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招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「祓戸大神」の語源

楽太郎です。

前回の記事で、「罪穢れ」「祓い清め」の語源に関して考察しましたが、「禊」についてわかったことがあったので追記します。

「禊」はどうやら「水滌ぎ(ミ・ススギ)」「身濺ぎ(ミ・ソソギ)」の二通りの意味合いがあるらしく、そのどちらも「水で身体を洗う」ことを表します。
神事でも滝で身を清めたりしますが、手水舎でも手を洗ったり口を濯いだりして、それが「禊」とされます。

これらは、大抵淡水で行われます。冬の海に入ってする禊もありますが、大抵は川や滝で行われます。
これは「瀬織津姫味」があるというか、やはり浄化を司るのは瀬織津姫命なのでは?という気がします。

さて、今回はその「瀬織津姫命」の名前の謎に迫ってみたいと思います。

Wikipediaの「上代特殊仮名遣」の項目に「万葉仮名」の一覧があり、出典不十分とされていますが、なかなか興味深い内容だと思います。
今後、本格的に踏み入っていく分野かもしれませんが、古代日本語の言語学を差し置いて神道の用語を理解することはできないでしょう。
とりあえず学術的な精査は置いといて、この一覧を使って「言葉の成り立ち」を見ていきたいと思います。

前日に上げた「祓いの語源」という記事において、音素的に「気」と「饌(食)」と「褻」は同源であるという話をしました。
「気吹戸主神」の「気」は「イ」と発音します。これは「息」と同意ですが、「イ」は「命(いのち)」という言葉に使われる時、「生(イ)の霊(チ)」を指すそうです。

こちらは、広島県四日市市にある気吹戸主大神を主祭神とする「志氐神社」のサイトです。

志氐神社 HP

こちらの由緒書きの中に、こう書かれています。

「イブクとは生命の本質である「いのち」の現象であり、生命の回転・生命のいぶきをその静かな社頭にて神との祈りが一致し自身に感じとることであり、平安と幸福のために、何事も正しく、幸福にお導き下さいます。」

「い」の一字が指す大和言葉は、「生=息(い)」を意味し、「稲(いね)」や「伊弉諾(いざなぎ)」の言葉にも用いられるとされます。
「気吹戸(いぶきど)主」はやはり「息吹」であり、「息吹く戸=命の入る所」であるわけです。
つまり、「息吹戸」の戸は「開都」と同じ扱いであり、この場合の「都(ツ)」は、瀬織津姫命の「津」とは違い、「速開都姫命」が「開き都=水戸=港」であるのと同意であると思われます。

では、「瀬織津」とは何を意味するのでしょうか。

明治時代の言語学者、金沢庄三郎によると、この「セオル」は古代朝鮮語の「ソ・プル・ツ(大きな村の)」を指すらしく、現代の韓国の首都「ソウル」と語源は同じだそうです。
渡来系の人々の信仰対象が神名になったり、言葉の一部に使われる可能性もなくはないと思いますが、この解釈は日本語で元々言い表す意味があるのに、それを外来語で上書きする必要性を感じません。

瀬織津の「津」は助詞であるらしい、と以前書きましたが、上代特殊仮名遣いから「瀬織津」を分解するとどうなるのでしょうか。

「瀬」はどうやら古くから「セ」であるらしく、訓読みです。「川」が山や海などの場所を指すとしたら、「瀬」は水の存立様態を指していると言えます。
「早瀬」は「水の流れが早い川」ですし、「浅瀬」は川や海の水深の深さを表現しています。
「瀬戸」は「両岸の陸地に挟まれた海域」のことですが、「港=水戸」全般を意味するものではなさそうです、

「織」もやはり織物の織として解釈しても、「川が織連なる」という文脈では「水源から河口までの分岐を含めた河川全般」を意味するようにも思えます。
そうでない解釈として、「オリ」は古語「下る(おる)」に「織」という字を当てただけで、「瀬に降りる」という意味だとしたらどうでしょうか。
つまり、「瀬織津姫」とは「瀬の織りなすところの姫」「瀬に降り立つ姫」という意味になり、わりと文字表記に近い意味合いになります。

瀬織津姫命が、「瀬におりつ姫神」という単刀直入すぎる神名だとしたら、少し衝撃かもしれません。
「瀬織津姫命」に関して、私は縄文時代から連綿と続く淡水信仰の神様だと思っているので、神名が直喩的なことには疑問を感じません。

