招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

霊の善悪を見極める方法

楽太郎です。

私には、特にはっきりとした霊能力はありません。
霊感やそれっぽい感覚はありますが、確信を持ってこうだと言えるほど強い力ではありません。
まだこの感覚に気づいて日が浅いので、手探りで様々な情報や知識に当たっています。
ある人はこう言い、別の人はこう言っている、という状況が多すぎて混乱することもしばしばです。

個人的な話ですが、私はある霊能力者に霊視してもらったことがあります。
彼が言うには「本質を求め、あらゆる知識を外から取り込むせいで、その知識で心を作ってしまっている。だからこそブレるし、心も育っていない」と指摘されました。
私はこの時、一応批判を受けているわけですし、何の根拠もないはずなのにこの言葉がスーッと心の中に落ちていって、一瞬で納得したのを覚えています。
「なぜか」はわからなくても、魂のレベルで腑に落ちることは実際に起こるのです。

スピリチュアル界は特に、玉石混交です。
自分の感覚に自信がないからと言って、下手にあらゆる情報源を当たるのは危険です。
最近はブームに便乗した、霊能力云々が関係ない業者も跋扈しています。ただでさえスピリチュアル業界は、一時期問題となった霊感商法と親和性が高く、目に見えないものを扱っているがゆえに詐欺紛いのビジネスも横行しています。
そもそも、能力者が本物か偽物かである以前に、チャネリングやリーディングにアプローチしてくる霊が高潔な神霊ばかりとは限りません。
例えば、霊的存在を私たち人間と同じ文脈で捉えてみればよく、それが悪い霊や低級霊の類なら、さも自分を高い位の神霊であると騙りたがるでしょうし、もしくは信じさせるために嘘や奇跡的な事象をわざと起こすかもしれません。
この審神能力は、特に目覚めていない能力の人々には備わっていないため、それが高潔な神霊なのか、低級霊なのか悪魔的存在なのか、素人には見分けがつきません。
そのため、安易に全ての能力者の発言を鵜呑みにすることは酷く危険です。

さりとて、気に入らないメッセージは受け取らない、共感できるメッセージだけ受け取る、というスタンスでは神様のご意思を正しく受け取ることはできません。
肩書きのすごい人がこう言っていたのに、他の人の説明では物すごくしっくりくる、でもこの二人の話は矛盾してしまう、ということもしばしばです。
こういう時、「どっちが正しいことを言っているのだろうか?」と混乱しますが、結論から言うとこれを頭で考えることに意味はありません。

スピリチュアルの世界は、言語を超えた世界です。
この界隈には宇宙一般の用語を使うグループもいれば、日本神道の用語で全てを解説するグループもいます。それぞれ、使う言葉は違っても共通の事柄を扱ってますし、共通する答えもたくさんあります。

神様は、どうやら自分たちが人間にどういう説明をされているかを特に気にされないようです。

その上で定義や動機づけが教科書通りであるとは限らず、権威はあまり確証にはなりえません。
正しいか正しくないかは自分が判断すべきことで、逆にそれに一つの正解を追い求めると疑念は深まるはずです。
問題は、能力者が発した言葉、霊が介入した言葉に善意があるか悪意があるかだけです。つまり、真偽よりも、その影響の見極めの方が大切なのです。

神がかりの良し悪しの見分け方



私がスピリチュアリストを見てきた中で、正直に言ってしまえば低級霊や悪霊に憑依されているインフルエンサーが何人かいるな、と思っています。
ただ、それの正誤を検討すること自体にさしたる意味はなく、「良くない霊に取り憑かれているからこの人の話は信じるな」と言うつもりもありません。
自分の力で良くないものの影響から外れることの方が重要だからです。

例えば、世の中に性格の悪い人や悪人がいたとしても、法を犯していたり危害を加えられたわけでなければ、関わらない方がいいのと同じです。
その見極めは、極力頭だけで考えないことです。感覚もよく間違うので、右脳左脳で判断しないことだと思います。

これには魂の感覚が重要です。

ハートオープンの状態で受け取ったものの中で、高い神霊のメッセージは言葉尻や表現ではなく、イメージとして心にスッと入って瞬時に納得できるという性質があります。
それが多少厳しい言葉でも信じがたくても、なぜか腑に落ちてしまうのが格の高い神霊の特徴です。
反対に、邪念の入った言葉は、「ん?」となることが多いです。いくら綺麗な言葉でも、何かが引っかかる感覚があります。この違和感を放置して鵜呑みにすると、格の高い神霊の正しいメッセージを受け取った時に矛盾を感じてしまいます。

審神はもちろん大事ですが、修行も開眼も進んでいない者にその能力はありません。
そんな人ほど頭で解釈すると同時に、魂の感じ方や直観の部分で快不快を見極めることが有効です。
そこに自分軸がなければ、綺麗な言葉や希望的なメッセージだけを受け取ってしまい、批判や厳しい言葉には耳を傾けないようになりかねません。

神様は高潔な方々なので、時に人間には理解しにくい難題や高い倫理観を求めてきます。それは耳の痛いことかもしれません。しかし、それが大事なことだからこそ、神様は私たちに干渉なさるのです。

聴き心地の良いメッセージだけを集めることは、悪魔の言葉にも耳を傾けることになるはずです。
その時に大事なのは、「この言葉を聞いて、私は成長するのか、世の中は良くなるのか」を改めて吟味してみることです。

神様は、私たちをお導きになる役割の方々です。幸せにするために、わざと堕落するような甘やかし方はしないはずです。
そのことを心得ていれば、妙な神がかりに惑わされることは少なくなります。

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