招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

自分の心に答えを求める

楽太郎です。

最近、特にインフルエンサーやメディアの裏側や正体が暴露されて、その言説を取り巻く信憑性が揺らいできました。

これに関しては私も実感しています。
以前は日本の保守論陣のロジックの正しさを確信していましたが、それにも次第に疑問が湧き、距離を取って別の論点に触れてみると、その正しさにも一応納得がいくのですが、どの論理も相互に矛盾があり違和感を覚えます。

特に、スピリチュアルと時事を同時に扱っているインフルエンサーの話を聞くと、背後に神霊がいらっしゃるという頭があるので、余計に後光が差して正しく聞こえてきたりもします。
ただ、距離を置いて遠目に見てみると、その人物すら信用していい人物との直感は得られない、そういう人はかなり多い印象です。

岡本天明氏に降りた日月神示では、末世はあらゆる神がかりが蔓延ると語られていました。

今は、スピリチュアルでさえも真偽があやふやな状態であり、しかも情報の世界はビジネスに染まっているので、はっきり言って罠だらけです。
玉石混交の真実の中で、本当にダイヤの原石が存在しているのかすら疑わしい世界です。

以前、私が意識の所属問題で第3チャクラをやられている時、ネックになっていたのは「一般社会人しての意識」でした。
私たちが長年この人間社会を生き抜く上で身につけた常識は、神様の世界の道理とは若干違うものなので、古い価値観を持ち越したまま神代に渡ろうとすると、どうやらその手放しを促されるようなのです。

未だに、私の心の中でも「誰それがこう言っていた」「誰がやることだから良いはずだ」という先入観はありますが、そういうものがどんどん捲れて本質を現すたびに、自分を形成する外部的要素が全く当てにならないことに気づいてしまうのです。

今は特に、世界中がそのデトックスの真っ最中なので、何であれば絶対安心というものは存在しないでしょう。

だからこそ、いくら当たり前だと思うようなことでも、一旦疑ってみたり、距離を取ってみたりして、「そうじゃないかもしれない」というポジションでものを見るのは重要なのかもしれません。

誰が何を言ったかを正しいかどうか考える前に、魂の部分でどう受け取ったか、直感ではどう感じているのか、そのことに目を向ける方が、後に自分を救うことになるはずです。

私たちの魂は神のワケミタマですが、ワケミタマが繋がるのは根源なる神、いわゆるワンネスです。
つまり私たち一人一人は全知全能の神様との繋がりを生まれ持っているので、己の魂との繋がりを高めれば高めるほど、万物の本質に気づく能力は鋭くなっていきます。

だからこそ、真実を外に求め、外の世界に神を探すよりも、自分の内なる神と対話することの方が間違いはないでしょう。

しかし、それは自分にしかわからないことで、誰にも確かめようのないことです。
ただ、証拠がないからこそ、常に自分の内側に確信を求めていくしかありません。

神様が人間の目に見えず、形として常に顕現することなく、いるかいないかわからない状態であり続けるのは、人間にとって「目に見えないものを信じる」ことが一つの到達点であるからだと思います。

だからこそ、聖書のヨブ記のように身の破滅をもたらされても、神を信じきれるのかについてわざと神様は試されたりもするのです。

ただ現代の人々は、目に見える形で神様がテレビに出て、インタビューでも受けてくれなければ信じないかもしれません。
いや、それこそ胡散臭いと思いますが、私はどっちにしろ目に見えない方が美しいと感じます。

今は、あらゆる人の言葉を聞きに行くより、自分の内面に潜った方が大切なことがわかるかもしれません。
そして、あらゆる情報に触れた時、その感じ方を自分に問いかけてみた方がはっきりした答えになると私は思います。

惑わされることが多い時期だけに、自分軸をしっかり持ちたいところです。

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