

楽太郎です。
だいぶテーマの大きな話が続いたので、今回は閑話休題にしたいと思います。

とうとう、iPhoneがお亡くなりになりました。
と言っても、バッテリーを交換すれば復活するかもしれません。

AppleCareの修理予約が取れずヤキモキしてたのですが、お亡くなりになる直前、奇跡的に予約に繋がりました。
「真のグレートリセット」の記事をスマホで書いている最中、充電中にも拘わらず1分につき1%ずつ消耗していくので焦りました。
記事の途中でそのままバッテリーが尽き、ブログはPCで書き終えて公開しました。

そして未だに、いくら充電しても起動しません。
スマホを使い始めて十数年、しかも機種変して2年経ってないのに通常使いでここまで劣化したのは初めてです。
Appleも近年は業績不振に喘いでおり、いつもの「OSでバックドアを走らせてバッテリー消耗を加速させ、修理と機種交換需要を作り出す作戦」かなと思いました。
これこそ陰謀論ですが、有り得ない話ではない(前例がある)のがザ・ビッグテックです。

まあ、このブログは本来スピった話をする場所なので、グレートリセットの話を持ち出されたら困る闇の勢力の妨害ということにしておいた方が面白いかもしれません。

さて、本日9月8日の空模様はとても凄い星回りになっています。
厳密には真夜中の3時に満月と魚座で皆既月食が起こっていたので、過去形です。
私は頭痛が酷くて午前1時半に目が覚めてしまい、カレンダーの月齢表示を見て今日が満月だと気づきました。
私は満月の日の頭痛率はかなり高く、特に気の乱れを感じやすい日です。

体感としては、確かに邪気は強いのですが、それ以上に「浄化」の力を凄く感じます。
おそらく、ここらへんで「耐えきれん!!」と行動に移す人が続出するのではないでしょうか。
魚座は「過去」と繋がりの強い星座であり、「魚」は情緒や感情に繋がります。そこに「満月」が加わるので、「記憶」や「後悔」、あるいは「過去からのしがらみ」の精算が起きてくるかもしれません。
「目覚め」の後には、伸びをして布団から起き出すものです。そうして、「新しい一日」は始まります。

私は、これからの日本に心配をしていません。
私が危惧していたタイムラインでは、不況下での大災害があれば本当に人々が食うに困る段階まで行く可能性が高かったと思います。
しかし、やはり春分点で空気が変わり、日本が「ソフトランディング」する世界線に移行したのだと思いますし、それを機に人々の邪気も落ち着いたように見えます。

しかし、これから私たちの日常が、足元から変わっていく時代にはなるのだろうと思います。
私自身、iPhoneが使えなくなって、アプリが使えずブックマークも開けず、情報更新もできないのは想像以上に不便さを感じました。
私がビッグテック嫌いなのは置いといて、いくら人々の生活や仕事に欠かせなくても物事には栄枯盛衰があり、いつかはスマホを手放して違うものを掴む時は来ます。
それが見果てぬ最新端末なのか、ガラケーか紙とペンなのかわかりませんが、それを作るのも選ぶのも私たち次第です。

この時代の切り替わりも人類の「学び」のプロセスであり、これまで「物質」を追求して人々の生活が楽になる流れの反作用として、金と権力の偏りがもたらす負の側面がありました。
次の時代は、その反省を活かして物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも享受して調和のとれた文明を目指すことになるのだと思います。

今の子供たちは、小さい頃に苦しいマスクをして生活せざるを得ず、不況と殺伐とした社会の中で、大人たちから一方的に与えられる知識と娯楽を受けて育ち、決して恵まれているとは言えません。
けれど、彼らがもう少し大人になる頃には、全く違う時代を自分たちで切り拓けるようになり、いずれは本当にいい時代にしようという機運を担って行くのではないでしょうか。

そして、彼らが歩む道を用意するために、私たち天から役目を与えられた「降誕人」が時代に先立って生まれました。
その数は思ったほど少なくないと思います。国内で数十万人、下手すると数百万人いるのではないでしょうか。
しかし、そういった天からの命持ちにとって、天界とは全く性質の異なるこの地上世界はあまりに歪で、散々いじめられ苦に負けた先で、諦めた者もいれば潔く闇に堕ちた人々もいます。

その中で、今こうしてライトワークを行う命持ちの人々は、苦に負けずに魂を磨き続けた勇者であり、その強い光があれば闇に惑える人々を救うことができるはずです。
そして、その光で未来ある子供たちや若者を導けるのなら、その先の未来に光を繋ぐことができるのです。

今、闇に包まれて一寸先も見えない日々に負けず、どうも「あの人はおかしいんじゃないか」と言われてでも、一心不乱に自らのやるべきことをやり抜く姿勢は、きっと周りを動かし、子供たちに「大人」の見せるべき背中を見せることができるはずです。
社会一般からは不甲斐ないと言われても、本当に大切なものを取り戻すためには、今とは逆のことをやらなければいけません。
その行動は、現時点では稀有にしか見られませんが、いずれ世界のスタンダードとなり、スタンダードにしていくべきものなのです。

私は最近、その役割を強く感じますし、逃げる隙すらないことに気づきました。
私は天界に、愛する人を残してきました。この世でいくつか仕事をするためです。
けれど、その不安にいつも寄り添ってくれる仲間がいます。

目に見えず、たまにいるのかいないのかわからない彼らですが、今でも高いところから見守ってくれているように思います。
彼らがしかめっ面でいるのか、笑っているのかは正直わかりませんが、私はきちんとこの世で仕事を果たし、良い土産を持って帰らなければなりません。

その日のために、私を待っていてくれる愛する人のためにも、私は彼女に恥をかかせる訳にはいかないのです。


*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


真の「グレートリセット」

楽太郎です。

先日から国際問題に切り込んだテーマを扱っていますが、ある意味危険な領域に踏み込んでいる実感があります。
それは別に世界を牛耳る「闇組織」を告発しているからではありません。
私自身が「陰謀論」と世間で片付けられかねない事象の話を取り扱っているからです。

これに関して、まず「陰謀論」を陰謀論と決定づけるものが何かを考える必要があります。
「陰謀」というからには、根拠にエビデンスがなく情報リソースも曖昧で、ロジックが飛躍していたり破綻していたり、妄想やこじつけが強ければ、そう断定しやすくなります。
しかし近年の「陰謀論」は、エビデンスも科学的でロジックもきちんと筋が通り、おまけに倫理的観点から見て正論としか思えないような言説でも「陰謀論」とされることがあります。
これは何故でしょうか。

私は「陰謀論」を作り出すのが決まって「権威」の側であるからだと思います。
例えば、「A」という論文と「B」の論文があって、AもBもどちらも正当なデータを元にロジックを組み立てていたとしても、権威が「Aは正しく、Bは間違いだ」と言えば、Aの説が何であろうとBの結論は間違っている、と客観的に評価されます。
AもBもエビデンスが等価だとしても、学会やマスコミが Aのロジックを採用し、Bのロジックは都合が悪いとするならば、自らの権限で「Bは陰謀論である」と結論付け、社会的評価を規定できてしまうことになります。
つまり、言説の強度を決めるのは「権威」であって、決して妥当性の高さや倫理的正当性とは限らないのです。

私は、ウクライナ侵攻の情報を追う中で、反省したことがあります。
それはロシアが一辺倒で悪と断定し、ウクライナ側の正当性だけを過大評価していたことです。
戦争自体を始めたのはロシア側であり、その国家的責任は許されるべきではないと思います。
しかし、どうもドンパス地域によるロシア系住民へのウクライナ政府の迫害はどうも事実であり、ロシアには軍事介入における論拠があったことを認めざるを得ません。
ゆえにウクライナ側が「正義」であり、ロシア側を「悪」と断じていた認識を反省しながら、戦争とは言え民間人を標的にした作戦や非人道的な戦術を続けるロシアを擁護することはできず、やはり戦争は「善悪二元論」で片付けることはできないのだと思います。

