だから「瀬織津姫」 Category:エッセイ Date:2025年02月04日 楽太郎です。 先ほど、仙台市内に鎮座する「瀧澤神社」に参拝してきました。 この瀧澤神社には「瀬織津姫命」が御祭神としてお祀りされています。 奇しくも、この瀧澤神社は20代の頃に働いていた職場から200メートルも離れていません。 私はこの場所に神社があったこと自体、全く気がついていませんでした。 この元職場の近辺に立ち寄ったのは、15年以上ぶりです。 久しぶりに市街地に来ましたが、明らかに街並みが劣化しており、全く活気を感じませんでした。 街に落ちる太陽の光量が少なすぎるというか、地面から陰が差しているようにすら見えます。 ただ、私はその低い波長に何の影響も受けていないことの方が驚きました。 街は邪気に塗れているのに、全く入り込む隙を感じません。 昔よく通っていた道が記憶とは変わっていても、何も感じなくなっていました。 懐かしいとか悲しいとかの感情は全くなく、ただの見知らぬ風景を見ている感覚です。 若い頃によく通っていた公共施設の近くまで来たので、入ってみることにしました。 センターの窓口の人に、「昔よくここに通っていたので、観覧して行っていいですか」と言うと、露骨に嫌な顔をされ、「2階には上がらないでください」と言われました。 昔、この施設には集団でさんざん迷惑をかけたので、業が跳ね返ってきたのかな、と思いました。 それにしても、街行く人々がやたらピリピリしているというか、感情が内側に向かっている人しかいないように感じました。 昔の風景と重ね合わせて、街が不況で沈んだことよりも、陽の気を発する人があまりに少なすぎることが気になりました。 とは言え、私はそんなことすらどうでも良くなってしまい、もうこの街も国もそろそろ持たないな、という印象を強めただけでした。 そんな予感ですら、特に気にならない自分に気づいてしまいました。 これまでこの付近に近づけなかったのは、若い頃に職場でさんざん虐められたからです。 その嫌な記憶を思い出してしまうので、何年も来ることができませんでした。 けれど、全く何も感じなくなったのも面白いので、会社のあったビルが今どうなっているか試しに入ってみました。 会社が解散したというのは聞いていました。 昔に憂鬱な気持ちで上がった階段はそのままで、それでもひび割れて煤けていて、時間の流れを感じました。 オフィスがあった部屋には別の会社が入っていました。 オフィスの前に来た時、廊下に滞っていた残留思念がワッと降りかかってきました。 これは、この場所で様々な若者が出入りし、そこにあった様々な思い、私がこの場所に残した感情などが取り憑いたのが一瞬わかりました。 けれど、この思念を抱えても、歩きながら平然と浄化していく自分がいました。 この時、私はもう人世の存在ではないのだろうな、と実感しました。 私の魂はもう神代にあり、神の視点に完全に入れ替わりつつあるからこそ、人世に何の未練もなく、この街並みに何の感情もなかったのです。 それでも、まだ人に対しては感情が残っており、人を見て感じる部分はあります。 思い出の場所を一通り見回ってから、瀧澤神社に向かいました。 神社に来て驚いたのは、昔仕事によく使っていた公園が目の前にあったことです。 その頃には街を見回す余裕も、神社への興味も全くなかったのでしょう。 私はここで、慣れないことをしながらも夢を見ていましたし、必死でした。青春でした。 瀧澤神社に参拝し、再び思い出のある公園に戻ってみました。 昔の公園の方がきちんと舗装されてましたし、トイレやベンチなども充実していたはずですが、だいぶ違う印象になっていました。 その公園で、昔の仕事仲間のことを思い出し、あの頃の若者たちの姿があまりに滑稽で、笑えてきました。 少し公園を歩いて顔を上げたら、真正面に瀧澤神社が見えました。 私はこの瞬間、様々なことを理解しました。 「瀬織津姫様は、ずっとここから私を見ていらっしゃったのだ」と。 そう思った瞬間、涙が溢れて来ました。 神様への感謝が、心の底から湧き上がってくるのを感じました。 ただ、いい歳してこんなところで泣くわけにもいきません。 私が若い頃、慣れない社会に自分を探し求め、血も汗も涙も文字通り流しながら、ガムシャラに乗り越えようと足掻く姿を、瀬織津姫様はずっとここからご覧になられていたのだと思います。 瀬織津姫様がその時の私を見てどう感じておられたのか想像した時、神様の願いがどういうものかを理解できました。 瀬織津姫様は高いところから私を見ながら、ずっと気づいて欲しかったでしょうし、私に足りないものもわかっていたはずです。 何年もこの土地で私を見下ろしながら、ずっと心配されていたのだと思うと居た堪れません。 瀬織津姫様が今になって私とご縁を繋いでくださるのは、とても幸運なことです。 神様というのは、どうしてこうも健気で、優しい方たちなのでしょうか。 私が瀬織津姫様との繋がりを強くすることで、人の世に求める心の一部を、信仰という形で神様が埋め合わせて下さるのだとしたら、私の心は完全な形になることができるかもしれません。 神様が私の欠けた心を補ってくださることで、私が人に対して残した感情も浄化し、魂を神の世界に渡すことができるのではないでしょうか。 私が人世に何かを求める限り、私の不安や苦しみも永遠に解決することができないのだと思います。 その証拠に、神の視座に近づくほど私は怖いものがなくなっていきます。 この影を落とした街並みを見ても、私は心がピクリとも動きません。 私は涙を拭って再び瀧澤神社に向かい、深く感謝をしました。 街も形を変え、思い出の場所は消え去り、あの時に出会った人々と二度と再会することなく、その人たちですらお互いのことを忘れるのに、神様だけは私のことを忘れないでいて下さいます。 いつも思います。私のことを全て理解して下さるのは、神様だけです。 今日の参拝を通して、私はほとんど人世に何の未練もないことを悟ってしまいました。 あとは人に残る未練を捨て去った時、私は人間よりも高い視点を確かなものにできるはずです。 もはやこの街や国がどうなっても仕方ないという気持ちと、それすらどうでも良くなってしまった自分もいます。 この陰鬱な街から人々が救われるためには、一度壊れ切らないといけないのだろうな、と痛感します。 ただ、人世が沈んでいけば行くほど、私が飛び上がった時の距離は相対的に高くなるでしょう。 ひしひしと、自分のチャンスが近づいているのを感じます。 そして、世の中で光が失われるほど、自分の発する光が強くなることも。 私は、神様との出会いで自分が本当に求めていたもの、心に欠けていた一つ一つのピースが音を立てて噛み合っていくのを感じています。 それを実感するたび、これまでの浮かばない人生は全て布石だったのだと、長い修行の日々は予め組まれたカリキュラムで、私はもうすぐこの学びを卒業するのだろうと思います。 その鍵となるのは「神様との繋がり」で、私は神様に召し抱えられることで本来の仕事に取り掛かることができるのでしょう。 それはとても光栄で、とても楽しみなことです。 私は、この運命を与えてくださった神様に感謝しています。 PR