「祓戸大神」の語源
- Category:神話研究
- Date:2025年03月31日
前回の記事で、「罪穢れ」「祓い清め」の語源に関して考察しましたが、「禊」についてわかったことがあったので追記します。
「禊」はどうやら「水滌ぎ(ミ・ススギ)」「身濺ぎ(ミ・ソソギ)」の二通りの意味合いがあるらしく、そのどちらも「水で身体を洗う」ことを表します。
神事でも滝で身を清めたりしますが、手水舎でも手を洗ったり口を濯いだりして、それが「禊」とされます。
これらは、大抵淡水で行われます。冬の海に入ってする禊もありますが、大抵は川や滝で行われます。
これは「瀬織津姫味」があるというか、やはり浄化を司るのは瀬織津姫命なのでは?という気がします。
さて、今回はその「瀬織津姫命」の名前の謎に迫ってみたいと思います。
Wikipediaの「上代特殊仮名遣」の項目に「万葉仮名」の一覧があり、出典不十分とされていますが、なかなか興味深い内容だと思います。
今後、本格的に踏み入っていく分野かもしれませんが、古代日本語の言語学を差し置いて神道の用語を理解することはできないでしょう。
とりあえず学術的な精査は置いといて、この一覧を使って「言葉の成り立ち」を見ていきたいと思います。
前日に上げた「祓いの語源」という記事において、音素的に「気」と「饌(食)」と「褻」は同源であるという話をしました。
「気吹戸主神」の「気」は「イ」と発音します。これは「息」と同意ですが、「イ」は「命(いのち)」という言葉に使われる時、「生(イ)の霊(チ)」を指すそうです。
こちらは、広島県四日市市にある気吹戸主大神を主祭神とする「志氐神社」のサイトです。
こちらの由緒書きの中に、こう書かれています。
「イブクとは生命の本質である「いのち」の現象であり、生命の回転・生命のいぶきをその静かな社頭にて神との祈りが一致し自身に感じとることであり、平安と幸福のために、何事も正しく、幸福にお導き下さいます。」
「イブクとは生命の本質である「いのち」の現象であり、生命の回転・生命のいぶきをその静かな社頭にて神との祈りが一致し自身に感じとることであり、平安と幸福のために、何事も正しく、幸福にお導き下さいます。」
「い」の一字が指す大和言葉は、「生=息(い)」を意味し、「稲(いね)」や「伊弉諾(いざなぎ)」の言葉にも用いられるとされます。
「気吹戸(いぶきど)主」はやはり「息吹」であり、「息吹く戸=命の入る所」であるわけです。
つまり、「息吹戸」の戸は「開都」と同じ扱いであり、この場合の「都(ツ)」は、瀬織津姫命の「津」とは違い、「速開都姫命」が「開き都=水戸=港」であるのと同意であると思われます。
では、「瀬織津」とは何を意味するのでしょうか。
明治時代の言語学者、金沢庄三郎によると、この「セオル」は古代朝鮮語の「ソ・プル・ツ(大きな村の)」を指すらしく、現代の韓国の首都「ソウル」と語源は同じだそうです。
渡来系の人々の信仰対象が神名になったり、言葉の一部に使われる可能性もなくはないと思いますが、この解釈は日本語で元々言い表す意味があるのに、それを外来語で上書きする必要性を感じません。
瀬織津の「津」は助詞であるらしい、と以前書きましたが、上代特殊仮名遣いから「瀬織津」を分解するとどうなるのでしょうか。
「瀬」はどうやら古くから「セ」であるらしく、訓読みです。「川」が山や海などの場所を指すとしたら、「瀬」は水の存立様態を指していると言えます。
「早瀬」は「水の流れが早い川」ですし、「浅瀬」は川や海の水深の深さを表現しています。
「瀬戸」は「両岸の陸地に挟まれた海域」のことですが、「港=水戸」全般を意味するものではなさそうです、
「織」もやはり織物の織として解釈しても、「川が織連なる」という文脈では「水源から河口までの分岐を含めた河川全般」を意味するようにも思えます。
そうでない解釈として、「オリ」は古語「下る(おる)」に「織」という字を当てただけで、「瀬に降りる」という意味だとしたらどうでしょうか。
つまり、「瀬織津姫」とは「瀬の織りなすところの姫」か「瀬に降り立つ姫」という意味になり、わりと文字表記に近い意味合いになります。
瀬織津姫命が、「瀬におりつ姫神」という単刀直入すぎる神名だとしたら、少し衝撃かもしれません。
「瀬織津姫命」に関して、私は縄文時代から連綿と続く淡水信仰の神様だと思っているので、神名が直喩的なことには疑問を感じません。
では他の祓戸大神はどうかと言うと、「速佐須良姫命」の「佐須良」は「さすらう」以外の意味合いはどうやらなさそうです。
「さすらう」とは、当てもなく彷徨う、という意味がありますが、大祓詞の中で速佐須良姫命に流された罪穢れは、確かに当てもない場所に行くでしょう。
「さすらう」の活用の一種としての「さする」は、「さす・させる」から派生し、語としては「摩る…ものを擦り合わせる」という意味合いがあります。
だから、「速佐須良」という神名自体、「すごい力で擦り取られる」「神の力によって何かがなされる」と解釈できます。
以前の記事「祓戸大神を辿るⅡ」で、「速佐須良姫命は速吸比賣神ではないか」との仮説を書きました。
