招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「大峠」とは何か

楽太郎です。

日月神示とは何か」「日月神示解説」、「日月神示解説補足」と立て続けに「日月神示シリーズ」の投稿をしてきましたが、今回は現在進行形と思われる「三千世界の大洗濯」こと「大峠」に関する解説になります。

解説とは言え、あくまで私個人の見解なので予めご容赦下さい。
日月神示に語られる「大峠」とは、「天日月大神」が天地を統治する「ミロクの世(弥栄の世・神世)」に至るまでの「神界・幽界(霊界)・顕界(現界)」の建て替え・立て直しとされます。
天日月大神とは日本神話で語られる「国常立尊大神」とされ、記紀では「素戔嗚命」に比定されます。

「国常立尊」の御神名にあらせられる「国(くに)」とは「地(クニ)」であり、即ち「地常立尊」とは「地球と月の支配神」と解釈して良いと思います。
月は潮の満ち欠けと「夜」を象徴する天体であり、「滄海原」と「夜の食す国」と「天下」を治めるとする素戔嗚命の神格と符号します。
その国常立尊が「岩戸開き」の後に高天原とその象徴である太陽を司ることで、「天日月大神」として神・幽・顕の三千世界を統治すると神示にあります。

今回は、「日月神示解説補足」で触れた「アセンション(次元上昇)」と霊界の関係について深掘りしたいと思います。
例によって、図解を含めながら説明します。



これらの論考は、日月神示「地震の巻」と「龍音の巻」の本文から類推しました。
なお、「地震の巻」に関しては謎の記号と図像のみの帖、天明氏の論考と思われる霊界解説が含まれており、厳密には日月神の神示とは見なされていません。
今回の解説は、宗教家であられる岡本天明氏の見解も踏まえています。

日月神示及び天明氏によれば、「三千世界」と言われる「神界」「幽界」「顕界」のうち、神界には天人の住む「天国」と天使の住む「霊国」、幽界には「陽霊人」「陰霊人」が住まうとされています。
しかし、私の文脈では「神界」には「神と天使」が住み、「霊界」には天使に連なる高級霊までのヒエラルキー、その下には地獄的想念の霊人たちが限りない層を成して住まうと想定しています。
そして、死後に50日ほど過ごす「幽界」を挟み、地上人の住まう「現界」があると考えています。

ゆえに、神示の文脈からは若干ズレるのですが、ほぼ階層として同じ構造です。
この「神界」と「霊界」を合わせて「天界」とし、現界と地上の霊的気場「霊気層」を含めて「地界」と考えています。

人間は生前、死後と霊界に魂を置き「霊人」として生活しますが、私の感覚だと存命中も霊界に魂の本体があり、地上の生活と連動しながら存在し続けているように思います。
人間は睡眠時に「魂の里帰り」をすると言われますが、神示や天明氏の論考の中にも「霊界での出来事は顕界と連動する」と書かれているので、私は生まれ変わり中も大我の中で霊界と魂が繋がっていると考えています。

「地震の巻」の中で天明氏は、「天国的想念の方向は明るいので進みやすいが、地獄的想念の方向には光がないので暗く、それゆえ進みにくい」というようなことを書かれています。
神示の中にも「霊界は上がりやすく堕ちにくい」と書かれていて、どうやら中間的な層として死後すぐに行く仮の霊界があり、そこから段階を経て自らの想念に近い霊的コミュニティに向かっていくと考えられます。

図では、その霊的ヒエラルキーを格子構造として表現しています。
本文には「霊界には空間がない」と書かれているので、おそらく実際はもっと非連続的なのでしょうが、一つの空間世界に雑多に存在するわけではなく、かなりニッチな空間世界が縦横無尽にあると解釈できるため、このような構造にしました。

「地震の巻」には人間は死後50日程度を幽界の準備的場所で過ごし、最長20年そこで留まるケースはあるがそれぞれの想念に近い霊的世界に進んでいくと書かれています。
私はこれを一般的な「幽界」の定義に当てはめて考えています。
そして、地獄的想念を持った霊人たちは一般的に「地獄」に近い場を作り上げますが、厳密にはもっと細分化された空間世界だと考えられます。
また天国的想念も「天国」に近いコミュニティを形成していきますが、上位に行くほど霊的な階層は高くなるので、神界に近づけば近づくほど「天国的」になっていくのだと思います。