CIAの協力で誕生した現ウクライナ政府は「DS」の手先であり、ロシアが「DSから世界を守る戦い」をしているとか、あるいは西側諸国の民主主義を脅かす社会主義帝国の侵略と取り、ウクライナが民主主義陣営の代表として戦っている、という見解もあります。
これらの説は正しいか間違っているかというより、まず「善悪二元論」で捉えていることを考慮しなければなりません。
やはり戦争とは黒と白の入り混じるものであり、決してグレー一色とも言えず、とは言え、決して白と黒で見てはならないものであることは確かだと思います。
ゆえに、善悪二元論を排して見る利害関係にこそ真実が隠されており、どちらが正しくてどちらが間違っている、という断定では拾いきれないものがあります。

特に戦争のような諜報が基本となる出来事は、双方が「陰謀」というレトリックを用います。
事実のレベルからフィルターが掛けられた不確実な情報の中で、「正解」を踏み続けることは不可能であり、それゆえ「善悪」とも「陰謀」とも断定するのは危険です。

前置きが長くなってしまいましたが、要は「陰謀論」という断定は、かえって真実性にフィルターをかけてしまいかねず、その評価には「権威性」がつきまといます。
正誤の判断はエビデンスをしっかり見極めた上でロジックを吟味し、たどり着く結論が妥当かどうかを各自が考えるべきだと思います。
だから私は「陰謀論」という印象を抱かれないように努力しますが、論拠となるデータに関してはソース上の権利の関係で、今回は省きながら解説させて頂くことをご了承下さい。

さて、今回のテーマは「グレートリセット」についてです。
「グレートリセット」とは、「世界経済フォーラム」が開催する2020年度開催のダヴォス会議においてテーマとされ、世間を騒がせた概念です。

かねてから陰謀論の目玉とされることの多いWEFですが、Wikipedia日本語版の記事を読むと確かにツッコミ所満載です。
ここでWEF最高責任者であるクラウス・シュワブ氏の提唱をまとめてみます。

1. 利害関係者の経済の整備
2. 弾力的で公平、かつ持続可能な環境構築
3. 第四次産業革命の先進性の活用

この理念を実際に、WEFの具体的な推進事業に当てはめてみます。

1′.LGBTQ(性的多様性)、ポリティカル・コレクトネス
2′.環境エネルギー、脱炭素社会、EV、窒素肥料削減、家畜削減
3′.生成AI、AIロボット、自動運転技術

「うわあ…」と思ってしまいますが、これは決して穿った目で見ている訳ではなく、彼らの思想が具現化したものを私たちはこれまで見させられてきた、ということだと思います。
つまり、いつも隣にグローバリストがいた訳で、この支配感の延長に彼らが口にする「世界政府」はあるわけです。
決して、リベラル派やコミュニストの専売特許だったわけではなく、どうやら権利元は「世界経済フォーラム」だったようです。

日本語版Wikipediaによると、これらは「リセット」後に構築されるべき仕組みであり、その他に「経済グレートリセット」なる概念があるそうです。
それによると経済グレートリセットとは、わざと国債や通貨価値を暴落させ「インフレを極限まで高めることで負債をゼロ同然にし、超インフレでの国民の不満は補助金などの政策によって緩和し、金融取引は金や銀で行う」という解説が付記されていました。

経済学的に見て、申し訳ないですが現実的ではありません。
そもそも、国債価格がゼロになるということは国家財政の破綻を意味するので、国家もろとも消滅することを示しています。

通貨に価値がなくなるわけですから、インフレどころか物物交換か他国の通貨を使って取引することになります。
そこで金銀で取引するのは、現代においても通常の商用取引であり、金本位制に移行するのは結局、通貨の撤廃を意味します。
これらをまとめると「国家もろとも消し去って、通貨も撤廃する」と言っているようなものです。

例えば負債総額35兆ドルで、日々含み損が肥大しているアメリカのような国が、「もうアメリカ合衆国やめるので、ドルも廃止します」というのは、確かにグレートリセット以外の何ものでもありません。
ただ、さすがに世界中のエリートが集まるWEFでこんなフワフワした話が出たとは思えないので、「世界経済フォーラム」が公式に定義する「グレートリセット」を順を追って考えるなら、どういったものになるのでしょうか。

男と女という差別をそもそも無くし、人種という概念自体を取り払い、国境も民族もいっそ無くしてしまって、人間が労働から解放されるためにAIを使役するようにしながら、たくさん人口がいるとそれだけ統治コストが高く、環境に悪影響なので総人口を合理的に削減し、人口増加リスクを軽減するために農地も減少させ、動物の肉もなるべく食べないようにして、地味な自然環境エネルギーだけを使い、末永く人類を世界政府の下で細々と管理される存在にしよう

こういう説明だけを聞いていても、どこか街角で聞いたことがあるくらい、懐かしいメロディに感じます。まるで、どこかの国の映画で見たディストピアです。
つまり、このサステナブルな世界にするためにはその準備が必要であり、いつかは焦眉の課題である人口削減に取り掛からなければいけませんし、農地や家畜の数を減らさなければなりませんし、化石燃料を廃して自然エネルギーで発電できる環境を整え、人間が働かなくて良いようにAIにできることを全てやらせるところまで、文明を持っていく必要があります。

ここに、近年東西問わず先進国を中心に推進されてきた自然エネルギー発電、EV、農地削減、AIまでのトレンドが揃います。
今、世界中で起こっている戦争や疫病までWEFの提唱通りとは言いきれませんが、薬害が確認されているコロナワクチンはWEFの中心母体であるビル&メリンダ・ゲイツ財団とその影響下にあるWHOが推進したものです。

ここまで来たら、陰謀論と実際にやっていることの距離がなさすぎて、もはや「陰謀」ではなく実際に推進されている事業の良し悪しではないでしょうか。
このWikipediaでは、これらのグローバリズムを批判する人々の名が列挙されており、「陰謀論者」であると断定しています。
しかしよく読むと、これら陰謀論者の発言をファクトチェックしたBBCは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の資金提供を受けている放送局であることは公然の事実であり、CNNもとい、どこも旧メディアは資金難に喘いでいると聞きます。
ゲイツ財団の支援を受けているBBCの「WEF」批判に対するファクトチェックは、朝日新聞のファクトチェックを朝日新聞系列組織がやるようなものではないでしょうか。
Wikipediaも昔から中立とは言い難い内容がありますが、有志記者の管理にも限界があるのかもしれません。

では、ここから「グレートリセット」が本当に発動するとしたら実際にどうなるのか、考えてみたいと思います。
本題に入るまでが長くなりすぎました。申し訳ございません。

先ほど、「経済グレートリセット」に関して批判を行いましたが、実際にアメリカの中央銀行である連邦準備制度(FRB)は、ドルのデジタル通貨一元化を計画しているようです。
FRBは2019年の金融危機以降、青色吐息の金融業界を救うために毎日2400億ドルの通貨供給をしながら、利払いで日々7・8億ドル溶けていき、今や年間損失額が1000億ドルを超えていると言います。
米国政府の負債総額は35兆ドルとされており、利払いと年々積み重なる財政赤字で火の車なのは明らかであり、いっそ「ちゃぶ台返し」を考えていてもおかしくありません。

最近まで、トランプ大統領はFRBのパウエル議長に対し、利下げ要求の圧力を強めていました。
FRBが利下げを渋るのは、外国為替市場でドルが売られてドル安になれば、余計に利払いが増え財政負担となり、赤字まみれの財務状況が悪化するからでもあるのでしょう。
FRBには「ボルカーのインフレ退治」の成功体験があるため、「インフレには利上げ」という形式的な考えが染みついており、中央銀行のプライドとして教義に背く訳にはいかないのかもしれません。
ただ本音としては、中央銀行が扱えるのは国内に滞留する20兆ドルの流動性に過ぎず、国外には「ユーロダラー」と呼ばれる160兆ドル程度の制御不可能な資本が市場の流動性を決定づけており、政策金利をいじって通貨量を変えたところで、実は何もできないのを悟られる恐れがあるからです。

