招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

「呪い」を越えて

楽太郎です。

ここ一週間以上、好転反応状態が続いています。
多少動けるようにはなってきたものの、本流は「浄化」だと思います。
昨日は半日歩き回ったこともあり、クタクタになって早めに寝ました。
最近はかなり夢占い的な夢を見ることが多くなり、実際に夢占いにかけて意味がわかる内容ばかりです。
そこで見る夢は、ほぼ悪夢です。

この悪夢を見ることで、無意識に気づきと浄化が行われているのだと思います。
今朝は、姪に「これから世の中は悲惨なことになる」と吹き込んだ私を、兄に酷く説教される夢を見ました。
あと、私と共通の上司に酷い目に遭わされた同僚がいたのですが、彼が放送局からずっと上司の悪口を言っている、という陰鬱な夢です。

これは夢占い以前に、近い現象を目の当たりにしたというか、リフレインにしか過ぎないような気がします。
この記憶も浄化の対象なのだとしたら、私の人格は洗いざらい清められているのでしょう。

昨日も街を歩くと、以前よりシャッターを閉めたお店が増えていました。
元気な声を聞けば、だいたい日本語ではありません。
このままでいいのか?と、どれだけの日本人が思っているかはわかりませんが、私はどの道「長くは持たない」という結論は変わりませんでした。

「この日本は、そのうち我々のものになる」と思っている人たちも、譲り渡したい日本人もいるでしょう。
それは人の世の理なら、そうなっていくでしょう。

しかし、私は神様が動いていらっしゃるのを知っていますし、その兆候はあらゆる現象として可視化されています。
人の世の理なら、単なる偶然や自然現象、あるいは極端な陰謀にしか見えないはずです。
それがわかるからこそ、私は静観を続けています。

この「人世」が解体されるにつれて、自分のエネルギー状態はどんどん上がってきています。
頭から押しつけるように感じていた重圧は、時に自分で振り払えそうに感じる時もあります。
特に昨日は、神様とのシンクロ率が高く邪気をフルカットしていました。
私の人生に、徐々に光が差し始めているように感じます。

私が身動きが取れなかったのは、魂を押さえつけるような価値観に世間が支配されていたからです。
だいたい、誰もが一時期に一つの物事に夢中になり、大勢で同じようなものを一斉に求める風潮が、私には理解できませんでした。
「お前は遅れている」とか「お前はなんか違う」と言われるのは悲しくも慣れてしまうのですが、私も無理して皆が求めるものを欲し、手にしても何となく違和感があるのです。

「皆こうでなければならない」という意識に対して、人々は頭で「それぞれ自由にやっていこうよ」という風潮も、世の中にはかつてありました。
「個性を大事にしよう」とか「多様性を育もう」とか言うわりには、人々はお互いの違いを感情的に許せないままでした。
結局は皆が同じでなければ不安で、それゆえに個性を出す人間は感情的に潰したくなる空気が、相変わらず漫然とあったのです。

そこで純粋な気持ちで思ったことを言い、思った通りに生きれば、かなりの割合で総スカンを食らいました。
私にだって善悪はありますし、迷惑にならないことを選んで行動しているつもりなのに、やることなすことが裏目に出ます。
それがなぜかずっとわからず、さりとて周りに合わせなければなりません。人の言うことを鵜呑みにして何とかやろうにも、その方がむしろうまくいかないのです。

私にかけられた「人世の呪い」は、こうして完成しました。
何度も心を病み、何度も立ち直って人間社会と向き合っても、人の世はいつも違う呪いをかけてきました。

今、その呪いを完全に解く最終フェーズに入っています。
その呪いを解けきった時こそ、私が本来のありのままの魂を取り戻す時です。

この覚醒は、春分の日が一つの区切りになるのでしょうが、おそらくその後も浄化は続くはずです。
人の持つ魂は、おそらく初期状態が完璧な状態なのだと思います。
しかし、肉体を与えられ、男か女として育ち、人として生きる学びの過程や日々の生活の中で、魂は曇っていきます。
その曇りを磨けば魂は輝きを取り戻すのですが、その浄化は簡単なものではありません。

だから、これから先も「魂を磨く」ということは、「学び」と「浄化」を交互に繰り返していくことになるでしょう。
それが一生を終えるまで続くのだとしたら、覚醒は一度したら終わりというものではなく、何度も何度も重ねていくのだと思います。

私は、自分らしさを出せば出すほど、「人から批判されるのではないか」「誰からも見向きされないのではないか」と自分で自分を抑制してきました。
この抑圧こそ、私が本来のエネルギーを循環させ力を発揮できなかった最大の要因です。

確かに、人の世でやっていくには「評価されない」のは死活問題で、評価を勝ち得ていかなければならないのですが、反対に自分を偽って成果を出しても幸福になることはできませんでした。
その同調抑圧で形成してきた社会が立ち行かなくなるとしたら、それに合わせる意味すら無くなります。
この板挟みから解放されるタイミングがこれから来るのなら、他者の評価を越えて、私の自由な表現を追求していけるターンに入ります。

「人世の呪い」は、私を長い間苦しめましたが、その呪いをかけた人世は、自らの呪いで自家中毒を起こし、これから手も足も出せなくなるでしょう。
その時、呪いから解放された私の魂は、最大限の力で動き回れる時が来るはずです。

そのエネルギーは、何かに合わせるために形を変えることもないため、波動が強ければ強いほど運やお金や人を巻き込んで行くはずです。
結果的に「世のため人のため」に無理して奉仕するよりも、よほど役に立つことができると思います。

先ほど、神様の声が心に響きました。

「これからは、立ち回れる範囲で暴れなさい」

これ以上、ありがたいお言葉はありません。
神様、恩に着ます。

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