厳密には、霊界の最上部付近と神界の天使の住まう層は連続していそうですし、霊界と言われる「五次元世界」の上層には天使が住むとされているので、それほど違いはないかもしれません。
その「天使」は、私たち人間からして見れば十分「神様」と考えて良い存在であり、特に人間の守護につくことが多いと言われています。
ゆえに、天使以上の霊的存在は一般的に「神」と考えてよく、神の上には神が存在し、その更に上に神が、と神々の階層も無限に広がっていくと言われています。
その神々も、より高位になればなるほど抽象化し、「大神」と呼ばれる御神格は神界の上層におられると考えられます。

ここまでが構造的解説ですが、生前・死後の霊人は存命中の人間にアプローチをかけてくることがあります。
ただし本文の解説では、浄化した高級霊ほど暗示的な干渉を伴い、低級霊ほど具体的な現れ方をすると書かれています。
「天国的想念の霊人」が生きている人間にアプローチするなら、加護や福運を伴う干渉を行うでしょうが、「地獄的想念の霊人」ならば呪いや災い、或いは病的な人格変化などに現れるはずです。
これを私たちは、「ガイド」とか「守護霊」とか、「邪霊」とか「悪魔」とか形容したりするのだと思います。

おそらく「幽霊」と呼ぶものは、幽界と霊気層、エーテル体とも呼ばれる半霊反物質の層をまたがっていて、あまりに地上への物質的執着が強すぎて霊界に進んでいけないのだと思います。
これが次の図説のキーポイントで、「幽界の消失」と「地球の次元上昇」と深い関わりがあります。




「大峠以前」の三千世界では、「幽界」が現界と霊界のクッションの役割を果たしていました。
しかし、地球が次元上昇すると霊的三次元だった地上世界は四次元となります。
しかしそこには幽界という霊界の準備場があったため、その気場を払って浮上することになります。

そこで幽界を取り払うと何が起こるかと言えば、幽界が縮小するに従って死後のインターバル期間は短くなり、幽界に居座りたかった不浄霊は行き場を無くします。
例えて言うなら、市役所のホールが小さくなっていくのに、手続きにくる人の数が変わらなければ所内にはいつまでも人を溜めておけないので、手続きも簡略化して流れをスムーズにするでしょう。
幽界の不浄霊にとって霊界は明るくて進みやすい反面、まだ地上に未練があるので上がるのは難しく、かと言って地獄的想念の場は暗すぎて進みにくいのです。

だから彼らはまた地上に戻ろうとして、エーテル層と幽界の狭間を浮遊するか、人やモノに憑依して執着や未練を晴らそうとします。
これがアセンションに伴う「憑依と浮遊霊の大量発生」の原因ではないかと考えていて、憑依された人間は邪念が強くなるので他の人に対して「生霊」という念を飛ばします。
人間の強い念はそのまま「呪い」となるので、呪いをかけられた人の心身はおかしくなり、故にまた他の人に生霊を飛ばすことになります。

今日の社会的混乱と人心の乱れは、ここから起きているのではないかと私は推察しています。
地球が次元上昇するために「幽界」を取り払うことで、行き場を無くした「幽霊(幽界人)」が地上で憑依や霊障を引き起こし、それを助長する地獄的想念の霊人、そして人間の浄化と覚醒を妨げる「神に仇なす者たち」によって、悪の勢力が隆盛しているのが昨今なのではないでしょうか。

では、「大峠」以後の三千世界がどうなるのか、考えてみたいと思います。

人間の死後にインターバルとしての「幽界」が取り払われたということは、死後すぐに霊界に行かなくてはならないことを意味します。
人間の霊的レイヤーも地球と共に四次元に上昇しているので、四次元地球自体が幽界の役割を果たすことになります。
幽界は日本神話で言えば「黄泉の国」であり、仏教で言う閻魔大王の裁きの場でもあります。
日月神示でも語られる「神と獣」の選別、バシャールの語る「ポジティブとネガティブ列車」、私が扱ってきた「神世と人世」という二義的世界は、今その魂の分岐が明確になったことで、死後の行末が現段階ですでに生きながら決められたとも考えられます。

