招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

日本人に望むこと

楽太郎です。

今日は皆既月食の満月です。
私の自宅からも月食を観測しました。風速8メートルの風が一日中吹いており、今現在もかなりの轟音です。

満月に合わせて、強風で邪気を吹き飛ばしているような気がしてなりません。
これで人間の感情が収まればいいのですが、おそらく無理でしょう。
この風の音を聞くと、神様の怒りを感じざるを得ません。

私は今朝から何となく落ち着かなくて、行動が全て雑というか、精細に欠く感じでした。
満月の影響からか神経の昂ぶりがひどいなと思い、今日は気をつけて生活することにしました。

ジワジワと蛇の生殺しみたいに悪くなっていく世の中で、人々の苛立ちや不満を邪気としてひしひしと感じます。
私は全てが神様のご計画だと思って受け止めているため、苛つく人々にあまり同情はしません。
人々が困るのも魂の修行かカルマでしょうし、それ自体は仕方ないと思いますが、私の視界の中で惨い光景は見たくないな、とそれだけは感じます。
私は特にHSPなので、視界に入った時点で色々なことに同調してしまうのを危惧しています。

莫大なカルマを返さざるを得なくなった日本社会ですが、ぶっちゃけもっとカルマが深い国はいくらでもあるでしょう。
あまり神様の手の内を明かすと怒られそうですが、カルマの返済が比較的早い段階で来たのは、世界に対する日本の優位性と関係があるのではないかと思っています。

諸外国に比べ日本はカルマが低い方ですが、日本という国土に対するカルマの蓄積など、神様からすればそれが大問題のはずです。
神様がこれまで何万年と守ってこられた土地というだけではなく、何百世代にも渡るご先祖様たちの
血と汗と涙が染み込んだこの地は、ご先祖様たちが今も眠り、ずっと守って受け継いできた、命よりも大切なものだったはずです。

その土地を資産に見立て、矢鱈とビルを建て住宅地にし無計画に開発した挙句、山を拓いて太陽光パネルで埋め尽くし、日本人が少なくなったからと外国人に喜んで住まわせています。
この光景を神様やご先祖様がどう見ているのかを、日本人は考えたことがあるでしょうか。
いや、あるにしてもこの国を牛耳る集団には、この発想が微塵もないことくらいはわかります。

どうしてこんな国になってしまったのか、一体どうすればいいのか、私は考えると気が滅入ります。
数十年前まで、日本は世界一の経済大国でした。
その頃と今を比較してもしょうがないのはわかりますが、何をどのように間違えたら今のような国になってしまうのでしょうか?

当然、制度や政治上の問題もあるでしょう。
人口動態の問題もあります。しかし、それ以上に決定的だったのは、人々の「価値観」だと思います。

思い出してみてほしいです。
この数十年で、地域の商店街は軒並み郊外型ショッピングセンターに駆逐されました。
買い物をするにしても、ネットの方が品揃えが良く配送も早いです。その代わり実店舗のメリットはだいぶ失われました。
本はデジタルやネットに代替され、紙の本を買う人は少なくなり、電子書籍は外国の企業が販売代理店になっています。
音楽も映像もメディアがデジタル化し、サブスクもスマホも外国企業がサービスを一元化しています。

このプロセスの中で、日本の商業の多様性がだいぶ失われてしまいました。
それは「時代の流れ」と人は言うでしょうが、その時代の流れとは、「便利さと利得」だけを選択していった結果なのではないでしょうか?

便利さと利得を優先した結果、大衆は大企業の製品やサービスだけを求めるようになり、中小企業は大企業の寡占に耐えきれず駆逐され、大企業の寡占は腐敗と癒着を産み、現状のような多様性のない経済を形成しているように見えます。

今、何かを起業したりサービスを始めるにしても、大企業の傘の下で風呂敷を広げるか、大企業相手に仕掛けるしかありません。
圧倒的なシェアの中でビジネスを始めれば、最初からハンデを持つかマージンを取られることが前提となります。
サービスの内容によってはサービス元に検閲され、規約は法律以上に融通が効かないものになります。

この産業形態の一元化によって、あらゆる業者は同じことしかやらなくなっていきます。
同じことしかやらなくなるということは、想像力や多様性が失われ、挑戦もイノベーションも阻害されることになります。

思えば昭和の頃、いくら若者の人口が多かったにしても、パソコンもスマホもない時代で午後5時上がりの勤務をしていて、日本は世界一の経済大国になりました。
しかし今、これだけデジタル技術が進み外国人の手が入り、しかも残業までこなしているのに人手不足で万年給料が上がらないわけです。
果たして、この現象を「技術が高度化して業務が複雑化した」の一言で済ませられるでしょうか?

私には「便利さと利得」の追求が社会を複雑にし、その仕組みがこの国から国富と国民の幸福を奪っているように思えてなりません。
システムのどこかに致命的な陥没があって、そこから日本人のエネルギーが大量に流出している。
このことを、もっと本気で追求するべきなのです。

日本人の真の問題は、問題に対しての流されやすさです。
自分で考えるよりも権威筋の話を聞き、納得して世間話程度で話を済ませ、何かをした気分になることです。
それは、残念ながら原因を知ったことにも、問題を解決に向かわせたことにもなりません。
このことにすら気づかない鈍感さが、今の状態を作り出したのではないでしょうか。

今の日本人は、目に見えないものに意識を向けるのが一番難しいのだと思います。
目に見えないものに意識が向かないから、自分が見えている以上のものを知ることができないのです。

優しさも愛情も理解も、目に見えないものだからこそ認識できず、ゆえに優しくできず、愛情を向けられず、理解することもできません。
他人の心がわからないから自分の心もわからず、問題に対して何をしたらいいのかわからないのでしょう。

世界の全てが目に見えるものしかないから、自分を幸せにするものを目に見えるものだけで揃えようとし、自分を不幸にする原因も目に見えるものだけにしか見つけることができません。
そして問題を解決する方法も、目に見える手段しか取ることができないわけです。

その唯物的な世界はある意味シンプルで、一次元的な世界ゆえに難しく考えなくてもいい世界です。
そのお手軽さに浸かりきったせいで、日本人は自分の頭で問題を掘り下げる能力が欠落してしまったのだと思います。

この国を本気で取り戻そうと思うのなら、自らの正義のために世を変えようとするのではなく、世の善悪を軸にして動くべきなのではないでしょうか。
世の善悪とは法律やルールではなく、「良心」です。
今こそ、日本人の本来の価値観を呼び戻し、この良心で秩序を戻していくことが必要だと思います。

日本人は古来から、「目に見えるもの」に「目に見えないもの」を見てきました。
それが万物に神を見る精神であり、八百万の世界観です。
この肝心の部分を蔑ろにして、この国は取り戻せません。

私は、まだ間に合うと思います。
少なくとも、大難はまだ小難にすることは可能です。
悲惨な光景を目にする前に、一人でも多くの人に目覚めて欲しいと思います。

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