では他の祓戸大神はどうかと言うと、「速佐須良姫命」の「佐須良」は「さすらう」以外の意味合いはどうやらなさそうです。
「さすらう」とは、当てもなく彷徨う、という意味がありますが、大祓詞の中で速佐須良姫命に流された罪穢れは、確かに当てもない場所に行くでしょう。

「さすらう」の活用の一種としての「さする」は、「さす・させる」から派生し、語としては「摩る…ものを擦り合わせる」という意味合いがあります。
だから、「速佐須良」という神名自体、「すごい力で擦り取られる」「神の力によって何かがなされる」と解釈できます。

以前の記事「祓戸大神を辿るⅡ」で、「速佐須良姫命は速吸比賣神ではないか」との仮説を書きました。
この「速吸」も「はやす」という動詞として読めば、「すごい力でする」という意味になり、あるいは「速い」というだけの意味にもなります。
早吸日女神社の鎮座する佐賀関は、伊弉諾命があまりに急流すぎて禊祓を諦めたとされ、社伝にはここで禊祓を行なったとされますが、記紀や一般的には阿波岐原で禊を行ったとされています。
つまり、「速い」のは海流であり、その様子をそのまま神名にしている可能性があります。

では、「速開都姫命」のご神名の由来を辿っていきましょう。
「開都」が水戸をそのまま意味しないとしたら、「アキ・ツ」となり、「都」は接続助詞となります。
その「アキ」とは何かを考える上で、こちらが参考になります。
速谷神社HP

こちらは、広島県安芸郡にある「速谷神社」のサイトです。
安芸国造に携わった人々が、「飽(あき)速玉命」を祭神としていたそうです。
ここには、こういった一文があります。

「安芸の地名の由来は、「飽=アキ」とする説があり、飽には豊かという意味があります。」

作物などが大量に実る土地に住む人々は豊かになります。それだけ物資が豊富であれば、「飽きる」ほどに恵まれます。
「飽」が豊かさを表すとしたら、その豊かさをもたらす恵みの季節は「秋」となるでしょう。

従って、「開」は「飽」であり、「速開都姫命」は他にも「速秋津」とも表記しますが、古くは「速飽津」だったのかもしれません。
そうであるならば、「速秋津」は「すごい(神の)力によって豊かな」という意味になります。

しかし、それでは「開都」が「水戸」と結びつきにくくなります。そこで、先のサイトから一文を引用します。

「広島県西部を中心とした地域は、その昔、「安芸国」と呼ばれていました。安芸は古くは「阿岐」と書きましたが、その黎明期は国境も定かではなく、詳しいことはわかっていません。」

「阿岐」をそのまま万葉仮名として読めば、「別れた土地(山や海峡など)の始まるところ」となります。
これはつまり「水戸=港」であり、大祓詞に「荒潮の潮の八百路の八潮路の潮の八百會に坐す」と書かれていますが、その地理そのままです。

古くから、海岸付近は海産物が採取できる場というだけでなく、港として海外や遠路から物資を運び入れる場所だったため、繁栄しやすかったと言えます。
ゆえに、「水戸」は豊かさをもたらすと考えられ、特に安芸郡は瀬戸内海に隣接し、海運の面で考えても豊かな地域だったのかもしれません。

さて、「気吹戸主命」の話に戻ります。
私は気吹戸主を「大気(宜)津比賣命」だと考えていますが、なぜ大祓詞では姫神とされなかったのでしょうか。

ここで「気吹戸命」とされず、「主」とされたのは、主とは役割なので性別が関係なく、ゆえに女神であっても意味合いが変わらないからだと思います。
神々の中では両性とされていたり、男性神と女性神が混同されたり、性が転じている場合はかなりありますが、それだけ人間にとって「神の性別」というのは重要なことなのだと思います。

主に神がかりを行うのは「巫女」の仕事であり、女性シャーマンという特性上、神は男性神であったほうが調和というか、エレメントとしての補完性が高まります。
記紀に基づく神々で、男性神と女性神が双子として生まれ、伴侶となって神を産むという構図は良くありますが、人間として見ればおかしな関係です。

文脈としては、「天」は男性神、「地」は女性神としての暗喩であると考えられますし、あるいは陰陽の関係と性別が影響し合うのかもしれません。
私は、祓戸大神に女神が多い、あるいは四女神である理由は、「水」のエレメントが関係しているのではないかと考えています。

男性神が「火」や「風」のエレメントだとしたら、「水」と「土」に関わるエレメントは女性格になります。
日本神話の中で、山の神が女性神であることは稀ですが、「水」にまつわる神は瀬織津姫命を始め女神が多いです。

