心のコントロールと「魂」
- Category:神人関連
- Date:2025年01月11日
昨日は、地元の神社で十日戎があり、昨年末に献米をしたので参加してきました。
そこで神社に名札が掲示されており、妙に舞い上がってしまいました。
帰り道でふと落とし物をして、それが考えてみると縁起の良くないことだったので、私は「神様にお叱りを受けたんだな」と思い反省しました。
先日「須佐之男命」様のイラストを描くようどなたからご依頼があり、翌朝から描き始めました。
ただし須佐之男様のイメージから受けるエネルギーが強すぎて、私の霊性では受け止めきれないと判断し、「このままだと須佐之男様を描ききることができない」と感じました。
十日戎にはもちろん以前から参加するつもりだったのですが、神社で神様にイラストの件をご相談し帰宅する間際、あまり縁起の良くないことが起きたので「うかうかしてるとお前には任せんぞ」ということかもしれない、と反省しました。
ただ、あまりに私がへこみすぎたのか、そのあと神様からフォローもあって持ち直しましたが、襟を正せということかと思います。
その数時間後、強い好転反応状態に入りその感覚を内観してみたところ、よく考えれば冬至明けから感じている心身の不調は、地味な好転反応そのものだったことに気づきました。
やたら眠いし波長は乱れがちだし、なぜか疲れてるし低次元に引き戻されるし、何となく「自分が古い自分に戻ろうとしている」という感覚です。
スピリチュアルな好転反応の怖いところは、この不調や混乱を乗り越えられなければ、好転しないどころか退行による運気の低下が起こることです。
この場合「中途挫折の法則」が働くと言われています。
この成長のタイミングで人生における悪癖のような部分に試練が与えられ、それはわりと盲点だったりするので、よほど注意深くなければ開運の芽を自ら摘んでしまいます。
この好転反応の振り幅の大きさや、心身を長期間休ませなければいけない状態に置かれたことを考えると、このエネルギーの変化は相当大きなものだったのかもしれません。
私は以前から、己の魂のエネルギーの大きさに振り回されがちです。
古い話をすれば、私が高校時代に一時期不登校になった時も、自分の魂のエネルギーを制御しきれず、自らの波動に当てられて疲弊していました。
この心のエネルギーの制御は、若い頃には誰しもが掌握しきれないものかもしれません。
ただ、昔はそういうのは「根性がない」とか、時代が下れば「メンヘラ」とか、近年では「発達障害」とか言われてしまう部分です。
あの頃は、そうやって大人たちに絡め取られたものでしたが、自分が大人になり理解をしてしまえば、違う説明の仕方で乗り切れます。
その意味では、時代が変わってよかったのかもしれません。
魂のコントロールについて
心がうまくコントロールできない一つの要因として、この魂のエネルギーと「現実観」に基づくマインドが葛藤を起こしやすいことが挙げられます。
魂から湧き立つ感情・感覚は、その時代のロジックでは不合理なものだったりします。
現実的な「成果」「利益」「正当性」それらが先立つほど、魂のエネルギーは邪魔になってしまいます。
学校、会社、組織、そういった社会的枠組みの中での奔放さは、足並みを乱すだけのものでしかありません。
だからこそ、私たち現代人は魂の感情を抑圧し、周りのために外見だけを合わせて生きるよう、習慣づけられてきたとも言えます。
その歪みがあからさまに露呈していく世相にあって、逆に常識の枠から飛び出せる機会を得るのは、精神性を重んじてきた人々にとって福音となるはずです。
「魂の声を聞く」のは、人が思う以上に難しく勇気のいる作業です。魂は分け隔てなく、無礼講かつ率直な意見を返してくるからです。
社会の枠組みの中で生きていれば、その表現はリスクとなるケースが多く、しかるに魂に対してわざと蓋をし、直感などなかったようにロジックで生きるのが賢い時代になったように思います。
しかし、これからの時代は「魂」が軸になければ生きていくことが難しくなるでしょう。
自分の精神性を貫くこともそうですが、魂を通じて神仏やスピリチュアルな存在と繋がり、その感覚を共有しなければ豊かに生きられない時代になると思います。
その際、現実を生きやすくしようとするならば、魂の向かうベクトルを知り、できる限り魂の向きにそぐわない判断を避け、真っ直ぐ魂のエネルギーを向かわせることが重要になるでしょう。
スケジュールやタスクに追われても、魂の向きに合うかどうかで義務感や苦痛度も異なるはずです。
その魂の方向性は自分自身と対話しながら、動機づけに対してポジションを取ることで、感覚的に変えられる部分だと思います。
過去の出来事や、未来の懸念や社会上の価値観に左右される時は、魂のエネルギーを真っ直ぐに具現化することができません。
そのため、「今ここ」に集中するためにも、今ある自分の深くにある感情に気づき、ここからエネルギーを引き出す必要があります。
心のエネルギーの制御は、自分自身と付き合った経験がものを言います。
その経験は、何十年生きてても自分の心や魂と向き合っていなければ、直感的に深く理解することはできません。
今、私たちは社会的な声よりも魂の声を聞くことで、崩壊していく同調圧力から解放され、新しい時代の生き方を掴めるようになるはずです。
現状、それに気づいている人は少ないかもしれません。
しかし神代を目指す我々、現人神たろうとする人たちは、この生き方の素晴らしさを説き、実際に人々に示すことで変容を促していけるはずです。
おそらく、神様は私たちにそれを期待なされています。
そして、自分たちの背中を見せることで、新しい時代に人々を引っ張っていくことを何より望んでいると思います。