「日常」にサヨナラを Category:エッセイ Date:2025年05月31日 楽太郎です。 昔のキャリアが掘り起こされ、チャンスが到来してた件について、綺麗さっぱり清算しました。 今回の件で感じたのは、私が以前いた業界や使っていたサービスに何の思い入れも残っていないことです。 あれほどトップに登り詰めようと必死だったのに、今では別人のように感じます。 この心境の変化は喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか自分でもわかりません。 そして、当時使っていたサービスをアカウントごと消して二度と使わないことにしました。 そう決めたのは、この判断に後悔することはないだろうと思えたからです。 これまでの世界はもう続かないだろう、という感覚が確信に変わってきました。 私の地元も大型ショッピングセンターが潰れて、皆誰もがどこで買い物しているのか不思議になります。 少し離れたところにスーパーがあるだけで、街として機能しておらず、この不便さは田舎と大して変わりません。 10年前にはこういう地域になるとは想像していませんでしたし、残念ながらあまり長居できる土地ではないと常々感じます。 この形容しがたい不況感、息詰まる街の雰囲気、日本語ではない元気な声。 この状況をどうするつもりなのか誰もが答えを出せず、考えないようにしてスマホやTVの画面を見つめているように思えます。 とは言え政治に名乗りを上げる人物は何となくきな臭く、解決の道筋も見えないまま世の中が勝手に変わってくれることを願っている、そんな印象を受けます。 人は誰しも、「自分なんかには何もできない」と思います。 かく言う私もそうで、こんなブログを書いたり漫画を描いたくらいで何かした気になる方が烏滸がましいのです。 何一つ世を変えることはできなくても、これからの混沌の時代を生き抜いていけるために、自分をしっかり立て直してよしんば周りの人を励まし、自分の身の回りだけは健全な空間を作って生きて行こうと思います。 どうせ自分なんかとか皆そうだからとか、そう諦めて何も考えず何もしなければ、いずれ罪を犯しても言い訳をし、自分が同じ目に遭わされても何も言えないような環境に身を置くことになるでしょう。 そこまでして生きていたくないと思うならば、ますます生きてはいけないはずです。 周りがどうあれ自分が生きたいと願うなら、この世界に向き合わなくてはいけない時が来ました。 世はIT全盛の時代、これからは「風の時代」だからとSNSでうまく人間関係を構築し、バズってお金儲けできれば将来は何とかなる、と思っている人で溢れています。 生成AIがあれば自分に技術や知識がなくてもアイデア一つで成り上がれ、自分のセンスとタイミングさえ合えばチャンスは転がっている、と。 しかし、そんな考えは小学生から年配まで誰もが思いつき、誰もが実現できるレベルのことでどうやって成功するつもりなのでしょうか? 人々はビジネスを展開するにはSNSを利用しますが、そのサービスに広告費を出す企業はホワイトな組織ばかりではありません。 ユーザーもどこまで一般人かわからず、相手がBOTか外国の工作員、あるいは反社の可能性もあります。 SNSの運営会社は利益追求のためにディープフェイクや権利侵害やサイバー犯罪を取り締まるつもりはなく、大人でも安心して使えないようなアプリをどうして真っ当な活動に使えるのでしょうか。 そういったどこの馬の骨かわからないユーザーが、インプレ収益欲しさに運営サービスに登録し、何であれ話題になりさえすればお金が入る仕組みのどこに誠実さがあるのか疑問です。 私が活動する上でSNS、特にXを使わないのは、ビジネスをする上で「Xで私をフォローして下さい」と言うと「Xを何の疑問もなくビジネスに使う」と思われたくないのもあります。 現在の旧Twitterは正直言って「魔窟」としか言いようがありません。あの環境では純粋に交流するのも難しく、ユーザー登録を促すのもどうかと思います。 ビジネスにおいてブランディングは重要ですし、信用が大事だからこそ、安易にSNSを広めるリスクを考えざるを得ません。 今のデジタル全盛の時代を担うマグニフィセント7、Apple、Google、Microsoft、イーロン・マスク。 スマートフォンやタブレット、PCを支配する企業は、端末とプラットフォームを支配する限り、経済や市場の主導権はアメリカという国家に握られています。 アメリカはご存知の通り、国家破綻寸前の状態にあり、その巨体を維持するために全世界からお金を引っ張ってくるのに必死です。 現在のアメリカの株式と国債を何とか維持しているのは、マグニフィセント7が時価総額バブルを蒸しているからです。 