日本の省庁でもそうですが、ああいったエリートで固めた組織は「俺たちが国を動かしている」というプライドがあり、それゆえに中央銀行が無能であることを悟られる恐怖はエリートたちにとって相当のはずです。
だから対外的には、トランプ大統領の命令通りに「利下げ」をしたら、余計に状況が悪化するかをまず見極める必要があり、そこに関してここ数か月は検討を重ねていたのだと思います。
あと他にも、FRBがどうしても高金利の状態を維持したかった理由があります。

2020年にコロナのパンデミックが起きた時、FRBは経済浮揚を図るために財源として2兆ドルの臨時国債を増発しました。
その時、アメリカの大手銀行である「バンク・オブ・アメリカ」が7000億ドルの国債を大量に購入し、どうもその後の国債暴落に合わせて多額の含み損を抱えてしまったようなのです。
ただ、バンカメはアメリカを代表する大銀行の一行ですから、経営危機に陥っていると言えど簡単に潰れてもらうわけにはいきません。
そのため、利上げポジションを保つことでバンカメの自己資本の欠損や含み損を相殺し、なるべく赤字を軽減させようとしてきたのです。

ただ、バンク・オブ・アメリカの株を大量に保有していた投資会社、バークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェット氏も、さすがにそんな危ない銀行の株は持てません。
そのため、現在バフェット氏はバンカメの株を大量に売却し、開示義務のある10%以下の保有率まで下げ、たぶん現在は売り切っているはずです。

このように、「グレートリセット」のWikipediaにある、国債価格を限りなくゼロにして負債を相殺する、というのは理論上は可能です。
でもどうせなら、このまま債務地獄に陥り破綻するのは見えているので、いっそドルを「デジタル通貨」に一元化すれば、中央銀行としてのメンツを保ったままユーロダラーから優位性も奪還することができ、おまけに国民の経済活動の全監視と統制能力まで獲得できるのです

これまで米国経済を牛耳ってきたグローバリストが、もしこの構想をFRBと共有したとして、瀕死の中央銀行が乗らない理由があるでしょうか。
「グレートリセット」の提唱理念の始めにあるように、世界各国のコロナ対策として膨らんだ負債をチャラにする妙案としてのグレートリセットは、国債の価値を限りなくゼロに近づけて超インフレを起こし、負債を無同然とすることです。
アメリカの金融業界の柱であるFRBが、多業界の超富裕層の集団であるWEFと懇ろでないはずはないので、今取りかかるつもりではないにせよ、この妙案通りの方針に出口を見出していてもおかしくはありません。

奇しくもバンカメの株を売り払ったバフェット氏は、WEFの影の主催者であるビル・ゲイツ氏の師であり、ゲイツ氏自身もアメリカ金融界が瀕死の状態にあることを知らないはずがありません。
ドルを廃止し「デジタル貨幣」に切り替えることは、ITと金融が新基軸のデジタルドルを完全に掌握することとなり、例えばブロックチェーン技術を用いて国民や世界中の人々の信用度をデータベース化できれば、全ての流通と投資を監視しながら、中央銀行が全統制能力を獲得することができるのです。
これが空想にせよ、捉えどころのない分散型のユーロダラーに主導権を奪われ、実質的に風見鶏同然の存在となったFRBや世界各国の中央銀行が、自らの威信を取り戻すためには基軸通貨の転換こそ理に叶っているのです。

つまり、「負債を帳消しにして新しい世界秩序を作る」という点では、進むも退くもできない金融業界と、世界政府樹立を目論むグローバリストたちとは利害が一致します。
けれどここで気になるのは、経済界の富豪と繋がっているであろうFRBのパウエル氏やクック理事を更迭して、自らの息のかかった責任者にすげ替え、FRBをコントロール下に置きたいトランプ大統領は、どうもグローバリスト側と利害が一致しているように見えません。

これまでいつでも暴露可能なエプスタイン問題を素通りしたり、軍事予算に全く手をつけずに予算案を提出したり、マニフェストと逆のことに勤しんできたトランプ氏が、むしろインフレに実行力のある利下げ方針を取り、グローバリストの意向に沿う働きをしてきたFRBの改革に手をつけ始めているのは、何となく矛盾しているように思えます。
この動きを見るに、トランプ氏としては米国政治の要であるイスラエルロビーや軍事系ロビー、医療・製薬ロビー、IT系ロビーの既得権益を毀損するつもりはないし、金融ロビーと金融業界もできるだけ延命させたいが、グローバリストから経済のハンドルだけは取り戻したい、というのが本音なのではないでしょうか。

しかし、そうは言ってもFRBには事実上の経済調整能力はなく、主導権はほぼ実態のないユーロダラーにあるので、トランプ大統領がFRBというハンドルを握ったところで、経済は思うように動かないのです。
おそらく「ディール」好きのトランプ大統領は、イーロン・マスクを通じて「DS」つまりグローバリスト側と協議し、グローバリスト勢力の利権を保証する代わりに金融に関する主導権を獲得したのではないでしょうか。
しかしグローバリストも一枚岩ではないため、特に民主党寄りの勢力とは利害が一致せず、民主党支持であるパウエル氏とは未だに折り合いがついていないと考えられます。

こうして見ると、アメリカの超富裕層を中心とする「グローバリスト」はそもそもアメリカ経済を土台としており、アメリカの政治はエリート階級のロビイングや財力に支えられているため、そもそも相反するというより元々持ちつ持たれつであるように思います。
従って、「グローバリスト」とはエリート階級の抱く選民思想やアメリカ帝国主義の支流にあって、彼らからすれば「グローバリズム」の母体としてのアメリカと、3億4000万人の住む多民族国家としてのアメリカは定義の異なるものであり、それゆえに中流階級以下の国民の利益や権利が政治の上で軽視されるのは当然かもしれません。

トランプ大統領がマニュフェストをひっくり返してグローバリストに有利な方針に変わったのも、「世界政府」のビジョンとアメリカ第一主義の相似性と矛盾の少なさに気づいたからであり、仮にアメリカが世界に君臨するにも、その下に世界政府が存在しても結果的には同じことになります。
つまり、「アメリカ的思想」の発露としての「アメリカ帝国主義」がいずれ世界を支配することになれば、事実上理念としてのアメリカが永久に繁栄することを意味します。
従って、現在のアメリカ政治と金融を支える既得権益がそのまま残存しても、大した問題はないどころかむしろ有益、くらいに考えてもおかしくありません。

仮に世界を混乱に陥れたコロナウイルスの出元や正体が何であろうと、結果的にファイザーやモデルナを始めとする米国内の製薬業界は相当な国益をもたらしたはずで、EVや再生可能エネルギー、AIにしろ政治家に莫大な供与をしてくれる企業系のスポンサーがあってこそのアメリカ政界であり、彼らを敵に回すのは得策ではないのは確かです。
ゆえに、いつ沈むかわからない「アメリカ合衆国」を存続させるという第一目標を達成するには、中流以下の国民がどれだけ貧困に沈み治安が悪化し堕落しても、「国家」という崇高な理念の前では二の次にもなるでしょう。

そして、金満で溢れる国際的なトップエリートの集団に加わり、彼らの利権に預かろうとする人々は世界中にいるわけです。
例え自分の国が傾こうと、これから訪れるであろう「世界政府」が誕生した暁には、新政府内で良いポジションに就いていれば自国に利益を分配することができ、それは自分の利益にもなるでしょう。
その最大の貢献者が自分であるとするなら、エリート内の出世争いのためにグローバリズムのマニフェストを実行し、一時的に国益を毀損してでも長い目で見れば国にとって善いことをしているのだ、と正当化しうるはずです。