「水」のエレメントは感情を司るため、「気」の浄化に関わるエレメントはどうしても女性的な要素が強くなります。
そこで「祓いの神」は巫女のイメージと重なって女神とされた可能性があります。
しかし、祓戸大神の気吹戸主が男性神として扱われた理由は、「風」のエレメントは男性格のためではないか、というのも仮説のうちに入れたいと思います。

これはスピリチュアルな解釈ですが、そうでないとしても大祓詞の中での気吹戸主の役割は、ほぼ「エネルギーの流れ」そのものを表し、あるいは擬人化した神であるからだと思います。
つまり、「水」そのものを象徴している神として登場していません。
ゆえに、気吹戸主命が大気津姫命であるとするなら、「食」や豊かさの神としても信仰されている大気津姫命を大祓詞に登場させるのは、直感的に違和感があったのかもしれません。

だから中臣大祓も記紀も、かなり政治的な文法で書かれていると考えた方が腑に落ちます。
神々はこういった人間の都合に合わせてくださっているのだと私は考えていますが、神々の世界を伝承だけで考えると、文脈上の矛盾はどうしようもありません。

この辺りに関しては、おそらく正解はないと思います。
私は、私の解釈で神様の世界を解き明かしていきたいと思っています。

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「祓い」の語源

楽太郎です。

今回は、さらに風呂敷を広げて「祓戸大神による祓いとは何か」について考えていきたいと思います。

先日上げた、「祓戸大神を辿るⅡ」という記事の後半で「気吹戸主は御気津大神=保食神ではないか」という仮説を立てました。

保食(ウケモチノ)神は、天照大御神が月読命に命じて食料を取りに行かせたところ、口から食べ物を吐き出しているのを見てしまい、激昂して斬り殺してしまいました。
その亡骸から粟や稗、米や麦などの雑穀や蚕などが生まれたと言います。

日本書紀では「月読命」ですが、古事記では同じような神話が素戔嗚命によって描かれます。
この場合は高天原を追われた素戔嗚命が、料理を振る舞おうとした「大気都(大宜津)比賣命」が口から食べ物を吐き出しているのを目撃し、やはり斬り殺してしまいます。
そこから穀物が生えてくるのも同様でこの前後の二柱は共に「女神」だとされます。

祓戸四神になぜ一柱だけ「気吹戸主」という男性神が含まれているのか謎でしたが、気吹戸主が女神であるとするなら、「祓戸大神は四女神である」とした方がしっくり来ます。

その仮説を検証すべく、「気(キ・ケ)」と「食(ケ)」の相関関係と、気吹戸主と大気都比賣命の関係を調べてみました。
「豊受大神」の神名にある「ウケ」とは「食物」のことで、「宇迦之御魂」の「ウカ」と同じです。

「気(キ・ケ)」の音素は、上代特殊仮名遣いにおいてキ乙類であり、「酒(sake)」と同じ音素系統を持つとされます。
この場合の「食(カ・ケ)」はキ乙類であり、「気」と同じ語源を持つと思われます。

「御気津大神」の「御気」とは「御饌(ミケ)」であり、古代祭祀において神々に捧げられた食糧であったとされます。
「津」という文字は瀬織津姫命などの神名にも見られますが、この音は接続助詞らしく、「之」と同じ要素を持つ語らしいです。
私はてっきり、「瀬織津」という言葉があると思ってましたが、正しくは「瀬織の」という意味だったようです。

「大気都=大宜津比賣命」の「都」も「津」と同じ助詞であり、「大いなる気、偉大なる食べ物」を意味していると思われます。
ただ、「速開都比賣命」に関しては、「開都=水戸=港」であり、「都=津(ツ)」の用法とは言い切れないかもしれません。
ここは引き続き、考察をしていきたいところです。

では、「食=気(キ・ケ)」が音素として同じことがわかった上で、今回の本題に入りたいと思います。

祓戸大神は「罪穢れを祓う」と言いますが、「罪穢れ」とは何でしょうか。

「穢れ」は「気枯れ」だと言われますが、「穢れ」の「ケ」はキ乙類と推測され、おそらく語源的には「気」と同じ音から派生したものだと思われます。
「ケガレ」の「ケ」は「気・食・餉・饌」でもあるのですが、「褻」という文字では「日常的なもの」も意味し、「褻着(日常的に着る服)」や「褻稲(けしね・農家の日常食糧)」という言葉にも使われています。
では「カレ」とは何かと言うと、「枯れ」も意味合いとしては間違いではないようなのですが、どうやら「離る(かる)」が最も有力なようです。

