この世の問題は、生き方の問題 Category:神世考察 Date:2025年01月21日 楽太郎です。 先日、今の時代を測る上で象徴的だなと思った出来事がありました。 十日戎で献米をしたので、神社からの返礼品が家に届きました。けれど、厳密には誤配で近所の家に届けられてしまいました。 荷物の届け通知はメールで来ていたので、その旨を運送会社に連絡し、しばらくして配達員から電話が来ました。 配達員によると、「住所の記載漏れがあった」とのことで、私としては謝罪は求める気持ちはなかったのですが、いかにも「自分は悪くない」という物言いには少しカチンと来ました。 「夜に荷物を誤配先から引き上げて自宅に再配達する」という話をつけて待つことにしました。 最近、この運送会社も色々と複雑な事情にあると聞いてはいたので、ご時世かなと思っていました。 神様的にはどうお感じなのだろう?と思いましたが、「高見の見物でよい」と仰っている感覚でした。 ただ、夜になっていつ再配達が来るのかわからないのも困るので、コールセンターに電話してみました。 これは、自分でもやる必要がないことだとはわかっていましたが、少し好奇心で探りを入れてみることにしました。 結論を言うと、コールセンターの対応も最悪でした。 最初から最後までモンスタークレーマー扱いされて、個人情報を根掘り葉掘り聞かれました。 その時の対応は「住所に記載漏れがあったのだから、原因は送り先にある」という印象です。 送り先は神社なのですが… 荷物も奉納品の返礼なのですが… その電話をしてから十数分後に、荷物の再配達が来ましたが、ちゃんとした専属のドライバーの方でした。 けれども、何となく斜に構えた印象でした。 私はこの一件で、全く怒りはなかったのですが、今の日本人を考える上で参考になるものを見させられたな、と思いました。 配達員がもの凄くタイトで、精神的・時間的余裕がないのは見て取れました。ケアレスミスに対して、きちんと反省する余裕がないほどなのだろうと思います。 コールセンターの方も、さんざんカスタマーハラスメントの対応をしてきたせいか喧嘩腰で、まともな話に持っていく気がないように思えました。 この出来事の本質は、「自分は悪くない、他に原因がある」という他責思考にあると思います。 ただ、自分が悪くないと正当化できるとしても、自分の考える正しさとは仕事を甘くこなすことなのか、と私は疑問に思います。 彼らも色々大変なんだろうな、と心底感じます。 トップや組織の体質は、末端の従業員にはどうしようもありません。 自分のキャリアや生活を考えると、簡単に抜け出せないのもすごくよくわかります。 けれど、いつまで自分の人生を「仕方ない」と言い訳しながら生きていくつもりなのかな、と老婆心ながら思ったりもします。 実は、今の日本人を支配している問題の本質が、ここに現れているのではないでしょうか。 自分の生きる軸を「当たり前」の生き方に沿うように置いて、皆が仕方なく仕事をしているから、自分も仕方なく仕事をするのは当然だ、と。 世の中が悪くなっても自分にはどうしようもないし、自分がうまくいかないのは自分が悪いわけじゃない。 きっと原因は色々あって、どうしようもなく大きな問題もあって、それが悪いんだから仕方ない。 「だから自分は悪くない」 その他責思考は、あたかも自分が正しく見えるでしょう。 けれど同じように、それ以上に複雑な状況でも、自分軸を守って自ら道を切り拓いていく人はいます。 その動機づけをしないのは自分の選択であって、それは決して自己責任云々ではなく、妥協を選ぶ意志が自分自身にあるのです。 誰もがそう考えるからこそ、日本という国は沈んでいく一方なのではないでしょうか。 この国がおかしいのは政治家が悪い、マスコミが、富裕層が、高齢世代が、官僚が、あの企業が、あの思想が、あの国が、と問題の所在を外部に作ることで、自分自身を反省するチャンスを見送った結果、今の現状があるのではないかと思います。 仮に問題がそこにあるとして、自分は一体何の行動を起こし、何を変えようとしてきたのか。 それを自信を持って言える人は、どのくらいいるのでしょうか。 今、この世界で起きている問題の「炙り出し」は、他人軸で物事を考え、自分という存在を外部に依存させてきた人々に、「そろそろ気づいたらどうだ」と神様が伝えたいのではないでしょうか。 あれほど絶大な影響力のあった人物や組織がガラガラと崩れていく中、「一生寄りかかれるほど絶対的なものはないのだ」と見ることはできないでしょうか。 そして、人々がそれに気づき「では自分はどうしようか」と考え始める時を、神様は待っておられるのかもしれません。 自分に立ち返って人生を再定義する時、これまでの生き方を新しくすることができるからです。 その気づきが人々に広がる時、「今までのこれはおかしかった」と自ら世直しに動き始めるのだと思います。 おそらく世に起きる禍事は、この気づきのために起こされているものなのかもしれません。 私は最近、心底思います。 人生は、「もう一度ある」と思うことでも二度と叶わないことがあります。 あの人と会うことや、あの場所に行ってみること、また食べたいもの、それはまた機会があるとその時は思えますが、気づいたら永遠の別れになります。 人はそれを理解したとしても、その喪失感にいつの間にか慣れてしまいます。 人生は、恐ろしいほど取り返しがつきません。 けれど、新しくやり直すことはいくらでもできます。 同じ状況には至れなくても、それ以上の境遇には至れるのです。 その時、自身の後悔や反省を活かして応用するからこそ、人生はより豊かになっていくのだと思います。 私の半生は、まさにそれを思い知るためのものでした。 だからこそ、「いつでもやり直していいのだ」と私は伝えたいのです。 人生は短いですが、わりと色々なことができるのですから。 PR