どうもその思考が近年の各国の政治事情に反映された結果、国民の意向を無視した政治権力の暴走に繋がっているのではないでしょうか。
そう考えると、過剰なマイノリティ優遇や不必要な環境エネルギーの推進、大した利益をもたらさないEVや生成AIへの過剰投資も説明がつきます。
そして、ここまで利益誘導的な性格が露出しているこれらの計画が、アメリカの一大産業である「戦争」という分野に活用されていないはずがないのです。
アメリカが世界中の批判に甘んじながら国費を投入して支援するイスラエルのパレスチナ侵攻、ウクライナ戦争に関しても不自然に見える部分はとても多いように感じます。

こうして俯瞰してみると、確かに世界のトレンドはグローバリストの提案通りに拡大しており、「世界政府」への布石も着々と打たれているように見えます。
しかし、私のような一般市民でも「陰謀論」に罹患し、グローバリストのやりたいことが手に取るように見えるご時世にあって、彼らが「自分たちが導かなければならない雑多な大衆」と思う大多数の人類を相手に、裏を掻かれることがないと言えるのでしょうか。

前回の記事にも書きましたが、防疫どころか薬害をまき散らすコロナワクチンや、思うほど大規模になってくれない幾つかの戦争、なかなか成果を発揮しない農業改革、自然エネルギーは未だコストに似合わず、EVは全く普及せず欠陥まみれ、生成AIは未だに有効な活用方法がなく、AGIの開発はまだ理論すらできていない、この現実を前にしていつまで彼らが強気でいられるのか、私は甚だ疑問です。
しかも彼らの提唱するポリティカル・コレクトネスは、逆にマイノリティの人々をやりづらくし、「差別を避ける」ことの意識化が逆に差別を呼んでいます。
そこには、「マジョリティである我々が、弱いマイノリティに目溢ししてあげなければ君たちはやっていけないはずだ」という優越意識がにじみ出てはいないでしょうか。

ただ、もう世はそういったロジックにさめざめするほど触れた結果、匂いを嗅いだだけで「ソレ」とわかるくらい、人々の脳裏には忌避感が広がっています。
大衆的な感覚ではハッキリ「嫌い」と言えるほどの評判になっていても、相変わらず肩書のある人々は優越意識を剥き出しにしながら、異論には容赦なく力を用いる彼らのやり方ですら、無邪気な大衆も予測ができるようになってしまいました。
つまり「社会的強者」と「大いなる弱者」となった大衆との間ではここまで温度差があり、その「社会的強度」で保証される発言力や強制力が社会的地位、財力や権威を基盤とするなら、それが瓦解した時には自分たちも「大いなる弱者」の一部になることを意味するのです。

そして実際、私が解説してきたように、アメリカ金融の世界は破綻直前であり、好況と思わせている株式も一皮剥けば実態がないことも明らかになりつつあります。
果たして、「アメリカ経済」という下支えを失った状態で、国内のガリバー企業の経営陣で構成されるWEFの権威は保たれるのでしょうか。
もしもの話をすれば、懐と名誉が傷んだ経営者が「世界新政府」の閣僚として誕生したとして、全世界の人々から惜しみない喝采が送られるでしょうか。
やはり、世界新政府も今日のアメリカ合衆国がしているように、強権的かつ強引な手法で抵抗勢力を制圧しながら、身内には甘いやり方で権勢を維持しようとするのではないでしょうか。
それはあたかも、ハリウッド映画によくある「ディストピア」のように。

「世界政府」というのは、見方を変えれば「アメリカ帝国主義による世界征服」であり、真のアメリカ合衆国を毀損した末に築かれる、全世界195カ国を属州とした「世界のアメリカ合衆国」を意味します。
その利害とトランプ大統領の「アメリカ第一主義」は全く矛盾しないからこそ、彼が糾弾しようとしていた「DS(グローバリスト)」の利益となることを推進し始めたのだと思います。
ゆえにトランプ政権はグローバリズムの体現であり、アメリカのナショナリズムはグローバリズムと同化したと考えて良いでしょう。
しかし実態としては刃の欠けた諸刃の剣であり、トランプ大統領が意気込めば意気込むほどに墓穴を掘る状況になりつつあります。

冒頭に戻りますが、彼らの言う「グレートリセット」というのは、現時点で実現不可能です。なぜなら、その試みの達成度は現時点でどれも及第点に至っていないからです。そして、今からやり直したとしても、もう上手くいくことはないでしょう。
ただし「アメリカという国をリセットして、基軸通貨も負債もリセットする」という意味での「グレートリセット」はもの凄く現実的です。
そして、米ドルなき世界経済も、必然的に「グレートリセット」という大変革を迎えることでしょう。

アメリカを世界政府の土台としながら、それ以外の国々を民族もろとも「リセット」する本来の「グレートリセット」は今や夢幻となり、世界変革で最も大きな利権を得ようとしていた彼らがその富や権益をリセットされる時が来るのならば、それこそ新時代のための「グレートリセット」となるではないでしょうか。
現在の強大な既得権益構造が剥ぎ取られ、中央集権型の「ドル」が世界の経済の中心になるのではなく、投資先を求めて世界中を回遊する「ユーロダラー」がトレンドを作る世界は、さぞかし風通しの良い世の中になりそうです。

むしろ「グレートリセット」で君臨する予定の彼らのリセットこそ、人類に有益な「グレートリセット」であり、決して大勢の人の命や文化ではなく、如何わしい権力者の持つ富や権力こそリセットされるべきなのです。



*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「世界政府」樹立ならず

楽太郎です。

このところ、あまりにテーマが社会派になりすぎて、「巨悪と戦う」ような姿勢に見えていたかもしれません。
しかし、「戦う」にも色々なタイプがあって、相手とバチバチに石を投げ合うのも「戦い」なら、自らの欲望に耐えてガマンするのも「戦い」です。
私のニュアンスはどちらかと言えば後者に近く、結論としては「耐えてたらなぜか勝っていた」状況になると私は思っています。

今回は「世界政府」について取り扱います。
これまた大きなテーマで恐縮ですが、一先ずお付き合いください。

さて、前回の記事ではあたかも「DS(ディープステート)」と呼ばれる組織が「世界経済フォーラム(WEF)」であるかのように取り扱いました。
私は「DS」に関して何を対象として扱うかで意味が異なると考えていて、例えばロックフェラーやロスチャイルドの私設闇組織とか、西欧の貴族と富豪が集まる「ビルダーバーグ会議」とか、例に漏れず「世界経済フォーラム」とかを挙げることができますが、誰がどう「DS」と呼ぶかによるので、断定できません。

結局、陰謀論が湧き上がってもトータルで「開き直れば良い」と割りきり、「表向きに計画がバレようが、その通りにやって大して批判が起こらず、実行可能なら特に問題はない」と考えて世界経済のトレンドを意図的に操っているのは、WEFの中心母体であるビル&メリンダ・ゲイツ財団が本丸であると、私は確信しています。

WEFの年次総会である「ダヴォス会議」には、世界の政府要人や貴族や富豪、著名な学者や文化人も参加し、その討議の様子は全て中継され大部分が配信されているので、「闇」は全く感じません。
しかし、この総会を「カンヌ映画祭」に例えたら、大衆にとっては映画の内容より俳優や監督がレッドカーペットを歩く姿を見るのがメインであり、このフェスが業界のレセプションとしての意味合いが強いことがわかるはずです。

WEFに参加可能な錚々たる面々を一人ずつ確認すると、この会に参加する「資格」がどういうものかは一目でわかるはずです。
あまりここで実名を出すと誹謗になりかねないので伏せますが、大抵「大富豪」「業界トップ」「エリート」の三拍子に「グローバリスト」という半拍がついた人々です。