古語単語「離る」の意味

つまり「穢れ」は「気離れ(けかれ)」であり、「気が離れる」ことを古代の日本人がどう表現していたかと言うと、疲れて気力が落ちたり、落ち込むような出来事が起きてネガティブになったり、食べ物がなくて衰弱したり、その延長で病気になったり死んでしまう、それを「気離れ」と呼んでいたのではないでしょうか。

伊弉諾命は、妻の伊奘冉命を追って黄泉の国まで追って行きましたが、伊弉諾命は伊奘冉命の死に恐れ慄いて逃げ帰ったわけではなく、腐爛した妻の姿を見て戦慄したのであって、それが「穢らわしい」と認識したからです。
古代人は「死」そのものよりも、腐敗を見ることによって気が滅入ったり、病原体をもらって病気になることの方を避けたのかもしれません。

グロテスクなものやショックな出来事を目の当たりにすると、私たちは気分が悪くなります。その感情こそ「気離れ」に他なりません。
気持ちが悪くなったり、落ち込むと元気もやる気もなくなり、仕事に支障が出て作業効率が落ちます。作業効率が悪くなれば、成果にも悪影響が出て生活や富を脅かします。
それこそが「気離れ」の悪循環を生み、どんどん状況は悪くなってしまうので、どうにかしなければなりません。

「穢れ」が「気離れ」だとするなら、離れた気は呼び戻さなければならないでしょう。
私は、それが「清め=気呼ぶ」なのではないかと考えています。

「キ・ヨメ(ヨム)」とした場合、「読む」の語源は「呼ぶ」であるらしく、どちらも言葉を出してこちらに招くことです。
「気離れ=穢れ」で失った気は、「気呼び=清め」によって取り戻し、元気を得るというわけです。

では、「祓い」とは何かと言うと、日本民族学の議論に「ハレ・ケガレ」という概念があります。
「ハレ」とは、祭祀などを執り行う特別な日を指しますが、やはり「ハレ」は「晴れ」なのだと思います。
「晴れの日」という言葉に使いますが、対義的に使われる「ケ」とは日常を表す「褻」であり、「日常と非日常」を表現する言葉に用いられてきました。

「ハレ」の言葉を分解すると、「ハ(ヒ)・アレ」のことなのではないでしょうか。
上代特殊仮名遣いの「ハ」は、「早・速」を当てます。「速」は「速佐須良姫命」に使われる文字ですが、これは「勢いがある・すごい」という意味があり、「厳・斎」と語源を同じくしています。

つまり、「ハ」という音自体、盛んさを表現すると共に、「神」や「神事」を表していたとも言えます。
「ハ」が「速」であったとして、「ヒ」が「日」であり、「日・生れ(アレ)」だとすると、まさに太陽の登る様を指しているように思いますが、

「アレ」は古代日本語において「阿礼」と当て字されますが、阿礼は榊に綾絹や鈴をつけた幣帛で、古代から祭事に用いられました。
「神聖な霊が出現する」ことの意とされ、「ハ・ヒ=神」が降り立つ時こそ「ヒ・アレ=ハレ」であったのではないでしょうか。

とすれば、「祓い」は「ハレ(ル)・らう」の意であり、「ハレの状態にする」という意味になります。
それは「ケガレ」が「ハレ」ることであり、まさに浄化のプロセスそのものです。

では、ここまで色々とワードが揃って来たところで、「罪穢れ」の「罪」の語源を辿ると、古語の「つつむ/つつみ」から派生しているらしく、これは悪いこと、不吉なこと全般を意味したそうです。

平安時代に書かれた旧式の「大祓詞」には、天津罪、国津罪が細かく述べられていますが、その中に「昆虫の災い」「高津神の災い」「高津鳥の災い」とあります。
これは、古代の日本人にとって自然災害も「良くないこと=罪」であったからで、今日の法的罪状とは認識が異なったようです。

だから、「身の回りに起きる悪いこと全般」は「罪」であって、「穢れ」と共に不幸や災難をもたらすものだと考えられていたはずです。
それを解決するには、「ハレ」を呼び込むために「祓い」を行い、「清め」によって「気」を呼び込む必要があったのです。

おそらく、古代の日本人はこれを行うのが神々だという認識があり、神々に奉じて祓い清めをお願いするのが神道の始まりだったのだと思います。

その神々の働きの中で、「祓いの神」の役割がどれだけ大きいのかがわかります。
祓戸大神の産みの親である伊弉諾命も、禊祓をしたことで数多の重要な神々を誕生させました。

