新作風の練習 Category:神世絵 Date:2025年03月28日 楽太郎です。 ついさっき、小耳に挟んだことでイライラしてました。 知り合いの会社の新規従業員が、七割外国人らしいです。 その会社は、外国人を雇用するので国から補助金が出ているため、外国人労働者を遣うことで収益を伸ばし、今では全国規模の会社に急成長したそうです。 こういう話を聞いて、「日本人…」とならないのが今の日本人です。 私はこれを聞いてものすごくガッカリしたのですが、私の周りに話がわかる人がいなくて、余計に何とも言えない気持ちになりました。 私はコツコツ反省しながらカルマを返そうと頑張っているのに、自分のやっていることに疑問すら抱かない人があまりに多すぎて… そんなことを風呂に入りながら考えていたところ、神様なら愚痴を聞いてくださるかな、と思いました。 こういうことは人間に話すべきではないでしょうし、口に出すことでもないでしょう。 まあ、神様がお考えになられたことですので、神様ならわかってくださるかもしれません。 早く何とかしましょうよ、神様… まあまあ気を取り直して、新しい絵柄で「顔」の練習をしていました。 私はつい最近まで美少女イラストを描いていた人間なので、リアルテイストの顔に寄せるのは難しいです。 最近描いた瀬織津姫様も、もっと絵柄をリアルに寄せてみたくなり、実験的に描いてみました。 練習していて思ったのですが、この絵柄で漫画を描けば「シリアス路線以外にはできない」ことに気づいてしまいました。 私はギャグとかエロばかり描いてきた人間なので、絵柄も作風もポップさを追求してきました。 それはある意味、私の武器とも言えるものです。 しかし、その作風を捨てるとしたら、自分の武器を使えなくなることを意味します。 それが嫌で嫌で、しかも私の作ったキャラクターがまだ心の中で暴れていて、今も外に出たがっているのを必死に抑えています。 彼らは私の子供同様の存在であり、彼らの世界や話の続きを描きたい気持ちも消えることはありません。 けれど、私は「順序」だと自分に言い聞かせて、神様に優先順位を置くことを決めました。 ただ、かつての作風に違和感を感じ、無理せず自然にこの作風になってきたことを思うと、「神様が私に何を描かせたいのか」を理解してしまいました。 そして、なぜ作風を捨てさせられることになったのかも。 これから先、世の中が沈んでいけば行くほど、今日のような浮ついたコンテンツが時代に合わなくなってくるはずです。 癒しとかお気楽さとか、そのレベルのエンタメで心が潤うような雰囲気ではなくなってくるからです。 しかも、食べ物にすら事欠く状況で、それほど娯楽にお金を回せるものでしょうか。 つまり、これからの時代の雰囲気を考えて、もっと普遍的なテーマの作品でなければ、存在する価値すらない作品になりうる可能性があります。 だから、「祓戸大神がケガレを引っこ抜いてバレーボールする」なんてネタに神様からゴーサインが出ないのは当たり前です。 そういった浮ついたものは、人間どころか神様がお許しにならないのだと思います。 ということは、シリアス一択… でも冷静に考えて、今の私の心情ではギャグやコメディ、しかも神様を絡めてわちゃわちゃしたものを描くのは難しいと思います。 知り合いの話をちょっと聞いただけで、人のために楽しい話を作る気力すらなくなってしまいます。 とは言え、漫画は人間が読むものですから、人間のために描かなくては意味がありません。 ただひしひしと感じるのは、私が人々に対して思っていることは、神様も感じておられることなのではないか、ということです。 そうやって神様のお気持ちを代弁する、代弁して人に対して説いていく、そうすることで神様のお役目を果たせるのかもしれません。 私はここ数年、世の中が暗く沈むからこそ明るい作品を作ろうと心がけて来ました。 けれど、変に明るい作風はこれからの時代、諸刃の剣というか、慰みは逆に価値がなくなるような気がします。 だとしたら、わりとエグい内容の方が良いのかもしれませんし、現時点で血なま臭い雰囲気の作品になるかもしれません。 そういうのは描いたことがないわけではないのですが、描いてる私がつらいというか… そんなこと言ってられないのでしょうね。 これから準備したいと思います。 PR