彼らがレッドカーペットを歩く俳優や女優だとしたら、映画の賞を選考する主催者がいるはずです。
その選考委員を取りまとめるのが、かのMicrosoft会長のビル・ゲイツ氏であり、米国一の投資会社バークシャー・ハサウェイを率いるウォーレン・バフェット氏の愛弟子とされる人物です。
ゲイツ氏の動向を穿った目で観察すれば、ボロボロとホコリと陰謀論が出てきてしまうのですが、私自身が興味深いと思うのはそこではありません。

2020年のコロナウイルス流行に伴うワクチンの強制接種や、都市ロックダウンからの経済的変容、食糧難を煽りながら進む農業縮小、化石燃料を悪役化して成り立つ環境エネルギー、エンジン車に変わるEVの流通、AI革命による人的労働力の代替、これらがグローバリストの諸々の計画の一部だとしても、大概うまくいっていないことです。

一つ一つ説明していったら長くなるのですが、例えばゲイツ財団とWHOが結託して先進国の人々に打たせたコロナワクチンは、防疫効果よりも接種後の薬害と、ワクチンの薬効をすり抜けて逆に増殖するウイルスが判明し、それに加えワクチンに含めた「避妊」効果さえも暴露されてしまい、完全に手元のカードがバレてしまいました。

「環境エネルギー」という新型利権にありつくためにでっち上げた「地球温暖化説」も、経済効果を伴えば嘘も誠になったのでしょうが、EVは長期的に見て全く合理的ではない上に技術的に未熟で、自然エネルギー発電に至っては天然ガスと石油の熱効率を代替しようとするほどコストが爆上がりするので、完全にイロモノの技術です。

とりあえず、全て富豪がより富豪になるための富豪によるアイデアの寄せ集めなので、思いついたことを力任せにやっていればうまくいくものではないことの証明ではないでしょうか。
生成AIによる芸術家やクリエイターの著作権侵害、世界中の創作・芸術文化をメタメタにしたことや、ディープフェイクによる社会犯罪や人権侵害もまだ可愛いもので、コロナウイルスが人工的か自然発生からは置いておいて、ワクチンの薬害なんてのは下手すると国家が吹き飛ぶくらいの大疑獄になりかねません。

脳裏に、新日本窒素肥料が引き起こした公害による「水俣病」や厚生省とミドリ十字の「薬害エイズ」も決着までに何十年もかかった記憶があり、訴えようと政府や企業がゴネて長引くのは目に見えます。
また、この訴訟が起こるにしても先進国はだいたい強制接種を行なっているので、なかなか実現するとは思えず、この問題の根は深いと思います。

ただ、それだけのことをやっても平然としていられるのは、彼ら一万人規模のエリート集団を集めたら、全地球の資産の何割かを保有している可能性が高く、それゆえの自信かもしれません。
だから、「何をやってもどうせ大衆は手出しできない」とタカを括っているからこそ、環境問題を取り扱うダボス会議に自家用ジェット機を飛ばして駆けつけても、一般大衆からどう思われるか全く気にしないのでしょう。

もし、彼らがトランプ大統領が倒したかった「DS」なのだとしたら、それこそ児童売春のエプスタイン問題を引っ張り出せば、大衆が勝手に彼らを引きずり下ろすはずです。
しかしそれに関してトランプ大統領は当選後、一貫してシラを切り通しており、むしろ今は「DS」が喜びそうなことばかり実行に移しています。
トランプ大統領が「DODGE」でメスを入れるとされた歳出予算削減でも、社会保障費を減額して軍事防衛費はむしろ増大しています。

どうやらアメリカは共和党、民主党問わずグローバル勢力であり、むしろ「グローバリズム」を逸脱したアメリカのナショナリズムは存在しえないのかもしれません。
「自国拡張主義」、言ってみれば「帝国主義」に民主主義も社会主義も関係なく、帝国を支配する王族や貴族が今や企業家や富豪に置き換わっただけのように見えます。

実のところ人類は、ピューリタン革命やフランス革命を経たところで寡頭政治の歴史は変わっておらず、民主主義ですら「エリート支配層に気に入られた」者だけがトリックを使って代表職に就いてきたのだとしたら、完全な人治政治である社会主義が不幸な歴史を歩んできたのも頷けるのです。

特にアメリカは1946年の「ロビイスト規制法」施行から、企業努力よりも制度を変えることで企業の成長を促してきました。
寡占企業は他の競合を潰すため、優遇策を利用してシェアを拡大すると、どんどん資本が集まりガリバー化します。
MicrosoftはPCにOSを付属させ、それに「Office」を抱き合わせることでスタンダードを作ってきましたが、これは明白に独占禁止法違反ですが未だに何のお咎めもなく、それはGoogleもAppleでも同様です。

国家ぐるみで巨大化した企業から政治家は巨額なキックバックを受け取り、大富豪はますます私腹を肥やし、権力も影響力もますます増大していくのです。
それがビッグテックのような、直接的には人畜無害な業界ならまだ良いのですが、それが軍事や医療や製薬に及ぶのがシャレにならないのです。

アメリカという国が常に戦争を起こし介入したがるのは、戦争自体が巨大な産業であり、その利権にありつく人間が多いからです。
自分たちの利益のために戦争さえ厭わないのですから、欠陥ワクチンを世界中に押しつけることに躊躇するとは思えません。

アメリカのボロを突けばホコリは無限に湧いて出るのですが、今回の話のテーマはそこではありません。
今、トランプ大統領はFRBのパウエル議長やクック理事を解任させ、自分の指名候補に入れ替えることに躍起です。

トランプ大統領がグローバリストに屈してもしていなくても、これまでFRBはアメリカの利権の中心にいたのは間違いなく、トランプ大統領が本気でアメリカ経済を何とかしたいのは事実かもしれません。
アメリカの命運を分ける話題となっている「米国債9月利下げ」に関してですが、おそらく政策金利の利下げをFRBが渋るのは「利下げが危険だから」ではありません。

実は、米国株の堅調を支える「マネーサプライ供給(M2)」や債権を含めた世界流動性の総量を決定づけているのはFRBではなく、欧州や外国の投資家のもつ「ユーロダラー」と呼ばれる、本国以外で流通するドル資産です。
専門家の推察では、米国内の流動性が20兆ドルだとしたら、海外に滞留するユーロダラーの総量は160兆ドルほどではないか、と言われています。

FRBが操作可能な中央銀行貨幣を20兆ドルとすれば、本国以外で取引されるドルの総量が8倍近くあり、その資本の総量を鑑みればFRBの施策が小手先で終わるのは目に見えています。
FRBが利下げを渋るのは、これを自分でわかっているからであり、「利下げをしたのに、さっぱり良くならないじゃないか」と突っ込まれたら、FRBに政策金利を操作して米国経済をコントロールする力がそもそもないことが判明してしまうからです。

そして実際に、トランプ大統領の指示通りに利下げをすれば、確かに国債の値段は上がります。
FRBが低金利にしておくことで、外国での資産運用が有利に働いていたテクノロジー系企業が株式を支えるアメリカにとって、その恩恵は株高をもたらすでしょう。
「これでアメリカの将来は安泰だ」と外国人が国債を買い、今年に支払えるかわからない7兆ドルの債務もきちんと賄えるとしたら、確かに「ソフトランディング」するかもしれません。

しかし、ここまで国債金利が上がったのは、コロナ以降数年で膨らんだ18兆ドルの債務を誤魔化すために国債を増発したからであり、いくら国債と株式市場が好調でも、赤字財政の体質そのものを是正しなければまた自ずと国債価格は下がり、金利が上昇してよりインフレが加速してしまいます。
成長産業が殆どなく、ガリバー企業となったビッグテックを投資の呼水にするしかないアメリカが、国債価格を上げて景気浮揚をしようにも政府と国家経済の枠組みそのものを変えなければ、いずれ必然的に破綻します。