ゆえに、神道の真髄は「祓い清め」にあるのはこのためであり、神々も臣民も罪穢れを浄化されることによって健康や幸福を手にすることができるのです。
「穢れ」を受けてテンションが下がったり、体調を崩したりした時、「祓い清め」によって元気になるとしたら、それは「癒し」に他なりません。

「祓い清め」とは癒しのプロセスであり、「罪」が赦しによって贖われるとしたら、神々は愛や慈悲の心を持って、この世界や人々を治癒する存在なのかもしれません。

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「祓戸大神」を辿るⅡ

楽太郎です。

先日、「祓戸大神を辿る」という推察記事を書きました。
そこでは、祓戸四神は伊弉諾命の禊祓によって誕生した神々という説と、伊弉諾命と伊奘冉命の二柱による「神産み」から誕生した説を比較考察しました。
結局、瀬織津姫様が「淡水の女神」として記紀から疎外されたのではないか、という推察で終わってしまいましたが、今回はその続きです。

伊弉諾命が禊祓をしたのは、祓詞によると「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」とされていますが、この場所は実在します。
場所は、宮崎県宮崎市阿波岐原町産母にある「江田神社」です。

ここには、伊弉諾命が黄泉の国から逃げ帰った際、禊祓を行ったとされる「みそぎ池」があります。
私はこれを知った時かなり衝撃だったのですが、伊奘冉命の潔斎は「阿波岐原の川原」で行ったものだと勝手に思っていたのですが、この池は言ってみれば「泉」であり、湧水によって水を湛えている場所です。

祓戸大神は早瀬に乗せて罪穢れを海原に放って浄化する、というお仕事をされるので、てっきり伊弉諾命の穢れは川に流されたものだと想像していました。
少なくとも、溜池のように見えますし、水が流れているようにも見えません。
しかし、「みそぎ池」の近くには「みそぎ御殿」と呼ばれる古代の祭祀場があり、この御池も巫女や神職が禊を行った場所であると考えられます。

実は、伊弉諾命が黄泉の国から戻り、禊祓を試みた場所はここが最初ではありません。

佐賀関の「早吸名門(はやすいなと)」で禊をしようとしたところ急流すぎたので、阿波岐原のみそぎ池まで移動したとのことです。
しかし、佐賀関は大分県の国東半島の根本あたりであり、阿波岐原は宮崎県宮崎市です。
地図を見なくてもわかりますが、佐賀関から阿波岐原まで県境を越える距離です。

果たして、黄泉の国から穢れを負った状態で、何十キロという距離を移動できるものなんでしょうか…?

それはさておき、今回特筆したいのは「早吸名門」と呼ばれる場所です。
海沿いに「早吸日女神社」が建立されていますが、この神社の御神体は「伊弉諾命の宝剣」であるそうです。

早吸日女神社の社記及び「豊後国史」によれば、伊弉諾命が禊祓をしたのはこの「早吸名門」であるとされ、そこにいた二柱の姉妹神「白浜神と黒浜神」の導きを受け、後に「速吸(はやす)比咩神」を祀ったとされます。
それが伊弉諾命の「御神剣」が御神体とされている経緯と言えます。

この「早吸日女神社」の御祭神は、「八十禍津日神、神直日神、住吉三神(底筒男神、中筒男神、表筒男神)、大地海原諸神」の六柱であるとされます。
御祭神が六柱となったのは平安時代前期とされており、それ以前は「速吸比咩神」一座であったとされます。

奇しくも伊弉諾命の禊祓を行った地には、海の女神「速吸比咩神」が鎮座されていました。
私は、この「速吸比咩神」は、速佐須良姫命なのではないか、と考えています。

阿波岐原で禊祓をしたのは池であり、この御池からは三貴子が誕生しています。
その時、同時に祓戸大神も誕生していることになりますが、なぜか早吸日女神社の御祭神には本居宣長によって瀬織津姫命と同一視された「八十禍津日神」が、気吹戸主と同一視された「神直日神」がお祀りされています。
祓戸大神の「速開都姫命」は、二柱神の神産みから速開都比古と双子としてご誕生されていますが、上記の神々とは兄弟に当たります。

「住吉三神」も禊祓によって誕生した神々ですが、対になる神々として「綿津見三神」が誕生されました。
「綿津見三神」は、海の表面、中層、海底の穢れを祓うとされます。
この神々の役割こそ、「大祓詞」による「速佐須良姫命」の働きそのものではないでしょうか。