人間が現世に生まれるのは霊人の「魂の修業」のためでもあるので、地上世界が次元上昇することで直接的な霊魂の修業の場となれば、霊魂としてはより高次元に近づきます。
つまり、人間は四次元(スピ的には五次元)の地球で生きながらにして幽界と同じ霊的次元に生き、霊界の行き先が早々に決まるため、死後すぐに霊界に入ることができるわけです。
まして、人々はこれから霊格や「徳」を高めていくターンに入るため、死後に物質的執着を取り除くインターバルを設ける必要性も薄れます。

「日月神示」では、繰り返し「悪は悪ではない」「善と悪の和合こそ真の善」と語ります。
もし「悪は滅ばされるべき」と考えるなら、大峠時に「獣」とされた人々は、死後霊界に入ることを許されず消滅するか、別の次元の地獄的気場に押し込められることになるはずです。
しかし、「悪は大神が許すから存在する」と語られており、悪は必要悪ゆえに宇宙から消滅するべきではありません。

だからこそ、私は「獣」とされた人々もそのまま「地獄的想念のグループ」に直行することになるのではないかと考えました。
しかし、「生まれ変わり」というのは本来、霊人がより高い階層に行くために修業する意味を持っているので、向上心のない霊人はわざわざ地上に転生したりはしないはずです。
かと言って、意地悪い霊人が永久に改心しないとは言い切れず、どこかの段階で「人間に生まれ変わって修業したい」と思うかもしれません。

全ての魂は大神の「分御霊」から生まれ出た神であるので、その自由意志は尊重されるでしょう。
従って、霊人はいくら自らの霊的コミュニティに留まったと言えど、地上に降りた人間は全て高いレベルの霊的修業を行うことになり、全霊魂が改心と浄化に向かう以外のベクトルが用意されていないのです。

つまり、どんな邪悪な性質を持った霊魂も「大峠」で散々痛い目を味わった後は、必然的に改心か霊的浄化に向かうしかありません。
だからこそ、「善も悪も改心させる」と日月神示では豪語されているのだと思います。
そして、善も悪も誰もが悔い改めて結果的に改心していくのだとしたら、世界はどう考えても弥栄えていく道しかないのです。

「世界を一列一平にして一つの神で治める」と神示にあります。
「地獄的想念」と「天国的想念」の霊人社会が神界を中心に遍く統治されるとしたら、その頂点に位置するのが神界(高天原)を新たに支配する「天日月大神」です。
以前の解説で述べたように、これまで「月と地球」を支配していた国常立尊大神こと素戔嗚命は、高天原を支配する「天照大御神」の権威も嗣ぐことになるため、実質的に「三千世界の支配神」となります。
ゆえに、天日月大神の直接統治が神界、霊界、現界と遍く行き渡る「ミロクの世」となり、末長く弥栄ていくのだと思います。


ということで、独断と偏見と勝手な解釈で「大峠」の意味について考えてみました。
私自身、死んだことがあるわけではない(死にかけたことは何度もある)ので霊界解説に関しては完全な受け売りなのですが、一応筋は通っていると思います。

毎日胸が焼けるようなニュースと、白々しい顔をした偉い人たちの顔を見て居た堪れない日々を送っていますが、神示の言うように彼らも悪という御用をしっかりこなしているのだ、と考えて納得するようにしています。
正直に言うと「早く地獄に堕ちればいいのに」と思う気持ちもない訳ではないですし、己の無力感と向き合うこともあります。

ただ、誰しもが幸せになることを求め、それが例え我良しであるとしても、全ての人間を殺して回らなければ気が済まないような悪人はいません。
どんな人間にも幸せになる権利はあり、そのやり方が多少周りを犠牲にするだけのことで、その行為は宇宙に許されているから存在します。

ただ、彼らのやり方がもう時代に合わないというだけのことであり、TPOを弁えないがゆえの罪なのです。
次に電車の席に座りたい人がいるのに、降りるべき駅で降りずに座席で横になっていれば困る人がいますし、要は順番を守って欲しいだけなのです。
そして、その座席が空くのを次の時代に生きる人々は静かに待っています。

けれど、いずれコワモテの駅員さんが駆けつけて、彼らの肩を叩く時が来るでしょう。
私たちはその時を待っていれば、晴れてグリーン席に座れるのです。
その電車は、逆さまだった世界がさらにひっくり返り、「神秘」というビックリ箱が開いた「弥栄の世」に向かっていくはずです。

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