招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

スピリチュアルと生き方

楽太郎です。
深夜2時に突然目が覚めて、水を飲んで寝直そうとしたところ、神様から強制アップデートが入りました。

身体が痛いなと感じていた部分が和らぎ、眉間あたりに強い光源を感じました。
真っ暗にしているはずなのに、目を瞑っていても眩しいほどでした。同時に、左耳に高い周波数の耳鳴りを感じました。

私は「あ、来たのか」という感じでしたが、よく考えれば神様とか光の存在は、真正面の上のあたりから来られる印象です。
最近まで生霊と格闘していたのですが、ああいう疾しい存在は首筋や肩を狙って背後から来る感じがします。

確かに自分が神様なら、わざわざ人間の前に姿を現すなら「来てやったぞ」みたいな感じで堂々と正面から降ります。
自分に後ろめたさがある存在は、人の見えないところや弱い部分をついた方が楽なので、背後や足元から絡みついてくるのは理に叶っているように思います。

ともかく、このアップデートは受け取ってすぐ内容がわかるものではなく、必ず後で伏線回収があります。
ただこの夜は神様に叩き起こされたというより、脳が緊張して起きたという感じです。

最近は夢の中で高次元の存在と会話しているらしく、わりと寝ながら頭を使っている感覚です。
以前は人間の集合意識に潜る夢を頻繁に見ていましたが、最近はなくなりました。その代わり脈絡のない象徴的な夢が多くなり、これはこれで面白味はないかな、とは思います。

真夜中でも、救急車のサイレンを2度聴きました。
医療関係の方は大変だろうなと思いますが、この異常な世の雰囲気を感じる人ほど不安でしょう。

よくある「2025年に〇〇が起こる」みたいな情報は、あえて私は見ないようにしています。

例え当たるとしても、予言にありがちな不安産業に加担したくない気持ちもあります。
それはそれで予防意識に繋がるのはいいのかもしれませんが、こういうのは当たらなかった時の責任を誰も取らないのが気になります。
常に言いっぱなしなら、狼少年のように何を言っても構わない状態になるはずです。その点、どうやって信憑性を担保していくつもりなのでしょうか。

私は、その予言がいかに信憑性が高く思えても、無闇に安心感や不安感情を流布する行為が一概に正当化できるとは思えません。
それはスピリチュアル界のインフルエンサーの発言であっても例外なく、安易に鵜呑みにするべきではないと思います。

「権威」は、何かを言えばご自身の影響力で真実味が増してしまいます。
その真贋はともかく、スピリチュアルな世界は三次元世界の情報網と異なるので、自己の内在神や神霊とアクセスする能力があれば、いずれ自分で同じ情報を得られるはずです。

「誰々さんがこう言っていた」のは参考になるかもしれませんが、それを真実性があると思い込み、鵜呑みにするのは三次元的な情報処理だと思います。
私は、「わからないことがわかるようになる」というのも真理追求の面白さだと思っているので、鶴の一声で判明する真実には興味がありません。

スピリチュアルの業界は玉石混交ですが、私は何が良くて何が良くないというジャッジはしないように心がけています。
ただ、いわゆる「神懸かり」的な説話を聞く時には、ある程度の注意はします。

それは別に霊感だけではないのですが、その話を聞いて「人間的に豊かな成長をもたらすか」どうかで判断します。
中途半端な状態で、安心させたり慢心させるようなことを神様がしたがるとは思えません。
不安に関しても同様で、変に脅したり恭順させる言説は不自然に思います。
神仏の世界は無限にある「徳」の階層なので、魂の成長段階として滞留を促すことはないはずです。

その預言がどれほど困難であろうと、人を成長させ内面的に豊かになる道筋を示されている、という解釈が可能ならば、それは神様のお言葉である可能性が高いと思います。

人は、神様のお言葉を意識関係なく受信した時、「それはちょっと」みたいな感じで聞かないフリをしたり、わざと曲解して良いように解釈しがちです。
ただ、それを受けて慢心してしまうのは、悪魔から囁かれたのと同じ状況を作り出してしまうかもしれません。
私の感覚では、神様のお言葉はちょっときついくらいの塩梅でやってきます。それを素直に受け入れられる人は、変化を受け入れ内面的に成長して豊かになっていくと思います。

スピリチュアルは、目に見えないがゆえに反証性がなく、だからこそ真実性よりも「意義」のほうが強いのだと思います。
それを信じることで救いの方向を模索するのが、精神文化たる宗教やスピリチュアルなのではないでしょうか。

近年のスピリチュアルは宇宙的な概念を中心にしながら、宇宙の内在性をフューチャーした高次元の自我にフォーカスが集まっています。
批判するわけではないのですが、宇宙や次元と自我の間にある構成物、言うなれば地域や社会、人々の価値観や制度が省略される傾向にあると思います。
その「自己」と「宇宙」で全てを説明し、中間のものを取り扱わない言説に、私は何となく物足りなさを感じてしまいます。

引き寄せや開運も大事ですが、宇宙と自我の間にある地球的なもの、人工物、国家や社会や地域性に対して、目を向ける意識も大事ではないかと思います。

今、世の中は荒れてきており、引き寄せや開運ではどうにもならないほど、社会的な地殻変動が起きています。
その中でスピリチュアルな力を自分のために使うだけではなく、身の回り以上にこの社会や時代をどうしていくのか、そこで神仏のお力をお借りし、どう世に貢献していくかが大事なのではないかと思います。

自分が高次元存在と繋がっているから救われると思えても、仮に世界のどこかで理不尽に身売りされる子供や、犯罪者に食い物にされる弱者がいて、その世界の地続きにある己の幸福とは一体何なのでしょうか。
私はそれが、人として地球に生まれたことの一つのテーマであると思います。

スピリチュアリズムとは、個人が「気持ち良く生きる」だけではなく、世に暮らす人々が共に気持ち良く生き、神仏や宇宙存在と調和する世界のためにあるのではないでしょうか。
だからこそ、聞き心地の良い言葉だけに耳を傾けず、神様の厳しいお言葉にも頭を垂れ、まず自分が動いて周りを良くしていくことが大切です。

そういう実践を重ねていけば人間は成長し、いつか本当の幸福をつかみ、豊かな生き方ができるのだと思います。
神様は優しいだけの存在ではないかもしれませんが、私たちのそばにいてくださるのです。

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