アメリカが著作権侵害やディープフェイクなどの人権侵害、フェイクニュースを氾濫させる生成AIを全面推しする点について、デジタルデバイスがどれだけ悪用され治安や文化を混乱に陥れても自分たちの責任ではないと言い逃れでき、多少の社会的犠牲は国家存続と利益追求のためなら致し方ないと思っていても不思議ではありません。 アメリカが日本の不動産バブルを潰して経済発展を終わらせたように、アメリカからすれば日本は異民族の住む国外の属州に過ぎません。 私たち日本人がアメリカという国家の支配から自立しよう、とするのは想像以上に困難なことでしょう。 私たちの生活はもはや国際化し、海外からの輸入品や製品がなくては日常は成り立ちません。 アメリカや諸外国のサービスを優先的に使わないという選択もできますが、日本国内のサービスが劣化し、そのサービス網から一手も二手も抜きん出ている外資系企業のサービスは圧倒的すぎるのです。 日本の小売で手に入らない商品をほぼ全網羅するAmazonのサブスクに入会すれば、楽天市場では小売ごとにかかる送料が一括無料になり、また豊富なエンターテイメントを見放題にできます。 その便利さは類を見ませんが、実際にAmazonを使えば使うほど国内の実店舗のモノは売れなくなります。 郊外型大型ショッピングセンターのAEONが地方の商店街を壊滅させたように、巨大資本は産業の多様性に一石を投じる存在であり続けます。 もしこの先、これ以上経済や国際状況が悪化すれば、今こうして日常的に使っているサービスは今の感覚で使えるのか?という点が、私は気掛かりです。 私の地元のスーパーも、数店舗の運営企業が撤退を決めただけで地域住民は買い物すら困難になります。 近年、画像処理ソフトを展開するAdobeがAI実装を期にサブスクを高額化しましたが、その価格帯ではビジネスに支障が出るイラストレーターが続出し、業界が騒然としました。 どんなインフラであろうと、提供するのは企業であり運営は営利目的です。 どれほど綺麗な事業理念であっても、どれだけ地元の経済に貢献していても、儲からなくなれば潰れますし、企業が買収されたら終わりです。 なおのこと寡占企業であり、人々の依存度が高ければ高いほど手の平を返した時は危険なのではないか、と思ってしまいます。 私は最近、寂れていく地元の街を眺めながら、何だかんだ思い出のあるこの土地に愛着があったことに気づきました。 それでも何十年か見てきた中での変わり様と衰退感を思うと、何とかならなかったのかと感じざるを得ません。 その変化はどうにもならないことを頭で理解しながら、「日常」というものは当たり前に訪れるものではないことを痛感するのです。 この街が様変わりしたのも、少子化や長引く不況だけでなく東日本大震災があり、地方を離れた人々がたくさんいたからです。 建物は老朽化しインフラの維持が難しくなり、復旧するにもお金の巡りも健全とは言えませんでした。 そんな中でコロナの流行があり、観光地も商業も大打撃を受けたまま、元に戻ることはありません。 今あるサービスがこれからも永劫あるはずがないのは当然ですが、それは今を生きるからこそ繁栄が続くと錯覚します。 今当たり前にあるものは、「正しいから」今の世の中に溢れているわけではありません。 多少グレーでも、線引きされないラインで収益を上げているから市民権を得られるのです。 かつてCMをバンバン打っていた消費者金融や宝石ビジネスも人材派遣業も、問題はありながらも人々に受け入れられ、それでも黒い部分は黒かったから問題化しました。 後の時代だから「あれはダメだった」と言えるようなことは、時代の空気の中では誰しも口にはできないものです。 私たちが今の時代を変えたいと思い、実際に変えようとするなら今ある日常を自分で手放す勇気を持たなければなりません。 「動物愛護を徹底せよ」と言っておきながら、片手にシシケバブを持って活動することはできません、 そういうところをしっかりしていなければ、何をやっても片手落ちになってしまうでしょう。 私は、これからの活動をしていく上で、多少不利になるとはわかっていながら手段は選ばなければいけないと改めて思います。 人間としてどうあるべきかを問いながら、自分だけはと甘い行動を取ることはできません。 流れは変えられないにせよ、自分がエネルギーやお金を循環させる対象くらいは、きちっと弁えたいと思います。 これからの世を作っていくのは茨の道だと痛いほど感じるのですが、そうでもしなければ人々が黙って泣き寝入りするだけの国になってしまうでしょう。 正直なところ大人はどうにもならないと思います。ただ今の若者世代や子供たち、まだ見ぬ未来の子々孫々のためには何かを成し遂げなければならないと感じます。 日本に愛着があるからこそ、目の前で土地が踏み荒らされていくことが耐えられません。 私一人だけでもと、日々思いを募らせています。 PR