つまり、「早吸日女神社」にお祀りされている「住吉三神」とは速佐須良姫命と比定が可能であり、ゆえに「早吸日女神」に置換することができると考えられます。
ただ、「早吸日女神社」には二柱の幼い姉妹神の伝説から始まりますが、神武天皇の時代に「黒砂神」と「真砂神」という海女の姉妹神にまつわる故事もあります。

この神々は「砂浜」に関する神名がつけられていますが、「二柱」と「水戸=港」の関連から推察すると、「速開都姫命」との関連も考えられます。
とするなら、「速開都姫命」は「速佐須良姫命」との姉妹神であった可能性もありますが、即「白浜神」「黒浜神」に結びつけられません。
海岸の「黒砂」は、玄武岩を含んだ文字通り黒い砂で、海底の砂に当てはめることはできないからで、無理に考えるとしたら「速開都比古命」がどちらかの神と同一視することは可能です。

このように、祓戸大神は同一視できる神々が点在しており、なかなか本体となる神様の姿は見えてきません。
おそらく、何の文脈を中心にして考えるかで軸となる神格は決まるような気がします。

ちなみに、本居宣長の祓戸大神の同定説を辿り、興味深いことに気づきました。
本居宣長は速開都姫命を「伊豆能賣」としましたが、こちらの神様は「神」がついていたりなかったりするそうです。

大祓詞の中に「伊頭の千別きに千別きて」とあり、「伊頭」とは「御陵威(みいつ)=激しい勢い」という意味で、「厳島神社」の「いつき(厳、斎)」と語源が同じだそうです。
「激しい勢い」は「速」という文字に代替され、速開都姫命、速佐須良姫命の「速」という神名の一部となっています。

つまり、「速」と「斎」は語源的には同じ意味である可能性があります。
「伊豆能賣」は、伊弉諾命の禊祓によって神直日神と大直日神と共に誕生した女神ですが、この神名自体が「神降ろしをする巫女」そのものを指している説もあるそうです。

「伊豆能賣神」を主祭神とする神社は、福岡県北九州市の遠賀川周辺に複数あります。
少し南に下ると福岡市がありますが、そこにはかつて「伊都国」があったとされる糸島があります。
この「伊都」と「伊頭=伊豆」と「いつき(厳・斎)」の語源的な関係が気になっています。

糸島近辺には宗像市があり、宗像三女神と言えば「市杵島姫命、田心姫命、湍津姫神」であり、ここでも瀬織津姫命と繋がるのですが、ひとまず置いておきます。

福岡市水巻町にある「伊豆神社」の社伝よると、主祭神を「闇龗神、罔象女神、…神直日神、大直日神」となどの水と祓に関する神々が名を連ねます。
ここで調べていて気になったのは、境内社の「保食神社」の祭神に「御気津神」という神名があったことです。

「御気津神」とは、文字を変えれば「御食津(みけつ)大神」を指すらしく、「宇迦御魂」「豊受大神」「大宜都比売神」と同一視されるそうです。
古代語における「ケ」とは「食物」のことでもありますが、「気=氣」のことでもあります。
そして、この「御気津神」は罪穢れを祓う神であるとされます。
つまり「御気津神」は、祓戸大神の「気吹戸主」である可能性が高いのです。

意外なルートから気吹戸主様の正体が掴めそうになってきました。
それにしてもこの「大宜都比売神」というのも興味深く…。

今回は長くなったので、この辺で。
「祓戸大神」を辿る旅は、まだまだ続きます。

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「祓戸大神」を辿る

楽太郎です。

春分の日を境に、上昇気流のエネルギーの高まりを感じてテンションが上がってきて、むしろ上がりすぎて波長が不安定になっています。
今日、ようやく創作に本腰を入れられる気がしていましたが、まだ準備すべきことはありそうです。

私が「神様の絵を描く」と誓ったものの、一枚絵だけを描くことに集中しきるような器ではなく、やはり漫画を描きたい気持ちがどうしても抑えられません。
神様がその意を汲んで下さったのか、「祓戸大神」をテーマにした漫画のアイデアが降ってきました。
ただ、肝心の「祓戸大神が何をするか」がいまいち掴めず、漫画のテーマがまだ絞りきれていません。

以前の「ケガレを引っこ抜いてバレーボールする」というアイデアは嫌いではないのですが、あのコミカルさではギャグに振るしかありませんし、00年代後半の百合アニメのようなノリも、あまりピンと来ません。

