招神万来

弥栄の時代をつくる神様と人のためのブログ

世直しの仕方

楽太郎です。

この数日、エネルギーが上がってきて、インスピレーションが次々と入ってきてます。
これでは一つ一つ覚えられないので、記事を書かないと忘れてしまいます。

最近になって、神様の価値観というか、神様たちのスタンダードな考え方が掴めてきました。
神様は至ってシンプルなことしか仰いませんし、問題を複雑にするのも、受け取り方を複雑にするのも人間です。
しかし、人間はシンプルなことをするのが苦手なようです。

昨今の世は慌ただしくはありますが、特に特筆すべきなのは、第47代アメリカ大統領に就任したトランプ氏です。
日本人はトランプ氏を英雄とか救世主みたいに思っている人が多いように見えますが、私の考えは違います。

トランプ氏がどういう人物であれ、これから何をするのであれ、彼は米国を第一に何とかしたいのであって、「トランプ大統領が日本を救ってくれる」という保証はどこにもありません。
アメリカからすれば、日本が永久に植民地であってくれた方がありがたいでしょう。本国の負債を外国という名義なら実質的に押しつけることができるからです。

逆に、「日本はアメリカも中国もロシアもどう出ようが関係ない、我が国は独立を取り戻す」という気概がなければ、いずれ神にも見放されます。
日本列島におられる神々は、日本人に愛想を尽かしていることをもっと気にするべきだと思います。

私は最近、「禍事」の意味を考えます。
この禍事が真相の炙り出しであり、それによって人々に気づきを促しているというのが私の見解です。
ただ現象面では、ゴシップや社会問題として噴出し、そこから組織が物理的に解体されていく様子を見ながら不思議に感じています。

現在進行形のマスコミ絡みの騒動は、わりと権威寄りのトップ層から切り崩されています。
しかし、世には腐り切ったトップなんてザラにいますし、例えば週刊文春が絨毯爆撃を行なったとしても、全ての不正を暴ききることはできません。

私が思うに、「禍事」は上と下からの突き上げ、突き下ろしが同時に起こっています。
大企業などの権威筋はパワーのある組織にしか切り崩しができませんが、その組織よりパワーのある集団に同じことを仕掛けるのは不可能でしょう。
トップの頭がすげ変わっただけではトカゲの尻尾切りにすぎないので、やはり組織内部から変わる必要があります。

その時、一人一人の構成員の考え方が変わることで、組織は下から動かされていくのだと思います。
組織の構成員には家族もいれば友人もおり、それ以前に一人の人間なので、評判の悪い組織にいるのは居心地も悪く、自分としても納得しがたいでしょう。

神様は、こうして二方向のベクトルから圧を加えることで、浄化を促しているように見えます。
おそらく、これはソフトパワーで起きている「禍事」であり、物質面よりも精神面でかかるインパクトです。
とするなら、「ハードパワーの禍事」も神様は用意されているでしょう。
それはここであえて書く必要のないことです。皆さんも、薄々わかっておられると思います。

神様がこういう形で世の建て替えを進めておられるのは、一重に人間に変わって欲しいからです。
厳密に言えば、「神様と一緒に世の中を作ってくれる人々」が主導する人間界にしたいのだと思います。

それには、目に見えないものとの感覚を大切にし、天からのメッセージを素直に聞き、優しい心を持った人が増える必要があります。
けれど、この評価は人間界の尺度ではできません。

私は、クリエイティブの業界で才能のある人、徳の高さも兼ねた人をたくさん知っています。
そこでは人に尽くし、善業のために身を捧げている人もよく知っています。
ただ人のために徳を積みながらも、視点が人間界の問題に定まりすぎているため、神様の存在には気がつかない人もいます。

残念なことですが、いくら人のために尽くしても、人間界の英雄が神代の人材とは限らないのです。

人類はこの数百年間、ずっと「右か左か」で争ってきました。今も尚そうです。
しかし右と左を選ぶのではなく、本当の正解が「上」であったことに気づく人はあまりいません。

人間なら「真ん中」を選べば良いと思うでしょうが、右に寄った人からはそこが真ん中だと思い、真ん中の人が左にいるように見えます。
だから諍いが絶えないのです。
けれど「上」を選べば、右も左も真ん中も全部同じように見えるはずです。そこでは神様が正しい道を示して下さるので、ブレることがありません。

私は、これが日本の神道に教義が存在しなかった最大の理由だと思うのですが、この話は長くなるので割愛します。

おそらく、最終的に全ての権威が相対化される時、唯一残る権威が「神仏」になると思います。
けれど、人間が勝手に作って祭り上げた権威ではなく、本当に私たち人間を作り育んだ神様という存在が、私たちの上に戻られるのは至極当然ではないでしょうか。

そうなった時、人々は今まで神様のおられるべき場所におかしなものを座らせていたことを反省し、全ての禍が解かれ浄化された世界が訪れるのだと思います。
それが「神代」であり、私たちが実現せねばならないことです。

神代は、意気揚々と戦いながら作るものではなく、神様と和気藹々と楽しく暮らしていたらいつのまにか実現していた、というものかもしれません。
神様は、私に「闇の勢力と戦え」と仰ったことは一度もありません。逆に、「世を照らせ」というメッセージの方が強い気がします。

きっと、希望や喜びの心が光となり、それが唯一の神代を手繰り寄せる方法なのかもしれません。
そのためには、暗い世相に引っ張られず、明るい気持ちで楽しく生きることだと思います。

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