招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「神」の語源

楽太郎です。

現在、好転反応中につき身動きが取れません。
絵を描くとかの騒ぎではないので、興味あることを調べています。
最近、巷でよく「働く」とは「傍(はた)を楽にする」ことだと言われているのですが、ずっと「本当かなあ?」と思っていたので、この機会に調べてみました。

私が参考にしたのは、坂本小見山さんの動画です。「働く」の語源についてまじめに考えてみた

これによると、言語学的に考えて「働く」の語源は「徴(はた)る」「はた(はた)-らく」の派生であるのが有力らしく、「傍を楽にする」は掛け言葉、いわゆる「当て字」だそうです。

かなり権威筋も使っている用語だけに、これは目から鱗が落ちました。
スピリチュアルな人は特に、神秘に偏るからこそ科学的な目線を失いがちです。
いくら神様と繋がっていると言えど、半生をかけて研究してきた人の学識を蔑ろにすることはできません。

私はこの気づきから、言語学的視点から「神」の語源を調べられないか、と思いつきました。
今回、私が参考にしたのは以下のサイトです。

和風原論 神からカミへ

国語学者の阪倉篤義氏によれば、「カミ」は「クマ」と近い言語グループに属するそうです。
かつて神の御料を「カムシロ」「クマシロ」と呼んでおり、「クマ」は山奥にいる神聖な存在を指したとされています。

確かに、「熊」は山奥にいる生態系の頂点にいる生物であり、かつては人間が太刀打ちできない脅威であったはずです。
また、熊本県には「珠磨郡」がありますが、この「球磨(くま)」には昔、大和王権に抵抗した「熊襲」がいたとされます。

ちなみに、球磨郡の北方には「玉名市」があり、ここは神武天皇の母上であらせられる「玉依姫」ゆかりの地です。
「玉名大神宮」は、おそらく我がご先祖様、菊池則隆公が建立した神社であり、公の御息女「玉依姫」の墓石が祀られております。

同市内にある「伊倉南八幡宮」は、かつて熊襲鎮静を祈願して南向きに建立されたそうですが、このすぐ南には球磨郡があります。
玉依姫命の「玉」とは「霊」を差すと言われますが、この「玉」は「クマ」には語音的にならないとしても、「球磨」となれば勾玉やその関連もあるのかもしれません。
この辺は、学術的に深く検証してみたいところです。

ともかく、「クマ」と「カミ」はとても近い語形だそうです。
「クマ」は「山、川、道などの曲がって奥まった場所」を指し、母音を変換した「カム」がi母音をつけて名詞系に変化したのが「カミ」であるとしています。
つまり、「奥まった隠れた地にいるもの」を「クマ、カミ」と言っていた可能性があります。

熊襲は山に隠れし山賊的な部族であり、また古代の巫女も山奥に一人住んでいたと言われますから、山奥にいる人々は隠れた存在であるがゆえに、「クマ」と関連づけられたのかもしれません。

また、「カミ」にはもう一つ始原があり、「カミ」は「シモ」と対を成す「モト」を意味する言葉であったとされています。
「川上」や「川下」という概念に近く、川上は山奥にある水源であることが多いことから、「クマ=カミ」の語彙と親和性があるとされます。

ただし、以下のブログ記事によると、「上(カミ)」と「神(カミ)」の「mi」における上は甲類、神は乙類の語系で、言語の系統が違うそうです。

「神」の語源

この記事の興味深い部分は、川上に用いられる「上」は、水を指す「kalm-」という発音に相似性があり、「ka」も「mi」も水を指す言葉であった可能性があります。
そう言えば、「川」も「kawa」と発音をします。
また、川下の「下」は、「sam-」から来る言語郡から派生しており、「島」や「霜」に繋がっているそうです。
心なしか、伊邪那岐命と伊邪那美命の国産みに近いイメージがあります。

冷静に考えると川上の水源は山奥深くにあり、人が立ち入ることができない秘境です。
そこに目に見えない神秘的な存在がいるはずと、太古の人々が想像するのは自然なことです。

私はここで、この「kami」という語は主に淡水を指していることに気づきました。
淡水の神様で思いつくのは「瀬織津姫命」です。
水源や滝、川や泉にお祀りされている神様の代表格が瀬織津姫命様です。

人間は海水では生活できないので、文明は大抵淡水のある場所に発展してきました。
古来より日本人もそうで、私は「神の原型が瀬織津姫命にあるのではないか?」と大胆な推論を立ててみることにしました。

余談ですが、日月神示では、神を「火水」と表記していますが、これは日月神様の洒落た言い回しであると思います。
「火」の「ka」は音読みなので中国由来の読み方であり、「神」の「ka」はむしろ当てるなら「日」の方が相応しいと思います。
「日」は「五日」などと使うように、古来から「ka」という使い方をされてきました。
「神」を「日水」とするなら、伊勢神宮に祀られている天照大御神の荒御魂が瀬織津姫命だとされているイメージとも一致しますが、あくまで妄想です。

さらに妄想を広げると、邪馬台国を治めた「卑弥呼」の「呼」が感嘆詞でないとするなら、「比咩子」「日實子」であり、「日水子」の当て字もできると面白いなと思いました。
なお、「日ミ子」は「ヒミコ」「カミコ」であり、神格を取ると「巫女(みこ)」となる、と空想に近い推論もできるかもしれません。
ここら辺は、言語学的な検証をしたらめちゃくちゃな話になるかもしれませんがw

「クマ=カミ」がいると思われる最有力な場所は、水源がある山頂付近であり、太古の人々は山に神が宿ると考えていただけに、恵みを産む淡水の源に神を想像したのかもしれません。
かつて、大和朝廷を悩ませた土蜘蛛は、地方部族が信仰する巫女であったとも言われており、卑弥呼も山奥に住んでいたことから、「巫女=比咩」と山奥にいる女神の親和性は高かったのかもしれません。

話を戻すと、日が昇るのは山の頂上からであり、山の奥にある水源とも遠からず連想できます。
またここで、「太陽」と「水源」の相関を見ることは可能です。

ゆえに、私は「神の原始イメージは瀬織津姫命にこそある」と学閥・神道界無視の持論を掲げ、本記事を締めようと思います。

瀬織津姫様しか勝たん‼︎

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