ということで、一日中頭を抱えながら試行錯誤していたのですが、たぶん頭を抱えている時点でダメです。
今日のところは打ち切りにして、頭を冷やすことにしました。

「祓戸大神」の漫画を作るに当たって、祓戸四神とは何かを考えています。

「大祓詞」には瀬織津姫命、速開都姫命、気吹戸主、速佐須良姫命が「祓戸の大神たち」として登場しますが、「速開都姫」以外は記紀に登場しません。
しかし別の「祓詞」では伊弉諾命が阿波岐原で禊祓をした時に誕生した神々であると記述されています。

ただ、この潔斎で誕生した祓戸の大神は、記紀的な解釈では「住吉三神」「綿津見三神」「神直日神、大直日神、伊豆能売」が誕生したとされますが、「延喜式」に由来する大祓詞とは内容が異なります。

ちなみに大祓詞には旧式があって、現在主流となっている大祓は1914年内務省制定のものです。
旧式は平安時代の中臣祭文と呼ばれるもので、「延喜式」に記されたものです。
この大きな違いは、「天津罪国津罪」に具体的な例示がなされていることです。

ちょっと興味深かったので、その部分を抜粋してみます。

「天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 ここだくの罪を 天津罪と法別て

国津罪と 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 ここだくの罪出でむ」

字面だけでウッとなります(笑)
古来ではこの祝詞は神前にいる人々に向けたものでしたが、いつしか神様に対してお唱えする形になったそうです。
昔、自分たちが聞いていた祝詞を神様になっても聞きたい、みたいな感じかもしれません(?)

ともかく、大祓詞は伊勢神宮など大きな神社では年に二回の晦日や月に二回など、頻繁に大衆が耳にするものです。
「串刺し」「生剥ぎ」「母と子を犯す」など、子供たちも聞く中で「さすがにどうか」と大正時代に論題に上がったのかもしれません。

昔はこういう犯罪がたくさんあったのでしょうが、「生剥」「逆剥」などは、家畜の皮を生きたまま剥ぐことを禁ずるもので、人間相手でないのは少しホッとします。
「畜仆し蟲物為罪」は、呪術で家畜や人を呪い殺すな、ということらしいです。
さすがに近世で呪術をやる人はだいぶいなくなったので、罪状も一般的ではなくなったのもあるでしょう。

ここで書かれている「天津罪」の「畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺」は、水田や畑の破壊行為を指すと思われます。
国津罪に比べると、大量の人々の人命に直接関わるので、それだけ重大事と見なされたのでしょう。
稲作におけるタブーを鑑みると、これらの罪の定義は弥生時代以降の価値観であるように思えます。

もしかすると、飛鳥時代の律令制度の確立以前は、この祝詞を人々に聞かせることで、「こういう行為は罪に当たりますよ」と知らしめる機能が大祓詞にはあったのかもしれません。

私たちが「日本の神様」をイメージする時は、美豆良と呼ばれる結い方や、麻の貫頭衣を着ています。
この服装は弥生時代、古墳時代に一般的だったファッションです。
その頃に「国造り」が行われたので、その風俗がイメージとして残るのは当然かもしれません。

さて話を戻しますが、「祓戸大神は誰か」というのが気になります。
「大祓詞」には祓戸大神たちの出自に関する記述はありませんが、「祓詞」に伊弉諾命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓い給ふ時にあれ坐せる祓戸の大神たち」とあります。
つまり、伊弉諾命が黄泉の国から戻ってきて「禊祓」をした時に誕生した神だとされています。

江戸時代の国学者、本居宣長は瀬織津姫命を「八十禍津日神」、速開都姫命を「伊豆能売神」、気吹戸主を「神直日神」、速佐須良姫命を「須勢理姫命」に当てています。
速佐須良姫命を須勢理姫命に同定しているところで、私は若干腑に落ちない説でありますが…

しかし、「速開都姫命」だけは、「速開都比古命」と共に伊弉諾命と伊奘冉命の神産みによって誕生した神です。
祓戸大神が「禊祓」から産まれたとするのに、「神産み」の神が混ざっているのは不思議な気がします。

ならば、ここで「祓戸大神は禊祓ではなく、神産みで誕生した神々ではないか?」と仮説を立ててみたいと思います。
参考として、「神産み」によって誕生した神々とその役割をここに抜き出してみたいと思います。