しかも、世界中のマネーサプライの殆どが海外にあるアメリカにとって、投資家は「儲かるか儲からないか」で考えて資本を投下しているのであって、投資が覚束なければ金詰まりを起こし、流動性危機をもたらします。
また米国株式を支えている40%は海外投資家であり、彼らの機嫌次第で株が動いているので、仮にAIバブルに踊らされただけだとわかったら、すぐに資金を引っ込めるでしょう。

また、各国に押し売り強盗の態度で関税交渉をしたアメリカに反感を抱いていない国はありません。
ただでさえ常日頃からロクなことをしてこなかったアメリカが、強情に出るから相手国が穏便にしているだけで、ニコニコして席を譲った日本でさえ、魂の自動車産業は毎日2億円の損失を出しているそうです。
まして、隙あらばアメリカを沈めてやろうと思う勢力もおり、ドルを持っているから味方とは限らないのです。

私はどの手を読んでも、ビックリするほど手詰まりの状況に思えるのですが、いつまで持ち堪えられるのかと静観している次第です。
そこで涼しい顔をしてスイスのリゾート地をジェット機で駆けつける富豪たちの姿が思い浮かびます。
もし彼らグローバリストが一枚上手で、アメリカという国を踏み台にしてまで世界政府樹立を計画しているなら、参ったという他ありません、

ただ、コロナワクチンの評判や、思うほど大規模になってくれない戦争、戦争特需に大した経済効果なく、なかなか成果を発揮しない人口削減、食糧危機を煽っても大した飢餓になってくれず、自然エネルギーは儲からず、EVは大抵赤字、生成AIはパクるだけパクって役立たず、これらの計画を見るとそこまで頭がキレる人々とは思えません。

しかも成金国家のアメリカが金づるにならずに、どうやって世界政府の財源を得ようと考えているのでしょうか。
そもそも、世界政府に資金を上納しそうな企業はだいたい米国企業なのですが、それが安泰でないのにマジでどうするつもりなのか、愚民である私には想像がつきません。

「いや、世界中のグローバリストが結託すればアメリカ一強ではない」というのも頷けます。
しかし、ダボス会議に有色人種の参加者が極端に少ないのは、おそらく白人がフロントとして大衆の面前で相手をして、黒人や中東系やアジア出身の偉い人々が、バックヤードにいるビル・ゲイツと膝を合わせて人類の未来を昼夜語り合っていると考えて良いのでしょう。
「人類皆平等」を夢見るグローバリストが、まさか白人中心の考えなど持たないでしょうからです。

彼らの魂胆を、それすら見え透いてしまう一般人がいて、世界経済フォーラムの人々の面の皮の厚さと共に、その偉大なる業績まではっきりと認識できる今の世にあって、全人類に称賛されながら誕生する「世界政府」は逆に見てみたくもあります。
まあ、国家運営が2、3年続けば御の字ではないでしょうか。

今回はかなり挑発的な内容となりましたが、まさか閲覧数が極端に少ないこのブログがCIAに狙われることはないでしょうし、そもそも本国から仕事のない絵描きをわざわざ消しに来るほど暇でもないでしょう。
こんな声なんてのは、今ではどこでも交わされていますから。

私は普段、スピリチュアルな話を良くします。
目に見えない世界のことやわからないことには第六感を使いますが、目で見て頭で考えてわかることに、その力は使う必要がありません。

*サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*
招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「弥栄(≒繁栄)」への道

楽太郎です。

昨日は、久しぶりにペンを取ることが出来て楽しかったです。
「八十禍津姫」と「大綾津姫」のデザインも、大して悩まずパッと決まったのも嬉しかったです。

どうも8月23日の処暑、新月からガラッとエネルギーが変わっていたようです。
その日に合わせて「日月神示解説」のサイトを立ち上げ、その時に「新世界実現が理論の段階から実践の段階に移ったのではないか」という話もしました。
それから数日後には「招神万来」の移転先のサイトも立ち上げているので、今のエネルギーはかなり「実現係数」が高くなる傾向があるようです。

私はこのエネルギーの趨勢は、9月23日の秋分まで高まっていくと思います。
そして秋分点をきっかけに、これまで神々から覚醒とお祓いのエネルギーを受けてきた人々の、「立ち上がる」という態度がいよいよ可視化されると思います。
と言うより、日月神示的に「神と獣」、私の言い方では「神世と人世」の二極化において、「新時代への移行」の立場表明が秋分点では既に目に見える状態となっている、と言ってよいと思います。

その時、具体的に「世を変えよう」と発信していない人であっても、おそらく世を変えていく側の人からすれば、どっち側の人なのかを感覚的に判別がつくようになるはずです。
そして、その傾向が今後数年かけてどんどん色濃くなっていき、これまでマーブル模様だった世界が「二色」になるところまで行くのではないでしょうか。

夏至をもって開かれた地球的気場、私は「精神界」と呼んでいますが、現段階ではその気場にアクセスしている人はほんの一握りです。
しかし、近い将来に魂を磨き抜く根性のある人はその気場への到達を目指すようになり、かつて魂のレベルで「神世」の選択をした人々は、続々と覚醒して五次元に上昇していくことになるはずです。
未だその準備期間ではあるのですが、神々のご計画は寸分違わず着々と進行しているようです。

私は毎朝、海外のニュースはだいたい眺めるようにしているのですが、経済を色眼鏡で見ては政府寄りの肯定的見解に終始するマスコミが、「NVIDIAが第二四半期の業績予想を下回った」と報じた辺りから、トランプ政権批判の論調を強め、また実態経済の悪化を正直に出し始めました。

私は「いよいよ」だと思っていて、米国株急落から目まぐるしい変動の時代に突入していくと思います。
私は今後10年以内に「アメリカ合衆国」という国家は消滅すると予測していますが、現在他の名だたる国家も存続が危ぶまれる事態に陥るでしょう。

アメリカ合衆国もとい、地球上から国名が消えるような時代にあっては、もはや「これまで」の世界は事実上、維持継続が不可能になるということです。
今は誰もその予兆など感じていないかもしれませんが、それは大衆が「平和ボケ」するような情報を権力サイドが選別して世に出しているからであり、広報機関やマスメディアはもとより、放送やネットの検閲や言論統制も水面下で行われているのは周知の事実です。

「陰謀論でも良いから真実を知りたい」と思うくらいでなければ、今の世ではどう転んでも「嘘」を掴まされて道を誤ります。
私は全世界で起こるインフレや食糧難、日本の不況と米不足も同じ意図で仕組まれたものだと思っていますが、その元凶が「ダボス会議」、いわゆる「世界経済フォーラム」にあると踏んでいます。

「利権」を最大化するためには、まず世界の多様性を毀損し統合する必要があります。
そのために地球温暖化を口実にした環境エネルギーの促進や、自ら食糧問題を具現化する施策などで国際的な主導権を「経済主体」に持ち込ませるのです。
そこで交わされる「世界の問題」こそ、利権で捏ね回された「陰謀論」に基づく偏見であり、科学的には実際に根拠のない言説ですが、「政治=経済」にあっては超合理的なのです。

数十年前にあった「オゾン層の破壊によって地球温暖化が加速する」というレトリックも、オゾン層が年々塞がってきたことが科学的に判明してからは、「温暖化ガス」が原因と、いつの間にか論拠がすり替わっています。
実際のところ、地球規模で起きている変動は少なくとも数千年から数百万年のスパンで観測した上で、天体的影響も加味して科学的に俯瞰しなければ特定し得ないはずです。

「地球温暖化の被害国」と喧伝されたツバル諸島が海面上昇で沈むとしたら、今ごろ全世界の海岸が水没していなければおかしいのです。
それは単に大陸的な地盤沈下と考えた方が自然であり、全く違う因果を結びつけてレトリックとすることで、どこかで得をする人がいたという話でしょう。