この「速吸」も「はやす」という動詞として読めば、「すごい力でする」という意味になり、あるいは「速い」というだけの意味にもなります。
早吸日女神社の鎮座する佐賀関は、伊弉諾命があまりに急流すぎて禊祓を諦めたとされ、社伝にはここで禊祓を行なったとされますが、記紀や一般的には阿波岐原で禊を行ったとされています。
つまり、「速い」のは海流であり、その様子をそのまま神名にしている可能性があります。
では、「速開都姫命」のご神名の由来を辿っていきましょう。
「開都」が水戸をそのまま意味しないとしたら、「アキ・ツ」となり、「都」は接続助詞となります。
その「アキ」とは何かを考える上で、こちらが参考になります。
こちらは、広島県安芸郡にある「速谷神社」のサイトです。
安芸国造に携わった人々が、「飽(あき)速玉命」を祭神としていたそうです。
ここには、こういった一文があります。
「安芸の地名の由来は、「飽=アキ」とする説があり、飽には豊かという意味があります。」
作物などが大量に実る土地に住む人々は豊かになります。それだけ物資が豊富であれば、「飽きる」ほどに恵まれます。
「飽」が豊かさを表すとしたら、その豊かさをもたらす恵みの季節は「秋」となるでしょう。
従って、「開」は「飽」であり、「速開都姫命」は他にも「速秋津」とも表記しますが、古くは「速飽津」だったのかもしれません。
そうであるならば、「速秋津」は「すごい(神の)力によって豊かな」という意味になります。
しかし、それでは「開都」が「水戸」と結びつきにくくなります。そこで、先のサイトから一文を引用します。
「広島県西部を中心とした地域は、その昔、「安芸国」と呼ばれていました。安芸は古くは「阿岐」と書きましたが、その黎明期は国境も定かではなく、詳しいことはわかっていません。」
「阿岐」をそのまま万葉仮名として読めば、「別れた土地(山や海峡など)の始まるところ」となります。
これはつまり「水戸=港」であり、大祓詞に「荒潮の潮の八百路の八潮路の潮の八百會に坐す」と書かれていますが、その地理そのままです。
古くから、海岸付近は海産物が採取できる場というだけでなく、港として海外や遠路から物資を運び入れる場所だったため、繁栄しやすかったと言えます。
ゆえに、「水戸」は豊かさをもたらすと考えられ、特に安芸郡は瀬戸内海に隣接し、海運の面で考えても豊かな地域だったのかもしれません。
さて、「気吹戸主命」の話に戻ります。
私は気吹戸主を「大気(宜)津比賣命」だと考えていますが、なぜ大祓詞では姫神とされなかったのでしょうか。
ここで「気吹戸命」とされず、「主」とされたのは、主とは役割なので性別が関係なく、ゆえに女神であっても意味合いが変わらないからだと思います。
神々の中では両性とされていたり、男性神と女性神が混同されたり、性が転じている場合はかなりありますが、それだけ人間にとって「神の性別」というのは重要なことなのだと思います。
主に神がかりを行うのは「巫女」の仕事であり、女性シャーマンという特性上、神は男性神であったほうが調和というか、エレメントとしての補完性が高まります。
記紀に基づく神々で、男性神と女性神が双子として生まれ、伴侶となって神を産むという構図は良くありますが、人間として見ればおかしな関係です。
文脈としては、「天」は男性神、「地」は女性神としての暗喩であると考えられますし、あるいは陰陽の関係と性別が影響し合うのかもしれません。
私は、祓戸大神に女神が多い、あるいは四女神である理由は、「水」のエレメントが関係しているのではないかと考えています。
男性神が「火」や「風」のエレメントだとしたら、「水」と「土」に関わるエレメントは女性格になります。
日本神話の中で、山の神が女性神であることは稀ですが、「水」にまつわる神は瀬織津姫命を始め女神が多いです。
「水」のエレメントは感情を司るため、「気」の浄化に関わるエレメントはどうしても女性的な要素が強くなります。
そこで「祓いの神」は巫女のイメージと重なって女神とされた可能性があります。
しかし、祓戸大神の気吹戸主が男性神として扱われた理由は、「風」のエレメントは男性格のためではないか、というのも仮説のうちに入れたいと思います。
これはスピリチュアルな解釈ですが、そうでないとしても大祓詞の中での気吹戸主の役割は、ほぼ「エネルギーの流れ」そのものを表し、あるいは擬人化した神であるからだと思います。
つまり、「水」そのものを象徴している神として登場していません。
ゆえに、気吹戸主命が大気津姫命であるとするなら、「食」や豊かさの神としても信仰されている大気津姫命を大祓詞に登場させるのは、直感的に違和感があったのかもしれません。
だから中臣大祓も記紀も、かなり政治的な文法で書かれていると考えた方が腑に落ちます。
神々はこういった人間の都合に合わせてくださっているのだと私は考えていますが、神々の世界を伝承だけで考えると、文脈上の矛盾はどうしようもありません。
この辺りに関しては、おそらく正解はないと思います。
私は、私の解釈で神様の世界を解き明かしていきたいと思っています。