  • 天鳥船神…船の神様
  • 石土毘古神…石の神様
  • 大山祇神…山の神様
  • 大綿津見神…海の神様
  • 久々能智神…木の神様
  • 志那都比古/比売神…風の神様
  • 野槌姫命…草の神
  • 速開都比古/比売神…港の神様
  • 火之迦具土神…火の神様
  • 泣沢女神…涙の神様

「泣沢女神」で「?」となりませんか?
泣沢女神は、伊奘冉命が火之迦具土神を産んだ際、妻の死を悲しんだ伊弉諾命の流した涙から産まれた水の女神です。
これらの「自然神」とも呼べる並びの中で、「泣沢」というのだから「川の神様」であっていいはずですが、なぜか山や海や港はあるのに「川」がありません。

そう、「川の女神」と言えば「瀬織津姫命」です。
「速開都姫命」はそのまま港の神、「気吹戸主」は「志那都比古/比売=風の神」、「速佐須良姫命」は「大綿津見神=海の神」と比定することができます。
しかし、神産みの中には「川」という概念がないので、比定できる神様がいません。
(一応、「泣沢女神」も「沢」が入っているので、川の女神とすることもできますが、一般的ではありません。)

神産みで誕生した淡水の神には、「弥都波能売神=井戸の神」や速開都夫妻の子「天之/国之水分神=雨と川の水を分配する神」が存在しますが、「川の神」ではありません。
「川の神」で最も有名なのは、「高龗神」です。「龗」は古い意味での「龍」のことで、高い山の谷間から降り立つ水流を表現しています。
川や滝にお祀りされている「龍神」を思い浮かべますが、「高龗神」は伊弉諾命に首を切り落とされた火之迦具土から誕生した神であり、伊弉諾命から産まれたとは言えません。

川や滝の傍にお祀りされている神様は、「龍神」や「不動明王」、「弁財天」がよく思い浮かびます。
「弁財天」はインド由来の川の女神ですが、よく比定される厳島神社系の宗像三女神、「市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命」は海と航海の女神であり、淡水や川を象徴しません。
しかも、宗像三女神の父は素戔嗚命なので、伊弉諾命から誕生したわけではないのです。

私は、瀬織津姫命を祀る神社を全国に調べてみて、明らかに淡水に関わる神様に海の神様がお祀りされていることに違和感がありました。
川や滝は、山の山頂付近に水源を持ち、高いところから低いところに流れて海に流れ出ます。
しかし、最終的に水が向かうところの海の神様が、川や滝の神様としてお祀りされているのはどうも納得がいきません。

「いや、昔の人は川の水も海の水も皆同じ水だと思ってたんだよ」と言うかもしれませんが、子供でも淡水と海水の区別はつきますし、川や滝や泉に航海の神様をお祀りするのも、直感的にはおかしいように思います。

つまり、中臣祭文の「延喜式」の時点では瀬織津姫命が祓いと川の女神として記述されても、「記紀」ではやはり意図的に「川の女神」という概念は外されているように思えてなりません。
「記紀」の成立年代は、持統天皇による天照大御神の神格の確立に当たる時期であり、その時に「瀬織津姫命」の名は秘匿された可能性が高いのです。

以前、「神の語源」という記事に書きましたが、「カミ」という語源は山の水源にルーツがあり、「川上」の概念が「神」に結びついたという話をしました。
天照大御神は日本の総氏神であり、太陽神として不動の信仰対象であるのは否定しませんが、「神」のルーツに「水源や川」が関係していることと、持統天皇の宗教改革は関連しているような気がしてなりません。

ただ、中臣祭文の大祓詞に基づく伊弉諾命の禊祓で産まれた祓戸大神と、伊弉諾命と伊奘冉命の神産みから産まれた天津神と、どちらが正しいかとか優先すべきかという話にはならないと思います。
そのどちらも「物語的解釈」であり、文献学的、歴史的な問題にしか過ぎないからです。

これらの「神々の由緒」をフィクションとして転用する上では、自由に発想して解釈して良い部分だと思いますし、おそらく学術的に議論を始めてもすぐには結論はつかないでしょう。
ただはっきりしているのは、「記紀」や神社祭祀の歴史においては、「瀬織津姫命」という神が正当な評価を受けて来なかったことは確かです。

すごく大切なことで、誰もが失念してはいけないことなのに、人間の都合で隅に置いやられる事例は私も身近に感じるゆえに、だから瀬織津姫様に親近感が湧くのかなあ…と思ったりします。

やっぱり、瀬織津姫様しか勝たんな

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