ただ、こういう穿った見方も、肩書きの立派な人が適当な反論をすれば「陰謀論」にすり替えることが可能です。
名もなき有志の市民が声を上げたところで、「検閲権」を握っている権力サイドが、公的な威力で言論など簡単に捩じ伏せることができるからです。
実際のところよくわからない人たちにとっては、「偉い人の言うことは正しい」という思い込みには確証バイアスが掛かります。
だからこそ、今の世は「専門家の言うデタラメ」と「マトモに見える陰謀論」の二種類しか存在しないのです。

この「世界政府」というビジョンが語られる時、その首謀者こそ実は影の支配者ではなく、既に表に出ている「大富豪」だったりします。
普通に考えて「世界を支配したい」という幼稚な願望を抱く権力者が、人前での賞賛や評価をわざわざ避ける理由がどこにあるのでしょうか。
そして、表向きのロジックで「どうすれば彼らが一番得をする状況になるか」を逆算していけば、「ダボス会議」で話し合われる内容に突き当たるのです。
しかし、あまりに堂々としすぎていて、むしろ「陰謀」には見えないところが逆に巧妙です。

1979年に米国ジョージア州で建造されたモニュメント「ジョージアストーン」に書かれたマニフェストは、彼らの思想と全く同じなのではないか、と私は疑っています。
というか、「ジョージアストーン」自体を選民思想を持った人々が捏造したものだとしたら、「人類を5億人」にする人口削減計画も「宇宙の意志に従ってやった」と正当化できるでしょう。
だから、最後は「神々」を盾にする意図があり、その口実を元に作られたものではないかと私は考えています。

まあ、これは完全な「妄想と偏見」なので流して頂いて結構です。
しかし、彼らが現地球上で最も力を持つ者たちだとして、本当に世界は彼らの望むようになってしまうのでしょうか。
ただ、ここまで文章を読まれた方には、だいたい結論がお分かり頂けると思います。

どんな大富豪も「資本」と、それに基づく権力構造というシステムの上に成り立つ存在です。
彼らの本体は「経済」であり「お金」であり、決して思想や民族性にはありません。
そして、彼らを肥え太らせてきたのは「アメリカ合衆国」のウォール街を中心とする利権です。

金融や利権と懇ろになった業界や企業が、ロビイストを通じて影響を強めた結果、今のアメリカの「政治」となっています。
しかし、もはや政治も経済も高転びするのが目に見えている「アメリカ合衆国」を土台とした「世界政府」は、砂上の楼閣にすぎません。
まして「アメリカ」という国を潰した上で成り立つ「世界政府」には何の力もなく、何の脅威にもならないでしょう。

「アメリカ合衆国」の消失は、経済的・政治的な依存の上で成り立つ中国と、アメリカの支援なしに中東諸国を挑発し続けることのできないイスラエルも運命を共にするはずです。
その崩壊が目に見えてきた今日だからこそ、否が応でも世界は変わらざるを得ず、乱世を迎えるのは必然と言えます。

そこで、巻き込まれ滅びるしかないのが我が国「日本」であるかに見えて、実はかなり恵まれた状況にあります。
日本は大量の米国債を所有していますが、外貨準備高は西側諸国において随一であり、対外的なバランスを維持しています。
また貿易面においても、政府日銀が金融と輸出系企業を優遇するために長年円安にしてきたにも関わらず、貿易依存度が突出して高い国はありません。
仮に貿易が中座しても、外国に輸出する分を国内流通に回せば、影響はほぼゼロで抑えることすら可能です。

つまり、先進国の中では西側諸国が崩れても、日本は最も軽微な被害に留めておける可能性があります。
仮にその時が来たら、米ドルにもはや価値はなく世界中で「日本だけ何となくマシ」な状態にあれば、必然的に円が買われ国債は上昇し、日本株への投資が集中するでしょう。
そうなれば、日本だけマシな状態というより、むしろ日本だけが昂進する状況になりかねません。

そんなに上手くいくか、という感想もなくはないですが、実は米国経済崩壊には、日銀の円安政策一つで衰退した日本だからこそ、そういうシナリオが当然のように付随します。
問題は日本の政治家や官僚が相変わらずトップに居座り、外国から「日本の滅亡に協力する」ために貰うキックバックをアテにして動き続けるかどうかです。

私はこの部分だけが気掛かりですが、幸い我が国の投票システムだけはマトモなので、上手くいけば何とかできるかもしれません。
それは、これからの日本人の意識次第だと思いますし、仮に「日本だけが浮上し、外国全部沈む」状態になっても小金持ちが目先の小銭に狂うのか、微妙な感じもします。

また「日月神示」を引き合いに出しますが、神示には「宗教連合も世界政府も滅びる」と書かれています。
日月神示VSジョージアストーン」という東西預言ドリームマッチの様相を呈してますが、私は手前味噌ながら神示の示した通りになると思います。

ただ、世界経済崩壊後の日本が多少マシでも、これまでの経済システムには二度と戻らないでしょう。
これまでにあった企業体やサービスも、その頃にはすでに形が変わり、新たな産業・商業形態に移行している可能性が高いからです。
人々の意識や生活習慣が変われば、経済の形も変わります。

「世界政府」の夢が露と消えた暁には、「お金」に変わる価値が人々の中に生まれてくるはずです。

日月神示に出てくる「弥栄(やさか)」という言葉は、「末永く栄える」ことを意味しますが、これまで人々が使ってきた「繁栄」とは用法が異なる気がします。
これまでの時代における「繁栄」とは、バブルや一過性の寡占状態を指していることが多く、成功はかなり短いスパンで栄枯盛衰によって消えていきました。

「弥栄」の意味には一過性ではなく持続性がありますが、ただ浮世である以上、形あるものはいずれ崩れ消え去る運命です。
もし「形」を失っても「弥栄」するものがあるとすれば、それこそエッセンスであり、神示に言われる「・」です。
外側「◯」のモノは絶えず変化し、いずれ劣化してなくなりますが、本質であり「型」としての真髄は世代を変えて残り続けるものです。

私はこれこそ「弥栄」であり、入れ替わり立ち替わり訪れるブームに乗って、右から左に流れることを繰り返すこれまでの時代の「繁栄」とは全く異なる概念だと思います。
だいたい外側の絢爛さというのは、多くの人を集めて大金を使って多少時間をかければ必ず実現します。
しかし、お金も人の力も大して必要とせずに作り上げられる芸術は、より内面的で磨き上げられたものになります。

世が豪華なモノに溢れる「繁栄」の時代から、より洗練されたモノに満ちた「弥栄」の世は、似ているようで全く異なる栄華であり、私たちは後者の時代にこれから向かっていくのだと思います。


*自サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ

※10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「HARAEDO」ライバルキャラ

楽太郎です。

「やるやる」言って一向に始まらない、瀬織津姫命を題材にした創作漫画「HARAEDO」ですが、この期に及んで「新キャラ」の構想が固まったのでアップしたいと思います。

 
 

 

キャラ解説の前に一言申し添えておくと、本当に神様は小手先で稼ぐことを良しとしていらっしゃらないようで、絵とは無関係のことばかり最近やっていました。

仮に私自身、「神様」を口実にして商売したいと思っている手前であれば、もう少し自分の創作もガツガツやってるでしょうし、マネタイズだってもう少し要領良くやっているはずです。
ここ最近はガチでペンすら持たせて頂けなくて、あまりに久しぶりすぎて最初ヨレヨレの線しか引けず戸惑いました。

少し前までは、一日絵を描かないだけでも「ライバル絵描きに抜かれちまう!!」と思って焦っていたでしょうが、私もずいぶん変わったなと思います。
でも、やっぱり絵を描くのが一番性に合ってるとつくづく思いました。

さて、「HARAEDO」の新キャラで祓戸四神のライバルとして登場する「八十禍津姫神」「大綾津姫神」のデザインを描いてみました。
「八十禍津日神」「大禍津日神」という、禍事を司る神様は実際におられるのですが、その偉大なる禍津神を「父と母」に持つ女神姉妹、という設定の架空の神様です。

話のイメージとしては「アンパンマン」の宿敵「バイキンマン」で、まさにバイキンマンとドキンちゃんのコンビそのままです。
私は昔から主人公格より敵キャラとか闇堕ちキャラに感情移入するタイプで、ただ「アンパンマン」で言えばロールパンナちゃんが一番好きです。

姉の八十禍津姫はいかにも「性悪高飛車キャラ」という感じですが、大綾津姫のコバンザメキャラっぽい小物感が上手く表現できて、なかなか良いデザインだと我ながら思います。
「大綾津」という神名は、日本書紀では伊奘冉命からお産まれになられた「禍津神」として登場し、一般的には「大禍津日神」と言われます。

その神様にちなんだ創作キャラを作るにあたり、ピアノ線を袖口から出して化け物を操るイメージがドンピシャで思い浮かび、膝を叩いた次第です。
たぶん笑い声は「ケヘッ」で、八十姫のことは「お姉様」と呼ぶに違いありません。
このテーマとデザインの一致度で言えば、私のキャラデザ史上最高傑作かもしれません。

こういう良いキャラが作れたので、早速「HARAEDO」本編も始めたいところですが、問題は神様の世界に関する造詣が深くなればなるほど、世界観の設定が変わるので話も作風も変わってしまうため、いつまで経っても固まりきらないのも一つの要因です。
少し前までは「プリキュア」みたいな話にすると意気込んでましたが、今度は「アンパンマン」ですし、私は本当に日曜日の朝が大好きみたいです。

作風の傾向としては、「ゲゲゲの鬼太郎」のような社会派の内容も考えてはいたのですが、登場人物の雰囲気を総合すると美少女とゆるキャラ同士でわちゃわちゃするだけの話になりそうで、重苦しい雰囲気になりにくいことに気づきました。
ますます日曜日の朝という感じで、確かに眠い目をこすって見る番組は寝ててもわかる内容に越したことはない気もします。

というわけで、作品の構想だけは着々と固まってきた「HARAEDO」ですが、私の一存で取り掛かれたりするものではない、と申し添えた上で、ただプロデューサーの瀬織津姫様はいつか本気でGOサインを出される時が来るに違いないと思います。
ただ、そうなったらそうなったで恐縮してしまいますが…


*自サイト「招神万来」でも、同じ記事が読めます*

招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ


10月末まで忍者ブログ版「招神万来」の更新は続きますが、どうぞサイトの方もよろしくお願いします。

拍手


「招神万来」ブログ移転のお知らせ

楽太郎です。

突然ですが、本ブログ「招神万来」はこれまで「忍者ブログ」のサービスを利用してきましたが、自分のサイトでの活動に移行することにしました。
まだデザインなどは調整中ですが、本ブログの過去記事230本余りの本文は取り込み済みです。


招神万来 | 神様と人を繋ぐブログ



自サイトに移転する経緯としては、ブログサービスを運営する「忍者ツールズ」様の料金改定により、11月1日から料金が2倍になるとの発表があったからです。

月々240円でしたので、むしろこれまでが安価すぎたのだと思います。
引き続きサービスを利用しても良かったのですが、以前から考えていたこともあり、移転を決意しました。
老舗のgooブログが11月をもってサービス終了となるそうで、業界的に鑑みてブログサービスの存続は厳しいのだろうと思います。
今は動画の時代ですし、そうでなくとも短文文化隆盛の世で、人々はSNSのタイムラインしか見なくなって久しいです。

「ブログ」という形式が、いずれ一周回って再び見直される時は来ると思いますが、少なくともあと5年は下火だと思います。
そうでなくとも、全盛期のブログもトラックバック文化と相互リンク文化があったから栄えたのであって、その長所はSNSに代替されてしまいました。
再びブログが注目される時は、かつての個人サイト隆盛の時代のように、マニアックで密度のある情報メディアを運営する個人が増えることによって、昔のような「面白いインターネット」に戻る時だと思います。

今のネットは、大人でも迂闊に触れないほど危険な環境となってしまいました。
如何わしいネット広告、氾濫する詐欺広告、迂闊に登録すると個人情報やクレジットまですっぱ抜かれる、修羅のような状況です。
「テック例外主義」という言葉がありますが、ネットがあまりに治外法権になりすぎてしまったため、今では半グレのパラダイスになってしまったのです。

ネットの世界はかつてないほどの「課金主義」であり、良いサービスの裏にはエゲツない量のサブスクが待ち受けています。
あらゆるネット系サービスを信用しかねると言っても、WordPressだって昔に比べたら月々10ドル払わなければまともに動かないプラグインばかりですし、オープンソースのWordPressがある意味、最強の課金地獄だったりします。

今回、私がレンタルサーバーを借りてWordPressをサイトに利用しているのですが、他のインストール型ブログと比較したら雲泥の性能差で、比較する間もないほど答えが明白でした。
ただ、ネットの世界はこういう「業界一強」がどこの分野も幅を利かせていて、サブスクなどの料金設定もデジタルならば原価計算ができないため、ほぼサービス運営側の「言い値」で料金体系が決まる不明瞭さは何とかならないでしょうか。

私が契約しているレンタルサーバーは「シンレンタルサーバー」なのですが、今日配信のメールでエックスサーバー株式会社に事業移転するらしく、レンタルサーバー業界も寡占企業の割合が広がっていくのだろうなと思いました。
そういった寡占企業の最たる例が、インターネット検索とネット世界を自分一人の力でボロボロにしたGoogleでしょうが、自分たちがシェアを広げるために新興勢力を叩き潰してきたわりには、「私たちのサービスが気に入らないなら、どうぞ使わないで下さい」と平然と言い放つ度胸の良さには感服します。

実は私は、ITベンチャーの会社にいたこともあるので業界の雰囲気も知らないわけではないですし、だからこそ「ITは信用できない」という頭が抜けきらないのです。
そして、人々が寡占企業のサービスに任せ切って、「寄らば大樹の陰」と大きな傘に入って安心しきった後、もし傘が折れるようなことがあれば、大抵の人が土砂降りの中に放り込まれます。

だから私は寡占サービスはもの凄く危険だと思っていて、されど時代は少数大規模化に向かっているように思います。
ネットというのは、「多様性の坩堝」だったはずなのですが、集金性とビジネスに染まってしまえば、その世界の良さがこうも台無しになって悲しい思いです。

ちょっと愚痴が入ってしまいましたが、私がこうして長文のブログをやっているのも、ある意味「多様性」の一部となることで、生物学的淘汰と全滅を生き残る役割を担っているつもりです。
SNSなどは特に、他のサービスにアカウントをそのまま移転することはできないので、過去記事を丸ごと移設できる「ブログ」の良さはこういうところにあります。

デジタルの世界で「半永久的な蓄積」というのは不可能であり、出来て20年ほど、それも消えるのは一瞬で、消えてしまえば復元することは殆ど無理なわけで、ビルやお寺のスケールとは全く次元の違う儚い世界です。
だから、デジタルの世界は「一期一会」であり、どこよりも回転数の大きい「諸行無常」であると思っています。

その儚い世界を渡りながら、どう自分の仕事を果たし、業績を蓄積し信頼と周知を得ていくか、その道は険しいでしょう。
けれど、そのカオスの海を泳ぐ楽しさもあり、かつて「何でもあり」だったネットの良さを思い出せば、出来ることはたくさんあるような気がします。

本ブログは料金改定直前の10月末まで引き続き投稿しながら、同内容の記事も自サイトと共有し、本文最後にリンクを貼って、読者さんを誘導していきたいと思います。
自サイト「招神万来」と忍者ブログ「招神万来」を、引き続きお楽しみいただきたいと思います。

拍手